第十七話
「なんだこれは!」
ルーカスが叫んだのは、レストではなくジジの宇宙船だ。
卓也がばかりがVR空間で活躍するので、自分にも出来ると言い張り、ジジの宇宙船にあるカプセルに入ったのだ。
しかし、結果は数秒と持たなかった。
VR空間に入る不快感を攻略できなかったのだ。
「無理みたいね……たまにいるのよね。次元が変わるのがダメな人って」
VR空間に入るということは、現実世界の次元とは異なる存在になるということだ。それを緩和するために、カプセルに入り常時バイタルチェックをされたり、五感を弱めて現実世界とは違うものだと認識させたりする。
VR空間に娯楽や快楽の場が多いのも、自分が別の次元の存在になったと強く思い込まないためだ。そうすれば自分の存在が変わったことなど気にせずに、現実世界へと帰って来られる。
精神作用がマイナス方向へ働いてしまうと、自分が自分でないという離人感がマッシブに効いてしまう。
稀にそれを強く感じてしまう者がいる。ルーカスもその一人だった。
理由は至極簡単。頭が悪すぎるので、感覚を脳が理解できずパニックになってしまうのだ。
「足はほわほわ、胸はどーんで、頭は突き抜けているんだぞ! こんなまともじゃない感覚は初めてだ!」
ルーカスはカプセルから飛び降りると、ネコが砂をかけるようにして足でカプセルを遠ざけた。
「ちょっと……危険よ」
「危険なのは、このカプセルのほうだ! 私は二度とせんぞ!」
「ルーカスが言ったのよ。自分にも出来るからやらせろって。それと……危ないって言ったのは、立ちくらみ起こすわよって意味」
精神が不安定なままカプセルから出てきて、そのまま怒鳴り続けていたルーカスは、突然後頭部からふわっと抜けるように意識が遠のいてしまったのだ。
ジジにレストまで運ばれたルーカスは、デフォルトの手当によりすぐに意識を取り戻した。
「――ここはどこだ? 私は……。一体誰だ!?」
ルーカスは視線に糸がくくりつけられて、それを誰かに引っ張られているように、ぎこちない間で周囲を見回した。
「VR空間の離脱症状かしら?」
様子のおかしいルーカスを見て、ジジは何か異変が起こったと思っていた。
だが、デフォルトは「いいえ、違います」とはっきり口にした。「ルーカス様……変になったフリをしても、VR空間にアップロード出来なかった事実は変わりませんよ」
「おかしいとは思わんのかね? 私がダメで、卓也は悠々と過ごしているのだぞ!」
ルーカスは真っ暗なモニターを指した。
現在卓也はVR空間を出張して稼いでいる最中だ。
VR空間の移動と交渉に慣れてきたと判断して、ジジとラバドーラの二人から目を離しても大丈夫だと太鼓判を押されたのだ。
実際のところ卓也は交渉には出掛けておらず、AIと一緒に別の惑星へ無断ダウンロードを続けていた。
その情報はデータとして残ってしまうが、戻ってくるときにAIがその情報を遮断してしまうので、レストにいる者達が気付くことはないのだった。
「卓也さんは努力しているんですよ。でなければ、これだけ早くVR空間に適応できないはずです」
デフォルトはそうですよねと、ラバドーラとジジの顔を見た。
二人は絶対にそんなことはないと思っているのだが、証拠がなければ疑う必要もないので、黙ってデフォルトの言葉に頷いた。
「絶対におかしい。卓也はなにかズルをしているに違いない」
「ルーカス様……卓也さんは好き好んでVR空間に閉じ込められたわけではありません。元凶はルーカス様とルイスさんですよ」
「いつまでも昔のことを……」
「まだ一ヶ月も経っていませんが……」
「私はそいうところを言っているのだ。君はいつも口答えばかりだ。たまには黙って私に従うと言うことは出来ないのかね?」
「概ね従っていると思うのですが……」
「黙って従ってはいないだろう。いいかね? 無駄口を叩くと言うことは、自分は無能だと雄弁に自己紹介しているにすぎん。そもそもだ。君はタコランパ星人という自覚を持っているのかね? 地球人より技術を持った星人だがなんだか知らないが、君はいつも文句ばかりだ。一を聞けば三つの文句が返ってくる」
あまりにもルーカスがグダグダと悪態を続けてくるもので、デフォルトもとうとう頭に血が登ってしまった。
「わかりましたよ!」と声を荒らげると、「ルーカス様でも大丈夫なようにセッティングします」と息巻いた。
ラバドーラが止めた方がいいじゃないかと、ルーカスの脇を肘でつつくが、もう遅かった。ジジに宇宙船へと案内を頼み、レストからいなくなってしまったのだ。
「オレは知らないぞ」ラバドーラは肩をすくめた。
「なにを言っている。たかがVRだぞ。ただの娯楽だ。心配するようなことはなに一つない」
「そのVR世界で気絶したのは誰だ?」
「私は現実に戻ってから気絶したのだ。VRなんぞ屁でもない」
「同じことだ。だいたい卓也のデータを弄ろうと言い出したのはルーカスだぞ」
「待て……言い出したのは本当に私だったか?」
「大して良くない頭なんだ。別のことに頭を使った方がいいぞ。本当にVR空間に入るつもりか? あれだけ嫌がっていたのに」
「私は今でもバカの為のものだと思っているぞ。だが、目の前のバカが得意げに披露していたら悔しいだろう」
「目の前のバカは真面目に仕事をしているんだ。珍しくな」
ラバドーラは仮想倉庫に保存されたデータを確認しながら言った。偽装されたものではなく、本物の物質データだ。過程はどうあれ、結果はしっかり仕事を終えたということだ。
「君は甘いぞ。私が何年あの低身長男と過ごしていると思っているのだ。見ろ、この不審点ばかりの映像を」
ルーカスがモニターで再生したのは、卓也の視覚を動画データ化したものだ。
卓也がVR空間に入り、取引するところまでしっかり映し出されていた。
「これのどこがおかしいんだ。VR空間というのは脳の情報を視覚データに変換する。多少の認識のズレは発生するものだぞ」
「この挙動不審をただのズレで済ませるのかね?」
「それこそがズレだ。目の動きがおかしくなるのは正しい反応だぞ。そうして情報を取り入れて、仮想空間という現実に入り込むわけだからな」
「高性能アンドロイドが聞いて呆れる」ルーカスはため息を落とした。「いいかね? 卓也が挙動不審になるのは、めぼしい女がそこらにいる時だ。つまりビーチやプール。それに――バーゲン会場。その他のものなど、目にくれるわけがない」
「VR世界はそういうものなんだ。それがわからないから、ルーカスはVR空間に適応出来ないんだろう」
「わかった……。ならばこれはどう説明する」
ルーカスが拡大したのは短い動画のほんの一コマ。そこに映っているのは、まさに美人と呼ぶのにふさわしい女性だった。
しかし、卓也がその女性を目で追うことはなかった。他の女性に至っても同じで、卓也の視線から次々と消えていってしまったのだ。
普段ならば卓也の視線には絶対と言っていいほど、女性の姿が映し出されているはずだ。それなのに、女性がいないところで挙動不審に視線を彷徨わせたり、周囲の女性には目もくれず真っ直ぐ歩いたり、ルーカスの言う通り不審な行動ばかりだった。
「確かにおかしいな……まさか中の性別を認識出来ているのか?」
ラバドーラは卓也がプレイヤーの性別を認識することができ、それで男を視界から弾いてるのではないかと考えた。
「それなら、そこのお下劣なポスターには目もくれないのは何故だ?」
続いてルーカスがアップにしたのは、壁に貼られたヌード女性の電子ポスターだ。ヌードといっても、地球人から見れば裸なのか毛皮を着込んでいるのかわからない知的生命体だ。それでも卓也なら反応するはずだった。
「やはりおかしいな……だが、依頼人の元へはしっかり向かっているぞ。空間認識にズレはないように思える。次元認識が違うのか? いや……だとすれば、この映像自体がおかしいものだ」
ラバドーラは卓也が宙や壁を歩いていないのを確認し、正しい次元でアップロードされているのは間違いないと確信した。
「惨めに筋肉を投影したポンコツロボットよ。答えを知りたければ教えてやろう」
ルーカスは腕を組み、椅子にふんぞり返って座った。知りたければ土下座をしろとでも言い出しそうな表情だ。
「オレが知りたいのは答えだ。妄想じゃない。だから言わなくて結構だ」
「ズバリ! ずるをしているからだ!」
「言わなくていいって言っただろう」
ラバドーラはルーカスの嫉妬に塗れた妄想話など聞いていられないと、卓也の映像をもう一度見直そうと動画データを再生した。
動画の速度を変えて何度確認しても、卓也は女性の存在に気付いていないかのような視線の動きだった。
卓也の身長に合わせたモデルデータを読み込み、動画を視線に合わせてみるが違和感はない。卓也の身長から見たVR空間だ。しっかりジジに指示された通りに動いているので、見てる側と認識の違いもない。
ルーカスは「どうだ?」と勝ち誇ったにやけ顔で聞いた。「ずるをしていなければ、あり得ないことだろう?」
「卓也が、女を認識しないようにしてなんの得があるんだ? 得があるから卑怯行為をするものだろう?」
ラバドーラはルーカスの行動パターンから、偏った人間の行動は理解していた。
これが女性のためにしていることなら納得できるのだが、今回は女性をことごとく無視しているのでそれは違う。目的もわからず、データの破損もない。レストがボロいので、なにかしらの認識不具合だろうと思うことにした。
卓也自身が認識の不具合を起こしていなければなんの問題もない。レストに届く情報が間違っていても、本人に影響があることはないからだ。
そして、その頃。卓也は意識を別の生命体の体にアップロードしていた。
「わお……見て。デフォルトみたい」
卓也は四つある触手をそれぞれ動かし、鏡に映った自分を見て滑稽だと笑った。
「へぇ……ねぇねぇ右足になってる触手を上げてみて」
AIは楽しそうな声を隠そうともせずに言った。
「僕を誰だと思ってるの? 左手だって挙げられるんだよ。右足なんて簡単だよ」そう言って卓也が上げたのは右手の触手だった。「あれ? どうなってるの? 右足が上がらないよ」
「背筋を伸ばすのと同時に、左手の触手だけを上げようとしてみて」
AIに言われた通りにすると、卓也の右足は簡単に上がった。
「わお……どうなってるの?」
「そういう体の作りになってるのよ」
「不便な体だね」
「普通は二本の手と二本の足じゃ足りないんだけど……宇宙には二足歩行って多いのよね。抗重力筋の問題かしら」
「そんなことないよ。他にもいっぱいいるじゃん」
「その場合は関節が多かったり、指が多かったりするのよ。人間の体って不便じゃない? 今の体と比べてみてどう?」
「わかんないよ。この体は初めてだもん」
「情けないのね。私はこの通りよ」
そう言ったのはAIではなく、卓也の隣で寝ていたもう一人の異星人だった。
「うそ……AIさん?」
「そうよ。でも、今は違うわ。名前は読めないけど、触手持ち宇宙人よ」
AIは卓也より器用に、触手を動かして見せると、急に姿を消した。いなくなったわけではない。天井に張り付いたのだ。
「わお! すごい!」
「あなたも出来るわよ。ほら、手を貸して」
AIの手を取った卓也は、まるで重力が反転したかのように天井にくっついてしまった。
「なにこれ?」
「簡単でしょう?」
「簡単だったけど……理解出来ないよ」
「外を見れば早いわよ」
そう言ってAIが壁を窓モードに変えると、外の風景が映し出された。
珍しく自然豊かな惑星の景色だが、地球とは似ても似つかない植物が覆い尽くしていた。
「お世辞にも綺麗な景色とは言えないね……」
「そうじゃないわよ。見ていて何か気付かない?」
AIはゆっくり歩いて窓の側へ立った。
それで卓也が気付いたのは、AIが逆さまに立っているということだった。
「あれ? 正しい景色だ」
卓也は窓にへばり付いて外の景色を見た。
先ほどまで、卓也は天井に立っていたのだ。つまり今は床にいるということになる。
「常識が違うのよ。この惑星では床でも天井でも生活できるの。これはこれでVR世界みたいじゃない?」
AIが触手を伸ばすと、卓也も触手を掴んで天井へ立ち上がった。
「本当。不思議な世界だよ。だって、手を繋ぐよりもずっとドキドキしてる」
卓也は触手握る力を強めた。
すると、AIも握る力を強めたのだった。
「私はドキドキするっていう感情がわからないわ。でも、このままでいるのも悪くないとは思ってる」
それからしばらく卓也とAIは外の景色に釘付けになっていた。見たことのない植物の花が、花弁を一枚ずつ広げてゆっくり咲く。
だが、それは植物にとってはとんでもないスピードだった。
こんな短時間。それも肉眼で確認できるほどの速度で、花が開くのはありえないことだ。
その一輪が咲き誇ると、おもむろに卓也がつぶやいた。
「ねぇ……他人の体で、君と愛し合いたいって思うの。これって変かな?」
「何度も言わせないで、私はそういうところはわからないわよ。AIなんだから」
「なら、AIの君が拒絶しなかったら正しいってことかもね」
卓也がもう一本の触手をAIの触手に絡めた。
「エラーは出てないわ。まだ続ける?」
「僕もわからない」
そう言って、卓也は足の触手も絡め始めたのだった。




