第十一話
短期記憶は保存され、長期記憶は新しく作られる。
すべての記憶を保存しておくわけではなく、短期記憶の断片を繋ぎ合わせる。
記憶の倉庫から、場面を引っ張り出すわけではないということだ。
常に新しく情報が入ってくるので、新しい情報から古い記憶を作り出す。これにより、AIデータの軽量化を図っている。
つまり、生物の脳に一層近付いた技術ということだ。
デフォルトとラバドーラは今日の仕事で身に付いた知識を使って、今後どう役立てることが出来るか、技術の発展の行末はと話し合っている横では、ルーカスと卓也のどうでもいい日常会話が花咲いていた。
「あのでかいお尻を見たかね? まるでダーツゲームの的だ」
「もう……すごいセクシーだった」
「いや、あの下品な腰の振り方は雌鳥とも言える」
「んっ……もう。すごいセクシーだった」
「私は下品だという話をしているのだぞ」
「僕はセクシーだって言ってるの」
「まるで土偶や埴輪だぞ」
「あれもセクシーだから作られたの。わかる? むんむんまっだ」
卓也はテーブルに水滴で、膨らんだ胸、くびれた腰、再び膨らんだお尻と波線を書いた。
「まったく……いつものことながら君の女の趣味は良くわからん」
「そう? わかりやすいと思うけど」
「そのでか尻女とデートだというのが信じられんのだ。偉そうに威張り散らす女だぞ」
「結局そこなんだろう。ルーカスの言いたいことって。自分に媚びない女は嫌い。つまり全宇宙の女性が嫌いってこと」
「普通の男はそうだ。皆そう思ってる」
「僕は彼女に支配されるのが好きなの。彼女に見つめられれば身動きも取れないほどだよ……」
卓也は昨夜のことを思い出してうっとり目を細めた。
「デカ尻に敷かれていたから動けなかっただけではないのかね」
「まるで孫悟空の気分だよ。一生筋斗雲には乗れないようなことしちゃったけど」
卓也はコップの水を飲み干すと、今日もデートだと上機嫌に店を出ていった。
ルーカスもいつまでもここにいては暇だと、食事を終えると早々に出ていった。
デフォルトはそんな背中を満足そうに見送っていた。
「見ました?」
「どっちをだ? アホか? バカか? まとめてマヌケをか?」
「お二人ともですよ。真面目になってきたと思いませんか?」
デフォルトはこの惑星に来てからの一週間。何も問題が起きていないことを奇跡と呼び、二人が真面目に働き、時間通りに集合場所の店へやってくることを心から喜んでいた。
「話を聞いていなかったのか? 仕事の話なんて一言もしていなかったぞ」
「ですが、騒動の話も聞いていません。当然こちらにも届いていませんし、ラバドーラさんの仕事場ではどうですか?」
「それは……聞いてはいないが……」
「ですよね! それにデートやフラつくお金があるのならば真面目に働いてる証拠ですよ!!」
キラキラ瞳を輝かせるデフォルトを見て、ラバドーラは一気に熱が溜まった。
ため息代わりの排熱をすると「私より付き合いが長いのに、まだ信じるつもりか?」と聞いた。
「ええ!」
「そうか」
ラバドーラはデフォルトの力強い返事を信用したわけではない。なにを言っても無駄だと思って意見を飲み込んだのだ。そして「――それより」と話題を変えた。
「実は一つ問題を抱えている」
「是非話してください。自分も相談事を持ってきたましたから」
「単純な話だが、対処が難しい。明らかな人手不足だ」
ラバドーラの言葉にデフォルトは驚いていた。自分の相談内容というのも、全く同じものだったからだ。
「こちらも同じ問題を抱えています。それでラバドーラさんに相談しようと思っていたのです。人員代わりの機械を導入出来ないかと」
「難しいな。新しく機械を作るには具体性が必要になる。それに情報処理の技術が追いつくのかという問題もある」
「それは……こちらの責任と言いたいわけですか?」
「そうは言わない。だが、修理に回された機械に異常がない場合が多いのが気になる。バグ取りはしっかりやってるのか?」
「ええ、やっています。機械に規定部品が使われていれば、送り返すこともなくこちらで確認するんですが、違法部品を取り外す特殊レンチがないのもので」
「あれは新型だ。規定部品が変わるのも当然のことだろう。こっちも試行錯誤を繰り返している途中だ。そうしなければ、いつまで経っても古い技術で運用することになるだろう」
ラバドーラとデフォルトの口調が強くなってきている原因は、二人が話していた通りだ。
この惑星リックは、滞在費は労働で賄われるので、様々な惑星の者が一緒くたになって働くことになる。
意見の相違が出るのは当然であり、常になにか新しいものが作りだされている。
このような口論は日常茶飯事だ。
そして、この意見の相違を解決させる技術。というのが惑星リックが宇宙技術惑星と言われる所以だ。
技術を与えることにより、その発展した技術を吸収する。そうして惑星価値を上げているのだ。
ラバドーラとデフォルトが意見を譲らないのは、二人とも技術の発展の最中にいるからだった。
結局相談にもならず、意見交換もあまり効果的とは言えなかった。
二人は一度考えをリセットして、また後日改めて話し合おうとレストへと戻った。
翌日。ルーカスと卓也が働く排泄物処理場でも人手不足となり、朝からあちこちで怒号が飛び交っていた。
『排泄物タンクからガス異常だ! 制御装置を作動しろ!』
『そっちを止めるな! タンクが満杯になる!!』
右を向いても左を向いても、全員が仕事を真剣にしている。
排泄物処理や廃棄物処理というものは、宇宙船での重要事項に入っている。生物である以上は、どうしても排泄物が出てしまう。それをエネルギーに変換するのか、肥料に変えるのか、使い道は無限に広がっている。
ここにいる者達はそういった技術を学ぼうとする者達だ。――二人を除いて。
「今朝食べたワッフルは最高だったよ。正確にはワッフルじゃないんだけど、ハチミツとクリームたっぷり。昨夜の疲れも吹っ飛ぶ美味しさ」
卓也は唇に残っていたハチミツを舌で舐め取ると、昨夜のことを思い出して熱い吐息を漏らした。
「まったく……どこでもサカる男だ……。たまには私みたいにどーんと構えていられないのかね」
ルーカスは重機の操縦室の椅子にふんぞり返って座っていた。
二人のサボり場所というのは、使われていない重機を勝手に掃除して使っているのだ。
好きこのんで埃くさいところにくる者もおらず、二人は悠々自適に自堕落で無駄な時間を過ごしていた。
「それには同意出来ることもあるね。例えば、あの働きアリ達のこととかね」
卓也は操縦室から右往左往する者達を見た。
とりあえずどうにかしようと好き勝手動いているので、連携は全く取れていない。情報の共有もしっかりされていないので、どうしていいのかわからず手をこまねいている者もいた。
「なにを慌てているのかね」
「さあ。誰か漏らしたとか? 箱舟でもあっただろう。ルーカスがトイレのドアを固定したせいで、七十八人もの犠牲者が出たんだ。うち二十五人はうんこ関係のあだ名で呼ばれることになった」
「肛門の弱さを人のせいにするのはどうかね? 五十六番くん」
「僕はちびっただけけ。漏らしてない。この違いは大きいぞ……。笑い話になるまでの年数が違う」
「私にとっては同じことだ。なぜなら私は勝者だからな」
「漏らした中に試験管がいて、試験を受けさせてもらえなかったんだろう。負け犬はそっちだ。どの道受かりはしなかっただろうけど」
「それはどうかな。星の巡りは最高だった。あの十四年後にハゲそうな試験官のせいで、私の人生はめちゃくちゃだ」
「それでトイレにラップを張ったのか?」
「……私がやったとは気付かれていないはずだ」
「わかった上で、関わるのはよそうと思ったんじゃないの?」
卓也はルーカスが接近禁止令を出された名前を次々と上げていった。
「その話はしたくない」
「事実を受け入れろよ」
「裁判中で自由に話せんのだ。さて……」
ルーカスと卓也はお昼の時間だと、二人同時に操縦室から飛び降りた。
まだ周りは騒いでいるがお構いなし、自販機から無料の食事を注文すると緑の汁が出てきた。
「見て、まるで宇宙暦前の宇宙食だ。本当にここって最新の惑星なの?」
卓也は満に頬を膨らませた。
緑の汁は完全食であり、消化が良く、食べ終えるのに時間もかからない。なにかと忙しい者には重宝されているものだ。
固形物は基本的に仕事場では食べられない。
歯や顎のために固形物を食べる地球人は、なかなかこの液体栄養素に慣れることは出来なかった。
箱舟が缶詰を大量に保管していたのも、固形物を食べる必要があるからだ。
ブロック状のものは簡単に出来るが、肉や野菜の歯応えはどうしても違和感が出来てしまう。
慣れ親しんだものを変えるのは難しいのだ。
この昼食にうんざりしているのはルーカスも同じで、二人は顔を近づけると、この混乱に乗じて外へ抜け出せないかと考えた。
外では食事をするところがたくさんあり、地球食に似たメニューを出している店もある。
誰にもバレないだろうと、出入り口に近付くとすぐ声をかけられた。
「良かった! 人手不足で困ってんだ。こっちでバルブを開くのを手伝ってくれ! どこかのバカが電気を止めたせいで、手動になっちまった!!」
当然ルーカスと卓也は言い訳をして断ろうとしたが、この一大事に無駄話は聞いていられないと、引きずられて連れて行かれた。
その先でバルブを三つ開け閉めしたところで、ルーカスはやっていられないと作業を放り投げた。
卓也はルーカスを止めるふりをして、そのまま逃げ出そうと思っていた。ルーカスも同じ考えだと思い、すぐさま行動に移したのだが、ルーカスは全員が見えるように重機の上に立った。
「いいか、よく聞けアホども。今すぐ仕事をやめるのだ」
最初は無視されていたルーカスだったが、演説を止めようとする卓也が誤って重機を操縦してしまったせいでクラクションが鳴り、近くにいる全員が二人へ視線をやった。
「聞こえたかね? 今すぐ仕事をやめるのだ」
このルーカスの言葉には、否定的な言葉が飛び交った。
仕事が中断して大騒ぎしているのに、仕事の手を止めろと言われているのだから当然だ。
「いいかね? よく考えたまえ。人手が足りないのならば、人手を増やせばいい」
「それが出来ないから困ってんだろう! このアホ!」
「それが出来るから、こうして天才の私が演説をしているのだ。いいかね? 人手が足りないのだ。そんな時に仕事を頑張ってどうする! 上は人手が足りてると勘違いするだろう! 私達が今やるべきことは、サボってサボって人手が足りないとアピールするのだ。そうすれば上は人手を増やすしかなくなる。どうだね」
全員がルーカスの言葉を頭の中で復唱した。
排泄物処理場というのは、すべての施設に繋がっている。
ここ一つで、全施設に影響が出る。増員を渋ることはないはずだ。
基本的にサボるという考えない者達にとって、ルーカスの言葉はまるで金言だった。
ルーカスにとってはいつものことだ。今回も、以前箱舟で使った手であり、後でバレて言及処分になった。
「懲りないねぇ」と卓也は呆れるが、ルーカスの意見に賛同するという歓声が上がった。
戦争の終わりで兵士が歓喜と放心に武器を落とすかのように、手に持っていた工具をその場で床に落としたのだった。




