第二十三話
「やったぞ!」と声が響いたのはセクター十二の倉庫だった。
あるグループがうんこの撃破に成功したのだった。完全の無力化。これでセクター十二には平和が訪れたと思われたが、次の恐怖はすぐやってきた。
「離れろ! もう一体来たぞ!」
「キリがない……」
グループは距離を取ったが、うんこが近寄ってくることはなかった。
倒れたうんこに寄り添い微動だにしない。
「もしかして感情があるのか?」
「バカ言うな……ちゃんと姿を見たのか? そんな多感な生物のわけがないだろう」
「とても直視出来る見た目じゃないからな……」
「そんなこと言っている場合か。生死がかかってるんだぞ。AIだとしてもおかしい……何をやるつもりだ……」
一人は睨むようにうんこを見た。言われてみれば死を悲しむ姿にも見えるが、だとすれば厄介だ。悲しみがあるなら怒りの感情もあるかもしれない。怒りに任せて暴れられたらことだと、一気にケリをつけてしまおうとした。
しかし、もう一人が「待て」と腕を掴んで止めた。
「どうしてだ。動かない今がチャンスだぞ」
「もう……手遅れだって言ってるんだ……」と腕を引っ張って逃げるように促す。
だが、どうしても戦うと言って聞かなかった。
「離せ臆病者め! オレは一人になっても戦うぞ。これはオレにとってもチャンスなんだ。ここで二体も仕留めれば、死んだ幹部の代わりになれるかもしれない!」
そう言って勇んで飛び込む一人を置いて、残りは逃げ出した。もう、なにを言っても聞かないからだ。最後に一度だけ、もう二度と見ることはない背中を見てから駆け出した。
残った一人は、一体を倒した武器を担いでゆっくりうんこに近付いた。
「いい子だ……動くなよ……すぐに叩き潰して電気を流してやるからな。楽しいぞ、ビリビリマッサージだ。電子回路だろうが神経細胞だろうが焼き切ってやるぞ」
偶然出来上がった武器の電気棒は、彼の手元で空気焦がすようにジジジと音を立てていた。
「さぁ! この世で見る最後の顔だぜ!」と電気棒を振りかぶって――止まってしまった。「コイツ……食ってやがる……取り込んでやがる!」
あまりに驚愕の光景に、逃げるよりも電気棒突きつけることを選んだのは正解だった。
それが、もう少し早ければの話だが。
うんこはAIの情報を取り込み、電気を受け流す手段を覚えてしまった。それと同時に、動き回って集めた部品で回路の修理をしてしまったのだ。
つまり現在。男の目の前には、お手製の武器が効かなくなった化け物が一体。それももう一体と合わさって巨大になった。
すぐに背を向けて逃げ出したのだが、それも少し遅かった。咄嗟の出来事に対処出来ない僅かな空白が、彼の人生を決めてしまったのだ。
男の絶望に狂った悲鳴は良く響いた。
「だから言ったのによ……バカなやつ……」
逃げたグループは悲鳴に怯むことなく、足を懸命に動かしてセクター十二から逃げ出したのだった。
その頃、レストのある倉庫では卓也が腹を抱えて大笑いしていた。
「ルーカス最高! その格好で引っ張られてきたの? 犬の散歩みたいに?」
ルーカスの格好はお尻が丸出しのままだった。
四つ目の旧サーバーで生体認証を完了したせいで、拘束が解けなくなってしまったのだ。アクセス権はラバドーラではなくモルガンにあり、一大事だとさっさと部屋を出ていったので、拘束具ごと外してルーカスを連れていくしかなかった。
「いいからさっさと外したまえ! ここには電気工具があるだろうに!!」
「はい、ただいま!」
デフォルトはルーカスの拘束具を電気工具で焼き切った。
「それでなんだって。うんこが集合して、惑星を破壊して回るって」
卓也はそんな馬鹿げた話は信じられないと笑っていた。
「そうよ、全部本当の話。今はAIが完全な生物になろうとしてるの。つまり感情が出来る。欲望が生まれるってわけよ。生命の最初の欲望はエネルギーよ。この宇宙船だって、奴らにとっては餌なわけ」
「いくらアイさんの姿で言われても信じられない。だって、うんこが生物になるって話でしょ」
「そうよ。私が本当の柔らかい肌を手に入れて、あなたを誘惑する匂いを発して、子供を作るためじゃなくて快楽の為にベッドへ誘うようなものよ」
「大変だよ! デフォルト! 凄い進化だ! まるで神の御業だよ!」
「ラバドーラさん……そういう端折った説明をすると、後々面倒になりますよ……」
「いいのよ、今は一大事だってことがわかれば。いい? この倉庫の入り口を開けるのは不可能になったわ。だから、フィリュグライドの騒動に加担するのよ。モルガンはこの船を二つに分けるつもり。私達は攻撃グループに加わってレストに乗って出撃。隙を見て逃げるの。わかった?」
「わかりました」とデフォルトはレストの最終調整に入ったのだが、卓也とルーカスは動かなかった。
「なにしてるのよ」
「なにもしてないのだ。私の肛門で遊びに遊んだ外道の言うことをなぜ聞かねばならんのだ。私を納得させたかったら、同じ土俵に立ちたまえ。尻の穴を晒してみろ」
「いいわよ、別に」
羞恥心もないAIのラバドーラはなんてことないと、肛門を投影したのだが、そんなことはさせられないと卓也が庇った。
「ルーカス! 女性だぞ!」
「ただの機械だ。それに私は究極のフェミニスト。男女平等だ。男が尻の穴を晒したなら、女も尻の穴を晒す。殴られれば殴り返す。ヒステリックになれば、ヒステリックに返す。私が最先端だ。当然ジェンダーなんてものも関係ない。なにが言いたいかわかるか? 尻の穴を晒させたのなら、相手も晒す必要がある。ただそれだけのことだ」
「そう言うことをするから嫌われるのに……。じゃあ僕がお尻の穴を晒すよ。それでいいだろ」
卓也がベルトに手をかけると、ルーカスは心底呆れたとため息をついた。
「君はバカかね……私が君の尻の穴を見たいと思っているのかね?」
「あら、じゃあ私の肛門は見たいわけね。素直に言えばいいのに、変態さん」
ラバドーラが煽るように言うと、ルーカスは思い通りに怒った。
「誰が見たいか! 臭い尻の穴は、臭いパンツに一生しまっておけ!!」
「そう。なら問題解決ね。あなたの思い通りになったんだから、もういいでしょ。ほら早く、荷物を積む」
おかしいと思ったルーカスだが、ラバドーラに急かされ混乱したまま荷物を積み始めた。
「僕も動かないよ」
卓也は期待に胸を膨らまらせて、ニコニコしながら突っ立ていた。
「いいわよ別に。肛門が見たいなら、ルーカスを投影するから。どうする? 見る? それとも率先して手伝って男の株を上げる?」
「株を上げる……」卓也はがっかりして肩を落とすと、渋々荷物を取りに行った。
「まったく……。今がどう言う状況なのかわかってないんだから……」
今の状況といえば、巨大化したうんこが通路に入りきらず細くなりながら移動しているところだった。
細くなることで、素早く動けるようになり、狭い場所にも入っていけることに気付いたAIは考えを変えた。
本体は一箇所にとどまり、そこから触手のように伸ばして動いた方がエネルギーの消費量が少ないのだ。電波を使い、そのことを仲間に伝えたのだが、マタセスに乗っ取られたことのあるラバドーラにもそれが信号として入ってきていた。
「どうやらデフォルトのデータを見て進化したようね……マルチタスクには合った体だものね」
ラバドーラの視線にデフォルトは身震いした。
「恐ろしいことを想像しないでくださいよ。自分は本物の体です」
デフォルトははまったく別物だと、職種を動かしてみせた。
「あれもそのうち本物の体になるのよ……。まぁ、でも一箇所に集まるなら好都合ね。各個撃破より集中砲火の方がいいわ。別々に攻撃して学習されたら手遅れよ」
「話だけ聞くと最強の生物だよね。道端にうんこが落ちてるだけでも皆が避けるのに、それが知恵をつけて襲ってくるって言うんだもん」
「さっきからずっとそう言ってるのよ……。バリアなんか覚えられたら面倒よ。そうなれば破壊はもう不可能。燃料を使い切ってでも、遠くに逃げた方がいいわ。だから……良い考えが浮かばないならもう黙ってて。それともそこの工具で、唇をくっつけてあげましょうか?」
ラバドーラの脅しは卓也には効かなかった。なんのなんのと嗜めるように片手を伸ばすと、もう片方の手でタブレット端末を取り出した。
「これ見て。助けが来る。僕が呼んだのさ。偉いでしょ。褒めてくれても良いんだよ。犬を褒めるみたいにで、全身撫で回して」
卓也はごろんと床に仰向けに寝転がると、ハッハッと犬のような吐息を漏らした。
「ちょっと見せなさい!」と取り上げたタブレットには、確かに助けに来たとメッセージが入っていた。「なんで黙ってたのよ」
「忘れてたの。船が揺れたり、警報が鳴ったり。その度にデフォルトが、レストに問題はないかって。ないって言うのにね。頑丈さだけが取り柄の宇宙船だぞ。燃費は悪いし、食糧の保存もまともにできない。本当は缶詰の缶をリサイクルして、色々なものに加工出来るマシーンがあったんだってさ。でもなんとそれは、博物館で別途展示。取り外せないからエンジンは無事だったってわけ」
「それでかさばる食料が積まれているんですね」
デフォルトはなぜ場所を取る缶詰が、食料として積んであったのか納得した。
「そんな呑気なことを話してる場合じゃないの。まさか返事なんてしてないでしょうね」
「したに決まってるじゃん。この状況で救いに来てくれるなら願ったり叶ったりだよ」
「あなたねぇ……あのAIがなりすまして連絡を取ろうとしてるとか、一ミリも考えなかったわけ? この状況で」
「なんでうんこが僕にメッセージを送ってくるのさ」と卓也は不思議がったが、急に合点が入ったと目を見開いた。「そうだ! おっぱいも匂いも本物になって、僕をベッドに誘うためだ! さっきそう言っただろう?」
デフォルトに視線を送られたラバドーラは「……なによ」と睨みつけた。
「いえ……なんでも………とにかく、レストの整備はもう終わります。あとはエンジンを温めるだけ。その間に送信者を調べてみたらいかがですか?」
デフォルトは逃げるようにして、ルーカスの荷物運びを手伝いに行った。
「借りるわよ……」
ラバドーラはタブレット端末にアクセスして、送信者の情報を調べた。電波情報は見たことがないもので、暗号化の仕方も独特。だが、複雑なものではないので、簡単に誰かを割り出すことが出来た。
結果、この船からではない。違う宇宙船の個体アドレスからのメッセージだった。
問題はなぜこの状況を知っており、助けに来るなどと言い出したかだ。
「なんでメッセージはこれで終わっているの?」
「さぁね。でも一つわかることがある。相手は男だね」
「なんでよ」
「だって僕からの返信を無視してるんだぞ。女の子なら絶対にありえない」
「皆が皆。あなたみたいだったら、争いなんてなかったでしょうに」
「皆が僕か……。それって誰が宇宙一セクシーな男になるの?」
「知らないわよ」
ラバドーラはタブレット端末を投げ渡すと、目を離さずにチェックしろと言った。
「この期に及んで、セクター五の交流場なんて見るの? 僕をコケにしたコミュニティーサイトだよ!」
「まだヴーヴァーの部下としてアクセス出来るはずよ。今そこは重要な情報のやり取りの場になってるの。この宇宙船をどこから二つに分けるか話してるはず。レストをそこから出すために、情報は最優先で欲しいの」
「わお! これすごい。極秘のメッセージのやりとりが丸見えじゃん。僕のこと書いてないかな。セクシーとかカワイイとか、大好物のスイーツみたいに、僕を想像するだけでヨダレが出てくるとか」
今や回線は既にAIうんこの手中に落ちてしまい、隔離されていいた下世話な情報を扱うコミュニティーサイトだけが、安全に情報をやりとり出来る場になっていたのだ。
「書いてるわけないでしょ。何度も言うけど、そんな事態じゃないのよ」
「そうみたいだね。セクター八と九の間を切り離すって話になってるよ」
他人事のように話す卓也から、ラバドーラはタブレット端末を奪い取った。
そして外に向けて「行き先が決まったわ。このまま中で宇宙船を飛ばすわよ。頑丈なだけがレストなら、無茶すれば傷んだ壁くらいなら壊せるでしょうから」と言った。
「すぐに戻ります」
デフォルトは慌てて戻ったのだがルーカスは違った。
命令される苛立ちに任せて、落ちているスパナを拾って壁に向かって投げつけたのだ。
壁は脆く崩れ去り穴をあけると、スパナは電気回線をも損傷させた。
すると一瞬の停電後に非常用電源がついた。
警報が鳴り響く。
なんと倉庫の扉を開けたのだ。
「非常出口で開くようになってるみたいね。早く乗らないの? そこは真空になって死ぬわよ」
ラバドーラが中からマイクで言うと、ルーカスは慌てて乗り込んできた。
「ちょうど良いわね。あそこから一足先に逃げ出しましょう」
ラバドーラはルーカスが乗るなり、すぐにエンジンを点火した。
躊躇うことなく、レストを発進させると宇宙へと飛び出したのだった。




