第一話
宇宙の色は銀河の光で変わる。もっと言えば、眼で見える色の値は星人によって異なる。
つまり、生きるものによって個々に顔色を変える。それが宇宙だ。
地球人にとっては宇宙とは肌で感じるというよりも、データで見るものだ。それは宇宙暦以前から変わらない。劇的に進化したのは技術や思考であり、人間という個体そのものが進化したわけではない。
なので、想像や予測といった類は異星人に比べて優秀なはずなのだが、ここレストではそれさえも通用しなかった。
「いいですか? ログを手に入れてもですね……地球へ帰るためには、今のレストでは不可能なんです」
デフォルトはきっぱりと言い放った。
急に卓也がすぐに地球へ帰りたいと言い出したからだ。
理由は女性絡み。
というのも、AIもといアイのお墓を地球で建ててあげたいと思ったからだ。
地球人の文化で弔えば、彼女の心は地球へ還れる。卓也はそう考えていた。
だが、レストは地球への長旅のために改造費を稼いだばかりだ。
それも卓也が宇宙商人のジジから逃げるのに、レストのエンジン出力を全開にしたので、当初の航路からはズレてしまったのだ。
「デフォルトは良いことも考えようよ。悪いことだけじゃなくてさ」
卓也は肩に手をやるように、デフォルトの触手の付け根に手を置いた。
「良いことですか?」
デフォルトは卓也の口からでまかせを馬鹿正直に受け取って、どんなメリットがあるのか考えた。
しかし、どう考えてもデメリットだらけだ。
ジジと一緒に考えたプランを実行するのは不可能。ジジから逃げているのに、同じ目的地へ向かうのはバカのすることだ。
独自のルートを探す手間も増え、メリットらしいメリットは思いつかなかった。
「僕が現実世界に帰ってきたことだよ」
「その件ですが……独自に調べたところ。データ改ざんが多々見つかったのですが……なにか身に覚えはありませんか?」
「僕になにか出来ると思ってるわけ?」
「思っていないので聞いているのです」
「言うなれば、愛の暴走だね。いや――暴走するから愛とも言える。デフォルトも地球で過ごすなら、愛と向き合うべきだよ」
卓也はその場逃れの冗談のつもりで言ったのだが、デフォルトは卓也の言葉に真摯に向き合っていた。
というのも、地球への帰還が現実的となり、否応なしに自分の地球移住生活を想像することとなったからだ。
いつかの都合の良い催眠妄想のように、上手く順応出来るとは限らない。最悪、過去の方舟へタイムワープした時のように、一生マスコットとして偽り、きぐるみ生活の必要があるかもしれない。
楽しみ半分、更に不安と恐怖が半々といったところだ。
すっかり黙って考え込んでしまったデフォルトを放っておき、卓也は白いままのマネキン姿でいるラバドーラに声をかけた。
「そういえば、ラバドーラはどうして地球へ行くことに決めたのさ。僕らとは途中で別れる予定だったんじゃないのか?」
卓也はラバドーラとアイは別物だと考えるようになり、すっかりアイの姿を投影しろとは言わなくなっていた。
ラバドーラは「自分に置き換えて考えてみろ」冷たく言った。
「なるほどね……宇宙一セクシーな男がいる惑星にあやかろうとしてるわけだ。今度は男で名を上げるつもりだろう」
「あの姿はもう嫌だ……。あの性格をコピーすると焦燥感に駆られる。信じられるか? 二日運動しないと不安になるんだぞ。この時代に頭脳ではなく筋力を鍛える意味がわからない」
アンドロイドのラバドーラに、体を動かすことの気持ちよさがわかるはずもなく、エネルギーの無駄としか思えなかった。
長時間ルイスを投影していた影響で、エネルギーを使う癖がついてしまったので、今は省エネモードに入っている。
マネキンという揶揄も、今の状態ではあながち間違っていなかった。
「信じられる。ルイスはそういう奴。運動で流した汗を爽やかだっていう誇大広告に騙されちゃいけないよ。汗は汗だ。でも、女の子の汗は別物。あれはフェロモン。もう超フェロモン」
「よくまぁ……得意げに語れるものだな……」
ルーカスは卓也の発言に被せるようにため息をついた。
「宇宙一セクシーな男には、女性の素晴らしさを語る権利がある」
「元だ――元宇宙一セクシーなバカだ。君は王座から引きずり下ろされたのだぞ。寝室の壁液晶に、ページを大きく映し出してやっただろう」
「本当に余計なお世話……。だいたいさ、その情報だってフェイクかもしれないだろう。だって僕だぞ。この僕が宇宙一セクシーな男から陥落する理由ってある?」
「君は死んだことになっているからだ」
「それはない。だって、両親と連絡を取ってたんだぞ。現実世界に戻って、冷静になった僕は騙されない」
「そのことなんですが……」
デフォルトはタブレット端末を取り出すと、卓也が両親とやり取りしていたメッセージを開いた。
「なんだよ、ママの文章に文句があるのか?」
「確認したいことがあるんです。これは本当に卓也さんのお母様からのメッセージですか?」
「メッセージだぞ。筆跡鑑定なんか出来ないよ。でも、IDは間違いなくママのだ。文面からにじみ出る温かさもママのものだ」
「そうですか……ならいいんですが」
「そうだろう」卓也は話題を打ち切ったつもりだったが、歯切れの悪いデフォルトがどうも気になった。「待った――ならいいってどういうこと? ママになんかあるってこと?」
「卓也さんが持ち帰ってきた地球へのログですが……メッセージが届いた回遊電磁波を解析してみたところ。どうにも拭えない違和感が……」
「それはデフォルトが地球のことを知らないからじゃないの? ルーカスはなにか感じた?」
「ふむ……感じたといえば感じた。だが、取るに足らないといえば取るに足らないことだ」
ルーカスはどっちに転がっても偉ぶれるように、持って回った言い回しで曖昧に答えた。
だが、それは卓也に見透かされていた。
「感じてないってさ」
「そうは言っていないだろう」
「じゃあ、どこに違和感を覚えたのさ」
「それは自分で気付くべきことだ。そうだろう? デフォルト君」
「そうですが……今回は話が進まないので、説明させてもらいます」
デフォルトはルーカスの機嫌を損ねないようにしながらも、卓也に違和感の説明を始めた。
卓也が持ってきたログと、解析した回遊電磁波の情報があれば、地球への方角はわかる。ここから何年かかろうが、地球へはたどり着くことが出来る。
だが、今は確信が出来ない。なぜなら、時間軸が一致しないからだ。
回遊電磁波とは不安定なもので、ブラックホールや恒星の引力に影響される。光の速度もねじ曲がるので、時間軸がずれるのは珍しいことではない。
問題なのは、どう修正しても納得のいく結果にならないことだった。
「それって、デフォルトのせいじゃないの?」
「自分ですか?」
「だって、デフォルトって凝り性じゃん」
デフォルトの完璧主義と、石橋を割れるまで叩いて結局船で移動するような安全主義が重なり、それが違和感を生んでいると卓也は指摘した。
「正直言って、それは否定できません。ですが、ラバドーラさんも同じ意見です」
「それって違和感があるってこと?」
卓也が視線を向けると、ラバドーラはうなずいた。
「違和感はある」
「それってさっきの質問の回答と関係してる? なぜ地球へ行くことを決めたのかって」
「珍しく鋭いな。感じている違和感は、レストのせいでもあるはず。こんな時代遅れの機械で、まともな計算をするのも限界だからな。逆を言えば、地球へ楽に潜り込める。もう一度自力をつけるにはちょうどいいところだろう」
「前から思ってたけど、地球人のことをなめ過ぎじゃない?」
ラバドーラは卓也とルーカスをそれぞれ見ると「絶対になめ過ぎていない」と確信を持って言った。
「じゃあ、最終目的が地球ってことも、目下の目標はレストを改造するってことで問題はないんだろう?」
「そうですが……」
デフォルトはまだ違和感を拭えずにいたが、正確な言葉が思い浮かばない以上、説得するのは無理だと諦めた。
卓也の言葉が間違ってるわけではなく、地球へ向かうこともレストを改造することも必要だ。
一度違和感を押し込めて、目の前ことに心血を注ぐことにした。
「ところでさ、順調にいけばどれくらいで地球へ帰れそうなの?」
「そうですね……ジジさんが言っていた通りの改造が出来るのならば……二十年といったところですかね」
「二十年か……ルーカスはもうおじさんだね」
「何を言っている。君も立派なおじんだ」
「ルーカスは立派なとはつかないだろうね……」
二十年という期間をすんなり受け入れた地球人二人に、デフォルトはほっとしていた。絶対に文句が出ると思ったからだ。
「お二人共、素敵なおじさんになると思いますよ。地球へ帰還しても、すぐには本人照合されないかもしれませんね。それだけ長旅ですから」
「ちょっとまった……今なんて言った?」
卓也は笑顔をやめて真顔になった。
「長旅ですが……。地球に帰るまで二十年は、かなり長い旅ですよ。地球で推奨されている宇宙時間に例えても、他銀河の時間感覚に例えても長い時間です。故郷惑星を持たない星人は別ですけどね」
「二十年ってことは、二、三日でつく計算じゃないの!?」
「どうしたらそういう計算になるんですか……」
「だって……これから改造するんじゃないの?」
「改造後の時間計算ですよ。今のレストでは、お二人が生きてる間に地球へ帰るのは不可能です」
「そんなのないよ! 宇宙一セクシーな男の称号を取り戻せないよ。宇宙一セクシーなおじさんになる前に取り返さないと! じゃないとおさまりが悪いだろう? 二十年の空白なんて、どうやって取り返せばいいんだよ!!」
「取り返せませんよ。無事に地球へ帰るのが目的なのですから」
「絶対反対! 速やかに地球へ帰ることを目的にしよう! 安全は第三くらいにしていいからさ!」
「そうはいきませんよ。レストだけが地球へ帰って、自分達が亡くなっていたら意味がないでしょう」
「デフォルト……二十年だぞ。二十年。どんなに優秀な機械でも錆びついちゃうよ! そんなのってないだろう!」
卓也がラバドーラに同意を求るが、ラバドーラは卓也の股間へ睨むような感情の視線をやった。
「それと一緒にはされたくない……。だが、同意できる内容でもある。二十年というのは、惑星に影響をもたらすには十分な時間だ。価値観が変われば、歓迎されない場合もある。今確実に歓迎されるとわかっているのならば、それに間に合わせるのも間違っていない」
「それなら、ジジさんから逃げるべきではなかったのでは?」
デフォルトは責める視線で卓也を見た。
「あの時はデフォルトも同意しただろう。それに、僕が女性以外と抱き合うのはもうなし」
「その話も詳しく聞きたいのですが……」
「性別のない人との恋は、もう一生分したってことさ。これからは僕の股間に従って生きることにするよ」
「今までと変わりがない気がするのですが……」
懐疑的なデフォルトとは違い、ルーカスは心底驚いていた。
「嘘だろう……。女以外に恋したと認めたのか!?」
「今言っただろう。落ちるべき場所に落ちたんだ。僕に否定する言葉は一つも出てこない」
「デフォルト君……私達はパラレルワールドにいる可能性があるぞ」
デフォルトは『それなら、ルーカス様ももう少しまともになっているのでは?』という浮かんだ言葉をなんとか飲み込んだ。
「とにかく、近くの惑星へコンタクトを取ってみます。まずは信頼してもらいましょう」
デフォルトは自分でコンタクトを取ると決めると、ラバドーラと共にコンピュータの前に陣取った。
「聞いたかね? また私達は蚊帳の外だ。地球の宇宙船だと理解してないと見える」
ルーカスは憤懣やる方ない表情で腕を組んだ。
「なら、働く? 僕は嫌だよ。そんなことより、久しぶりにボードゲームで勝負しない?」
「また時代遅れのテーブルゲームかね?」
「ハイテクの中にずっといたからローテクが懐かしいの。女の子とベッドに入るのと一緒。最新道具に頼ってたら怒られるよ」
「遊ぶのもいいですが、しっかり運動もしてくださいよ。まだVRの影響が残っているんですから……激しい興奮も禁止ですよ」
「運動しろって言ったり、興奮するなって言ったり、酷なことを言うと思わない?」
卓也は肩をすくめた。
「君は運動までベッドの中でするつもりかね? さっさと運動をしたまえ。私まで小言を言われるのゴメンだ。そのあとにボードゲームで勝負だ」
「わかったよ……。ルーカスに心配されるなんて変な感じ」
卓也はまた肩をすくめると、デフォルトが用意した簡易的な運動ルームへと向かった。
数時間後。
疲れて頭が回らなくなった卓也に勝利したルーカスの高笑いがレストに響いた。




