第十七話
「なにがルーカスが――だ! なにがルーカスの――だ! 人の名前を使って好き勝手しおって! まったく……すべてが気に食わん。あまつさえ人をバカ呼ばわりときたものだ。あのポンコツアンドロイドめ!!」
ここにいては話がまとまらないと、ヴーヴァーとラバドーラの双方から部屋を追い出されたルーカスは、独り言をぶつぶつと垂れ流し、見えない空気に当たり散らかすようにずんずんとあてもなく歩いていた。
頭に血が上り、前などまともに見ていないので、なにかにぶつかって転ぶのに時間はかからなかった。
「誰だ! ガラクタをこんなところに置いておいたのは! 言っておくが、今の私はガラクタに厳しいぞ。すぐにスクラップにしてやる!」
ルーカスの大声に反応するものは誰もない。舌打ちを一つ挟んで、再び歩き出そうとしたのだが、また同じものに躓いて転んでしまった。
「一体なんだ!?」
ルーカスが足元に目を向けると、そこにあるのはガラクタではなく、うずくまったモルガンがいた。
「私も……言っておくけど……スクラップにされるのはあなたよ……」
その言葉にはいつもの覇気はなく、涙をしゃくりあげる声が混ざっていた。
「邪魔な女め。こんなところにうずくまって……なにをしているのかね? 膝のシワの数でも数えているのか?」
「泣いているのよ。見たらわかるでしょ! もういいから、あっち行ってよ……」
モルガンは膝の間に顔を埋めたまま、雑に手を払ってルーカスを追いかえそうとした。
だが、これが間違いだった。鬱憤が溜まっていたルーカスはこんなチャンスだと思い、モルガンが弱ってるうちに叩いて地位を築いてしまおうと考えた。ついでにストレスも発散出来ると、自分の案に自画自賛した。
「なんだね……泣いているのか? 涙は弱さの証拠だ。雑魚は涙を流すか、小便を漏らすと相場は決まっている。こんなところで漏らんじゃないぞ。この宇宙船にシーツに書いた地図は必要ないからな」
ルーカスは自分の言葉に腹を抱えて笑った。
誰もが眉をひそめるような嫌味な笑い声を響かせたのだが、卓也と望まぬ別れを告げて消沈中のモルガンは、そんなものに反応している余裕などなかった。
言葉を出せば、そのまま涙が止まらなくなってしまいそうだからだ。
「嫌味を言ったのだぞ。睨むか、泣き喚くのが礼儀だと思うがね。それとも言葉も忘れたのかね? なんなら赤ちゃんの言葉で一から言葉を教え直してやろう。バブバブ、ブーブー、ママパパ、ワンワンだ」
初めはルーカスが消えるまで無視を決め込もうとしていたモルガンだが、あまりにしつこく離れる気配がないので涙目の顔をあげて精一杯ルーカスを睨みつけた。
「卓也と別れたの! これで満足! 笑いたければ笑いなさいよ!」
モルガンの言葉通り、ルーカスは腹を抱えて床をのたうち回って大笑いを響かせた。
「驚きだ!? まさか卓也にフラれる女がいるとはな! 地球人にも――いや銀河を探してもいないぞ! 大記録だ! おめでとう! 君は女なら誰でも発情する男に振られた唯一の女だ!」
指をさしていじめっ子のように囃し立ててくるルーカスをモルガンは睨んだ。
「勘違いしないで私がフッたのよ……」
「フっただ!? フったのに泣いているのか? アホの極みではないか。知らないなら教えてやるが、地球の男は女をフった後、仲間に自慢するんだ。こんないい女だったぞ。でも、あっちの相性が良くなくて別れたとな」
「地球の男って最低なのね……軽蔑するわ……」
「同感だ。まともなのは私くらいだ。ゆえに銀河系を支配し、ルーカス銀河と名付けようとしているのだ。そこでは皆私に敬礼し、神と崇める。私は足の指でパネルを操作し、成り上がってき者を地の底の地位まで落とすのだ。それを特大のスクリーンで眺める。ワインを片手にな」
「それのなにが楽しいのよ」
「人の不幸ほど楽しいものはない。考えてみたまえ。その不幸を自分が作り出せるのだぞ。私は宇宙一良い声でざまぁみろと言える自信がある」
ルーカスに言われモルガンは一人で卓に残された卓也を想像した。周りからの冷ややかな視線。虚しく並ぶ二人分の料理。ざまぁみろと思うと少し気が晴れた。
「まさかあなたに慰められるなんて……人のトイレに聞き耳を立てるような男に……」
「私は慰めたつもりなど一ミリもない。勝手に元気になりおって迷惑だ。もう少しへこんでいろ。センスの良い罵詈雑言が次から次へと湧いて出てくる。ほら、言葉の――なんと言ったか……そうだ肥溜めだ」
「それで汚い言葉ばかりなのね。納得。……普通だったら、良い言葉は泉から湧いて出てくるものよ」
「君も口うるさい女の一人か。まったくもって気に食わん。どうせ次はこうだろう。ルーカスが――ルーカスは――ルーカスなんだから――。もう……うんざりだ! 私の名前を気安く使いおって!!」
自分の名前を使ってあちこち連れ出されるのに、ちっとも出世しないのでルーカスは苛立っていたのだ。
「うそ……私もよ!」
モルガンはまるで同じ境遇で悩んでいるなんてと、驚いて思わずルーカスの手を取って握っていた。
「なんだねこの手は……」と言って、モルガンから手を離されると、ルーカスは汚いとズボンで手を拭った。
「あなたって本当に失礼な男ね……。私のほうがまだ立場が上なのよ」
「漏らした手で握られたら、拭くのが普通だ。君の惑星では舐めて綺麗にするのかも知れんがな」
「漏らしてないわよ! もう……でも、ありがとう。元気になったわ」
追い討ちをかけようとしていたルーカスは、モルガンにお礼を言われて首をかしげた。
「意味がわからん……女の中でも特に頭が悪いと見た」
「いいの、とにかく今度お礼させてよ。食事に行きましょう。言っておくけど、これは命令よ。逆らったら拷問。わかった?」
モルガンは無理矢理約束を取り付けると、軽い足取りで歩き去っていった。
「ルゥーカァース!!」という卓也の怒号が響き渡ったのは、数日後のことだった。
「年寄りだって、そんなに怒鳴らんでも聞こえる……。一体なにかね。私が朝食を食べている間なら聞いてやる」
ルーカスはデフォルトが用意してくれた朝食を礼も言わずに、パクパクと食べ進めた。
「十分! これはなにさ!」
怒鳴って卓也が見せつけたのは、今朝ヴーヴァーが更新したばかりの記事だ。
そこには『恋の敗北者卓也。一方ルーカスは恋も仕事も順風満帆』という見出しと共に、ルーカスとモルガンが二人で食事している写真が掲載されていた。
「これはまた……物好きな女っているのね。だから生命体って無駄に繁殖するのよ」
ラバドーラはルーカスとモルガンが良い仲になっているのを、物珍しそうに眺めていた。
「勘違いするな。向こうが勝手に食事を奢ってきたのだ。何が悲しくて拷問好きの変態女と付き合わなければならんのだ」
ルーカスは心底煩わしそうにため息をついた。
「デフォルトぉ! あんなこと言ってるよ……」
卓也に抱きつかれたデフォルトは、触手で卓也の頭を撫でて慰めた。
「こういうこともありますよ。これに懲りたら、もう少し女性に対して誠実になったほうがよろしいかと」
「なるほど」と事態を把握したルーカスは悪い笑みを浮かべた。「そういうことだったのか」
「どういうことさ」
卓也はデフォルトに抱きついたまま、涙目でルーカスをキッと睨んだ。
しかし、その険しい顔つきも、ルーカスは余裕の笑みで返すだけだ。
「オマエの女と寝たぞ」
「デフォルトぉ! 僕はもう終わりだよ! ルーカスにあんなこと言われるだなんて! 僕……もう……息できない」
「ちょっと……いつ誰が寝たのよ」
いつの間にか現れたモルガンは、心外という顔でルーカスを睨んだ。
「誰かが僕に酸素をくれた!」
倒れかけた卓也は起き上がるが、ルーカスがモルガンの肩を抱いているのを見て、またふらっと倒れ込んでしまった。
床に頭を打ちつけるすんでのところでデフォルトが触手で支えると、卓也を介抱しながら「どういうことですか?」と聞いた。
「私も悪かったのよ。熱が上がって勘違いして盛り上がっちゃって。やっぱり愛し合うなら、一時の感情に流されないようにしないと」
「デフォルト……あんなこと言ってるよ」
卓也は屁理屈をこねられたような顔をしているが、デフォルトにはどう考えてもモルガンの意見のほうが正しく感じた。
「正論だと思いますが」
「愛に正論はないの! 正論なんてあったら、みんな正座して愛を語ってるよ。ベッドもなしに」
「とにかく、いいお友達でいましょ」モルガンは卓也に言うと、ついでルーカスに振り向いた。「今日の時間忘れないでよ。お店はそっちが決める番なんだから」
「なにを言っている。時間など忘れるものか。元から約束などしていないのだ。忘れようがない」
「なら今覚えて。言っておくけど、来ないと特別放送で呼び出すわよ」
モルガンが去っていくと、卓也は絶望の症状で床にへたり込んだ。
それを執拗にカメラに収めるのはラバドーラだ。
「ラバドーラさん。今はそっとしておいたほうがいいかと」
「なんで? チャンスなのに。これをヴーヴァーに持っていけば、私達が望んだ展開になるのよ」
「しかしですね……」
デフォルトは心配になって卓也を見た。ぶつぶつと独り言が止まらないからだ。
「嘘だ……僕が……ルーカスに? なんで? どうして……」
「慰めるわけではないが、私はあんな女ちっともタイプではないぞ」
ルーカスは迷惑しているとため息をついた。
「もう無理!」卓也は床を叩いて立ち上がった。デフォルトの触手を掴むと、出口へと一直線で向かった。
「どうしたんですか!? 卓也さん!」
「もうルーカスなんかといられないよ! 僕は独立するんだ! そのためには、別の部署に行かないと! いいかい? 僕らはもう、ここへは戻らないからね!」
卓也は足音を立てて部屋から出て行ってしまった。
「まるで私の母親だな。酷いヒステリーだ」
ルーカスはやっと静かになったと食事の続きを始めた。
「あなたも食えない男ね」
ラバドーラはルーカスのどこに魅力があるのか全く理解できなかった。どんだけ弱っていても、自分はなびくことはないだろうと自信を持って言える。
「なにを言っている。絶賛食事中だ。食えないのは君の方だ。自分で自分のことを忘れたのかね」
「あなたねぇ……。まぁ、いいわ。とにかくモルガンとよろしくやりなさい」
「アホかね……。なぜ私があんな危険な女とよろしくやらなければならないのだ。なにかあれば拷問をちらつかせるヤバい女だぞ」
「たまにはこっちの計画通り動きなさいよ。別にいいでしょ。しばらく卓也にでかい顔出来るわよ」
「ふむ……それはたまらんな。見たかね? あの絶望の顔を。是非ともポスターにしたまえ。私の部屋の一番見えるところに貼っておこう」
ラバドーラは先ほど撮った画像を見て、自分もルーカスになにかを奪われたら卓也と同じ顔をする気がした。
「とにかくこっちはこっちで動くのよ。向こうは向こうで動くでしょうしね。いや、やっぱりはっきり言うわ。私の言う通り動きなさい。じゃないと、リボンで縛って、メッセージまでつけてモルガンの元に送りつけるわよ」
「私に命令など百年早い。――だが、卓也をもう少し地面とキスさせておくには、しばらくは君の言うとおり動こうじゃないか。楽しくなってきたな!」
ルーカスは皆が自分をどう見るか楽しみにして、部屋を出ようとしたがラバドーラに首根っこを掴まれた。
「ちょっと、食器は自分で片付けなさいよ。デフォルトがいないんだから自分でやるの。カビなんか生えたら困るでしょう」
「なぜ私が」
「私はルーカスの家政婦じゃないからよ。お尻にあざを作るより、食器を片付ける方がいいでしょ。意地を張ると便座にも座れなくなるわよ」
ラバドーラが蹴る練習をするのを見て、ルーカスは渋々食器を片付けた。
「ポンコツめ……モルガンがまともに思えてくる」
「よかったわ。私にとっては朗報ね」
ラバドーラはルーカスに食器を片付けをさせ、ついでに掃除をさせてから部屋を追い出した。




