第二十一話
「ありがとう……デフォルト。ありがとう……ラバドーラ。本当に……本当にありがとう! 生きているのが奇跡だよ……絶対にもうダメかと思った」
隔離部屋から出た卓也はデフォルトの足元に跪いて、伝えられるだけの感謝を全て伝えようとしていた。
「そう思うのならば……少しは騒ぎを起こさないように大人しくしていてください」
デフォルトが最後についたため息は「大丈夫。お口にチャックだ」という卓也のおどけた声にかき消された。
「まったく……地球人はややこしい」
ロロがため息をつくと、デフォルトは「おっしゃるとおりです……」と小さく同意した。
「こら! 私をこのままにするつもりかね!!」
ルーカスが強化ガラスを叩くと、ラバドーラは見ていられないとただの壁に戻した。
壁の向こうの音はすべて消え去り、ルーカスの声も聞こえなくなった。
「困るな……勝手にハッキングして操作されては」
ロロが睨みつけるが、ラバドーラは気にせずに話を進めた。
「そんなことより、アレをどうするつもりだ? いまなら安くセットにして売り出すが」
ルーカスをまとめて売りに出すと薄情なことを言い出すので、デフォルトは「ラバドーラさん!」と名前を呼んで注意した。
「私は本気だぞ。体内が宇宙に繋がっているだと? そんなものは宇宙生物と同じだぞ。同じ宇宙船に乗っていられるか?」
「それは……」
デフォルトは口ごもった。
これまでもルーカスは散々騒動を起こしてきたが、宇宙と繋がっていると聞かされてからは、なにをどう対処していいのかわからないままになっていた。
「そのことなんだけど……少し診察が違ったわ。ごめんなさい」
「いいんだよ。誰にでも間違いはあるさ」
卓也はリリリに飛び付こうとするが、デフォルトの刺すような視線に気付いて、最後の一歩を我慢して踏みとどまった。
ここでデフォルトの機嫌を損ねると、再び勘違いされてルーカスと繁殖行為の流れになった時に助けてもらえないかもしれないと思ったからだ。
しかし、デフォルトは卓也ではなくリリリを見ていた。
「診察を間違えたということは……ルーカス様は安全だということですか?」
「いいえ。彼の腸と宇宙と繋がっていないってことよ」
「本当ですか!?」
デフォルトは安堵した。これでルーカスを閉じ込めておく必要がなくなったからだ。
「ええ、本当よ。彼の腸自体が宇宙のようになっているの」
リリリはルーカスの排泄物を調べて、腸内細菌に秘密があると突き止めた。
腸内細菌とは善玉菌、悪玉菌、日和見菌の三つに分けられ、地球人ならば馴染み深い言葉だ。
似たものにウイルスがあるが、細菌はウイルスとは違い栄養があれば成長したり増えたりすることが出来る。
善玉菌の中に有名な乳酸菌というものがあるが、これは総称であり、一つの菌のことを呼ぶわけではない。
それらが急激に進化をしたのならば、細菌が知的生命体になることも可能だ。
ルーカスの腸内で過ごすことは、宇宙で何千億年過ごすのと同じことかも知れないのだ。
つまりゲノム編集はルーカスの為ではなく、腸内に住む細菌の為に施された可能性が出てきた。
問題はなんのためにされたかだ。
「そんなのわかるわけないよ……。そもそも乳酸菌とかって、腸内環境を整えるために必要なものだ。おもしろ生命体を体内で養うためじゃない」
卓也は同意を求めたが、デフォルトは顔を横に振った。
「自分の体内には細菌は多くありません。細菌も生物です。いくつも身体にいられてはメンテナンスが間に合いませんから。その為に排泄機能があるのですが……」
「だから排泄されたんだろう。ザリガニとして」
「本当にややこしい……」
デフォルトは頭を抱えた。一つまた一つと解明する度に、一つまた一つと謎が増えていくルーカスの身体のせいで、考えがまとまらないのだ。
リリリはそんなデフォルトを見透かしたように話をまとめた。
「とにかく、このまま連れて歩くのは危険よ。ゲノム編集でいじられたところを元に戻したほうがいいわ。またモンスターが生まれた困るでしょう」
「本当にな……」
ラバドーラは過去を思い出したくもないと、壁の向こうにいるルーカスを睨みつけたが、当の本人は無視され続けて不貞寝してしまっていた。
「とりあえず軽い実験をするわ。あなたと……あなたはついてきて」
リリリは卓也とラバドーラを連れ、ロロはデフォルトを連れ、それぞれ準備をしに分かれた。
「さあ、少しだけ見てて」
リリリはコンピューターを起動すると、ルーカスの動きをスキャンしたものをループ再生した。
椅子から立ち上がり座るだけ。なんてことのない日常の動作だ。
「すごい……いくらでも見てられるよ。君って美人だね」
卓也の熱烈な視線を気にせず、リリリはモニターを指した
「いい? 彼は立ち上がる時。右足に体重をかけて立ち上がるの。何度もスキャンして作られたのがこのモーションだから、間違いないわ。でも……。いい? 見てて」
リリリはルーカスの部屋に食事を用意した。
ルーカスは寝ているが、香ばしく調理された匂いを感じるといびきが止まった。
そしてまだ光に慣れていない目を細くすると、周囲を見渡して状況を思い出した。自分はまだ部屋に閉じ込められているので、やることがないなら食べるしかない。苛立ちながら立ち上がると、テーブルの食事をがっついた。
その時ルーカスは左足に体重をかけて立ち上がったのだ。
「怪我はしていない。それなのに行動が変わった。つまり彼自身が変わりつつある証拠よ」
「正直に言っていい? 意味がわからない……」
卓也はなぜ周りがこんなにはしゃいでいるのか理解に苦しんでいた。
ゲノム編集されていようがルーカスはルーカス。マヌケな地球人のままだ。
「あいつが宇宙の創造主だからだ」
ラバドーラがあまりに淡々と言うので、卓也は信じてしまった。
「うそ!?」
「嘘だ。そんなわけがないだろう……少し考えろ」
「でもそれに近いことが起きてるのよ。宇宙の箱庭を作っている可能性がある。そうなれば宇宙の始まり。そして、終わりまでわかるかもしれないわ。つまり、宇宙共通の言語を作り出せるかもしれない。そうなれば次は多次元の時代ね」
「ルーカスが作ってるのはうんこだよ。地球人なら誰でも出来る。僕だってひねり出せる。なんなら見せようか」
「そうね……違いを見るのは大事かもしれない。衣服を脱いで、うつ伏せになってお尻を上げて」
「そっちのプレイは経験ないけど……君のためだ。服どころかひと肌脱いじゃう」
この場で裸になる卓也を見て、ラバドーラはバカなことをと頭を抱えた。
すぐに卓也はリリリに体を隅々まで調べられた。
そして「やっぱりね……」と深刻に呟いたのだった。
「人のお尻に変な器具を突っ込んでおいて、言うことがそれ? ショックで寝込みそう」
「あなたの体が普通なら、あっちの体は異常ってことよ。菌が活性化してるわ」
「つまりルーカスは超健康なうんこが出るってこと?」
「菌が進化してるってこと。つまり、あなたと彼が同じ菌を摂取しても、体の中で別の成長をしてるの栄養素が豊富ってこと。超雑食。もしも知能をつけずに外へ出たら、知的生命体のタンパク質を分解するバクテリアが生まれる可能性もあるわ。菌の雑食は厄介なの」
菌が雑食性になると、都市伝説にあるような人喰いバクテリアとなり、体の内側から食べられる可能性も出てくる。
なんとしてもここで手を打つ必要があった。
「でも、医療施設はないだろう? どうするつもり?」
「そうね。彼の体内に入って異変を突き止めてきて」
「待った!」
卓也はリリリの言葉を遮るように声を荒らげた。
「口からカプセルを飲み込むのよ」
「良かった……」
卓也はてっきり話が戻って性行為をさせられるのかと思いほっとしていた。
「良くないだろう……。カプセルってのはカプセル型って意味だ。超小型宇宙船に乗り込むってことだぞ」
ラバドーラは危険すぎると言うが、卓也はカッコいいと舞い上がっていた。
「カッコいい……エージェントみたいじゃん。コードネームはMr.セクシー。セクシーでお願い」
「いいか? Mr.セクシー……よく聞け。地球人は口から入れたものをどこから出す」
「待って……よく考えなくても答えはわかる。危険すぎるよ!!」
卓也は絶対にルーカスの肛門から出てくるのは嫌だと、リリリの肩を勢いよく揺さぶった。
「大丈夫。説明は難しいけど……。そうね……VRって知ってる?」
「そうだね……説明は難しいけど。VRを支配した男って知ってる?」
得意分野が来たと卓也は自慢する気になっていたのだが、リリリの興味はそこになかった。
「知ってる。VRを経験してる人は皆支配者よ。そうじゃないと仮想空間から出てこられないから。弱気になると自分が生命体がどうかわからなくなるの。あなた方は大丈夫そうね」
リリリは卓也、デフォルト、ラバドーラと順に顔を見て、我が強そうな三人で良かったと思っていた。
「待った! また仮想空間に行けっていうの?」
「違うわ。似て非なる世界よ。あなた方は彼の身体の中に入るけど、行き着く先は精神世界よ。だから輪切りにしたスキャン映像見たいな場所を移動するわけじゃないわ」
「良かったよ……。あんな映像はグロすぎ。健康診断じゃないんだから。ね?」
楽観的な卓也とは違い、ラバドーラは懐疑的だった。
「精神世界だと?」
「ええそう。私達は言語研究者よ。言語とスピリチュアルはセット。言葉が生まれると、知的生命体は自分達とは別で、手の届かない架空の生命体を作り出す。その全てが自然現象だと説明できるのならば、笑ってもらって結構よ」
リリリはアンドロイドにはわからないでしょうけどと付け足した。
明らかに挑発だったが、確かに理解できないことなのでラバドーラが応戦することはなかった。
代わりに卓也が「僕らの関係をスピリチュアルに表して見よう」とリリリの手を握った。
旦那のロロとデフォルトはカプセル型宇宙船の準備をしにいったのだ。
邪魔するものは誰もいない。
ルーカスの体内に入るというのはデフォル的に大賛成で、考えることもたくさんあるので、卓也に構っていられないのだ。
精神世界というのはデフォルトにも馴染みのないものだが、少しでもルーカスのことがわかれば今後の対処もしやすくなる。
なにより生命の進化の瞬間を目的出来るかもしれない。
安全性だけ確かめられれば、デフォルトにとって興味のあることだらけだった。
二人を置いてロロについていったのも、子供のような純粋な好奇心が勝ってしまったからだ。
「わかるわけないだろう。ルーカスが体内で知的生命体を育てているだけでも理解に苦しんでるんだ……」
「子供の大好きなアトラクションに乗ってると思えばいいわ。彼の体内で出会う相手全てが彼の一部。彼じゃない存在。それがゲノム編集で生み出されたものよ。そこへ行ってもらい、何が起こっているのか調査してもらう」
「そういうのって専門家がやるんじゃないの?」
卓也はルーカスの肛門から出てくるのは嫌だと……女性のお願いでも首を振らなかった。
「あなた以上に彼の専門家がいる?」
ルーカスとの付き合いの長さ。そして、ついつい口を滑らせてしまったVRという特異世界での生き延びた実績。
ルーカスの精神世界を旅するのに、卓也は正しく適任だった。
「いて欲しい……」
「嫌なら私が変わるわよ。その代わりなにかあったらロロをよろしく頼むわ」
「わかったよ……僕が行く」
卓也は覚悟を決めた。
リリリを行かせたくないというのもあるが、万が一の場合この宇宙船で知らない男と二人きりになるのは最悪だと判断したからだ。
「ええ、頼むわ。あなたは? 問題ない?」
リリリはラバドーラに聞いた。
「ああ、あのアホの精神世界にいけるならなによりだ。一度アホの極みの構造を見ておきたい」
デフォルトと同様に乗り気なラバドーラーを卓也は不思議がっていた。
「変なアンドロイド」
「変なのはルーカスだ」
「確かに……。仕方ない。二度とルーカスのうんこに振り回されないために大冒険だ!」
卓也はグッと力を入れて拳を握った。
しかし、すぐになにをするはめになっているのだと、体の力が抜けてため息がこぼれた。




