第二十三話
「本当……変な感じ……」
卓也はモニターに映るプリズムの輝きを放つ壁を見ていた。
平らな壁に反射するプリズムは、安物の3Dゲームのようなチープさがあった。
「今は食道だと思います。すぐに――落下するはずです」
デフォルトが言うのと同時に、カプセルの外でちゃぷんと音が鳴ったような気がした。
「胃液に入水ってわけ? なんか余計に気分が悪いよ……」
卓也がファンシーな表現でフィルターされているモニターから目を逸らした。
緑の月が湖に反射して浮かぶような光景の現実は、一歩でも外に出れば今の卓也なら溶けて消えてしまう恐ろしいものだ。
「ですが、これは大変興味深いですよ。まるで健康な五歳児です」
デフォルトはモニターのフィルターを切って、ルーカスの胃の中をまじまじと観察していた。
とてもきれいな内臓の色をしており、今まで一度のストレスにも苦しめられたことがないと思うほど正常な胃だった。
同時にルーカスの身勝手は、本人が全く気にしていないと証明されたようなものでもある。
「胃に百個くらい穴があいてないとおかしいほど迷惑をかけられてるんだけどね」
卓也は自分のことを棚に上げてルーカスを批判した。
デフォルトから見れば卓也の胃の状態も変わらないと思われているのだが、本人がそのことに気付くことはなく、ひととおり批判を終えるまで口が止まることはなかった。
「もういいか?」とラバドーラの音声が流れた。「そろそろカプセルの外側が破ける。胃液に擬態して潜り込むぞ」
「心の準備はずっと出来てないよ……。ルーカスの体内にいるんだよ。本当にVR空間みたい」
卓也が感じている不快感は時間の流れ方だ。
悪夢を見ている最中のような、規則を持った不規則な時間。全力疾走を続けても、眼の前の目的地にいつまで経ってもたどり着かない。そんな焦燥感に襲われていた。
「サイズが変わったことによる情報の変化のせいでしょうね」
「僕の体で、僕の意識のままなのに?」
「簡単な話です。川の流れを見るか雲の流れを見るか。それだけでも時間の感じ方は変わります。体が縮むということは、意識する箇所も変わりますから、その違和感が時間の違和感として出たのだと思います」
納得出来ないままの卓也にデフォルトは懇切丁寧に説明を続けるが、一向に納得する気配はなく、逆に責め立てられる事態に陥ってしまった。
「さあ! この違和感を説明してもらうか!!」
卓也が強気に出ると、ラバドーラも「是非とも説明してもらいたい」と乗っかった。
「そんな……無理ですよ……」
モニターを見て固まるデフォルトの目には、絵本に出てくるような簡略化されたお城がそびえ立っているのが映っていた。
それは幻覚でも妄想でもない。卓也もラバドーラもまったく同じ物を見ていたのだ。
カプセルとなっている特殊なフィルターは、ルーカスのか体の中のなにかをお城として表現しているのだが、まだ繋がりが見えない以上はこちらか動くのは危険だった。
「胃の次は小腸じゃないの? なんかお城って関係ある?」
「見たままの世界ではないですから……」
デフォルトが言うのと同時に、ラバドーラがカメラを動かして。モニターへ周囲の景色を取り込んだ。
映るのは城壁ばかり。背後も城壁に囲まれていた。
「なんて嫌味な城なんだろ」
卓也のため息を理解できず、デフォルトは「そんなに立派なお城なのですか?」と聞いた。
地球の大豪邸という感覚は、デフォルトやラバドーラでは理解に苦しむものだ。
狭くても機能性に溢れるというのが、本来の宇宙への寄り添い方だ。
ただただ大きさを求められるものは、星や一部の宇宙生物だけ。
宇宙船が大きくなっていくのは、惑星のコアの代わりになるようなエンジンを積まなければならないのが原因だ。
大きいものが良いという地球の価値観は、まだまだ宇宙規模の価値観には追いついていないのだった。
「立派じゃなくて嫌なの。僕らどんな格好してる?」
「それは……見上げてます」
周囲が全く壁で囲まれた状況。
変化を求めるには壁を見上げて、構造と装飾からお城のようだと判断するしかない。
否が応でも見上げることとなる。そして大抵は上に誰かいるということになる。
「わかる? 常に見下されてるってこと」
「考えすぎですよ。誰もいないじゃないですか」
「お城なのにね」
卓也はさもおかしいと笑ったが、デフォルトはそれこそがおかしいと指摘した。
リリリはルーカスの精神世界を映像として映すと言っていた。
同じ地球人である卓也がおかしいと思うことがおかしい。
卓也が思い描いている城と相違点があるということは、ルーカスの思想が強く反映されている可能性がある。
そのことをデフォルトが説明し終えると、城壁の一番高い場所から何度も聞いたルーカスの高笑いが響き渡った。
「よく気付いた。さすがは私の右腕だ。いや右二本目の触手と言ったところだな」
「ルーカス……様?」
デフォルトの歯切れが悪い理由は、どこから現れたライトの逆光を浴びたルーカスの姿が見慣れないものだったからだ。
「あれは?」
「見てわかるだろう? 金ピカの王冠。ファー付きのマント。それに宝石だらけの杖。――裸の王様の大バカバージョンだ」
「それなら……あれはなんだ」
ラバドーラがカメラを切り替えると、モニターには高笑いを響かせるルーカスの対面にある城壁が映った。
白い城壁に汚れのように影が滴り落ち。その先にはもうひとりのルーカスが立っていた。
「あれは……ルーカス様?」
「いかにも私がルーカスだ。他の誰に見えるというのかね」
もう一人のルーカスは声に怒りを滲ませてデフォルトを見下ろした。
「ルーカス様です……」
今はルーカスの体内にいるので、本物のルーカスが現れるはずがない。偽物なのはわかりきっているのだが、偽物が二人も出てきたせいで混乱してしまった。
自分達はカプセルという異物として体内に入っているので、体は異物を追い出そうと臓器に働きかける。
その攻撃反応が偽ルーカスを増殖させたのかと色々考えているうちに、ルーカス同士が言い合いを始めたので更に混乱は深まってしまった。
「なにを言っている。私こそがルーカスだ」
「黙れ。私がルーカスだ」
「なにがルーカスだ。私こそルーカスだ。見よ、この傷を。私がパイロット試験で好成績を収めた代償だ」
そんなことがあったのかと驚くデフォルトに、卓也は真実を説明した。
「嘘はいってないよ。好成績だった。だって初めてエンジンをかけるのに成功したんだから。あれはその時の記念に写真を取ろうとして、熱々のエンジンに腰掛けた時に出来た火傷だ」
「黙りたまえ!」
指摘されたルーカスは怒ったが、もう一人のルーカスは受け入れていた。
「当然誰にでも失敗あるものだ。私の若い頃はだな……」
突然経験を盛った昔話を始めるルーカス。
そこへ、もう一人のルーカスが茶々を入れることにより、再び二人の言い合いが始まってしまった。
この間に、デフォルトは話をまとめようと提案した。
「いつもは一人暴れてるルーカスが二人になった。それ以外の結論ってある?」
同しようもない事実に頷きそうになるデフォルトだったが、頭が揺れる前にラバドーラの声がスピーカーから響いた。
「自己顕示欲と自尊心の喧嘩だ」
「なぜその二つが争う必要が……。お互いプラスに働くはずですが……」
「ルーカスだから以外に答えが必要か? ならもう一つ言葉を用意してある。プライドが悪さしてる」
「プライド……。ですね……プライドは大事です……。ですが……プライド……プライド……」
デフォルトが言い淀んでいるのは、今更ルーカスはなにに対してプライドを持っているのか謎だからだ。
プライドというのは一つではない。恋愛に対するプライド、仕事に対するプライド。それぞれ様々なプライドがあり、そのメーターは人それぞれだ。
ルーカスの私生活と仕事その両方を間近で見てきて、更にはその対処を重ねてきたデフォルトには、ルーカスがどの部分を大事にしているかわからなかった。
「私にはさっぱりだ」
AIのラバドーラにとってプライドというのは厄介な感情であり、感じていても理解できないものだった。
プライドを持つ知的生命体というのは、虚構と現実でプライドを保つものであり、ゼロとイチで答えを決めるAIとは相性が良いようで融通がきかないものなのだ。
「自己肯定感強すぎるってこと。つまり周りが見えてないから超無敵。ほら、アホが思い込んだら強いだろう?」
卓也は思いっきりバカにした口調で言った。
最初は適当なことをと思った二人だったが、卓也が女性に対して無限の力を発揮することを考えると、思い込みの力はバカに出来ないという結論に至った。
つまり今はプライドとプライドがプライドをかけた勝負をしているというわけだ。
そしてそのプライドとは『高慢』だ。
高慢とはうぬぼれが強いこと。
思い込みと思いお込みが戦っているのだから、勝負などつくはずがないのだ。
しかし、両者の戦いはヒートアップ。
卓也が閉じ込められていたVR世界のように、突然レーザー砲が現れたかと思うと、両者威嚇もなく城壁に向かって撃ち合いを始めたのだ。
さながら怪獣映画のセットのごとく城壁は壮大に崩れ落ちたが、お互いの攻撃はまだ終わらない。
高出力のエネルギーが発射させる甲高い音により、二人の声はカプセル内に聞こえなくなってしまった。
「今ってどういう状況!!」
揺れるカプセルの中で卓也が叫んだ。
「揺れるということは、バランスを保つための層まで破壊されたということです!」
「余計なフィルターがかけられているせいで状況は掴めないが……。レストの医学書が正しければ、目的地へ運ばれている最中だ」
ラバドーラは心配ないと声をかけた。
小腸を食物が通過する時にぜん動運動が起こる。大腸に向けて移送するために必要な運動だ。
そして、砕き、消化液と混ぜるための分節運動と振子運動も行われる。
カプセルを大腸まで運ぶ作業をされている最中だった。
腸壁に囲まれているのを城壁として表現しているのならば、城壁が壊れても尚攻撃しあっているのは、小腸がカプセルを押し出している証拠だ。
「どうやらパイエル板に飲まれていたようですね」
「パイエル板?」
「小腸にある免疫細胞の検問といったところでしょうか。有害か無害かを学習する場所です。自分達はカプセルの中に入り『菌』という存在に擬態して体内に侵入しているわけですから」
デフォルトはようやくこの世界での真実の見方を理解し始めていた。
絵本や劇になったと思えばいい。簡略化された世界を見せられている。
言葉では説明されていたが、今ようやく理解できたのだ。
「でも、ルーカスが現れたのはどういうこと?」
思念体だとしてもルーカスはルーカス。他の菌がルーカスに成り変わることはありえなかった。
「ゲノム編集の影響だと思うのですが……。大腸でなにが起こっているのかわかりません。ゲノム編集が腸内細菌に及ぼす影響と考えるのが普通なのですが……。母体がルーカス様なので……」
リリリはゲノム編集によって生み出された何かが腸内にいると言っていたが、そのなにかが現実的に思えてきたことにデフォルトは恐怖を感じ始めていた。




