第十三話
「これが鉄?」
卓也は焦げた木の一部のような物体を、とても信じられないといった目で見ていた。
「そうです。形は適当なものですが、データとしては完全な鉄です……よね?」
デフォルトは心配そうな表情でジジに聞いた。
今卓也が持っている鉄は、VR空間にアップロードされたものだ。
当初の予定は、新たにアップロードシステムを構築するはずだったのだが、思うように素材もお金のも集まらず、結局ジジの宇宙船にあるシステムを厚意で使わせてもらうことになった。
厚意といっても、ジジは商人だ。無料というわけにはいかない。あくまで格安で借りているということだ。
今はテストとして、地球人の卓也でも馴染み深い鉄をアップロードしたところだった。
「見た目はなんでもいいのよ。紙切れでも、花束でもね」
ジジは鉄のデータを様々なオブジェクトに変えて説明するが、卓也にはどれもピンとこないので不満だった。
「なんか騙されてる感じがして嫌だね……。データのままじゃダメなわけ?」
「ダメよ。データのまま持ち運ぶなんて。貴重品を見せびらかせて歩くようなものよ。データを抜き取る泥棒もいるし、データを書き換える愉快犯もいるのよ。まぁ、現実世界もVR世界も同じね。大事なものには、しっかりしたセキュリティが必要ってこと」
「セキュリティね……。でも、これって偽装だろう? むしろハッキングじゃないの?」
「同じことよ。いつの世も、犯罪が起きてから対策が出来るもの。ハッキングとセキュリティも表裏一体よ」
「どうせなら、女の子のデータに侵入したいよ。今の僕なら、メッセージを盗み見放題ってことだろう? ベストのタイミングで気の利いたメッセージ送り放題じゃん。知ってる? それが一番効果あるんだ」
「残念ながら、無理よ。私達の監視下にあるから。その空間を出ることも出来ないし、中にあるデータを弄ることも不可能よ」
「おかげで暇だよ……食べることも、寝ることもしなくていいんだから……。せめて、おやつの一つでも出してほしいよ」
「今はそんな余裕がないの……我慢して」
ジジは申し訳無さそうに言った。
VR世界で五感を使うのは、それだけ複雑なプログラムと技術が必要になる。味覚一つとっても、甘味、塩味、酸味、苦味、旨味の基本五味に加え、渋みや辛味など種類がある。
その一つ一つを感じさせるだけでも大変なのだ。
それが料理になると、外観や香り、食感に温度など更に複雑になってくる。
卓也が入っているカプセルはそこまで高性能ではないので、ほとんど感じられないのだ。
卓也の要望で、女性の香りや肌を感じられる程度にしかプログラムされていない。それ以外は機能していない。
と、デフォルト達は思っていた。
しかし、実際のところ。卓也のデータはバグを起こしているので、そのすべてを感じることが出来るようになっていた。
つまり、卓也が感じたいと思ったことはすべて実現する。まさに神のような存在になっているのだが、卓也を含め誰もそのことに気付いていはないのだった。
「僕の我慢は女性限定なんだよ。だから早くしてよ。まさか、この鉄を売るってわけじゃないだろう?」
卓也は球体となった鉄を手のひらで転がしながら言った。
「希少鉱物のデータ化に時間がかかってるのよ。データ化さえ出来てしまえば、アップロードはすぐだから、もう少し我慢して。それまで、データというものに慣れておいて。現実世界で『持つ』という行動とはちょっと違うから、コツがいるはずよ」
ジジは頑張ってねと言い残すと、データ化の続きをしに自分の宇宙船へと戻っていた。
それから卓也はなにもせずにボーッとしていたので、モニターを監視する者が一人また一人と減っていった。ラバドーラは早々に、デフォルトも食事の支度など他にやることがある。最後に残ったルーカスもやっていられないと、目を離してどこかへいってしまった。
さらにそこから一時間ほど流れると、卓也は急に「やっぱり疲れた女性ってのは、一つの性的趣向になると思わない? ほら、疲れた保育士とか、疲れた人妻とか。変な魅力があるよね」と呟いた。
しかし、誰からの反応もない。
「デフォルト? ジジ? ラバ……ルイス? ルーカス?」
話を聞いてほしい順番に名前を読んでみるが、全員どこかへ行ってしまったので反応が返ってくることはなかった。
仕方なく卓也は、手持ち無沙汰に鉄で遊ぶことにした。
と言っても、右手から左手へ投げ渡したり、左手から右手へ投げ返したり、床を転がしてみたり、その上に座ってみたり、どれも一回やるだけで飽きてしまった。
喫茶店で粉砂糖の袋で手持ち無沙汰を解消するように、なにも考えずにただ無心でいじるだけ。
すると、球体だった鉄は姿を変え出した。
卓也が引っ張ればその通りに突き出る。押せば引っ込む。まるで粘土のように自由に形を変えられるようになっていた。
かといって、卓也が意味のあるものを作るわけではない。適当に形を変えられた鉄は、卓也が自分でも気付かないまま元の球体へと戻っていた。
そして、急に鉄が消えたかと思うと、ジジから通信が入った。
「調子はどう?」
「最悪だよ。退屈ってのは拷問だね」
「安心して、退屈な時間は終了よ。これから、あなたはVR世界を旅する宇宙船になるのよ」
ジジはいくつか金属のデータをアップロードすると、まずはそれを正規のVR空間で売って、そのお金で裏世界のパスコードを買おうと提案した。
「なんでもいいよ! こんなしょぼくれた空間からおさらば出来るなら!! 可愛い女の子と綺麗な女の子とセクシーな女の子がいる空間ならどこでもいい!!」
ジジは「そうね……」と不機嫌に言った。
理由は簡単。自分が好意を持って接しているのは知っているのに、全く無視で他の女性のことを考えているからだ。
そこで、ジジは少し意地悪をしてやろうと思い、女性が好みそうにない場所を選ぶことにした。
海や川などの水場はダメ。当然プールもだ。踊れるような場所も、歌えるような場所もダメだ。カラフルもシックもダメ。虫も出ないので、自然豊かな場所もだめだ。かといって商業用施設も女性は集まる。
どうにか絞り出した案が工業施設だった。
剥き出しの鉄骨に、暴力的なライト。無骨にそびえ立つ機能的な塊は、まさに男の城と言える。
「良い場所があったわ」
ジジが意地悪な笑みを浮かべているが、声しか聞こえていないので卓也は知る由もなかった。
ジジは他の三人を放送で呼び出すと手順の説明を始めた。
「金属のデータは既にアップロードしてあるから。こっちで読み込むだけよ。今はまだ金属のデータだけがロードされた状態ね。これをオブジェクトに読み込ませればいいだけ」
「それだけかね?」
ルーカスはつまらなさそうに言った。もっと派手な作戦だと思っていたからだ。
「そうよ。細かい設定は私の宇宙船で済ませたから。言っとくけど……これを委託したらもの凄い価格よ。無料でやってあげたんだから、感謝してよね」
「十分感謝してますよ。そうですよね? ルーカス様」
デフォルトはジジにヘソを曲げられては大変だと、強い口調でルーカスに賛同を求めた。
誰もVR空間に関する深い技術と知識を持ち合わせていないので、途中で抜けられたら困るのだ。
しかし、ルーカスはふんとそっぽを向いてしまった。
「まぁ……いいけど。ここで見捨てるのもどうかと思うし。それで? どうする? なにに擬態させる? セキュリティーを抜けるには、身に付けるものが良いと思うけど」
「そうなんですか? いったいどうしてですか?」
デフォルトは浮かんが疑問をそのまま口にした。
「アクセサリーっていうのはこだわりがあるものでしょう? 金が何パーセント保有されるとか、ダイヤのサイズとか。一部の信仰みたいなものよ。VR世界で本物を持つっていうね。当然危険なものは禁止されてるけど、よっぽと大量に持ち込まない限りスルーされるわ」
「つもり量を偽装するということですか?」
「そう、VRキャラクターに使う容量も人によって様々だから。簡単にデータ量を誤魔化せるってわけ。もっと凄い偽装してると思ったでしょう? シンプルなのが一番よ」
ジジは笑うと、早速金属データを読み込み、それをネックレスに加工して卓也に装着した。
「ちょっと! これなに? 首にくっついて離れないんだけど……。アクセサリーで誤魔化さないかっこよさってのが、僕なんだけどなぁ……」
「我慢してすぐ終わるわ。準備はいい?」
「待って! 目をつぶってセクシーな女の子を想像するから……目を開けた時には現実だ」
「仮想空間よ? ……まぁ、頑張ってちょうだい」
ジジは卓也がガッカリする反応を楽しみにして、フリーのVR空間のコードを入力した。
卓也は胸が高鳴るのを感じた。バクバクと肺を押し上げるような動悸。まるで、生きているような鼓動だ。
目を開けた時は楽園。そう思っていた卓也だが「どこ行くの?」という聞き覚えのある女性の声に、目を開けることになってしまった。
「あれ……。アイさん?」
「またその名前で私を呼ぶのね」
セキュリティAIは困った笑みを浮かべていた。
「だってアイさんはアイさんだろう? これもまた一つの楽園だ。さすが僕だね」
卓也はAIを抱き締めようとするが、AIはテレポートするように姿を消して逃れた。
「あなた……大丈夫?」
「大丈夫じゃない……。僕は卓也。名前で呼んで」
「あなた……ウイルスに感染してるわよ」AIは卓也の目に手をかざすと、ジジが密かに仕込んでいた監視用のウイルスを駆除した。「これで安全よ」
「よくわかんないけど、今から僕は女の子がいっぱいいるところに行くんだ。アイさんもどう?」
「AIだからよくわからないけど……普通女性を誘うのに、その誘い文句はないんじゃない?」
「いいから行こうよ」
卓也がAIの手を握った瞬間。急に世界がひらけた。
そこら中にシャボン玉のような球体が浮かび、その中に風景が映し出されている。どれもが特徴的な世界で、心をワクワクさせるような場所ばかりだった。
「これは……VR空間への扉?」
「そうなの? そういえば僕どこに行くんだったっけ? これかな?」
卓也が球体を引き寄せようと手を伸ばすと、AIは大声を出して止めた。
しかし、遅かった。卓也は手を触れてしまったのだ。
その瞬間。二人の体は球体へと引き込まれてしまった。
「聞こえる? 卓也? 聞こえる?」
ジジの声で卓也は意識を取り戻した。
「聞こえてるけど……なにがなんだか……」
「なかなかログインしないから心配してたのよ。問題発生した?」
「それが……」卓也は今起こったことを話そうとしたが、目の前に広がる光景を見て思わず息を止めた。
「卓也?」
「問題なしだよ……これって最高!」
「卓也もやっぱり男なのね。可愛いわ」
ジジのモニターには卓也の目から送られる光景が映し出されていた。
それは工場の外観だ。
「だって、あんなに細いんだよ……」
「そうね、そうね厚さや太さだけじゃないもの」
「それにあんなに長い……」
「見えてるわよ。本当に長いわね」
ジジは鉄パイプのことを話していたのだが、卓也は違った。紐のような水着を着た脚の長い女性が、目の前を通り過ぎて行ったのだ。
「この場所はホットだよ! もうホット。超ホット!」
「なにを当たり前のこと……。溶かすんだから当たり前でしょう。とにかく買い手を探さないと……ちょっと難しいわよ」
ジジはモニターから推理して色々な情報を卓也に教えるが、卓也が見ている光景とジジが見ている光景は全く違うものだった。
卓也は工場地帯ではなく、湖のコテージのような場所にいたのだ。
「卓也?」と声をかけられて振り返ると、そこにはAIがいた。
「あれ? 君も来たの?」
「君もって……。うそ!? 私実体を持ってる!?」
AIは自分が人間の姿をしていることに今気付いた。それも行き来をするネットワーク空間ではなく、誰かが管理しているVR空間でだ。普通は他のセキュリティーソフトが侵入してきたら騒動になるのだが、今は卓也と同じで、VR空間を楽しみにきたどこかの生命体となっていた。
「君はずっとアイさんの姿をしてるよ。それがどうしたのさ」
「私がここにいるってことは、セキュリティーに穴があいてるってことよ。今すぐ戻らなきゃ!」
「どうやってさ」
「それは! それは……」
AIは卓也を見た。明らかに原因は卓也だ。
「卓也? 大丈夫? 通信が悪いのかしら」
ジジは卓也からの反応がなくなったので、心配になって何度も声をかけた。
「聞こえてるよ。今さ、ちょっと困ったことに」
卓也は事情を説明しようとするが、AIは手を握って止めた。
不具合が起こっていることを話して、誰かに聞かれてしまったら侵入され放題だからだ。
「困ったことに?」
「誰に売っていいのかわからない……?」
「ちょっと……どうしたのよ。なんか変よ。さっきから一人なのに、ずっと立ち止まって」
「一人?」
卓也はAIのことを見ているが、ジジのモニターにはAIの姿が写っていなかった。
そしてAIが喋るとそれがノイズになり、ジジへ声が届かなくなるのだ。
「ちょっと……VR空間にいすぎておかしくなったんじゃないでしょうね……。今はまだあなたをダウンロードして覚醒させるのは無理なのよ」
それからしばらく卓也は無言だったが、「いや、大丈夫。問題解決だ。すぐにでも売って戻るよ」と歩き出した。
「なら、一安心ね。こっちでモニターの監視は続けるから、何かあったら対応するわ」
ジジは安心したが、卓也はAIと話し合い、別の行動を取ることに決めていたのだった。




