第十六話
一日目。
僕達の目に最初に入ったのは、間違いなく未開の星だった。
存在するほとんどがまだ自然のままで、植物が支配する星だ。
ここに住んでいる星先住民である小さな者達の文明は、まだ腹ばいを覚えたばかりの赤ん坊のように、じたばたと手足を動かすだけで停滞するばかりだ。時折ほふく前進のように静かに、僅かに、文明が進むだけだった。
それがわずか半日でハイハイを通り越し、いきなり立って歩く。赤ん坊が話す「ばぶばぶ」や「あむあむ」といった意味のない喃語も、意味のある文化的な言葉に変わった。
その驚きを例えるのならば、背中の脂肪は寄せて集めれば、おっぱいになるのだと知った時と同じだろう。
木像や木道など木工文化は彼らに性に合っているのか、次々と知識を吸収して発展を遂げていった。
その中心にいるのがルーカスというのが納得がいかない。
ルーカスが小さな者達に言ったことは、本からの引用と「木を使い、私の為になにかを作れ」という命令だけだ。
最初は各々が勝手に動いていたが、ルーカスのサイズの物を作るには、一人の作業だと到底終わらない。手分けをして仕事をする必要がある。そのことに気付いた小さな者達は、手早く正確に伝えるためにまず言葉を進化させていった。
それも神と崇めるルーカスの地球の言葉を意思疎通の手段に選んだ。
宇宙言語学習の為に地球の船が何十年もかけたことを、小さな者達はわずか半日で、宇宙言語の一つである地球語をマスターした。
そして彼らはこの星の植物の葉を巧みに使い、刃物の代わりにした。大きな木を一発でとはいかないが、小さな木や枝なら、葉物を振りを下ろせばチーズを切るように簡単に切ることが出来た。
デフォルトの言う通り、高度な文明を築ける知的生命体だという可能性が大いに出てきた。
あと今思うことは、ルーカスがムカつく。
二日目。
人間で例えるのならば、学童期に入っていた。
小さな者達は善悪の理解を深め、判断ができるようになっていた。
だがそれは、ルーカスという独自の基準の中での善悪だ。ルーカスが良いと思うとは善、ルーカスが悪いと思うことは悪。
この文明がどれだけ発達を遂げようと、ウォシュレットが発達することはないだろう。ルーカスにとってウォシュレットは悪だからだ。
言語能力と認識能力が高まったことにより、小さな者達は互いにより深くコミュニケーション取るようになった。
おしゃべり、雑談、会議。呼び方は様々だが、情報の交換が多くなった。知識を分け与え、吸収することによって知恵をつけていった。
その知恵はより良いものを作ろうという向上心に働きかけた。
爆発的に出来ることが増え、衣食住という生活に必要なものの質が向上した。
そして、知恵は言葉にも影響を与える。小さな者達はより多弁に饒舌に、ルーカスを褒め称えるようになった。
ルーカスに対する褒め言葉が三つ以上出てくるなんて、小さな者達の知能指数はなんて高いのだろうと納得した。それか思考に欠陥があるに違いない。
あと、やっぱりルーカスはムカつく。
三日目。
人間で例えるのならば、文明は思春期に入っていた。
後先を考えず、だが独創的であり、自己主張を始める。
それは文明の迷走を意味するが、同時に挑戦を開始したということになる。
ルーカスの命令という名のわがままを達成するには、必然と小さな者達の人口が増えていった。大きなものを作るには人数が必要になるからだ。
小さな者達は穴から出て、生活範囲を広げるようになった。
木を切り倒し、道を遠くまで伸ばし、そこに村を作り、小さな者達という大きな括りではなく、村々で異なる文化を作るようになった。
村は主に木生シダを囲むように作られ、その木生シダにはルーカスの顔が彫られ、崇められていた。
思春期というのは、関心事が増え、世界の広がりに馴染もうとするのと同時に、集団生活にはぐれものが出てくる時期だ。
つまり常識というものに疑問視を持つ者が出てくる。
試練の中にあり、目の前にある問題が解決しない。その時期が長いほど神を疑うようになる。
神の存在ではなく、まずは神の愛を疑う。
ルーカスの顔が彫られていない木生シダに作られる村も増えてきた。
そこで囁かれるのは「ママーは自分を助ける気はあるのか」「ママーは我々を見捨てたのではないかと」という不安や猜疑心が、生活の場を広げるために森を焼き、そこらで燻る黒い煙のように広がった。
小さな者達はようやく知的や知恵よりも大事なモラルについて学んだようだ。
つまり彼らの言葉を翻訳すればこういうことに違いない。「ルーカスはムカつく」と。
四日目。
人間で例えるのならば、文明は青年期に入っていた。
誰もが不安を抱き、もがき、アイデンティティに悩み苦しむ時期だ。
そして、アイデンティティの受け口である社会。その正しさに疑問を投げかけることが多くなる。
それは生活範囲を広げ、独裁的思考から距離を置いたことによって、ずれた認識から生まれた新たな社会だ。
ずれた認識というのは、間違った認識というわけではない。
社会という円の外には、別の社会があるということに気付いたのだ。
その噂は、鬱蒼とした森のままならば、風と同じくせき止められたが、開発を広げ平原となってしまった地では、よく通る風と一緒に噂は瞬く間に広がっていった。
噂を聞き、社会的に不当を受けているという個が出てくる。個は集まり集団となり、集団は声を上げ、声は拳に変わり、掲げた拳は鬨の声を呼び、鬨の声は広がり、広がりは一つになり、革命への一歩となる。
そして革命の一歩は一度踏み出せば、止まることなく歩き続ける。
ルーカスが整備させた木道はとても歩きやすく、小さな者達は足を止めることなく進むことが出来る。
ルーカスが座るためにあちこちに設置された椅子は、小さな者達にとっては高みやぐらだ。遠くの仲間との伝達に役立つ。
小さな者達より何倍も大きな体を持つルーカス。当然食べる量も多くなる。それでいて、わがままで我慢もしない性格だ。
小さな者達の行動範囲内の食料がなくなるのは明らかだった。
そのせいで、ルーカスを支持しない小さな者達は増えに増え、派閥抗争が起こっている。
そして、ルーカス派の小さな者達も、どんどんと寝返る状況が増え続け、ついにはルーカスの味方はいなくなっていた。
今現在、ルーカスは崩壊への坂道をお尻と背中で滑り落ちている真っ最中。ピンチに陥っていた。
つまりこういうことだ。皆ルーカスにムカついたってこと。
「なにを書いているんですか……」
デフォルトはレストに積み込む最後の燃料を運ぶ途中で、真剣に机に向かっている卓也に聞いた。
「なにって日記だよ。あまりに暇だったからね。タイトルを付けるなら、そうだな……ルーカス崩壊への五日日。つまり今日が最終日」
「あまり趣味が良い内容とは言えない気がしますけど……他にやることないんですか?」
「だって、デフォルトが機械をいじって仕事の効率化したおかげで、燃料の補給といっても僕のやることはなし。そこらぶらぶらしてても、ルーカスと別れた僕らに、彼らはまるで興味なし。ゆっくり彼らの進化を見せてもらったよ。まるでヒストリーチャンネルを早回しで見てるみたいに、あっという間に時代が変わっていったよ」
「自分達とは、流れる時間の量が大きく違うのでしょうね。おそらく生命の代替わりも早いのだと思います。人口も随分増えたようですし」
「無視されているものの、いつ彼らが襲いかかってくるか不安だよ。手入れのされていない庭みたいに、あちこちで増えっぱなしで、今じゃどこに行っても彼らがいる」
「自分達は影響を与えないものだと認識されたのだと思います。一日目に、燃料を作るために周囲の植物を調べましたよね。自分と共存出来るかどうかを考える植物だと。小さな者達の祖先は、このシダのような植物なんですよ。自分と卓也さんは、ルーカス様と別れた時点で、対象から外れたと考えるのが妥当です。ルーカス様の場合。最初は共存できると判断し寄生されていましたが、今は共存が出来ないと判断されてしまい……」
デフォルトは遠くに立ち上る黒い煙に目をやり、その下にいるルーカスに思いを巡らせた。
黒い煙の根本。ルーカスは神殿と銘打った穴の上から地面からと、全方位から小さな者達に囲まれていた。自らの顔が彫刻された椅子は燃やされ、高く上った煙は、恒星の光ではなく暗雲を下ろしている。
「貴様らハンバーガーヘッドに挟まったピクルス程度の小さな脳みそに、レタスとハンバーグという知識を詰め込んでやったのは私だぞ。それでもまた足りない頭ならば、おまけにチーズもつけてやろう」
「我らママーの子。ママーは決して見捨てないと信じておりました。だが、飢饉は起こり、酷くなる一方です。その上、さらに森を切り開くと言うのならば、最早我ら一同憤りしかございません」
穴の上の小さな者達は弓を引き、地面の小さな者達は武器を構え、勇んで一歩ルーカスへと踏み出した。
ルーカスの両手は既に縛られており応戦はできない。だが、持ち前の大きな体で、なんとか小さな者達を威嚇した。
「だから、星の裏側までとりに行けばいいだろう。家畜を育てろと言っているのではないんだぞ。植物なんて勝手に育つ。戻ってきた頃には、またアホほど増えている」
「爆発的に増えた人口がそれを許さないでしょう」
「あちこちで勝手に増えて、ドクダミみたいな奴らだな……。だいたいそれは私のせいではない。欲望に負けて子作りをしている。君達の責任だ」
「ママーの啓示によって、人口が増えたのです。人手が足りないのならば、産んで増やせばいい。木が足りないのならば、森を切り崩し開拓をすればいい。我らの森はもう見る影もない……」
「それが進化であり、快適な暮らしのための犠牲だ。しょうがない……忘れたようならば、もう一度だけありがたい言葉を授けてやろう」ルーカスは咳払いを挟むと、目を静かに閉じ、おもむろに口を開いた。「宇宙に始まりはない。始まりこそが宇宙だからだ。妄想という正解を求めるために、こじつけるという科学をやめたとき。それが初めて宇宙と向き合うということだ。すなわちそれが、人智を超えるということだ。この言葉の意味を、もう一度よく考えたまえ」
ルーカスが再び目を開けたときには、小さな者達は自分の言葉を聞き、深く頷いている姿だった。
「ママーが知らしめたお言葉。深く我らの心に根付いております。我らは宇宙と向き合い、植物が宇宙から我らを守るバリアを作っていることがわかりました。その植物を切り崩すことはもうやめる。というのが我らの結論です。妄想という正解を追うことはもうしません。宇宙と向き合った結果、我々の神とは古くから植物だと気付いたのです。よって、ママなる自然と我らを欺いた。ルーカスを討伐――」
「まてまて! やはり考えるな。感じるんだ。言葉を教えたのは誰だ? 木材の可能性を教えたのだ誰だ? 私は聡明で、卓也はアホで、デフォルトはただのタコだと教えたのは誰だ? 因数分解を教えたのは誰だ? ……それは君達だったな。とにかく、私は君達具なしハンバーガーを、色鮮やかなハンバーガーに進化させたのだ。神の名は降ろされても、まだ私にはこう呼ばれる筋合いがある。国王と――……あそ、ダメね」
ルーカスは小さな者達の表情を見て諦めた。
「討伐ではなく――この星からの追放を命ずる」
小さな者達は雄叫びを上げると、いっせいにルーカスへと飛びかかった。
ルーカスは足と肩で小さな者達を振り払いながら、懸命に階段を駆け上がった。
卓也は「ほら来た」と、ルーカスの叫び声がこだまする方角へ顔を向けた。
「あの様子では……エンジンを掛けておいたほうが良さそうですね」
鼻水とよだれを撒き散らして走ってくるルーカスの姿を確認したデフォルトは、すぐに飛び立てるようにとエンジンに火を入れにいった。
必死の形相のルーカスは、足を止めること無く走り続けると、レストの前で待っている卓也の胸ぐらを掴んで止まった。
「卓也君! レーザーの準備だ! 科学の力を見せつけてやれ!!」
「そんなのあるわけないって。レストは着陸船だぞ。それより、巨人がお腹を空かせたような音が聞こえるだろう? 中に入らないと」
レストのエンジンが不快に唸り声を上げたので、卓也はすかさずレストの中に入ったのだが、ルーカスは中に入らず、外の階段の手すりを掴んだまま「離陸したまえ」と大声を上げた。
レストはブサイクな音とともに、その機体を持ち上げて離陸する。エンジンからの爆風に、追いかけてきた小さな者達は飛ばされてしまった。
卓也はドアを開け、中に入ろうとしないルーカスの背中に声をかけた。
「なにやってんのさ。言っとくけど、君は神様じゃないんだから、生身のままで宇宙空間に出たら死ぬぞ」
「中には入る。だが――今しばらく目に焼き付けておきたいのだ。この星の姿を。忘れていた……こんなにも美しい緑をしていたことなんて……。私が言葉を与え、文化を生み出し、知恵を授けた。私を必要としてくれる場所になるはずだった……。せめて最後にやるべきことはやっておきたい」
ルーカスはうつむくと、丸めた背中を小刻みに震わせた。
「まぁ……いいけどさ。そのしずくはちゃんと拭いてから中に入って来てよ。君のそんな姿を見たくないから、僕は先に中に入ってるよ」
卓也はルーカスの肩を軽く叩いてレストの中に戻っていた。
ルーカスは「ふう……」と細く息を吐くと、まだ遠く離れていない地面を見下ろして、小さくつぶやいた。
「喰らえ、レーザー発射だ。こんな星の森など枯れてしまえ」
レストは一直線に高く飛び、雲よりも低い位置で黄金のしずくの雨を降らせた。




