第十五話
最初に滑り落ちた時に見えていた、葉が重なって自然に出来た緑の天井はなく、恒星からの光は木材の天井によって遮られていた。
光源はなく、デフォルトが照らすライトで出来た陰影が、ルーカスの木像の表情をより豊かにさせていた。
「もしかして……転送装置でも作動したのでしょうか。彼らの持ち物を見てから、水平に加工する技術はないと判断していたのですが……」
デフォルトは不気味なルーカスの木像よりも、天井と階段を作っている木材を不審に思っていた。斧でものこぎりでもなく、チェンソーやレーザーを使ったかのような切り口だ。
「転移装置が作動して、別の星にいたとしても状況は変わらないよ。こんなのが崇められてるなんて、最悪に決まってる……」
卓也は木像に蹴りを入れながら言った。
「ですが、まだ半日も経っていないんですよ。道が整備され、精巧な木像まで作られているのですよ。どう考えてもおかしいことです」
「おかしな奴が神と崇められてるんだぞ。おかしくないことが起こるほうが珍しい。ちょっとやそっとのことで、今更僕は驚かないよ」
卓也は靴の先についていた泥をこすりつけて木像にひげを書いた。それは自分でも満足の行く出来で、思わず笑い声を漏らした。
そして再び歩こうと前を向くと、小さな明かりがこちらに来るのが見えた。
線香花火のような淡い夕焼け色の光がふわりふわりと、綿毛のように近づいてきている。
正体不明なものはデフォルトのライトによって、あっさりと姿を現した。
三十センチ程度の小さな体。枝のように細く長い足。間違いなく、星先住民の小さな者達なのだが、ハンバーガーのような平たく丸い顔は仮面によって隠されていた。それも、ルーカスの顔を象った仮面だ。
小さな者達の大きな口が開くと、自信満々のルーカスの顔が自慢げに頷いているように揺れた。しかし、二人にとってそんなものはすぐに気にならなくなった。
なぜなら、小さな者達の口から、はっきりと、地球の言葉で「お待ちしていました。全知全能神ママーのご意向に従って、お二人の食事を用意しました」と言われたからだ。
卓也は目を見開いた表情で、デフォルトと顔を見合わせた。
「これって、ちょっとやそっとのこじゃないから驚いてもいいよね?」
「これというのは、彼らがルーカス様の仮面を被ってることですか? 彼らが地球の言葉を話していることですか?」
「そんなの決まってるだろう――ルーカスが僕らの為に食事を用意させたことだよ」
あなたは誰だという疑問を問いかけるとき、大抵の場合理由は二つ存在する。
まったく縁もゆかりもない赤の他人と、初めて接触するときの戸惑い。過去に深い関わりがあった友人だが、人物を形成する姿や性格などが変わり果てていたときの郷愁にも似た感慨。その二つだ。
卓也は首が疲れるほど高く見上げ、その二つを同時に感じていた。
「ようこそ、卓也とデフォルトよ。これが私の星だ」
ルーカスは高く組まれた台の上のとても大きな椅子に浅く腰掛けて、二人を見下ろしていた。わずかに空に残る恒星の青い残光が、ルーカスだけに降り注いでいる。
台にも椅子にも、そこかしこにルーカスの顔が彫刻されており、どの場にいてもルーカスに監視されているようだった。
傍らには最低三人の小さな者達が控えており、ルーカスが手で軽くジェスチャーをするだけで意を汲み取り、世話を始める。
控えていない小さな者達はというと、ルーカスが過ごすための生活空間を確保するために穴を広げ、自分達の何十倍もある木を切り倒し、運び、加工し、ビルでも建築でもするかのように家具を作っている。
そして、その誰もが、定期的にルーカスに向かって祈りを捧げていた。
卓也は異様な光景に、軽いめまいを覚えて額を押さえた。
「……来て早々だけど、帰ってもいいかい? 頭がおかしくなりそうだし、視線が突き刺さって気分が悪くなってきた……」
「慣れることだ。私なんていうのは、常に視線の的だ。皆、私の顔色を窺い、私に意見を求め、私に賛同する。私がいないと生きていけないのだ。なぜなら、私は神だからだ」
「ルーカスの顔の装飾が気持ち悪いって言ってんの。オシャレに目覚めた中学生の勘違いした服装より、趣味が悪い。いや、趣味というより気味が悪い。こうなったのも全部君が悪い」
怒りに形相を変えた小さな者達が卓也に飛びかかろうと飛び上がるが、それをルーカスは手で制した。
すると、小さな者達はふわふわとゆっくりルーカスの手の上に落ち、持ち場に戻って姿勢を正して直立した。
「いいんだ。君と子供のように言い争っていたのは遠い過去のようだ。実に滑稽で……嘆かわしい。余裕のない人生を過ごしている者ほど、必死に他者に噛み付く。ピラニアのように噛みつき、あたかも影響を与えたかのように満足しているが、牙を研ぐ余裕さえない人生だ。ろくに手入れのされていないボロボロの歯は、せいぜい血をにじませる程度。かさぶたにさえ気付かずに忘れる程度のものだ。三日も経てば、右手の小指に傷があったのか、左手の中指に傷があったのかさえわからない。そんな憐れな君を許そう。存分に私に噛みつきたまえ。噛みつき疲れ、歯がすべて抜けた頃には老人へと成り下がる。いいか、卓也君……噛み付くほどに心は老いていくぞ」
「もうわけわかんないって……デフォルト!」
ルーカスがなにを言っているのかも理解できず、なにを言ったらいいのかもわからない卓也は、助け舟を求めるためにデフォルトを見たが、デフォルトは意外にも純粋な尊敬の眼差しをルーカスに向けていた。
「卓也さん。これは実に凄いことですよ! 言葉を教え、思考を与え、文明という進化を加速させたんですよ。それも半日で」
「星先住民に関わると、ろくなことにならないんじゃなかったの? なに興奮してるのさ、らしくもない」
卓也は味方がいなくなったことに、落胆のため息をついた。
「その意見に変わりはないのですが……これはまさしく宇宙の縮図の一端ですよ。知的生命体とはなにかという、辿ることの出来ない宇宙の過去に触れているんです。今、自分達は。興奮もしますよ」
「星先住民の知能レベルが高かっただけの話じゃないの?」
「もちろんそれは関係しています。地球で言うギフトのようなものです。地球もギフトが落ちてきてから、爆発的に発展を遂げたのでしたよね?」
「じゃあ、極めて高度なコンピューターなわけ? ……あれが?」
卓也が顔を高く上げると、満足気な笑みを浮かべるルーカスの顔が目に入った。
「デフォルトはよくわかっているようだ。アホ顔で私に舌を巻いているタコランパのほうが、くだを巻くしかない地球人よりも、少しだけお利口さんのようだな」
卓也はもう勝手にしてくれと、ルーカスに背中を向けると、食事をとることなく、デフォルトの触手を一本掴んで歩き出した。しかし、デフォルトは知的好奇心に足を止めたままだ。
「彼らの爆発的進化とルーカス様の関わりについて、その知見をご教授願いたいのですが」
「私は宇宙の真理を説いてやっただけだ。――宇宙に始まりはない。始まりこそが宇宙だからだ。妄想という正解を求めるために、こじつけるという科学をやめたとき。それが初めて宇宙と向き合うということだ。すなわちそれが、人智を超えるということ――……と、続きは自分で考えたまえ。彼らのように。さすれば、君も私をこう呼ぶようになる――ママと」
デフォルトを無理やり引きずってレストまで戻った卓也は、乱暴に椅子に腰掛けると、ため息を落とした。
「本気でルーカスをママと呼ぶつもりなのかい? 今まで通りバカって呼んでおけばいいだろうに」
「いえ、どちらでも呼ぶつもりはないです。正直がっかりしています……。内容に触れず、側だけに触れた内容でしたから……。透明な器を作り、都合の良い称賛をその場で言っているようにしか聞こえませんでした」
「そりゃそうだろう。ルーカスが考えた言葉じゃないもん。ルーカスのタブレット端末に残ってるよ。パスワードはY.Lucas213godog312」
デフォルトは、なぜ卓也がルーカスのタブレット端末のマスターパスワードを知っているのか気になったが、そこには触れずにタブレット端末を起動してパスワードを入力した。
「ありました。『メビウスの帯の中心に宇宙があり、神がいる』……なんですかこれ?」
デフォルトは本のタイトルを読み上げ、あまりに理解不能な言葉に、新庄が表情に追いつかず、目を点にしながら言った。
「ただの宗教本でしょ。どっちが表でどっちが裏か考えろってこと。そこに宇宙が有る」
卓也は仰々しく身振り手振りをし、演技ぶった感情的な声でいった。
「地球では、ずいぶん難しいことを教えるんですね」
「いいや、裏か表か白か黒か、はたまた無限のつながり。こういうのは宇宙に関係があるって考えられたりしてたんだよ。それで、宇宙暦が始まったときに、こぞって新興宗教があちこちに出来たらしいよ。今じゃほとんど消えちゃったけど。その時の名残の本でしょ」
「宗教ですか……要領を得ないというか……無駄が多いというか……虚構に満ちているというか……」
デフォルトはタブレット端末を流し読みすると、難しい顔で、歯切れ悪く間を置いた。
「そこまで言ったなら、もうはっきり言っちゃえば?」
「まったく意味がわかりません。これを信じるなんて、地球人は正気ですか?」
デフォルトのあまりに正直な意見に、卓也は思わず声を出して笑った。
「地球人っていうのは、ずっと始まりを学問してたんだよ。想像と妄想と真実と結果を使ってね。それは宇宙という未来を学問するようになっても続いてる。だから、神とはとか、命はどこにいくとか考え続けてる。それが宗教に繋がっていくんだ。だいたいバカにしてるけど、宗教っていうのは考えが多様化したという進化の形の一つだぞ」
「いえ、誤解しないでください。バカにしているわけではないです。星を持って生まれた生命と、星を持たずに生まれた生命。考え方に違いがあるのだとわかっています。ただ、理解ができないので、この星がどうなっていくのかがわかりません。どの程度影響を与えたのかはわかりませんが、大きな変動期に入ったのは間違いないのですから……」
デフォルトは瞬く間に文明の発達を遂げた小さな者達の知能レベルの高さに驚愕したが、それと同時に星の財産である資源は有限である。ということに気付いているのかが心配になった。
神という名の教祖になっているルーカスは、環境問題など気にもとめない。地球の自然は誰かが勝手に守っていると思っているし、もしなにかあったとしても他の惑星に移住する技術は既に存在しているので、自分が苦しまないのならばと、なにも感じていない。
デフォルト達は地球人のように星は持たないが、星々に寄ることはある。定住しないのは、そのリスクを知っているからだ。タコランパ星人は技術の停滞を嫌う。定住するというのはその星の環境に慣れ、その星に合わせて生きるということだ。
それは資源を食い尽くすのも同じこと。同じものに頼っていては、技術改革が遅れる。常に星々を点々とし、長い年月が経ち、進化した頃に星へと戻り、環境の変化とともに、己の技術も進化させる。
そういうことを続けてきた星人なので、何も考えずにあまりに無造作に切り倒される木を見て思うところがあった。
デフォルトの悲しみに満ちた顔を見て、卓也はニヤリと笑ってみせた。
「なにを考えてるか当ててみようか? いつルーカスがてっぺんから転げ落ちてくるか考えてるんだろう」
「違います。ルーカス様が与えた星先住民に影響が、破滅への第一歩にならなければいいと思っているんです。潜在している知能指数は計り知れません。数日経てば、文明はさらに加速して発達していることでしょう。高度な文明を築ける数少ない知的生命体の可能性が、無用な知識と価値観を与えたことにより、ただの知的生命体になる可能性もあるんです。だから干渉はしないほうが良かったんです」
「なるほどね……ようするに、バカが天才に勉強を教えるのは無理ってことだろう。僕も同じ考えだよ」
「……話を聞いていましたか?」
「餌を食べすぎた太った鳥は、撃たなくても勝手に落ちてくるもんだよ。僕らがやるべきことは、燃料を作ってレストに運びながら、ルーカスを待つだけだよ。いくらルーカスに支配願望があるっていってもさ。やってることは、低学年にからむ高学年の小学生と一緒だよ。ただちょっと先に進んで知識があるだけ。方や、飛び級が出来るほどの天才低学年。方や、小学校の卒業さえ危うい高学年。すぐに世界の違いに気付くって」
卓也は汗を流してくると言い、シャワールームへと向かうと、出たらすぐにご飯にしてと扉の向こうから大声でデフォルトに叫んだ。
デフォルトは過干渉に不安を抱きつつも、卓也の言葉を信じることにした。自分にとってここは未知なものだらけだが、唯一卓也とルーカスの付き合いの長さだけは確かなものだと知っているからだ。