第十四話
現在、卓也はややこしい状況になっていた。
ウイルスとなった卓也と、セキュリティーシステムのAIが繋がってしまったことにより、原因不明のバグが多数発生したのだ。
まず、卓也の意識と視界は別の場所にある。これは卓也が女性のいる場所へ行きたいという思いと、AIがジジの監視用のウイルスを駆除したことによるバグだ。
卓也の意識はAIと共にあるが、視界は現実世界のモニターに映し出されている。
卓也のウイルスがAIに作用し、別のデータが作られたということだ。
以前VR空間で知り合ったトカゲの女性が、サルのような姿に変わったのと同じで、IDも変わってしまっていた。
VR空間の中で卓也は二人存在しているが、全くの別人と認識されている。
しかし、行動は同期されているので、片方の卓也が変な行動を取れば、もう一人も同じ行動をしてしまう。
そして、通信は片方ずつしか出来ない。卓也がジジと話している間はAIと話せないし、逆もまた同じことだ。
中でも一番困ったことは、AIといる卓也に意識がインプットされているので、レストが作った仮想倉庫へ戻るには、一度ダウンロードさせなければいけないのだ。
そこから再びアップロードして、ネットワークを経由することにより、安全に戻れるというわけだ。
「これって伝えたほうが良くない?」
AIからこの事実を聞かされた卓也は、さすがに不安になって全員で協力しようと提案した。
「余計危険になるわよ……。あなたの仲間は突然AIが自我を持ったとして、その意見を受け入れてくれる?」
卓也は自信満々に大丈夫と答えるつもりだったのだが、ギリギリ思いとどまった。
デフォルトは危険視するのが目に見えている。自我を持ったAIならばラバドーラがいるが、あれは先に知的生命体の一人として触れ合あい、ラバドーラの人となりを知ったからこそ、すんなり受け入れられた例だ。
そのラバドーラはプライドが高く、他のAIに対して不信感を持っている。つい最近フィリュグライドでマタセスというAIに一度乗っ取られたばかりなので、反発する可能性はかなり高い。
ジジも宇宙商人ということから、ウイルスである卓也と繋がったセキュリティーAIの存在を受け入れるのは容易ではない。下手すれば、自分のデータ全てを抜き取られて拡散される可能性は否定できないからだ。
唯一この問題をスルーしそうなのはルーカスだが、ルーカスがAIと関わりを持つと余計に厄介なことになるのは目に見えていた。
「でも、どうするの?」
「あなたは通信を駆使して目的を達成して。私はどうにかダウンロード先を探すわ。一番の解決は、なに食わぬ顔で元の場所に戻ることよ」
「わお……映画のバディものみたいで興奮しちゃうね」
卓也が振り向くと、もうAIの姿はなかった。
代わりに「本当に大丈夫?」というジジの声が聞こえた。
「大丈夫じゃない……。商人の勘で買いそうな人とかわからないの?」
「しょうがないわね……今回だけよ。右斜めにいるグループがいるでしょう? その奥にいる男はどう? 一見ぼーっとしてるようでも、視覚器官は動いてるわよ」
卓也はジジの指示通り男の元へ向かい、無事取り引きを成功させた。
だが、自分からは何も見えていないのでなんの実感もわかなかった。
「これでいいの?」
「えぇ、上出来よ。今回は高いものじゃなかってけど、それを元手にパスコードは買えるわ。同じことを繰り返して、場所を変えていきましょう。危険な場所へ行くことには変わりないけど、そうすれば足はつきにくくなるわ」
ジジは一旦戻ってきてと言うが、卓也はもう少しこのVR空間を見て回りたいとごねた。
理由はAIの結果待ちだからだ。
ここは正規のVR空間ということもあり、ジジはあっさり許可した。
デフォルトは反対していたが、正規の空間なら問題を起こせば強制的に追放されると聞き、それなら安心だと納得した。
レストのモニターに映されているのは工場地帯で、女性の姿もない。卓也が問題を起こす可能性はかなり低い。
その油断からモニターの監視も緩んでしまっていた。
そのおかげで、卓也がAIを待っている間。モニターに映らないはずの女性に声をかけている姿を見られることはなかった。
「こっちよ」と、AIに呼ばれて振り返った卓也だが、しまりのない笑顔を見せたことにより、ため息をつかれてしまった。
「どうしたの? AIさん。もしかしてヤキモチ?」
「違うわ……。それより、AIさんってなに?」
「名前だよ。ないと不便だろう? アイさんとは違うみたいだし……AIさんってことで。また一から関係を進められると思うとワクワクしちゃうよ」
「そう思うなら、普通は他の女性に声をかけて待ってたりしないはずよ」
AIは卓也の腕を掴むと、無理やり引っ張って歩き始めた。
「わお! 君って積極的だね。でも、僕が行きたいのは反対方向だ。あっちに美味しいスイーツを出す店があるんだって。今聞いたばっかり。とれたてほやほやの情報だよ」
「残念ね。私の用があるのはこっちなのよ。あなた……今が緊急事態だってことわかってる?」
「わかってるよ。でも、慌てて失敗したら元も子もないだろう。ここはあえていつも通りにだよ。いつもと同じことをして、心を平穏に保つんだ。そこで提案なんだけど……僕のいつも通りっていうのは、この後見つめ合ってお喋りすることなんだ。どう?」
「却下よ。私はAIよ。味なんかわからないわ」
「美味しいスイーツを出す店ってのは口実だよ。いきなり君の時間を欲しいって言ったら引くだろう? 男が女性を食事に誘う時は、言葉一つ一つにいろんな意味が含まれてる。まるでパスルのようにね。気付かないうちに心で組み立てられて、愛という形が出来上がるんだ」
「そういう言葉をいちいち口に出して恥ずかしくないの?」
「恥はかくものだよ。だって君の心は覗けないもん。知らないこと、わからないことだらけ。なのに恥をかきたくないと思ってちゃ、なにも進めないだろう? 恥一つで、君の心に僕が数秒映るなら、それだけの価値がある」
「AIに心はないわ」
「なかったら、こんなに僕のために必死にならない」
「自分のために必死になってるの。セキュリティAIがセキュリティを守らないでどうするのよ」
AIは強い口調で言うと、ある男の前に卓也を突き出した。
その男は銅像のようで、まばたきをすることも髪の毛が風になびくこともなかった。ハエのような大きな目で卓也を見ているが、視線が動くことはない。
「誰これ。……まさか君の恋人?」
「違うわ。今からあなたをダウンロードするの。彼を使ってね」
AIは男の手を握るように言ったが、卓也は断固として拒否した。
「僕が男と手を繋ぐと思ってる? そう思ってるなら言っておこう。絶対にありえない」
「あなたの手じゃないわよ。仮想の体じゃない」
「それでも嫌。君がキスしてくれてるなら別だけど」
卓也はジョークを挟みつつ拒否するつもりだったのだが、AIはなにも言わずに卓也の唇に自分の唇を合わせたきたので、思わず目を閉じた。
しかし、触れた感触はなにもない。
変だと思って卓也が目を開けると、そこはまったく知らない場所だった。
青いライトがデスクを照らし、モニターには知らない文字の羅列が並んでいる。
周囲を見回して、継ぎ目のない真っ白な壁と灰色の床を確認すると、ここは三角形の部屋だということもわかった。家具の類は見当たらないが、生活感のあるニオイが漂っている。
医療施設や事務部屋ではなさそうだ。
卓也が三角形の角の部分はどうなっているのだろうと近付くと、壁は消えて窓に変わった。
透明なガラスに変わり、映し出された世界は衝撃だった。自然物は一切なく、どこを見ても空高く伸びる建築物ばかり、その間を縫うようにして飛行する乗り物が行き交っていた。
そして、さらに驚愕なのはガラスに反射している自分の姿だ。
五足歩行の異星人の姿をしているからだ。上半身はスーツを来ており、顔はヘルメットにより隠されているので全容はつかめないが、自分ではない姿に変わっていた。
卓也は自分が宇宙一セクシーな男でなくなったことにショックを受けて、膝の第三関節から崩れ落ちた。
「成功みたいね」というAIの声が頭の中から聞こえると、卓也は神に文句でも言うように天を仰いで叫んだ。
「僕にこの姿で生きていけっていうのか!?」
「ちょっと……興奮しないでよ。起きちゃうでしょう」
「うそ!? 僕らの子供? 全然記憶にないよ……。そうだもう一回して二人目を作ろう! そうすれば絶対に思い出すから!」
「あなたをダウンロードさせた男が起きるって言ってるのよ。興奮して起きたら、二重人格として一生その男の中で過ごすことになるわよ」
卓也はそんなことは絶対に嫌だと更に興奮してしまったのだが、すぐにアップロードし直すから大丈夫となだめられると冷静さを取り戻した。
「びっくりしたよ……もう……」
「もう……はこっちのセリフよ。最初に説明したでしょう。再アップロードをして、ネットワークに入り直す必要があるって」
「それなら、なんで君はこっちにいないのさ」
「私はセキュリティAIだからよ。あなたはバグを持ったウイルス。私がアップロードされる理由はないの」
「セキュリティAIって言うけど……他人の体を乗っ取るのって、どこの銀河でも違法じゃないの?」
「私はやってない。あなたがやったの」
その声は淡々としたものだったが、卓也は彼女がしてやったと笑っているかのように感じた。
「君には負けたよ……。僕の体を好きにする権利を上げちゃう。ところで……この男を殺したりしてないだろうね……」
卓也は不都合なく動かせる体に、一抹の不安を抱えていた。アップロードされた異星人が生きていれば、抵抗されるだろうと思っているからだ。
「してないわ。その体の持ち主は、VR中毒の初期症状段階なの。つまり、長い覚醒と長い睡眠を繰り返してるの。そうやって生きていけるように、脳が変化を起こしたのよ」
「わーお……それって植物人間?」
「動物性機能は失われてるわね。この惑星でどう呼ぶのか知らないけど、あなたの言葉で間違いないと思うわ。この惑星の生命体にとっては、それが正しい状態なのかもしれないけど」
AIは少し時間がかかるから、その間卓也には好きに過ごすように伝えた。注意点は一つ。部屋の中からは絶対にでないことだ。
VRというのは宇宙的に見ても基本的にポピュラーなものだ。なので、VR世界に没入中は家族でも侵入したりしないという決まりを持っている惑星がほとんどだ。
バイタルサインの異常が検出されれば、機械から保健施設や専用機関に連絡がいく。
そして、現在卓也が借りている体が着ているスーツは、卓也の惑星で言うVRカプセルのようなものだ。
着ているので、コードが抜けるようなことはない。安心して歩き回れるということだ。
「それにしても、他人の体に入るなんて変な感じ……。それも男の体だよ。奇妙だよ……足なんか五本もあってさ、関節もありすぎ……まるで折りたたみ式の脚立だよ。それに……背は高い……。凄いよこれ! こんなに背が高いなんて谷間が見放題じゃん! ルーカスってばいつもこんな良い思いしてたのか!」
卓也はルーカスの背の高さなら、女性の胸を見放題だと思い、こんな不公平なことがあるかと語気を強めた。
「興奮しないでって言ったでしょう」
「わかってるけど。こんな酷いことってある?」
「女性は胸元を見ない男のほうが好みよ」
「谷間はそうは言ってない。私を見てって主張してるもん」
「あれはトータルのファッションとして、見てって主張してるの。一部分だけフォーカスして見てなんて誰も思ってないわよ」
「待った、僕達……今恋人同士みたいな会話してない?」
「そうね。倦怠期も続いて、結婚するか別れるか考えるのも面倒くさくなった、微妙な空気を漂わせる恋人同士みたいね」
「……君ってAIぽくないって言われない?」
「言われない。あなた以外と話したことなんてないもの」
「それは光栄だよ。でも、やたら地球人の感情に詳しくない?」
「同期した時にあなたの知識が混ざったんじゃない? 今はそっちまで調べてる暇はないわ。今はアップロードパスワードを認証させるのと、あなたの意識だけをアップロードするプログラムを組むのに忙しいから」
「さすがセキュリティAI」
「それって皮肉?」
「いやいや、なかなか骨があるなと思ったんだよ。頼りになるってこと」
「あなたは……今のところ頼りにならなさそうね。ずっとニヤけてるし」
AIは卓也から情報得ている。どこの筋肉が動いているかも共有しているので、どんな表情をしているかもわかるのだ。
「だって、なんか懐かしいんだもん。アイさんと出会った頃みたい。でも……あの性格も誰かのものってことだよね? ……君と関わりあるのかな?」
「そんなに似てるの? 私とアイって女性は」
「そっくり。容姿だけじゃないよ。性格も似てる。僕を手玉に取る感じなんて特にね。どうしてこんなに同じなんだろう……」
卓也が本気悩んでいると、AIは「その謎は一生解けないわよ」と冷たく突き放した。
「どうしてさ」
「もう会うことがないからよ」
AIは卓也の意識を強制的にアップロードして、ネットワークに送り出した。
その時、彼女の声は少し寂しそうだと卓也には聞こえていた。




