第十三話
デフォルトが全面的に指揮を執った今回の着陸は、なんの問題もなく行われた。
藻の深い池の水をすくったようなどんよりとした緑に近い青い空の下では、シダのような植物が生き生きと育っていた。
風もないのにそのシダの葉が揺れていた。シダの特徴とも言える、密集する細やかな小葉がそれぞれ意思を持っているかのように、もぞもぞと動いている。
見た目の気持ち悪さとは逆に害はなく、肌に触れると邪魔だとでも言うように、しっしっと葉で追い払われた。
「まさかこれが知的生命体とでも言うつもりか?」
ルーカスは葉をちぎると、指で弾いてデフォルトの顔にぶつけた。
しかし吹く風はなく、動作で生じる僅かな風に煽られ、デフォルトではなく卓也の肌に吸い付くように飛んでいった。
「知的生命体かわからないのに、よく葉をちぎったな……。仮にそれが知的生命体だったら、僕らはいきなり戦争を仕掛けたことになるぞ」
二人は色々と自分の憶測を付け足したが、デフォルトは「ただの植物です」と言い切った。
だが、デフォルトにとっての普通の植物は、ルーカスと卓也にとって未知に思えるものが多い。地球の定義より枠が大きくなっているからだ。
それは植物だけではなく、動物、菌類、細菌に至るまで定義が大きく異なる。
デフォルトはできる限り地球の考えに寄り添って判断しているが、それでもまだ地球人の二人とは認識の違いはあった。
そのことがわかっているルーカスと卓也は、デフォルトを信頼してはいるが、すっぽりと包まれるように頭から安心は出来なかった。
その心情を表すように、すたすたと先頭を歩くデフォルトの後ろを、ルーカスはびくびくと、卓也はふらふらと歩く。
だが、無神経な二人に用心の時間は短く、あっという間に、ルーカスがどかどかと先頭を歩き、ふらふらと卓也が続き、ぱたぱたと忙しそうにデフォルトが二人のフォローしながら歩く光景に変わっていた。
「いいですか、知的生命体とはなるべく関わらないようにしてくださいよ。異性間交流は、そのほとんどが争いの火種になるんですからね」
デフォルトはまるで自分の家の庭のように、我が物顔で歩くルーカスに注意をするが、ルーカスは「原始人レベルの文明に後れを取るような私ではない」と見当違いの答えを返した。
「ですから、争わないように、出会わないように、なるべく音は立てずに、声は小さく。なにごとも慎重にお願いします」
心配をするデフォルトに、卓也はのんきに笑い声を響かせた。
「僕は興味あるけどね。原始人とルーカス。どっちの頭がいいか。鏡の中の自分がわかるかどうか、ミラーテストをしてみたいくらいだ」
「結果は一つだ。鏡に映るのは私でも原始人でもなく、必死に髪を直す君の姿だ。口半開きのマヌケな顔のな」
「それをするのは着飾ってるときだけだよ。今の僕の格好を見てよ、醤油のシミが夜空のようについてるシャツだ。口を半開きにするより、鼻をほじってるほうが似合ってるよ」
卓也は自分の言葉通り小指で鼻の穴を掘削すると、ほじったものを指で弾き飛ばした。
「卓也さんはオシャレなのかどうなのかわかりませんね。身だしなみに気を付けてるかと思えば、着古したシャツをずっと着ていますし」
「僕はオシャレをしてモテたいんじゃなくて、モテたいからオシャレをするんだ。裸で歩くのがオシャレだって言うなら、僕は迷うことなく素っ裸で歩くね。デフォルトみたいに」
「卓也さん達、地球人の観点から見れば裸ですが、異星的観点から考えても、そもそもの美意識が違うので、裸でどうこうというのは考えることはないですね」
「自分でも言ってたけど、衣食住。衣があっての知的生命体じゃないのか?」
「進化の過程の違いですね。自分達は身体が外に適応するように進化しましたから、装飾的には進化しなかったのですよ。それより機能的にというのが自分達の美意識ですね」
「それって女の裸より、大人の玩具に興奮するってこと?」
「そう飛躍的に考えられると違う気がしますが……。あの……言っておきますけど、自分にも愛するという感情はありますよ。ただ、それが精神病とイコールにはならないということです」
「愛は精神病なんかじゃないぞ。動悸がしたり、眠れなくなったり、汗が止まらなくなったり、息苦しくなったり、食欲がなくなったり、つまらないことだとわかってても頭から離れなくなったり、何も考えられなくなったり、イライラしたり、情緒不安定になったり……。やっぱり……今までのはなし――愛は気持ちいい。それ一択だね。愛を育むのはとても気持ちの良い行為だ」
「それは卓也さんの価値観なんでいいんですけど……」デフォルトは急に話題を打ち切ると、忙しなく視線をさまよわせて、いるはずの人物を探した。「あの……ルーカス様は?」
卓也も視線をさまよわせた。デフォルトのようにキョロキョロとではなく、ゆっくりと周囲を見渡した。
つい先程までいたルーカスの姿はなく、シダの葉が渦を巻くように不気味に揺れているだけだ。だが、どこへ消えたのかわからないわけではない。まるで童話のように、ルーカスがちぎった葉クズが点々と砂利道に落ちている。風のないこの星では、風で遠くに煽られることもなく、ルーカスがどこへ向かったかは明白だった。
足元に蔓延る眩いばかりの緑は当然シダの葉。空に向かって仰々と伸びる大樹さえもシダのような葉をつけている。その樹皮はうろこ状であり、まるで蛇が空へと向かっているようだった。
その木生シダは柱のように左右に二本ずつ一定の間隔で生えており、ルーカスはその間を進んでいた。
仕方なく卓也とデフォルトも後を追い木生シダの間を歩く。急ぐわけではないが、坂になっているので歩む速度は自然に上がっていった。
坂を下るにつれて周囲は暗くなる。原因は木生シダの生える間隔が短くなり、壁のようになってきているからだ。幾重にも連なるシダの葉の隙間から、名も知らぬ恒星の光を空に通して落ちた光は、鈍い緑色の光となって暗く照らしていた。
暗さに目が慣れてくると、遠くに光を感じた。小さな川の流れがかすかな光を反射した。そんな程度の光だ。
だがその光は、長いこと薄暗く狭いところを歩いて、注意力が散漫になっていた卓也の目には強い光に思えた。思わず濡れたシダの葉に足を滑らせてしまい、背中から坂を滑り落ちた。
その時とっさに掴んだのがシダの葉ではなく、デフォルトの触手だったせいで、デフォルトと一緒に坂道を滑り落ちることになってしまった。
草のすべり台は草の汁のせいで勢いを増し、勢いが増したせいで余計に草の汁を滲ませた。それで更に滑る勢いがましていく。もう、何かに捕まって止まるのは不可能だ。
それにしても勢いが強すぎるのは、先にルーカスが滑り落ちたせいだ。
卓也がそう考えてる間も、背中を汚し滑り落ちていく。やがて、穴の先が小さくなり、光が強くなっていた。
先の景色をようく見ようと卓也が首を伸ばした瞬間、お腹から内蔵が飛び出るような浮遊感が襲い、体は空中に投げ出されてしまった。
地面に叩きつけられるまでに見たのは、草の汁で汚れたルーカスがニヤニヤと笑う顔だった。
衝突音と激痛。だが、卓也はすぐに悶えるではなく、まずルーカスに向かって「なに笑ってるのさ……」と聞いてからのたくりまわった。
「私は誰にも見られずにもんどりを打って倒れ、君は私に見られながらもんどりを打って倒れたからだ。実に面白い見世物だ。是非ともアンコールを所望したい。繰り返せば、そのうち鳥のように飛べるかもしれんぞ」
ルーカスは穴から遠くに見える空を見上げた。相変わらず不気味な緑の空をしたままだ。
「誰を探してこうなったと思ってるんだよ。ルーカスが勝手に消えるせいだぞ」
「勝手ではない。私はこっちになにかいたぞと言ってから進んだぞ。君らがついてこなかっただけだ」
「図書館にでもいるつもりで喋ったのか? 声も足音も聞こえなかったぞ」
「声は小さくと言っただろう。音も立てるなと」
デフォルトは額あたりを触手で押さえてため息をついた。結局ルーカスが勝手をしても、こちらの思惑通りに動いたとしても終着点は同じだったからだ。
「慎重にとも言ったはずなんですが……」
「そうだ、デフォルトは慎重にって言ってたぞ。僕はちゃんと覚えてる。出会うな、争うな音を立てずに声は小さく。なにごとも慎重に。あと寝る前につけるだけで、簡単に腹筋が割れるっていうトレーニングベルトはまったく効果なし。ルーカスが筋肉がついたと思ってるのはただの汗疹だ。バカだから気付いてないだけで、君はガリガリのままだ」
「最後の言葉は言ったつもりはありませんが……」
「今のは僕の本音。ついでに言うチャンスだと思って」
「耳元でわーわーと騒ぐな。坂を転がり、穴に落ちたからなんだっていうんだ。見上げれば空も見える。苦労せずに登れる高さだ。こんな絶体絶命とは程遠い場所で、何を騒ぐことがある」ルーカスが声を張り上げると、高いところの茂みがガサガサと明らかにうごめいた。だが、それは一瞬のことで、瞬きをする間に上の気配は消えていた。そして上に気を取られている間に、三人の足元には、槍のようなものを持った『小さな者達』が、その切っ先を向けて囲んでいた。「……これこそが絶体絶命というのだ。わかったな」
身長は高い者でも三十センチ程度で、その半分は細い足だ。頭はまるで安物のハンバーガーでも載せてるかのように丸く平たく、何かを喋るたびに口はカスタネットのように大きく開いた。
自らの頭の大きさに耐えられないようで、乾燥させた渦巻状のシダの新芽を杖にして持っている。そして、その杖先が槍のように鋭く削られていた。
肌の色は赤紫で、上から見下ろすと、花の咲かないシダ植物に花が咲いたように見える。
そんな踏めば潰れるような小さな異星人達を前にして、三人はなにも出来ずにいた。シダの硬い葉柄で編まれた縄で手足を縛られているからだ。
「本当に歩く疫病神だな、ルーカスは……。今度も爆発させるつもりか? というかもうしてる。僕らの不満が」
卓也のため息に、デフォルトも同調のため息を合わせた。
「ですが、どうやら野蛮な性格ではないようですね。武器もおろしてくれていますし、今のところは、危険因子を隔離しようとしているだけで、排除はしようとしていませんから。せめて話が出来ればいいのですが……」
彼らの喋る言葉は「まーまー」やら「みーみー」と、ま行に聞こえる発音だけで構成されており、あまりに単純でいて独創的であるため、デフォルトの翻訳機も機能しなかった。
「前から思っていたが……デフォルトは本当はポンコツなのではないかね? 卓也君、この口だけが立派に動くタコランパが役に立ったところを見たことがあるか?」
「そんなこと……」と、卓也は少し考えると「たしかにそうかも」と頷いた。「結局、毎回危険回避は出来てないからね」
「そこまで言うなら、お二人に言わせてもらいますけど。宇宙船を動かせる自分がいなければ、もう既に三回は死んでいますよ。それに炊事、洗濯、掃除をしてるのも自分です。衣食住を管理し、知的生命体の暮らしが出来ているのは自分のおかげだということを、少しは理解してもらいたいです」
デフォルトは不機嫌に言い切ると、珍しく子供のようにそっぽを向いた。
「なにが知的生命体の暮らしだ。こいつらをよく見てみろ。これも知的生命体と呼んでいるのだぞ。自分の頭の大きさも知らずに生まれてきたような奴らだ。それが知的に発明したのが、たかだか杖ではないか。それにしても、さっきからママーママーとうるさい連中だ。まるで卓也のようだな。お互い背も小さい、もしかしたら話が通じるかもしれんぞ」
「だから……」と卓也はうんざりした顔をした。「僕はパパとも言うって。それに……彼らは僕よりも、ルーカスと話したいみたいだぞ。……なんで?」
卓也は彼らの視線を追ってルーカスの顔を見た。
デフォルトも視線を追うと、その場にいる全員がルーカスの顔を見ることになった。
「なにか、まずいことでもしたのでしょうか……」と心配するデフォルトを「あれ、もう機嫌直ったの?」と卓也が茶化した。
「もう……喋りません」
「ごめん、言い過ぎたよ。僕が悪かった。デフォルトにはいつも助けられてるって。今だってなにか気付いたんだろう?」
デフォルトは二人にいちいちイラついても仕方がないと、深呼吸をして心を落ち着けた。
「気付いたというか、流れを考えると、ルーカス様が言った何かが彼らの琴線に触れたのではないかと。認めたくないですが……そういう表情をしています」
「たしかに認めたくない……。けど、絵本の挿絵に出てくる、神様が降り立った時の農民のような顔をしてる」
コソコソと話す二人の横では、ルーカスはどうせ意味などわからないだろうと、小さい彼らに暴言を浴びせていた。
「さっきからなにを見ている。私がちり紙にかんだ鼻水程度の知能しか持たない生物が。その脳みそは、鼻水と一緒に飛び出た鼻くそ程度のものだろう。ゴミ箱に捨てられ、燃やされる前にさっさと縄をほどきたまえ。それとも、ママーママーとママに泣きつだけか? ミミが悪いのかメが悪いのかは知らんが、マメつぶ程度の脳みそでも、私はママではないと理解できるだろう。忘れないうちにメモにでも書いておきたまえ」ルーカスは縛られた手で自分を指した「――私はママではないと」
最後にルーカスが不機嫌に鼻を鳴らすと、小さな者達は慌てた様子でルーカスの縄をほどき始めた。
自由になったルーカス、縛られたままの卓也とデフォルト、驚きに目を丸くする三人をよそに、小さな者達はいっせいに勢いよく頭を横に降り出した。
彼らの大きく開いた口からは「ママー! ママー!」という言葉が発せられていた。
当然ルーカスに向かって。