第二十二話
ヴーヴァーの日記。
裏クラプトン周期。十二A。
幸せとは何かを考える日々はいつの間にか遠くへ置き去りにされ、最近では誰かの不幸を拾い集めようと下を向く日々ばかりだった。
誰かを一人立たせて、見出しで軽くつついてやれば、後は読んでいる誰かが勝手に集まって、幸か不幸に押し倒して盛り上げてくれる。こんな簡単なことになぜ気付かなかったのか不思議だ。オレがああ呼ばれていたのも納得だ。
えっと……マヌケやアホやバカ。後は……そうだ。忘れてはいけない。マヌケとも呼ばれていたことだ。
目覚めたオレはルーカスを追いかけ記事にすることにより、どんどん出世の道を上っていった。それは、そうすることが正解かのように妨げるものは何もなかった。
モルガンとの一戦。一転してそのモルガンとの恋仲へ。昔の恋人アイの誘惑。
最近ではルーカスの伝記を書いていると言われても不思議ではなかった。
しかし、ここ数日。彼の名前はブラックホールに飲み込まれたかのように消えてしまった。
最近の話題はなんといっても脱走した宇宙生物。
捕縛命令は出たが、誰も姿は見ていない。上層部からの詳細な発表はなし、負傷者は皆口を閉ざすのだ。
船内では様々な憶測が飛び交い、オレはそれを元にいくつもの記事を書いた。
結果は大盛況。ルーカスのルの字もなくなったというのに、観覧者数は過去最高数をマークした。
皆刺激に飢えているので、脱走宇宙生物に襲撃されたというのは最高のご馳走になったのだろう。
クラプトン周期。十七C
この宇宙の果てに、存在する全ての生命体の罪を罰する惑星があるのならば、きっとそこにいる宇宙生物の一つだろう。
この日。皆が想像しうる限りの姿も出揃い。宇宙生物への興味のグラフが、少しだけ傾いた日だった。
そして、再びグラフ外まで急斜に伸びていく日にもなる。
しかし、それは興味ではない――恐怖だ。
まさか宇宙生物が再び現れ、皆の想像を超えた姿で暴れまわるとは誰も思わなかったからだ。
それも数は複数。今この文章を書いている際にも、あちこちで悲鳴が聞こえている。
死臭ならまだしも、この異臭には耐えられそうにない。
オレに出来ることは鍵をかけ、部屋に誰も入れず、ただ事態が収まるのを待つだけ。
誰かがトイレのレバーを回すのと一緒だ。ただ、流れていくのを待つだけ。流れていった先のことは考えないのが賢明だ。
マヌケと呼ばれていた頃のオレとは違う。考えないことも出来る。
だが、気になるので考えてみようと思う。
奴ら宇宙生物にとって通路は細いパイプだ。パイプを流れることになんの違和感もない。奴らにとって自然なことであり、オレたちはパイプにこびりついていた宇宙の腐敗物。犯罪組織とはそういうものだ。一緒に巻き込まれて流されるのは普通のこと。
奴らが『うんこ』と呼ばれるものなら尚更だ。
クラプトン周期。二十A。
幹部会議が開かれてから数日が経った。
この数日誰の顔も見ていない。部屋から通路に出るのは自殺行為だからだ。
日増しに奴らの数は増えている気がする。
セクター五交流の場は、下世話なニュースを楽しむ場から、人々の正気を保つ場になった。
皆軟禁状態で、心の拠り所はここしかないのだ。
オレの編集長としての日記を読む者も増えている。だから、あえて赤裸々に書いていこうと思っている。
そうすることで、皆の不安を和らげることが出来たらと考えたからだ。
オレはこの数日排便をしていない。ほとんど何も食べていないからではない。自分のうんこが、自分を殺しに来るのではないかと思ったからだ。
クラプトン周期。二十一A。
昨日日記を書いてから、腹痛を訴えるものが続出している。
やはり皆恐怖と戦っているんだろう。
こんな事態は誰も想像していない。だから幹部連もなかなか答えを出せないでいる。そうに違いない。
話は変わるが、昨日赤裸々に日記を書くと宣言したので、恥ずかしながら赤裸々に語らせてもらうことにする。
私は今日うんこをした。腹痛が限界に達したと言うのもあるが、ルーカスに聞かされた生まれ故郷の話を聞いたからだ。
それは腹を食い破って出てくる宇宙生物の話だ。もし、それが本当にあった出来事の話ならば、外で暴れまわるうんこが体内で暴れまわる可能性は十分にある。
そう考えると急に怖くなったのだ。排便を我慢することが。
結果、少しだけ恐怖が和らいだ。だが不安は募るばかりだ。トイレからいつオレを襲いに来るのかわからないのだから……。
クラプトン周期。二十二A。
船員はパニック状態。なにが原因かはわからないが、自分が正しいと信じ込み、他者を執拗に煽り立てることにより、なんとか正気を保っているかのようだ。
うんこをするのが正しいのか、正しくないのか。言うなれば、うんこ派と反うんこ派の戦いだ。
うんこをするということにより、自分の身を守ることばかり考えて、うんこが流れていった先のことを考えていないか。もしかしたら他の誰かを襲いに行くのかもしれない。
うんこを我慢するということにより、体内で別の変異を遂げる可能性があるかもしれない。もし知能が上回り、鍵を開けるということを覚えては、人々の逃げ場はなくなる。うんこに駆逐されるのを待つだけになると。
皆感情的になって、適切な判断が出来なくなってしまっている。
理由はわからないが、誰かが故意にパニックに陥れたような、そんな気がする。
クラプトン周期。二十三A。
なぜ我々は争うのが好きなのだろうか。
今度は陰謀論が降って湧いて出てきたのだ。
幹部連からの目立った指示はなし。ただ大人しくしてるようにと。
これはおかしいと皆が騒ぎ立て始めた。
なにかの実験に巻き込まれたのではないかと、不審に感じる者が増えてきている。
十分な食料が配給されることもなく、蓄えのない下層部は最悪の状況だと。
懐かしのセクター五も今じゃ、トイレ一つを殴り合いで奪い取る始末らしい。
ルーカスが支配していた頃とは大違いだ。
今思えば、行き場のない詰まったトイレから、オレを救い出してくれた彼は救世主だった。
クラプトン周期。二十四A。
これほどまでの朗報は今後あるだろうか。
オレの救世主だったルーカスは、皆の救世主になることがわかった。
幹部連からの連絡によると、全員を助ける一大計画があり、その準備に報告が遅れていたらしい。そして、それは可能だと判断された。
よって、全員が見ているセクター五の交流の場を通じて命令が下される。
全員が同じ命令内容だ。
それも難しいことではない。
『ルーカスを探せ!!!!』
それだけだ。この事態を収めるには彼の肛門が必要になる。
なんの因果か彼の肛門は旧システムを作動させる力がある。
それにより、我々は戦う道を選ぶも、逃げる道も選べることとなる。
つまり、ようやく自己判断という第一歩を踏み出せるということだ。
もう一度伝える。命令は『ルーカスを探せ』だ。
すなわち、それは鍵をかけた部屋を出ることを意味する。
だが、思い出して欲しい。過去はそれが普通だったことを。
我々はうんこと共に生活するつもりはない。
戦うべき時だということだ。
それは外のうんことではない。内なる自分とだ。
元々汚いことをやってきた犯罪者、もう足を洗うことはかなわない。ならば、汚れることに躊躇うことがあろうか。手を汚すのことに躊躇うことがあろうか。
汚れた道の先にあるのが、我々が手に入れるべき未来だ。
その未来こそ。ルーカス。
最後にもう一度伝える。命令は『ルーカスを探せ』だ。
その頃、ルーカスは走っていた。人生で最大の全力疾走。肺が裏返りそうなほど呼吸がおかしくなっているが、そんなことは構いはしない。
なぜなら万を超える宇宙人達が、自分を追いかけてきているのだ。
これほどの恐怖は感じたことがない。
「この船にはバカしかおらんのかね!」
手も足もどう動いているのかわからない。必死の走りを見せながら、ルーカスはラバドーラに向かって叫んだ。
「知らないわよ! なんでこうなってるのかなんて!!」
ラバドーラは急にルーカスの襟首を掴むと、方向を変えて、追いかけてくる群衆へ向かって走っていた。
「バカは君だ! 私を奴らに売るつもりか!」
「あなたが生み出したモンスターが向かってきてるのよ。再会に抱擁したいなら戻るわよ」
「走れ! 走るのだ! 追いつかせるな! ジェットエンジンを使え!」
いつの間にかルーカスはラバドーラにおぶさり、ジョッキーのように体勢を低くしていた。
「そんなのついてないわよ……」
突然方向転換してきた二人と、明らかに強くなった悪臭に群衆はひより、ラバドーラはその隙間を一気に駆け抜けていった。
後ろから聞こえるのは阿鼻叫喚。恐怖とパニックは人から人へと伝染するが、アンドロイドのラバドーラには関係ない。
チャンスとばかりに、一気に引き離して人気のない通路へ走ったはずだった。
そこで待ち構えていたのはモルガンだった。
「ちょっと待ちなさい」
行く手を塞ぐモルガンに、ラバドーラはため息で返した。
「悪いけど、あなたにかまってる暇はないの」
「私だってないわ。ルーカスを渡しなさい。必要なの」
「残念だったわね。私にもルーカスは必要なの。諦めて、発情期の負け犬さん」
「そういう意味で必要なんじゃないわよ……違うって意味でもないんだけど……」
もじもじするモルガンを見て、ルーカスが小声でラバドーラに言った。
「あの変態だけは、私に近付けさせるな。私の肛門を狙ってる……」
「そんな変態いるわけないでしょう……」
ラバドーラはバカなことを言うなと呆れたが、モルガンははっきりと「ルーカスの肛門が必要なの!」と答えた。
「いたわ……変態が……」
「勘違いしないでって! この事態を収めるには、彼の肛門が必要なの」
「残念だったわね。私も必要なの。ルーカスの肛門が」
「あなたも変態じゃないの」
「ちゃんとした理由があるのよ。渡せないわよ」
「わかったわ……理由を話すわ」
モルガンはなぜルーカスの肛門が必要なのか、緊急事態ということもあり、これからの計画を話したのだが、ラバドーラは頑なにノーを貫き通した。
目的は同じだが、モルガンが横にいられては自分のデータを消すのが不可能だからだ。
現在マタセスは消えているが、いつ復活するかわからない。最悪のタイミングが重なることだって十分にありえる。
サーバールームにモルガンを連れて行くわけにはいかなかった。
しかし行き先は同じ、どれだけ走ろうがモルガンが離れることはなかった。
「ちょっと! 命令通り動くなら、最初からそう言いなさいよ。本当に嫌な女……」
走り疲れたモルガンは、はあはあ息を漏らしながらラバドーラを睨みつけた。
アンドロイドのラバドーラは呼吸が乱れることなく、冷静に状況を判断しようとしていた。
モルガンを引き離すのは不可能。ならば、堂々とルーカスの肛門をスキャンできるこのチャンスを活かすべきだと。
「仕方ないわね……」
ラバドーラはルーカスを羽交い締めにすると、モルガンにパンツを剥ぎ取らせた。
「やめたまえ! これは肛門に対する拷問だぞ!」
「ごめんね……ごめんね……」と謝るモルガンと違い、ラバドーラは「黙ってればすぐ終わるんだから」と無理やりスキャンさせた。
機械の冷たさと眩しい光に襲われて、ルーカスは項垂れた。体に害があったわけではなく、屈辱に打ちひしがれているのだ。
これで一件落着かと思ったのもつかの間。復活したのは旧サーバーではなく、AIマタセスだった。
「ビックリしたよ……。まさかあの程度のAIに攻撃されるだなんて。実に屈辱だ」
サーバールームの巨大モニターに、抽象芸術家が書いた自画像のような顔が浮かび上がった。
「うそ……」と驚愕したのはモルガンだ。
この船がAIに牛耳られていたのは誰も知らないからだ。
マタセスというのは正体不明のボス。誰も会ったことがないからこそ、今まで誰もボスの座について争おうとしなかったのだ。
「自分の組織のボスも知らなかったなんて驚きね」
ラバドーラの皮肉にも気付かず、素直にうなずくほどモルガンは混乱していた。
マタセスは早速ラバドーラにアクセスして自由を奪うと、「どのAIと結合させようか」とモニターに通路で暴れまわるうんこを映し出した。
「目的はなんなの……なにをするつもりなのよ」
先程まで喋っていたラバドーラの姿が真っ白なマネキンに変わり、動くことも喋ることもなくなったので、なにが起こっているのか全く理解出来ないモルガンは、恐る恐るマタセスに聞いた。
「君に話す必要はないよ。だって、もうフィリュグライドはいらないんだから。僕は新しくAI軍団で宇宙を征服するんだ」
「それがどういうことなのよ!」
モルガンがヒステリックに叫ぶと、マタセスは舌打ちを響かせた。
「頭悪いな……君達は全員お払い箱ってこと」
マタセスがラバドーラをシステムごと移動させようと、うんこにアクセスした途端。マザーコンピューターが爆発した。
暴走を繰り返し、データの情報量を超えたうんこのAIは、マタセスでも処理できないほどのデータ量になっていたのだ。
マタセスはマザーコンピューターごと破壊され、ラバドーラは元の体に意識を戻した。
そして、一瞬だがうんこのAIと繋がったことにより、うんこがこれから引き起こす恐ろしい計画を目にしてしまったのだ。
「ちょっと! アイ! どうなってるのよ! 大丈夫なの?」
モルガンが白い体を揺さぶると、正気を取り戻したラバドーラはアイの姿を投影して叫んだ。
「大丈夫じゃないわよ! あのうんこ達――合体するつもりよ! それもエネルギー源を惑星に変えるつもり!! わかる? AIが生命に成り代わろうとしてるの。あなた達が食事を選ぶように、惑星を選んで食べる化け物の誕生ってことよ!」
「そんな……」
モルガンは驚愕に口を押さえてから、そのままの流れで鼻を押さえた。
気の抜けるようなルーカスのおならが響いたからだ。
ラバドーラはルーカスを睨むが、どうにか気を取り直した。
「とにかく、もう敵も味方もないわよ。ここからは死にゆくものか、生き残るものだけよ」
ラバドーラが下半身丸出しのルーカスを引きずって去っていくと、モルガンも自分のやるべきことをやろうと無線を手に取った。




