第二十二話
ガーと鳴り、ゴゴゴと響く。
宇宙船のエンジン音でもなければ、通風口から囁く空気の音でもない。
ルーカスの遠慮のない大きなイビキが、嫌がらせかのように宇宙船内に響き渡っていた。
「安全のために彼は眠らせておいたわ」
リリリはルーカスの拘束具の具合を確認しながら言った。
ルーカスを眠らせるのに睡眠薬を使ったので、起きた時に暴れないよう念の為の拘束具だ。
事前にルーカスから了承を得ることが出来なかったので、万が一を考えてデフォルトの提案だ。
これからルーカスの体に入っていくのだが、もしも飲み込む瞬間に目を覚ましてしまったら大変だ。咳き込み、勢いよく壁に叩きつけられるならまだいい。
もしも噛み潰されてしまったら、それはもう想像するのも嫌なほどの最悪な事態だ。
「いっそこのまま一生眠らせておかない?」
卓也の提案はラバドーラにとって甘い蜜のようだったが、それよりも甘いものがリリリの手の中にあった。
「いつまでもアホのことを見ているつもりだ。普通はこっちに視線が向くぞ」
ラバドーラはリリリにもっとよく見せろと、保管ケースに入ったカプセルにカメラをフォーカスした。
見た目は地球でも売っているような。風邪を引いた時に飲むカプセルそのままだ。
原料もほぼ同じであり、ルーカスが飲み込んでもなんの問題もない。
丸みを帯びたフォルムは内臓を傷つけず、溶けることによって複雑な形状な器官でも形を変えて進む事ができる。
使い捨てのマイクロ宇宙船。それがロロとリリリが開発したものだ。
元々は数多に存在する言語の発音を解明するために、発声器官を調べる用途で開発されたものであり、今までに何度も使っているので安全性も問題ない。
「手術は出来ないし、降りることもできないわ。出来ることはただ一つ。観察だけ。私達は医療チームじゃないから、薬の投薬も出来ないわ」
卓也達がすることはリリリが言ったまんまの通りだ。
ルーカスの体内に入り異変を突き止める。それ以外のことをする必要がない。
逆を言えば、一度体内に入れば自分の意思で外に出られないと言うことだ。
「体を小さくすることに抵抗はありませんか?」
マイクロ宇宙船に乗るということは、それに合わせたサイズになるということだ。
地球人の価値観的に問題はないかデフォルトが聞いた。
「いや、むしろ可能性に秘めているよ。小さくなれるということは、大きくもなれるってことだろう?」
「卓也さん……大きくなるということは、背が伸びるというわけではありませんよ。そのまま巨大化するということです。下手したら子供が描いた絵のパースのような姿で歩くことになりますよ」
「それはそれで使い道があるのが男なの。正直小さくなるって言われてもピンとこないよ。デフォルトは経験あるの?」
「自分もありませんね。小型化――ミニからマイクロまで様々な開発をしますが、それは一から作ります。そのまま小さくすると、結局計算のし直しが必要になり二度手間なんですよ。ですので、自分達はその技術を取り入れることも、発展させることもしませんでした。しかし短時間での安全性は証明されていますよ。銀河によっては、マイクロ化を利用したアトラクションも存在するくらいです」
デフォルトは安心させようと、宇宙で起こっているマイクロ化事業の説明をしたのだが、卓也の興味はそこではなかった。
「それって僕が小人になって、女ガリバープレイが出来るってこと? ……わお。本当に宇宙って夢に溢れてるね」
「納得したならよかったです……」
これ以上説明をするだけ無駄だとデフォルトは諦めた。今話したことにより、ゼロではなく数パーセント知識がついただけでもプラスになる。引き伸ばして混乱させるよりも、打ち切った方がいいと判断した。
しかし、もう一つ気になることが出来てしまった。
ラバドーラはアンドロイド。つまり機械で出来た体であり、卓也やデフォルトが小さくなる原理が利用出来ないのだった。
「ラバドーラさんはモニターで監視しますか? 電磁波がどこまで届くかわかりませんが」
「私の小型化はそのものが縮む必要はない。マイクロ宇宙船にデータを移せばいいだけだ」
「なるほど! 自分達はラバドーラさんという宇宙船に乗り込むというわけですね」
デフォルトはより安全性が増したと喜んだ。
マイクロ宇宙船をラバドーラが管理することにより、宇宙船と直接意思の疎通が出来るようになるので、不測の事態での対処のしやすさが全然違う。
それからもしばらく三人は話し合っていたが、リリリに「怖いのはわかるけど、引き伸ばすと彼が起きるわ」と言われると覚悟を決めるしかなかった。
「おわ……見て見て! ダニより小さいよ。あと凄い歩きにくい」
小さくなった卓也は、水の中を歩いているかのように体に重さを感じていた。
「空気の粘度でしょうね。筋肉の動き方が複雑な生物と、そうではない生物では感じ方が違いますから。この現象を利用して空を飛ぶ虫は、この宇宙にはたくさん存在しているんですよ。生命体が様々なフォルムに進化出来るのは――って聞いていますか?」
「聞いてるよ。宇宙にはセクシーフォルムの異星人がわんさかいるってことだろう。でも、今はこれをさせて」
卓也は勢いをつけてミニ光線台から、リリリの胸元へ飛び込もうとしたが、必死の形相のデフォルトに触手を何本も巻き付かれて止められた。
「卓也さん!! 自分のサイズをよく考えてください!!」
「止めるなデフォルト! 考えたさ! 考えたからおっぱいの海で泳ぐって決めたんだ!! 絶対に平泳ぎ!」
「月に一人飛ばされるようなものですよ。この台から降りただけでも、もう二度と自分達には会えないと思ってください。こちらからは見えていても、向こうからは小さすぎて認識されないんですよ」
デフォルトは月と表現したが、未開惑星で超巨大生物と同居するようなものだ。
巨人の足音に起こされ、食事を盗むのにもテーブルを登らなければならない。孤独のまま死んでいくが決定した人生を送ることとなる。
「でも、おっぱいで泳げる男だ宇宙にどれだけいられると思ってるんだ? この経験談だけで、僕はバーで一生お金を使わずに飲むことが出来る」
「その経験談を話す場所すらないんですよ」
「わかったよ……。でも、あのおっぱいに打ち勝つ自信はない。先に宇宙船に入ってるよ」
卓也がカプセル型の宇宙船に乗り込むと、ラバドーラもデータの転送を完了させた。
「思ったよりデータ容量を割けなかった。会話と思考が主になるだろう」
ラバドーラの音声はカプセル型の宇宙船から聞こえてきた。
「ですが、外の様子を確認出来るクルーがいるのは助かります。自分達が宇宙船の外に出ることはありませんから」
デフォルトは最後に電子顕微鏡で覗いているリリリに向かって頭を下げると、自分も宇宙船へ乗り込んだ。
宇宙船内は思っていたよりもしっかりしていた。
家具や娯楽品などはもちろんないが、カプセル内部にでこぼこが多数存在しており、腰を下ろすのにはちょうど良かった。
「酸素発生装置の扱いにだけは気を付けろ。爆散するぞ――ルーカスがな」
「お尻の穴から出るのも嫌だけど、血まみれで出てくるのも嫌だな……。それも嫌だけど、急に体の中でサイズが戻って、エイリアンの誕生みたいのも嫌だよ……」
卓也は宇宙船が揺れないので、まだ台の上にいると思っていたが違った。
カプセルは多重構造になっており、水が入っている層がある。水の中を宇宙船が回転することにより、本体の宇宙船が振動を感じることがないのだ。
なので、カプセルを透明化して外の映像を見た時に、いきなりルーカスの口がアップで映ったので卓也は腰を抜かした。
「踊り食いの白魚の気持ちがわかったよ……」
「今映像を切り替えるわ。こちらからの通信はこれで最後よ」
リリリはピンセットをつまむ力を弱めて、カプセルをルーカスの口の中へ落とした。
リリリが映像を切り替えると、卓也とデフォルトが見ていた光景が変わった。
ルーカスの真っ白な歯とピンクの舌だったものが、急に緑豊かな丘の映像に変わったのだ。
「本当だ……リリリの言ってた通り。VRみたいな感じだ」
映像の切り替わり、その不自然さがすぐに思考に馴染む感覚は卓也には覚えがあるものだった。
「おそらくルーカス様の記憶から作られた映像だと思います。ラバドーラさん。宇宙船を動かせますか?」
「大きくは無理だ。どうしたい?」
「切り株の上に乗って様子を見ませんか? 今が口の中か喉かもわかりませんし、一旦状況を整理しましょう」
「了解だ」
ラバドーラはカプセル内の水を傾けて少しだけ宇宙船を転がした。
これが移動方法の限界だ。
だが、何が味方したのか草むらが波のように盛り上がり、宇宙船を切り株の上へと運んだのだ。
景色は地平線まで丘が続き、とても人間の体とは思えなかった。
「よかったよ。映像を切り替えてくれて。もしもここがルーカスの口の中だったら、僕は人差し指を眼球に突き刺して失明してるとこだよ」
「たかが口の中ですよ」
「男の口の中だ。っていうかこの切り株おかしくない?」
「それは本来存在しないものですから」
「そうじゃなくて、上からも生えてるよ」
カプセル型の宇宙船は三百六十度どの角度でも透明に出来るので、真上の様子を確認することも、真下の様子を確認することも容易に出来るのだ。
卓也が見つけたのは、全く同じような切り株だ。周囲にもいくつか切り株があり、その全てが似たり寄ったりの形をしている。
「別の切り株も同じでしょうか? 移動できますか?」
「やってみる」
ラバドーラは同じ移動法で宇宙船を転がしてみたが、何かに引っかかってしまい動くことが出来なかった。
「大丈夫ですか?」
「下を確認してくれ。何か刺さったりしてるか?」
「いえ……問題はなさそうですが……。あっ! 切り株が欠けています。ここにカプセルが引っかかったんでしょう」
「仕方ない……層を一枚破くぞ。保護液が潤滑油の役割を果たすかもしれん」
ラバドーラはシステムを書き換え、緊急事態のコードを発動した。
位置外側の層が破け、保護液が切り株に染み渡る。宇宙船は氷を滑るようにして、切り株から草の上へと落ちた。
その瞬間だ。
上にあった切り株が勢いよく降りてきて、下の切り株と合わさったのだ。
今まで宇宙船があった場所。あのままいてはすり潰されていただろう。
そしてすぐさま「まずい!」とラバドーラが声を荒らげた。「これは奥歯だ! 虫歯を刺激したことにより、顎が暴れてるんだ!!」
「じゃあこれって、僕らをすり潰そうとしてるの? 虫歯なのに!? 普通は噛まないようにするだろう!!」
「保護液に味がついてるせいだ。味があれば舌が舐める。普通の反応だ。そして保護液は虫歯に対して刺激物だったようだな」
「つまりどういうことさ?」
「咀嚼したら飲み込むのが生物だろう」
ラバドーラの言葉と同時に宇宙船が大きく揺れた。
揺れを抑える層があるのに揺れたということは、外部からの刺激。つまり筋肉運動だ。
喉が咀嚼したものを飲み込もうとし、その筋肉に宇宙船が揉まれたのだ。
いよいよ三人を乗せた宇宙船は、目的通りにルーカスに飲み込まれた。
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