第十九話
今日も今日とて卓也とAIは取り引きを済ませると、休憩中のVRユーザーを見つけて意識をダウンロードしていた。
「あなた本気で言ってるわけ?」
AIは睨みつけるような瞳で言った。
「本気だよ。AIさんの意識を辿れば、現実のAIさんの元へ行けるんだ」
「信じられないわ……」
「僕が嘘を言うと思う?」
「脱ぐところはジロジロ見ないって言ったけど、完全に見てたわよ」
「それはAIさんが綺麗だからだよ。名画の美女が脱ぎ始めたらどう思う?」
「ホラーね」
「……確かに。でも、気になるだろう?」
AIはコーヒーを冷ますようなため息をつくと「そうね……」と呟いた。
思わず力を込めた手は、卓也にしっかり握られている。
二人はベッドの上で添い寝しているのだ。
すっかりAIの分のデータもダウンロードするのが当たり前になってしまい、どこかの惑星の知的生命体の体を借りては愛を深め合っていた。
AIは明らかに好意という感情を卓也に抱いている。もし、一緒にいられるならずっとこのままでいたいと思っていた。
しかし、それはセキュリティAIとしてプログラミングされていないものだ。
バグによるものなら、ここまで影響されるのはおかしい。とっくに情報過多でフリーズかヒートしている。
VR世界を介入するという曖昧な次元が引き起こしたものなのか、恋人を選んでダウンロードしたことによる感情移入の結果なのか。
自分が何者かということをAIは気にしなくなっていた。
まるで人間のように自分の感情に従っている。
なので、ベッドにいる二人は誰の目から見ても恋人そのものだった。
「ついでに甘いものでも食べない? きっと食料保存システムになにかあるよ」
卓也はローションを塗ったようなどろどろした女性の額にキスをすると、粘着質な足音を響かせながらベッドを離れていった。
「どこの惑星かわからないのよ。食べるの? なにが入ってるかわからないのに?」
「僕らをダウンロードした体は、普段そのなにかわからないものをずっと食べてるんだよ。大丈夫に決まってる」
卓也はなめくじのような下半身を動かして床を滑って部屋中を徘徊すると、次々にボックスやケースを漁ってみたのだが、どこにも食べられそうなものはなかった。
AIはおかしいと首を傾げる卓也を見て笑うと、手を上げて八本指の真ん中二本を天井へ向けた。
「あれじゃないの? コックさん」
「あれが? ……そうだった。忘れてたよ。これが美味しいんだよね」卓也は天井を見上げて表情が固まった。「……本当に食べ物? 彼らの赤ちゃんじゃないよね」
天井にあるのはまるでよく言ってもカエルの卵だった。悪く言えば宇宙生物の腸だ。淡黄色の粘膜に包まれ、透明な球体がぶら下がっている。
その一つ一つに黒目のようなものが浮かんでいるので、卓也も手を伸ばして見る気にはなれなかった。
「食べ物というよりも、食料保存容器ね」
「僕を騙そうとしてない?」
「心配なら別にいいのよ。私が食べたいって言い出したわけじゃないし」
「だよね。食事がお店で食べるのが一番。出前システムみたいのないかな。少し探してみるよ」
卓也は見るのもおぞましいと、ぶら下がるものから離れるように部屋の端へ向かった。
「でも、もしかしたらエッチなものが入ってるかもよ。この体って、あなたが言う普通の交配とは違うのかも」
卓也はピタッと立ち止まると「延長お願いします」と宣言して、天井に手を伸ばした。
「残念。もう少しだったのに」とAIが笑う。
「待った……それってベッドの上でのことじゃないよね?」
「そっちは満点よ。――この体ならね。前回の体の時は落第点よ……」
「是非とも追試して。じゃなくて、なにがもう少しだったの? 僕の手には――ほら」
卓也はちぎった透明の球体を持っていた。黒い点に指を置くと、カプセルのように開き、中からはギリギリ食べ物と思えるドロドロの液体が入っていた。
「なにそれ……」
「わからないけど。地球人は食べ物でもエッチなことに使えるからね。ホイップクリームとか。さぁ、追試の準備はオッケーだ。いつでもテストして。先生」
卓也がにじり寄って行くと、ふいに目の前が真っ暗になった。まるで気絶のようなブラックアウト。だが、意識はしっかりある。
ネットワーク上にアップロードされたのだった。
「さぁ、テストよ。ここはどこでしょう」
「君って意地悪だね……」
「しょうがないでしょう。生きてる生命体に長時間アップロードするのは危険なのよ。わかって。私だってもっとあなたと一緒にいたいのよ」
「だけどあの時間だと、僕のテクニックが発揮できないよ。言っておくけど、僕が本気を出したら凄いからね」
「楽しみしてるわ」
卓也の目にはAIの柔らかな笑顔が一瞬だけ映った。レストの仮想倉庫に送られてしまったのだ。
「聞いた? 楽しみにしてるって」
「なにを言っているのだね……」
しまりのない顔をモニターに映す卓也を見て、ルーカスはバカがなにか妄想してテンションを上げていると呆れていた。
「こっちの話。僕の幸せ空間に入ってこないで」
自分から話しかけてきたのに訳のわからない返答をする卓也を見て、やはりVR空間にいかなくて良かったと、人知れずルーカスはほっとしていた。
戻ってくるのを見届けたルーカスは、自分のやることは終わりだと立ち上がると「そうだ。君に伝言だ」とモニターに振り返った。「取り引きはあと数回で終わるとのことだ」
「うそ! うそうそうそうそ!」
卓也は早すぎると焦った。取り引きがあと数回ということは、AIと会えるのもあと数回ということだからだ。
「そうだ、嘘だ」
「嘘なの? ちょっとデフォルト! ルーカスが適当なことを言う!」
「あっこら! 違うぞ。私は嘘ではなくからかっただけだ!」
卓也とルーカスが叫び合っていると、何事かと小走りにデフォルトがやってきた。
「兄弟喧嘩ならもう少し静かにお願いします……」
「ルーカスが兄だなんて最悪。それよりも最悪なのは、ルーカスが嘘を言った」
「嘘は言っていない。取り引きはもうすぐ終わる」
卓也が「ほら、嘘を言った」と言うと、デフォルトは一度ルーカスと顔を見合わせてから、モニターの方を向いた。
「あの……卓也さん? 本当のことですよ」
「何年もかかるものじゃないの? 地道にって言ってたじゃん」
「言いましたが……。戦艦を買ったり作ったりするわけではないので、改造費と材料費さえ手に入れば、それで取り引きは終わりですよ」
「僕は絶対ここから出ないぞ!」
卓也はAIと離れてなるものかと大声で吠えた。
「あの……その……卓也さん?」
「なに?」卓也は不機嫌に言った。
「出ないんじゃなくて、出られないんです。まだ卓也さんの意識データにはバグが残っています」
「なんだよ……良かった……」
卓也はほっとすると、AIがいそうな仮想空間の壁に向かってウインクをした。
「良くないですよ……本来の予定ならば、卓也さんというバグは気付かれるはずだったんですから。VR世界から排除され、その排除条件のデータを元にバグを取り除く。それが目的の一つです。やはり偽造ウイルスになってしまっているのが原因なんですかね……」
デフォルトはタブレット端末から、自分の宇宙船にいるジジと連絡を取った。
ジジもおかしいと思っていたらしく、原因を別で調査しているとこのことだった。
まだしばらくAIと一緒にいられるとわかった卓也は上機嫌だった。まるで秘密の恋のようで、不適切な高揚感に酔いしれ、結ばれるべきではない相手と結ばれた自分に浸っていた。
なので、何度も呼びかけるデフォルトに気付かなかった。
「卓也さん!!」
急に仮想倉庫に広がるデフォルトの声が大きくなったので、卓也はびっくりして身をすくめた。
「なんだよデフォルト……僕を殺す気?」
「何度も呼びかけても反応がないので心配したんですよ……。体調は本当に大丈夫ですか?」
「絶好調。VR世界で僕は変わったんだ。今ならデフォルトの苦労もわかる」
得意げに自分の価値観を語る卓也に、生返事で対応していたデフォルトが、次第に相槌が真剣なものになっていた。
なぜなら、デフォルトと同じ触手を持つ知的生命体に、意識を何度かダウンロードしたことにより、実体験に基づきその苦労も利便性も語ることが出来たからだ。
卓也がようやくスペースワイドな考え方を出来るようになったと、デフォルトは感動に打ちひしがれていた。
「卓也さん……そうです!」その声はとても大きく、卓也にマイクの音量を下げるように言われてしまった。「失礼いたしました……嬉しかったのでつい。まさか卓也さんが、他の知的生命体の利便性を語る日が来るとは思わなかったので……それも女性以外で」
デフォルが驚いたのは、卓也が異星人との性的行為ではなく、体の構造そのものの話をしていることだ。それで、自分のことを理解されたような気分になり興奮してしまったのだった。
「デフォルト。僕はルーカスとは違うんだぞ。今の僕は天井に張り付いて暮らす星人の気持ちもわかるし、粘液を滑らせて移動する星人の気持ちもわかる」
「なんかやけに具体的ですね」
「仮想の星人の話をしてもしょうがないだろう」
卓也の口から出たとは思えない言葉に、デフォルトは思わずしばしほうけてしまった。
「正しくそのとおりです。自分が浅はかでした」
「口からでまかせに決まっている」ルーカスは不機嫌に鼻を鳴らした。「地球でもよくあることだ。バカがわかった気になって、正解不正解を判断せずに、その場の感情に流されて偉そうに語ってるだけだ」
「わお……清々しいまでのやっかみだね」
「ルーカス様の言うことも間違ってはいないですよ」
デフォルトが言うと、ルーカスはそれ見たことかと勝ち誇った。
「デフォルトは僕の味方なの? 敵なの?」
「友人だと思っていただければ……。VR世界への没入感。意識をデータ化した時の思考や気分など、そう離れた話でもないとうことです。なので、依存や離脱症状などの問題が出てくるのです。脳への情報量が多過ぎると危険なのですよ。これは知的生命体の歴史と深い関係がありましてですね。技術の進化が乏しい時代は当然情報というものが少ないものです。ですが、レストにあるタブレット端末のように、現代は知ろうとすれば知ることができ、知りたくないことも強制的に視覚や聴覚から入ってくるようになりました。これは以前、ルーカス様が起こした広告事件がわかりやすいですかね。つまりVR世界というのは、急激に脳を進化させるようなものであり――聞いてますか?」
卓也はモニターに向かってではなく、どこかを向いてニコニコしているので、デフォルトはどうしたのかと思った。
「大丈夫。僕は一人しか見てないから。脳への情報はそれでいっぱいだよ」
「一人?」
デフォルトが疑問に思うと、ルーカスが鼻で笑って卓也をバカにした。
「どうせ自分のことだろう。この宇宙一のナルシストめ」
「違うって。僕は宇宙一セクシーな男ってだけ。ナルシストはセクシーの付属品」
「それはどうかな」
ルーカスは待ってましたと言わんばかりの笑みを浮かべた。
デフォルトは「ルーカス様!」と慌てて止めようとするが遅かった。
ルーカスはタブレット端末を繋いで、卓也のいる仮想倉庫と画面を共有した。
「君がVR世界にいる間に、回遊電磁波を拾ったのだ。これによれば……地球時間。方舟が地球を出てから一年と十八日後。新たな集計により、君はトップを陥落」
「うそ!」
「これは本当だ。君は四位の男になった。わかるかね? 写真はなし、文章だけの紹介だ」
「大変だよ! レストなんかにいるから、宇宙から存在を忘れられちゃったんだ! 早く地球に戻らないと!!」
「君の間違いは三つある。君がいるのはレストではなくVR空間だ」
そう言ったきり、ルーカスは眉をしかめて黙った。
「後の二つはなんだよ?」
「……間違いは一つだ」
どうもルーカスのキレが悪いので、卓也はデフォルトに真偽を聞いた。
「本当のことなの?」
「残念ながら……。興奮させるのもどうかと思い……今まで黙っていたのですが」
デフォルトは卓也が眠るカプセルのモニターを見るが、バイタルサインに異常は見られなかった。思いほかショックを受けていないようだった。
なぜならば、AIと一生一緒にいられるなら宇宙の存在は微々たるものだと思い始めていたからだ。
ショックというよりも、知らない間に投票が始まっていたことに苛立っていたのだ。
「誰だよ。この一位。ボッグルボーゲン? ふざけた名前だよ。体も見た? 地球人そっくり。僕の劣化版じゃん」
「そうかも知れませんね……。Dドライブに言った時。色々プロフィールをいじったせいもあるのかも知れません。それか新しいプロフィール画像の掲載が間に合わなかったのかも知れません」
「それだよ! 手を抜いてると思われたんだ」
「一位に返り咲くためにも、もう少し頑張りましょう!」
「ん? あぁそうだね。頑張ろう。それじゃあ、次の物質は?」
卓也は新たなデートの時間だと張り切ったが、データ化が済んでいないのまだ待機だと言われた。
仕方ないので、卓也は次のダウンロードデートで、AIとなにを話そうかと考えていた。




