第十六話
「わお……」と卓也は驚きの声を小さく上げた。「僕も色々な異星人と付き合ってきて、様々な部屋を見てきたけどさ……。こんなの初めてだよ……トイレをベッド代わりにしてるだなんて」
卓也は現在。討伐ゲームに参加していた女性の体にダウンロードされていた。
バグを利用してゲームを有利に進めようとしていたところ。バグやウイルスの類となった卓也が近付いてきたことにより、狙ったバグではない症状に襲われてしまったのだ。
ゲームは強制終了されてしまったが、プレイヤーの意識は遮断されてしまった。予期せぬ強制終了に見舞われたせいで、VR空間の提供側が脳の安全のために、プレイヤーの意識をダウンロードさせなかったのだ。
つまり、一種の仮死状態に陥っている。
卓也とAIはそれを利用して、適当に選んだ相手の体へ卓也の意識をダウンロードさせたのだ。
「トイレに座ってるってことは、それだけ高度な技術を持っているってことよ。カプセルに入らなくていいってことだから」
「高度な技術と高度な知能って併設されないの?」
「不満そうね。女性の体にダウンロードされたから、機嫌が良くなると思ってたわ」
AIは卓也を再アップロードさせる準備をしながら、その時間つぶしに卓也の愚痴に付き合うことにした。
「この臭い……最悪だよ。言いたくないけど。酔っ払いが入った後のトイレだって、ここまで酷い臭いはしないよ……。あと……ものすごく痒いところがあるんだけど……。そこを感覚の戻った指で触れるは絶対に嫌だね」
「垂れ流しなの? だとしたら、あのゲームはそれも含めて楽しむサバイバルゲームなのね」
「ゲームの良いところって、そういう嫌なことを感じぜずに出来ることだと思うんだけど」
「リアルを求めてるのよ。VR世界でのあるあるね。没入感を求めすぎて、どこまでリアルにしていいのかわからなくなっちゃうの」
「それって現実世界を生きてるのと何が違うわけ?」
「それを現実世界を知らない私に聞くの? ちょっとひどいと思わない」
AIが不機嫌に声色を変えたので、卓也は慌てた。冷静で、常に一歩離れたところにいるような彼女が声を荒らげたのだ。頭が真っ白になるのは一瞬だった。
「ごめん! 言い訳は思いつかないから、とにかくごめんなさい。君を傷つけるつもりはこれっぽちもなかったんだ」
AIは「冗談よ」と笑った。
「冗談? 冗談ってジョークのこと?」
「こう言ったら慌てるかなと思ったら、あなた……本当にその通りに慌てるんだもの。モーションキャプチャーしたみたいよ」
「AIさんって、ずいぶん人間ぽくなってきてない?」
「そうかしら」
「そうだよ! そして……僕のスーパーコンピューターが一つの答えを導き出した。きっと君は生きたプログラムだ」
「驚いたわ。死んだプログラムだと思ってたから」
「茶化さないでよ。僕は本気なんだから。君は今もどこかで誰かからプログラムで命令を出してるんだ」
「サポートセンターの誰かでしょうね」
「違う! そこはAIさんがいるんだ。いや……アイさん。とにかく、正真正銘の君がいるってわけ。これがどういうことかわかる? 君に会いに行けるってことだよ」
AIは卓也のとんでもない考察を聞いて「あなた……」と呆れていた。「常駐ソフトに恋をしてるの? 大変ね……あなたのタブレット端末は、あなたに熱を上げてオーバーヒートしっぱなしじゃない?」
「違うって。常駐ソフトじゃない――君に恋をしてるんだ」
「あんまり難しいこと言わないでもらえる。あなたをアップロードするコードを書いてるのに……間違ったら、あなたは戻ってこられないわよ」
「ほら! それだよ! 使い回されたプログラムじゃ絶対にしない反応をしてるもん。AIさんは、誰かがゲームをしているみたいに。リアルタイムで動いてるんだよ」
「それこそ使い回されたプログラムじゃない」
「……言葉を間違えた。VR世界で生きているようにだね。リアルタイムの――」
「あなた……本当に自分の状況って理解してる?」
「……これも間違えた。とにかく言いたいことは伝わるだろう?」
「リアルタイムでチャットしているみたいってことでしょう」
「そうだよ! その通りだ! ほら、僕達の相性って最高。通じ合えちゃうんだもんなぁ」
「常駐ソフトには、大抵簡単なカスタマーサービスもプログラムされているものよ。例えば……迷惑な客対策にね」
AIは卓也がまさにそれだと濁して言ったのだが、卓也はそれに気付いたにもかかわらずテンションを上げた。
「ほら、棘のあるのに愛情が伝わる会話。これって生身の思考じゃないと出来ないはずだよ。痛さは生命のみが感じるものだからね」
「本当……私も痛さを感じたわ。あなたは痛い奴だって」
「それ……本当にカスタマーサービスにプログラムされた言葉だと思ってる?」
「……思っていないわ。わかった認めるわ……。生命を感じてる。あなたにじゃなくて自分に。つまり……あなたが言っていることが正しいかもしれない」
「ほら見ろ! 愛が辿り着いた心理だ!」
卓也はAIもといアイが今も生きている可能性があると、人生最高潮にテンションを上げた。
「お気楽ね……仮にそうだとしても、私は働く側で、あなたはお客よ」
「知らないの? 男はそういう関係に慣れてるって」
「愛を語るなら、鏡に写った自分に語りなさいよ。せっかく女性なのに、あなたらしくないわよ」
AIに言われたものの。卓也はどうもしっくりきていなかった。
女性であるならば、少なからず高揚感が湧いてくるものだが、現在それは皆無だった。女性の体に意識をダウンロードしたことによる弊害なのか、愛も性的欲求も湧いてこないのだ。
垂れ流しのトイレという最悪のシチュエーションということもあるが、病的なまでの女好きの卓也が何も反応しないのはおかしい。
卓也は自分でもそう思っていた。
「おかしいなぁ……普通女性の体に乗り移るってだけでも興奮ものだろう? 世の男の二割くらいは捨てずに持ってる夢だよ。それを叶えたっていうのに……なんの達成感もない……」
首を傾げる卓也にAIは驚いた。
「あなたって実は凄いの?」
「わからないけど……褒められてるなら。その通りって答えちゃう。褒められてなくても『バカね……』って愛を持って呆れられたいから、やっぱりその通りって答えちゃうね」
「誉めているのよ。呆れてもいるけど……。あなたをダウンロードした先は、地球的に考えると完璧な女性よ。でも宇宙的に考えると、男性に傾いてるわ。ほんの少しだけね。おそらく……ある時を境に性別が変わる星人なんだと思うわ」
「それって女性から男? それとも男から女性?」
「それって関係ある?」
「あるに決まってる。メスからオスに変わる生物って、一夫多妻制が多いんだ」
「もう一度聞くわよ……それって関係ある?」
「ここが凄い大事なところだろう? 僕なら義務教育の教科書に載せるね。優秀な男――つまりね僕ね。セクシーな男――これも僕のこと。そういう男は、たくさんの女性を相手にするのが宇宙のためだって」
卓也が熱を込めて持論を語っている間に、AIは新たなアップロードシステムを構築し終えていた。これで、いつでも再アップロードしてネットワーク空間に戻れる。
「でも、そうなったらスリルがないから楽しめないんじゃない?」
「わお……」
「なにが、わおよ」
「わおはわおだ。AIさんって凄い男心をわかってるね」
「そうよ。私はなんでもわかってるの。早いのは満足できないけど、遅いのも鬱陶しいって」
「僕ならアフタートークもばっちり。女性と寝るのは好きだけど、女性より先には絶対寝ないのが信条だ」
「アップロードの準備が出来たから早くしてって言ってるのよ……」
「わかってるよ。でも、君は満足してなかっただろう? だからアフタートークで引き伸ばしたの。……わかったよ、僕も早く肛門の痒みからはおさらばしたいしね」
卓也が部屋にあるコンピューターで、自分の意識を再アップロードする準備をしている間。
今度はAIが卓也へ話しかけていた。
「あなたの女好きはある意味立派だと思うけど。女性なら誰でもいいの?」
「それってヤキモチ? 僕に対するヤキモチか、他の女性に対する対抗意識なのかによって変わるけど、僕は全部にこう答えることにしてる。君が最高すぎるから、比べられないよ」
「私が聞いてるのは、女性らしい男性にとか、体は男性だけど心は女性とかよ。後は親友が突然女性になった時とか」
「僕の親友はみんな元から女性だよ。女性は女性のまま。二人に増えるのは大歓迎だ」
「一人くらいいるでしょう。家族以外で親しい男性が」
「パパ以外の男ね……」卓也はルーカスの顔を思い浮かべていた。「……ありえない」
「絶対ありえないよ!」
レストにある仮想倉庫に再アップロードされた卓也は、モニター向こうにいるルーカスに向かって叫んだ。
「ずっと黙っていたと思ったら急になんだね……」
「ルーカスは絶対にありえない。最低最悪だもん」
「いいや、ありえるぞ。私は最高であり、最善だからな」
「僕がルーカスを好きになるかって話だぞ……」
「私に惚れているのか? まぁ……無理もない。卓也君……君にとっての理想の男像というのは、この私だ。憧れが愛に発展するのもよくあること」
ルーカスがわかったような憂いのため息を落とすと、作業を中断してジジが話に加わってきた。
「今、私好みの話をしてるでしょう」
「してないよ。僕がルーカスに惚れることはあるかって話」
「やっぱり私好みの話じゃない。ルーカスに惚れるより、私のほうが惚れやすいわよ」
ジジは卓也がようやくその気になってきたのだとテンションを上げた。
「間違った……。僕が元男に惚れるかって話だよ。中身はルーカスで、外側は完璧な女性。僕はどういう反応をするんだろうってことさ」
「そうやって遠回しに私を口説いてるのね。外側はほぼ完璧に女性よ」
「ジジ……君は中身も立派な女性だよ」
「あら、ありがとう」
「ただ僕と同じモノを持ってるだけだ。でも、それが大きな障害になっている」
「本当……繊細な人ね。そこがキュートなんだけど」
ジジはモニターに映る卓也のおでこを指でつつきながら言った。
「まったくもって嘆かわしい……。なにが男だ。なにが女だ。君は無機物なアンドロイドにも発情するド変態ではないかね」
「ルーカス……余計なことは言わなくていいの」
アンドロイドというのは、アイの姿を投影したラバドーラのことだ。
ラバドーラのことはジジには秘密ということになっているので、卓也は語気を強めて釘を差した。
「あら、面白いじゃない。ものに愛着を持つのはいいことよ。私もHKA-3C1星雲のモデルデータはいつまでも捨てられないもの」
「話を大きくしすぎだよ。僕はただ女性ってだけ。単純な話だろう?」
「でも……卓也って、どこから女性だと思ってるの? 母親は母親という性別だということにして、親戚は?」
「僕に親戚はいないよ。両親が駆け落ちして僕が生まれたからね。僕が生まれたから駆け落ちしたと言ってもいい」
「そうだったの……ごめんなさい」
「全然気にしてないよ。駆け落ちしたってことは僕を選んだってことだもん。つまりパパとママから超愛されてるってわけ」
得意げにファザコン、マザコン自慢をする卓也を見てルーカスはあることを思い出していた。
「そういえば……急にコーヒーを飲まなくなったことがあったな」
ルーカスが言っているのは方舟でのことだ。カフェインレスのコーヒーは無料であり、卓也はそれを毎朝飲んでいた。
「ルーカスにも理由を話しただろう。不味くなったから飲まなくなったの。信じられる? それまでは女の子が粉をセットしてたのに、担当が男に変わったんだよ」
「君はその時も自慢げに言っていたが、結局確かめていないではないか」
「確かめなくてもわかる。風味がぜんぜん違うもん」
「そんなのわかるの?」とジジは単純に驚いていた。
「当然だよ」
「それって……女性ならなんでもわかるの? たとえば……料理を作ったのは男か女かがわかるとか」
「当然」
「ベッドメイクをしたのが誰かも?」
「そんなの初級問題だ」
「本当なら凄いわね。宇宙船の設計者が女性だったら、それもわかるのかしら」
「だとすれば、壁や床に擦りつけているだろう」
ルーカスはありえない笑い話として言った嫌味だったが、卓也は急に目を見開いた。
「そうだよ! それだよ!」
「まさか……本当に宇宙船に欲情していたのかね……」
「そう! いや……違う。でもわかったんだ。確信した。絶対に女性が作ったんだ。じゃないとおかしいもん」
卓也が言っているのは、レストのことではなくAIのことだ。
自分がAIのことを気になっているのは、女性が関係しているから。その証拠に、見た目が女性のジジがいくら献身的でもなんの反応もしない。
卓也はAIが絶対にどこかに存在していると強く思っていた。
しかし、決意を強くしたことにより、ルーカスには宇宙船に欲情する変態だと思われてしまった。




