第十三話
「来たか、ルーカス。さぁ、君も入りなさい」
ボルドンはルーカスとデフォルトを部屋に迎え入れた。
怒っているような雰囲気は感じられず、むしろ歓迎の雰囲気に溢れていた。
「話というのは?」と、ルーカスは恐る恐る聞いた。
「今回の記事は素晴らしかったと直接伝えたかったんだ」ボルドンは笑顔で言うと、ルーカスにだけ聞こえるように「裏でこそこそ会ってばかりだと怪しまれるからな」とつぶやいた。
「いやー……なにか不備があったのかと……」
「なんだ? 罰でも与えられると思ったのか? そんなことするわけがないだろう。安心しろ。君がしっかり仕事をしているあいだはな」
「安心したら急に……」
ルーカスは両眉を寄せてお腹を押さえた。緊張の糸が切れるのと同時に、お腹がぐるぐる鳴り出したのだ。
「トイレなら部屋の奥の角にあるドアを開けたらすぐだ。君の体を見るに……使いにくいかもしれないが……まぁ、大丈夫だろう。遠慮なく使ってくれ」
トイレの場所がわかったルーカスは自己満足の敬礼をすると、急足で部屋の右奥のドアへと向かった。
中には便器らしきものが見つからなかったが、座るように出っ張っている板を見て、これがトイレだと判断した。
「さすがは最新式のトイレだ……」
ルーカスがズボンのベルトを外すのに苦労している頃、デフォルトはボルドンと話をしていた。
「そうか……君達は諜報のスペシャリストというわけではないんだな」
「そうです。えっと……宇宙を彷徨う小悪党でしたが、フィリュグライドの噂を聞いて、近くにいるのなら仲間に加えてもらおうと」
ここに来るまでの経緯を聞かれたデフォルトは困ったのだが、適当に今まで起きた事件――ルーカスがまだ知的生命体と呼べない生命がいる惑星を支配しようとしたことや、卓也が起こした女性関係のいざこざなど。過去の出来事を少し言葉を変えて話すだけで立派な犯罪経歴になってしまっていた。
自分で話していて、過去に起こしてきた騒動はどれも犯罪スレスレだとデフォルトが落ち込んでいると、勘違いしたボルドンは大笑いをした。
「そう落ち込むな。軽犯罪でも立派な犯罪だ。なかなか見所があるぞ。そうだな……いいものを見せてやる。ちょっとここで待っていろ」
ボルドンは自分の過去の犯罪経歴を見せようと、データを取りに部屋を出ていった。
そのすきにデフォルトはルーカスが入っているドアに急いで向かった。トイレットペーパーがないとなると、また騒動になると思ったからだ。
「ルーカス様? もう出しましたか? 必要ならすぐにトイレットペーパーを持って来ますので、くれぐれもおかしな行動はしないでくださいね」
「安心したまえ。私が何度も同じ状況に追い込まれると思っているのかね。常に肌身離さずにワンロール持ち歩いているのだ」
ようやくベルトを緩めたルーカスは、ズボンとパンツを同時に勢いよく下ろすと、少し高めの便座に後ろ向きにジャンプして飛び乗った。
てっきり温かい便座が迎え入れてくれるだろうと思っていたのだが、眩い光と氷のような冷たさがルーカスの尻を襲った。
思わず「痛い!」と飛び降りるのと同時に、ルーカス便座だと思っていたデスク型の機械からアナウンスが流れた。
『認証システム作動。肛門をスキャン。新たな生体認証を登録しました』
「ルーカス様!?」
何事かと、デフォルトは慌ててドアを開けた。
するとそこには、スキャン画面に肛門を押し付けているルーカスの姿があった。
まさか便器と機械を間違えるなんてと、めまいに襲われたデフォルトだが、なんとか触手を気張って踏ん張ると、大慌てでルーカスを下ろした。
「私はなにもしとらんぞ!」
「今はとりあえず、この場から離れましょう」
下半身丸出しのままのルーカスを部屋から引きずり出すと、コンピューターはシャットダウンして光を失っていた。
そのことに焦る暇なく、ルーカスが「大群が門を突破しようとしている」と力なくつぶやいたので、デフォルトは左の角部屋の開けてトイレがあるのを確認して、素早くルーカスを押し込んだ。
デフォルトの安堵のため息とルーカスの安堵のため息は、ドア一枚を隔てて同時に響いた。
とりあえず、ルーカスが上司の部屋を脱糞で汚すことは回避出来たのだ。
問題は右の部屋で起こった生体認証なのだが、そのことを考える時間はなかった。ボルドンが戻ってきたのだ。
「待たせたかな? 個人データは自分のものでも、自室でアクセス出来ないようになっているんだ」
「それは大変ですね」
デフォルトは部屋のこととルーカスのことで気が気じゃないながらも、適切な相槌を返した。
「面倒臭いが、またあんなことがあっては大変だからな……」
「あんなこととは?」
ボルドンはしまったという顔をすると「すまんが、今の話は忘れてくれ」と言った。口調は優しいものだったが、命令だと言うような強い声色だった。
「……わかりました」
デフォルトは重々しく頷くと、ボルドンは重大さが伝わったと満足して笑顔を見せた。
「まぁ、右の部屋に入らなければ……」ボルドンは気付いた顔で右の角部屋のドアを見て「ルーカスはどこだ?」と聞いた。
その一言はデフォルトの血の気を引かせるには充分だった。次に出る言葉次第では、有無を言わさず殺される。そう確信出来るほどの迫力があったからだ。
そんな緊張感あふれる空間は、トイレの水が流れる音で一気に緩んだ。
ルーカスはドアを開けてボルドンの姿を見つけるなり「いやー水洗とはわかっておりますな」とお世辞を言った。
「そうだろう? 生まれは水ばかりの惑星でな。水洗じゃないと落ち着かないんだ」
ルーカスが左のドアから出てきたことによって、ボルドンは右の部屋には入っていないと思い柔和な笑顔を浮かべた。
「良い趣味で」
ルーカスはあからさまな良い作り笑いを浮かべた。
「トイレもいいが、このデータを見ろ。オレがまだこの船に来たばかりの頃のだ。なにも知らない田舎惑星の小坊主でな。なんとか名前を売ろうとだ」
ボルドンの昔話兼自慢話は、ルーカスの大袈裟な相槌が挟まれることによって熱を増していった。
デフォルトは何日も寝ずに過ごしたかのような疲労に襲われて、その話をなに一つ覚えていなかった。
ルーカスが媚びを売り、デフォルトが疲労に襲われているあいだ。
卓也は一人の女性と仲良く話し込んでいた。
「うそうそ」
卓也が人懐こい笑みで言うと、女性も同じなよう笑みを浮かべた。
「ほんとよ」
「うそだって」
卓也が彼女の体をつつけば、向こうも卓也の体をつつき返した。
「本当だってば」
「本当に?」
「本当だって言ってるでしょ」
「じゃあ、証拠を見せてよ」
「ここでは証拠を残しちゃいけないのよ。楽しかったわ。また話しましょ」
女性は卓也を上手にあしらうと、息抜きが出来たとご機嫌で去っていった。
その後ろ姿に手を振って見送りながら、卓也は「困ったなぁ……」と呟いた。
「なにが困ったの?」
「君に会いたかったのに、見つからなかったから。でも、もう見つけたから困ってないよ」
卓也振り返って、声の主のモルガンに笑みを見せた。
しかし、モルガンは「そう……」と冷たく返した。「随分仲が良さそうだったけど?」
「そうだよ。ファンの子とは仲良くしないと」
「最近データ管理室に入りたがってるって噂になってるわよ。あまりよくない噂で」
「僕が? まさか」
卓也がおどけると、モルガンはタレコミで送られてきた音声を流した。
それには、卓也の声でデータ管理室に入りたいという旨の言葉が入っていた。
「わかった認めるよ。どうしてもデータ管理室に入りたいんだ」
「教えといてあげるわ。ここで個人情報を盗み見ようなんて利口じゃないわよ。バレたら私の拷問室行きよ。そうさせないでね」
「正直に話すよ……。僕のデータを確かめたいんだ」
「自分のデータ? そんなのIDあれば見られるわよ」
「違うんだ。データは正しいデータじゃないと。ほら……わかるだろう?」
卓也は自分を見てと両手を広げた。
「背の低さなんて気にすることないわよ。とても可愛いわ。それにセクシーよ。知らないの? 私の惑星では、女に抱きしめられて全身包まれるくらい小さな男が人気あるのよ」
「……参考までに、その惑星ってどこ?」
「もうないわ。資源を取り尽くしたせいで廃惑星になったから。問題が解決したなら、もうデータ管理室に入る必要はないわよね?」
「いいやある。見てよ」
卓也は同じように両手を広げた。
「身長じゃなくて?」
「長さは長さでも縦に伸びる方じゃなくて、正面に伸びる方。例えば、僕は必死に抑え込んでるのに、わがままに君に近付こうとしてるもう一人の僕」
モルガンは卓也の顔から股間へと視線を移すと、恥ずかしそうに顔を両手で覆った。
「その……よくわからないんだけど……男の人ってやっぱり気にするものなの? その……あの……あれの大きさとか」
「当然。でも、ここでデータを撮られる時は寒かったからね。適正の大きさじゃないままで計測されたんだ。それっておかしいだろう? 等身大の僕じゃないんだ。このままだと嘘の情報を入力したことになる。もしもの時に言い訳できないよ」
「わからないけど……男の人ってそこまで計測するのね……。そうね……そういうデータは他の人に知られたくはないわよね……うん……そうね。うん……」モルガンはしばらく自己確認するように頷きながら独り言を呟くと「わかったわ! 特別に許可してあげる」と卓也の手を握った。
「うそ! 本当に?」
「本当よ」
「本当って本当?」
「本当だってば」
「でも――」
「本当よ。知り合いに頼んであげる。ただ、無理なお願いだから私が隣で操作することになるけどいい? その……あなたの個人情報が全部バレちゃうけど」
モルガンが実際不可能な頼み事を無理にでも引き受けたのは、卓也の個人情報を見るチャンスだからだ。
少しでも多くの情報があればアイという恋敵に負けることはない。少なくとも、二人が宇宙船で過ごしていた期間のハンデは取り返せると思ったからだ。
「全然構わないよ。君に知られてまずい秘密なんてないからね」
「なら行きましょう。こういうのは早くちゃっちゃと済ませる主義なの。私はね」
そういってモルガンが連れてきたのは、個人情報があるデータ管理室だ。
この宇宙船では、いくつもデータ管理室があり、細かくデータを分けて保存してある。
システムの変更があったのは割と最近だ。とある事件から、誰もシステムにアクセス出来なくなってしまい、大急ぎで新規システムを作ったせいで色々不備が起きて混乱を招いてしまった。
そうならないように、それぞれ管理室に責任者を置いて厳重にロックされている。
過去のデータは廃棄したわけではなく、保管されたままだ。破壊してゴミにしたとしても、どこかに復元できる高技術を持つ知的生命体がいれば、フィリュグライドの内情が全て露呈してしまう。なので、捨てるに捨てられずにいるのだ。
そんな厳重なセキュリティーのデータ管理室に、モルガンは責任者と一言二言話すだけで簡単に入ることが出来た。
モルガンはコンピュターにアクセスすると「あなたの名前を検索するわね」と、卓也のフルネームを入力し始めていた。
しかし、卓也の名前は出て来ない。それもそのはず、卓也達は正式な審査を受けてフィリュグライドに入ったわけではないのだ。
「おかしいわねぇ……。あなたの惑星って超特殊な宇宙文字を使ってるとか?」
「さぁ、どうだろう。そんなことないと思うんだけど」
卓也はここへどう来たのかなどすっかり忘れていたので、モルガンと一緒になって首を傾げた。
拷問のプロのモルガンも、それを見て卓也は嘘を言っていないと信じた。
「仕方ないわね……生体認証で検索するわ。そこに手を置いて」
卓也が「はーい」と子供のように無邪気に言いながら手を置くと、急にモニターの画面が歪んだ。
そして、エラーという文字が出た。
「もう、急ぎ仕事のシステムのせいでまたよ……」
モルガンは管理者に文句を言いに行ったのだが、不思議なことに彼女が戻ってくる前にもう一度モニターの画面が歪んだ。
そして管理者がモニターを見て「壊れてないぞ」と言った。「最近急に人が増えたからな。アクセスに時間がかかったんだろう。ほら、みろプロフィールが乗っている」
画面には卓也のプロフィールが表示されていたのだが、どれもデタラメだった。出身惑星がpーMO1Fという聞いたこともない惑星になっている。
卓也はおかしいと思いながらも、モルガンに早くしてと急かされたので自分の股間のサイズを変更した。
変更が終わり、次に会う約束を取り付けて自分の居場所に戻った卓也は「あれ? なんで僕は僕のサイズを変更したんだっけ?」とマヌケに一人つぶやいた。
「それは、あなたが私のデータを削除するためよ」
ラバドーラに言われ、卓也は振り返ったがそこには姿はなかった。
透明になっているのかと思い、なにもない空間に手を伸ばすがなにもない。
「私はここよ」
そういって姿を表したラバドーラは手だった。
いつの間にか、手だけが卓也のベルトを掴んで透明化していたのだ。
「わお! こんなこと出来るんだ」
「ここで少しだけ改造したの。出来ることは限られてるわよ。音声のやりとりとデータにアクセスするくらい」
そう言うと、中指の先端が割れてコードが出てきた。
そして器用に五指歩行で物陰に入ってくると、本体とドッキングしてアイの姿のラバドーラが出てきた。
「省エネモードになっていたのよ。管理室に入るなら、手だけの方が怪しまれないしちょうどよかったわ。スキャンされても、電気工具を持っていると思われるでしょうしね。それにしても困ったわ……」
ラバドーラの言葉には二つの意味があった。
一つは省エネモードを駆使しないといけないほどエネルギーを使ってしまっているということだ。ここでは少量ならばエネルギー補充は容易にできるが、一度大きくメンテナンスをしなければならないということだ。エネルギー消費が多くなったのは、体のヒビを誤魔化すために投影の光を強くしているせいだ。これを続けていれば、投影機にガタがきてしまう。
もう一つは、ラバドーラのデータは古いサーバーの中に保存されているということ。
さっき管理室のモニターが歪んだ時一瞬だが、古いサーバーが動きだしたのだ。
その結果、二つのマザーコンピュターが主導権を取ろうとしてしまい、一瞬全サーバーに不具合が生じた。
しかし、古いサーバーはすぐにシャットダウンしたのでことなきを得た。
その間無防備になったサーバーにラバドーラは、自分を含めて四人のデータを適当に放り込んだのだ。
これでひとまず安心だが、ラバドーラも自分のデータが残ったままでは困る。フィリュグライドと同じ理由だ。誰かにデータを利用されては困る。
どうにかして、古いサーバーにアクセスする必要があるのだが、なぜサーバーが稼働したのかもわからない。
新たな問題にラバドーラは頭を抱えるしかなかった。




