第二十五話
「犯罪組織の一員に、巨大うんこが大暴走。悪い夢だったね……。こんな誰も信じないような出来事は……早く忘れちゃった方がいいよ」
卓也は宇宙空間が映し出されたモニターを見てため息をついた。
ここは窮屈なレストの中だが、フィリュグライドの宇宙船よりもずっと酸素が濃い気がした。
ようやく自由に息が出来る。そう感じていたのは卓也だけではない。デフォルトもようやく気が休まる思いだった。
「そうですね。忘れたほうが気が楽ですね。ひとまずは距離を取ることに全力を尽くしましょう」
デフォルトが操縦席のメーターを見て、燃料の配分を考えようとした時だ。
そうはいくかと、ルーカスの手が邪魔をした。
「これは忘れてはいけないことだ。断固として忘れることは許さん」
「それも間違っていません。活かせることは今後に活かしましょう。……ルーカス様をナノマシンに近付けさせないとか」
「もっと重要なことがあるだろう」
ルーカスが心底呆れた表情を見せるので、デフォルトはフィリュグライドを襲撃に来た商船のことだと思い、身を引き締めた。
「もちろんです。その為に距離を取るので、操縦席のボタンには手を出さないで貰いたいのですが……」
「違うぞ、デフォルト君。距離を取られたのは卓也で、手を出されたのは私だ。この意味わかるかね?」
「いえ……まったく」
デフォルトは何を言っているのかと頭を傾げたのだが、ルーカスは呆れ顔を濃くするだけだった。
卓也に聞いてみるが、子供が知らんぷりするように視線を逸らす。
こうなれば頼みはラバドーラだけなのだが、エンジンの調整をするために部屋を離れているので、答えを出してくれる者はいなかった。
「まったく………本当にわからんのかね?」
ルーカスのため息まじりの言葉に、デフォルトは申し訳なさそうに頭を下げた。
「はい……見当もつきません」
「私が卓也の女を寝取ったということだ。つまり、私こそが宇宙一セクシーな男で、そこで不貞腐れている男は負け犬ということ。これこそが、この不確かな宇宙にある一つだけの真実だ」
ルーカスの嫌味な物言いに、卓也は負けじと吠えた。
「違うね!! たまたまゲテモノが好きな女性だったってだけ。いい? 生物は色んなものを食べるの。草食動物とか肉食動物とか、ウンコを食べるような生物とかね。オルガンはたまたまうんこを食べる星人だったってだけ」
「卓也さん……オルガンではなく、モルガンさんですよ」
あれほど熱を上げていた相手に失礼だとデフォルトは注意したのだが、卓也は名前を聞いてもピンときていなかった。
「言っても無駄だ。この男は関係が終わった女と、脈のない女の名前は忘れる男だ。ところてんのように押し出されて落ちていく」
ルーカスはいつものことだと気にも留めていなかったが、デフォルトはなんて薄情な男だろうと思っていた。
「最低ですね……」
「そんな顔をするなよ、デフォルト。交際中に名前を忘れたら、僕は最悪な男だ。それは間違いない。でも、終わったことだぞ。百日前に食べた食事のことなんて覚えているかい? 覚えていたら正直ドン引き」
「確かに覚えてはいないですけど……。卓也さんにはもう少し、色々と引き締めてもらわなければ困ります。モルガンさんにお振られになったのも、卓也さん自身のだらしなさからだと思うのですが」
「デフォルト……」卓也はデフォルトの頭を両手でしっかり掴んだ。「僕は振られてない。お互い別々の道を選んで歩いたってだけさ。恋人同士では歩けない道が広がったから、僕は右へ彼女は左へ行っただけ。彼女の道にはたまたまルーカスといううんこが落ちていた」
「私は犬のフンか……。なんと言おうと、君が振られたことには変わりない。この事実はDドライブに送らせてもらうぞ」
「ちょっと待った! それは個人情報だ。ルーカスにそんなことする権利はないはずだ」
「わかっている。だから、私自身のことをリークする。卓也の女を寝取り、悪の組織を壊滅させたとな。そのことを説明するのに、君が傷心したり、私に負けたということを伝える必要があるというだけのこと」
「絶対に阻止する」
「出来るものか。既に引き金に指がかかっている」
「なにに指をかけてるって?」
卓也はタブレット端末を両手に持って見せた。一つは自分の。もう一つはルーカスのだ。
「返したまえ、私のだぞ」
「返したまえ、私のだぞ」
「マネをするな」
「マネをするな」
「まるでガキだな……」
「まるでガキだな」
オウム返しの卓也にルーカスはだんだん苛立ってきて、声を大きくした。
すると卓也も全く同じように返す。
やめればいいものを、ルーカスはムキになって繰り返すので、二人のやり取りは延々と続いた。
デフォルトは付き合っていられないと、戻ってこないラバドーラの様子を見にいった。
「なにか問題ですか?」
「問題はない――と言いたいところだが、どうも様子がおかしい」
人間のアイの姿ではなく、いつものマネキンのような姿に戻っているラバドーラは、その真っ白な体を汚して炉の様子を確かめていた。
「しっかりメンテナンスはしたはずなのですが……。やはり古い宇宙船なだけにガタがきてるんですかね」
「そういう問題じゃない。中の燃料だな」
「まさか毒ガスが発生したのでは!?」
デフォルトは一大事だと、二人に知らせるために警報を鳴らそうとしたのだが、ラバドーラは素早く触手を掴んで止めた。
「そうじゃない。なにか特殊な電波が発生してるんだ。おそらくバカ二人が適当に燃料としたもののせいだ。緊急システムが働き、熱で救難信号を送っているかもしれない。そのうち燃え尽きて、電波も出なくなると思うが……どうする?」
ラバドーラはこのままにしておくか、エンジンの出力を上げて早々に焼いてしまうか意見を聞いた。
わけのわからない電波をいつまでも流しておくメリットはないが、無駄にエンジンの出力を上げてしまうと、それだけ燃料の消費が増えてしまう。商船の目的がわからない限り、なるべく遠くに離れておきたいので、少しでも燃料は長持ちさせておきたい。
どちらを選んでもデメリットが大きいので、ラバドーラもどうするか決めかねていたのだ。
それはデフォルトも同じで、結局ルーカスと卓也に意見を聞くこととなった。
「絶対に燃料を持たせるほう!」
「当然だな」
喧嘩していたはずの二人だが、意見は見事に一致した。
「なら、決まりだな」
ラバドーラに視線を送られたデフォルトは了解と頷いた。
「エンジンの出力を上げましょう」
「なんでそうなるのさ。電波を出してた方が回遊電磁波を拾いやすいだろう? そのほうが裸の王様のデータを拾いやすい」
「そうだぞ。またDドライブへ送っていないのだ。セクシーな男が陥落する話を」
「お二人の意見と逆にした方が、問題が起こらないと思ったからです。エンジンの出力を全開にし、一気に距離を取ります」
「そんなの横暴だよ! まだ新しい女の子の情報がタブレットに入ってないっていうのにさ」
文句を言う卓也に、ラバドーラは「なら今のうちにやっておくんだな」と挑発した。
どんな宇宙船にも負ける性能のレストだが、唯一炉の頑丈さだけは、宇宙の上位に入る。熱を上げるのなどあっという間で、電波を流すものもすぐに焼き焦げてしまう。
ラバドーラはもう二人の意見は必要ないと、文句の一つも聞かずエンジンルームに向かった。
デフォルトも急なエネルギー出力全開による反動で故障しないように、制御を手伝いに行った。
ルーカスはやっていられないと椅子を倒して仰向けになった。
「僕が言うのもあれだけど。陥れるのは諦めたのかい?」
「電波がなくなってデータが送れるか……。運よく回遊電磁波と混じり合って送れたとしても、それは途切れ途切れ。まるでジジイの小便だ」
「僕は諦めないけどね。顔写真だけでもダウンロード出来ないか……」
卓也は家で電波を探すかのように、タブレット端末を持って部屋をうろうろし始めた。
「情けない男だ。この必死な姿を見れば、皆幻滅するだろうに」
「だから見せないんだよ。アイドルと一緒。ダメなところはたまに見せるから効果があるんだ。ルーカスみたいに垂れ流しにしないの」
「アホらしい……」
ルーカスはヒマ潰しにとタブレット端末に手を伸ばした。中の本でも読もうとしたのだが、映っていたのは裸の王様のダウンロード画面だ。卓也は間違ってルーカスのタブレット端末で電磁波を拾おうとしているのだ。
つまり、卓也がルーカスに恋人を奪われたことが書かれている。回遊電磁波が繋がると、それを送ることになってしまう。
ルーカスはこれは面白いことになったと手を叩いた。自分で自分をこき下ろす記事を送るのだ。誰のせいにも出来ず、宇宙一セクシーな男が宇宙一マヌケな男に転落する姿が見られるかも知れない。こんな楽しいことはない。
「なにサルの人形みたいに手を叩いているのさ」
「応援しているのだ。独り身で寂しい君に女が出来るようにな」
「ルーカスに応援されなくても、彼女の一人や二人作れるに決まってるだろう」
「なら、これは先祝いだ。そのうち出来る恋人のための拍手だ」
「バカにするならもっとうまくやらないと。なんだ? なにを隠してる?」
卓也はじっとルーカスの顔を見た。そして、徐々に視線を下げて体を見ると、今度は椅子に視線を移す。また体に戻して、怪しいところはないかと注意深く眺めると、ルーカスの持っているタブレット端末が自分のものだとようやく気気付いた。
「おっと……危ない。バカをやるところだった。危うくルーカスって呼ばれるようになるところだったよ」
卓也が電波を切ると、ルーカスは舌打ちを響かせた。
「もう少しで、君は自らマヌケへと身を落とすところだったのに」
「本当危ないよ……データの電磁波が漏れちゃったじゃん。これくらいなら、すぐに宇宙空間に消えるけど。僕は寂しい男。まで送信されちゃってるよ……」
「覚えているぞ。犬にも猫にもカマキリにも相手はいるのに、僕には相手がない。死んでしまおう。偉大なるルーカスの伝説を数えながら。それしかやれることはない。なぜなら、僕は寂しい男。という文だな」
「この稚拙な文章からわかるのは、君に文才はないってことだけだね。ところで、一度悪に身を染めた男ってモテると思う? これからの身の振り方を考えると、誤魔化すか正直にいうか悩みどころだよね。フィリュグライドってどれくらいのブランドになるんだろう」
「私がトップにいなければ、どんな宇宙船もクズ同然だ。だが、しばらくは犯罪などとは関わりたくないな……」
「確かに。僕らクリーンな存在だもんね。拷問とか殺しとか盗みとかとは関わりたくないね。パーっと遊んで忘れようか」
卓也はタブレット端末のゲームを起動すると、ルーカスを誘った。
「ほほう……この私に勝つつもりでいるのかね?」
「当然。何度も殺してやる」
「それは無理だ。君の武器は前回の戦争で全て盗んだからな。部下を拷問にかければすぐに白状したぞ。信頼関係が足りないな」
「それはどうかな。ルーカスのとこに渡った武器には爆弾が仕掛けられていたり?」
卓也はニンマリ笑うと起爆ボタンを押した。すると、ルーカスは側近ごと吹き飛んで大ダメージを食らった。
「絶対に許さんぞ。こうなれば諸刃の戦争でも、幼稚なプロパガンダでもなんでもしてやる!!」
「死ね」「死ね」と罵り合いの言葉が飛び交う操縦室に戻ってきたデフォルトは、早速ため息をついた。
「せっかく犯罪組織から抜け出せたのですから、平和にいこうとは思わないのですか」
「デフォルト、これはゲームだぞ。ゲームで決着がつくなら、宇宙一平和な争いだ」
「卓也さんのこの姿を見られれば、世の女性はため息をつくでしょうね」
「その世の女性と出会えなくなったから、こうしてゲームをして鬱憤を晴らしてるの」
「ですが……」と、言動を注意しようとしたデフォルトだが、あることに気付くとタブレット端末に触手を伸ばした。「このアイコンはメッセージ通知ではないですか?」
「え? 本当?」
卓也は戦闘中の画面を切ると急いでアイコンをタップした。
「私が優勢だからとそんな手段に出るのかね! なんて卑怯な男だ」
「勝ってたのは僕」
「それは仮定の話だ。私の作戦はこれからだったのだ。それを君が台無しにした」
「はいはい、僕の負けでいいよ」
卓也はゲームの電源を切ると、メッセージアプリを開いて中を確認した。
そこには『もうすぐ会いにいく』というメッセージが何件も入っていた。
「何これ……イタズラ?」
卓也は定期的に送られていたメッセージを訝しく思っていた。
「女性からではないのですか?」
まさか卓也に男からメッセージは来ないだろうと思っていたデフォルトだが、卓也は肩をすくめた。
「女の子からのメッセージだったら僕が見逃すわけないだろう。迷惑なやつだよ。……そうだ!」
卓也は素早くメッセージを入力すると、半笑いで送信した。
「なんて送ったのだ」
ルーカスはウキウキしていた。卓也がどうやってバカをからかったか知りたいからだ。
「死にそうだから助けてって。宇宙のど真ん中ですっぽんぽん。セクシーなお尻丸出しで待ってるって」
「それは見事だ。バカな男が操縦桿を二つ握ってる姿が目に浮かぶ」
ルーカスはよくやったと卓也の肩を叩いたが、デフォルトは首を傾げた。
「卓也さんがした返信には女性と書いていませんが、相手は女性だと思うのですかね?」
「あのね……男がメッセージを送るのは女性にって決まってるの? 男が男にもうすぐ会いに行くって送ると思う? 僕は間違いメッセージに、間違えて返信しただけ。ほら見て、返信が来たよ」
「良い暇つぶしが出来たな。マヌケをからかうぞ」
ルーカスは自分にもメッセージを書かせろとウキウキしている。
こんな早く返信が来るなんておかしいので、自分と罵り合うAIウイルスがまだ残っているのだろうとデフォルトは考えた。
何より、二人がこれで静かになるなら願ったり叶ったりだ。
ラバドーラからの合図が入ったので、デフォルトはエンジンを再始動させた。
レストのスピードは流れ星のように早く、誰かの願いを叶えるかのように消えていった。




