第十四話
縛られたままの卓也とデフォルトは、小さな者達に聞こえないようにコソコソと話していた。
「先に言っておくけど、父親は僕じゃない」
「そんなこと言っている場合じゃないですよ。星先住民と関わると、ろくなことになりませんよ。どうにかしてここを離れないと……」
「ろくなことにならないって言うけど、ルーカスがママって呼ばれてる以上にろくでもないことってある?」
「言葉の作りは違うので、地球の言葉の意味とは違うはずです。彼らをよく見て、しっかり観察しましょう。行動から言葉の意味を考えれば、なんとか打開できるはずです」
デフォルトは身を捩って頭の位置を変えると、ルーカスと小さな者達の観察を始めた。
勢いよく頭を横に振る動きと、ママーという掛け声。その二つは止むことなく続いている。動きと音、どちらもコミュニケーションを取るのに使うものであり、小さな者達がしている行動は意味のあるものに違いない。
動作が大きいというのは、まだ言語が発展しない証拠だ。多くの情報をジェスチャーで伝えあっている。
この星の言葉は、まだ生まれたばかりだとデフォルトは分析した。そして、情報というものは重要なものから言語化されていく。
食料や水など生命に関すること、敵か味方か誰かというコミュニティに関することなど、限られてくるはずだ。
デフォルトは意味を理解しようと、小さな者達の一挙手一投足を見逃すまいと目を凝らしていたのだが、その目に映ったのはルーカスに蹴散らされ、宙に舞った小さな者達の姿だった。
ルーカスは自分を指差し「だから私はママではない!」と怒鳴り散らした。
デフォルトは「ルーカス様!」と思わず大声で咎めたが、ルーカスはイライラした様子を隠さずに、もう一度小さな者達を蹴り上げた。
「私はこういうアホが一番嫌いなのだ。群がって同じことばかり言う。群れるどこぞのファンクラブの会員と同じだ」
蹴り上げられた小さな者達は空中で大きく口を開けて空気を取り入れると、ふわふわとパラシュートうぃ開いたように落ちてきた。
そして地面に降り立つと、再び頭を横に振り、ルーカスに向かって「ママー」と言い始めた。
「だ・か・ら! 私はママではない!」
ルーカスも自分の胸を指して再び否定を始める。
その堂々巡りを何度か見届けると、デフォルトはふいに思い立って、ルーカスに自分を指す動作をやめるように言った。
しかし、小さな者達の動きと言葉は止まない。
デフォルトはロープの隙間からなんとか触手を一本出すと、それをルーカスに向けて「マー?」と大声で聞いた。
すると初めて、小さな者達はルーカスではなくデフォルトの顔を見た。
彼らは「ママー」と言うことは同じだったが、頭は横に振らなかった。そして、またルーカスを見て「ママー」と言い、頭を横に振り出した。
デフォルトは絶望のため息を一つ落とすと、「卓也さん……」と低い声で言った。
「なにさ、この世の終わりみたいな顔して」
「生命が最初に発する言葉とはなんだと思います?」
「僕はベッドへの誘い文句だと嬉しいけどね。ご飯とか、そんなんじゃないの」
「それもありますが……」と、デフォルトはつい先程まで考えていた、重要なものから言語化されていくというのを思い出し、食料や水。敵か味方か。それとは違う、それでいて重要なものを思い浮かべた。「卓也さんが住んでいた地球の言葉で言うところの『神』というのも、候補に入ると思うのですが……」
神というものは、自分達での力ではどうすることもできない、大自然の力にさらされたときに、そこには大いなる意志が動いていると考えられ、恐れ敬い、作られた存在だ。
この星が地球の原始時代と同程度の文明というのなら、神という概念が生まれていてもおかしくはない。
『マ』という言葉は神を表し、『マ、マー』言葉を二回繰り返すことにより意味を深める。強く首を横に振るのは、合掌やひれ伏しなどの祈りを表しているとデフォルトは考えた。
「つまりルーカスは自分を指して神様だって言って、星先住民はそれを受け入れてるってこと? ……悪魔崇拝は危険だって教えてあげなきゃ」
卓也は縛られたままの格好で芋虫のように体をくねらせて移動するが、ルーカスの足によって行く手を遮られてしまった。
「もう手遅れのようですね……」とデフォルトは頭を垂れた。
うつむく二人の頭を、ルーカスの影が浸した。
「つまり……私がこの星の神というわけだ。アニメ映画でグッズ展開しようとして作られたキャラクターのような、とても雑で、デフォルメされた作りな体のこいつらは、私を崇拝し、私を信じ、私に恐れおののいているわけだな――この神の私を。そうだな、デフォルト君」
「翻訳機はまだ情報不足で処理できないので、あくまで自分の考えですが……」
「翻訳など必要ない。なぜなら私は神だからだ。つまり、私が使う言葉をこいつらが覚えればいいだけだ。いいか? よく見ていたまえ」ルーカスは咳払いをして喉の調子を整えると「私は神だ!」と叫んだ。
しかし、小さな者達から返ってきたのは無言だった。
「ほら見ろ、勘違いだよ。バカが神様になろうとするなよ」
「私は神だ。その証拠に、神である私は君に天罰を与えた。ロープで縛られ身動きが取れなくなるようにと。すべては私の手のひらの上だ」
ルーカスは卓也を足蹴にすると、小さな者達に向き直り、自分の胸に手を当ててこう言った。
「私がママだ」と。
ルーカスが自分はママこと神と名乗ってから数時間後。ようやく卓也とデフォルトも縄から開放された。
「見ろ、私の命令はなんでも聞く。なぜならば、私は神だからだ」
ルーカスは妙に悟った顔で言うと、リズムよく手を二回叩いた。
すると、小さな者達はシダの葉で編んだ皿に果実を山盛りのせて、四人がかりでルーカスの元へと運んだ。
ルーカスはロープで作らせたハンモックに寝そべっている。穴の天井はシダの葉で塞ぎ、自分にだけ一筋の光が当たるように隙間を作らせた。そして、シダの葉のうちわで扇がせ、優雅に運ばれたばかりの果実を口に入れた。
このささやかな御殿が完成するまで、邪魔されないように二人は縛られたままになっていた。
「で、なに? 僕達はなにを見せられてるわけ?」
卓也は服についた泥を払いながら、苛立たしく言った。
「私の本来の姿だ。皆に頼りにされ、皆に尊敬され、皆に一目置かれて、皆に好かれている。神の一粒種はなにかの手違いで、地球などという破壊と再生を繰り返すカオスな星に産み落とされてしまったが、こここそが本来私が生まれてくる星だったのだ。風吹かぬ星は私の心のように穏やかで、広がる緑は私の存在のように心休まる色だ。だから、私はこう言うことにした――ただいまと。君達はガスと糞にまみれた臭くて煙る地球に戻るといい。そこでこう言うのだ――ただいまと」
「アホなこと言ってないで、燃料になるものを積んだら帰るぞ。デフォルトも言ってただろう。星先住民に関わると大変なことになるって」
「私には使命がある。この小さな者達を教育し、文化的に導くというな。それが神の意志だ。つまり、私の意思。そこらに落ちている、枝切れをもっていく許可は出してやろう。神の恵みだ。つまり、私の――」
卓也は「――わかったよ」とルーカスの言葉を遮ると、「行くぞ、デフォルト」と、触手を引っ張って穴をあとにした。
二人の背中には「もし、この星に住みたければ、私の銅像でも建てるのだな」と言うルーカスの声が響いた。
卓也は滑る坂道を、デフォルトの触手に支えられながら上っていく。
「言いたいことは色々あるんだけど……よくルーカスは彼らと意思の疎通ができたな」
「知能レベルに大差がないのだと思いますよ。ジェスチャーだけで伝えていましたし」
「つまり、ルーカスの知能は原始人並ってことか。これでルーカスがバカだって証明されたね」
卓也の嘲笑は鬱憤を晴らすように実に気持ちよく響いたのだが、デフォルトは難しい顔をしながら顎に触手を当てて、卓也とは違うことを考えていた。
「いえ、とても凄いことですよ。異星人とジェスチャーだけで意思の疎通ができる人なんていませんよ。それも好意的な関係を築くなんて……。もしかして、ルーカス様はコミュニケーション能力に秀でた方なのでは?」
「……本当にそう思ってる?」
卓也の心配をする顔は、デフォルトに「頭は大丈夫?」と言っているのがありありと見えた。デフォルトも今までのことを考えて、さすがにそれはありえないと思い直した。
「そうですね。ですが、これからどうしますか? 燃料を積んだとして、まさかルーカス様を置いていく気ですか?」
「そうしたいね。でも、あんなのを未開の星に置いていってごらんよ。宇宙に迷惑がかかる。インフルエンザと一緒。バカが一人いればあっという間に感染して、それが次々宇宙に飛び出していってみなよ。あっという間に宇宙はバカだらけ、ちゃんと臭くて煙たい星に閉じ込めておかないと」
「帰れるといいんですけどね。まだ回遊電磁波も拾えていませんし、地球の情報はゼロです。あてもなく漂うのも限界がありますから」
「その為にも燃料を積まないとね。あとは食料もあれば言うことないんだけど、星先住民がアレだと期待できそうにないね、マンモスくらいいればよかったんだけど」
卓也はため息を落とした。マンモスと軽々と口にしているが、どうやって狩りをするかなどは全く考えていない。
デフォルトもそのことはわかっているので、マンモスという言葉には触れなかった。
燃料は枯れ葉、枯れ根となんでもいいが、長時間燃えるようなものはなかった。地面を掘り、埋まっているエネルギー資源を活用することも話に出たが、時間や危険性を考えると得策ではないと諦めた。
卓也から意見がなにもない中で、デフォルトが考えたのが、繊維質の強い植物を粉砕し、それをプレスして水分を抜き、固形燃料にすることだ。
これなら枯れたものにこだわらなくていいし、高くそびえ立つ木生シダも生えているので、数に困ることはなかった。
それでも、むやみやたらに切り倒すのではなく、デフォルトがしっかりと調べ、生態系に影響の少ないものを切っていった。
そうしているうちにわかったことは、文明の中心は小さな者達だが、生態系の中心は植物だということだ。
植物は植物を捕食し、植物と競争共生し、植物に寄生する。シダの葉が風もないのに動くのは、自分の周囲を確かめて、周りの生き物が自分と共生できるのかの有無を見分けるためだ。
葉が肌に触れ、追い払われたのは、人間というのはあまりに未知の存在のため、ここにはいないでくれという意思が働いたからだ。
デフォルトの調べでは攻撃機能は備わっていない。捕食や寄生も長い年月をかけてするもので、身の安全は保証された。
卓也がえんやこらと背の低い木を一本切り倒し、デフォルトはレストの余り部品から粉砕とプレスをする機械を作り、固形燃料を試作し、燃焼するかを確かめ、問題ないと判断した頃には、恒星の光は弱まり空の果てに消えていきそうになっていた。
空は夕焼けの代わりに、海から世界を見上げたような美しく青い空を広げていた。
卓也はそんな夜の色が予想できない夕焼けを眺めて額の汗を拭いた。
「さて……そろそろルーカスを呼びに行ってあげるか。もう遊び飽きた頃だろう」
「それがいいですね。夜になると、どんな生物が活動するのかもわかりませんし」
二人は道具をレストの中にしまうと、ルーカスを迎えにいくために坂道へと向かった。
シダの葉の長い影は一足早く地面に夜を作り、足元を深い黒色に染めていたが、不思議と足を滑らせることはなかった。
むしろ時間が経って歩きやすくなったと言ってもよかった。
「夜になると、このシダに似た植物は形状を変えるのでしょうか。蔓延っていたのが嘘のように、足元が安定しています」
デフォルトは八本の触手すべてで確かめるように、ゆっくりと歩きながら言った。
「形状を変えるってのは……こんな不気味なものにかい?」
卓也は自分のすぐ隣を指差した。
そこには満面の笑みのルーカスの顔があった。
「これは明らかに人工物だと思うのですが……」
デフォルトは目を疑い、何度も目をこすってから、ようく目を凝らして辺りを見回した。
これから下りる予定だった坂道は、整備され階段になっており、その横にはルーカスの木像が何体も並んでいる。それもどれ一つとして同じ表情のものはなく、喜怒哀楽実に様々な顔が、卓也とデフォルトの二人を見つめていた。
半日もしない間にルーカスが小さな者達に作らせた御殿は、趣味の悪い神殿へと変貌を遂げていた。