第八話
飛び交う口笛に下品なジョーク。嫉妬にまみれた陰口と憤りのつぶやき。
そんな下卑た喧騒の中をモルガンは、意に介さず颯爽と歩いてきた。
下層セクターの下働き達の言動など、ペットショップのゲージの中で暴れ遊ぶ小動物と等しいからだ。吠えようが媚びようがゲージの中からは出てこられない。買うも買わないも権利は自分にある。
だが、それはただ一人を除いてだ。
周囲には目もくれずつかつか歩くモルガンは卓也の姿を見つけると、高鳴る鼓動にシンクロするように足を早めた。
そして、卓也に声をかけようとした瞬間。ラバドーラの姿も目に入ってきたので、思わず顔を歪めてしまった。
しかし、それも一瞬だけ。すぐに表情を作り直し、卓也ではなくラバドーラへと向かって手を振った。
「うそ、やだ! 偶然ね。元気してた?」
まるで数年来の友人と再開したような口ぶりで近づいてくるモルガンに、ラバドーラは不信感しか湧いてこなかった。
「偶然ね……。あなたが現れると、BGMが鳴るのも偶然なの?」
ラバドーラは天井のスピーカを指して言った。そこからは、まだ特別警報が鳴り響いているからだ。
「ゲームだとBGMが切り替わる時は、新たなイベントが起こる時だ」
卓也は二人の間に割り込むと、期待を込めた瞳で両方の顔を見た。
紹介してほしいというのは誰の目にも明らかだったのだが、ラバドーラは関わってなるものかとだんまりを決め込んだ。
しかし、卓也にとっては話の取っ掛かりがほしかっただけで、ラバドーラに援護して貰う必要などなかった。
そしてそれは、モルガンも同じだった。
「私も同じ音が聞こえた。不思議ね……。あなたのことをなにも知らないのに、まるで同じ意見」
隣で堂々と嘘を付くモルガンに、ラバドーラはなにを言っているんだと呆れていた。
「僕もだ。君の名前さえ知らないのに、もう相性がいいことがわかってる。これも同じ意見?」
卓也はモルガンの手を取ると自己紹介をした。
「私はモルガンよ」
名前を聞いた卓也はこれぞ待ち望んでいた展開だと胸を躍らせた。
「君が!? あのモルガン? アイさんからよく聞いてるよ」
「アイは誇張して話すから……どうかしら」
モルガンは卓也から見えない角度でラバドーラを睨みつけた。
余計なことを言っていたら覚えていろという殺意の瞳だ。
「誇張だなんてとんでもない。言葉通りだよ。綺麗でセクシーで、それでいて清楚だ」
「あら……あなたもよ。アイから聞いていた通り、セクシーでキュートなお尻をしてるわ」
「もう勝手にやって……」
ラバドーラは自分をだしに勝手に盛り上がる二人に付き合っていられないと、この状況を理解できずに固まるデフォルトを連れてこの場を離れることにした。
「あの……警報はなんだったのでしょうか」
持ち場に戻り、仕事を始めだしてから、ようやくデフォルトの脳は動き始めていた。
「このセクターの住人の動きを止めるためでしょ。動かれたら、お目当ての卓也を探すのも一苦労だから」
「まさか、卓也さんはもう目をつけて、手をお出しになられたのですか?」
「逆よ、手を出されてるの。目をつけられてるのは私。なんにせよ厄介なことに変わりないわ」
そんな事を言いながらも、ラバドーラは内心ホッとしていた。
とりあえず卓也とモルガンが出会ったからだ。お互いの印象も悪くはない。
あとは卓也が口説き落とし、モルガンを良いように利用できるようになればラバドーラの目的は完了したようなものだった。
「厄介なことと言えば……ルーカス様がどこへ行ったかわかりますか?」
ルーカスは昨日からデフォルトの前に姿を現していなかった。
床に大穴を開けて去っていった時から一度も目にしていない。
「見てないわ。心配しなくても、なにかやらかしてたら伝わってくるわよ。問題を起こしたら九割九分大事になるんだから」
「なので心配なのですが……」
デフォルトは気を揉みながらも、ここではルーカスが問題を起こしたほうが良い結果に転がるので、どこか期待もしていた。
フィリュフライドの宇宙船から脱出するには、ルーカスの出世が欠かせないからだ。
しかし、こんな時に限ってルーカスが問題を起こす頻度は減っていた。
床に大穴を開けた件も大事にはならずに済んでしまった。
いつものデフォルトなら喜んでいたのだが、今回はもう少し場をかき回して欲しいと思ってしまっていた。
そんな時に「大変だよ! デフォルト!」と卓也が駆け寄ってきたものだから、デフォルトはなにか事件が起きたのだと思った。
「どうしました?」
振り返ったデフォルトの顔を見て、卓也は一瞬たじろいだ。
「……なに笑ってるの?」
「笑ってましたか?」
「凄い満面の笑みだよ。デフォルトが野生の獣で、威嚇して牙を見せてるなら別だけだけど。喜ぶのは次の話を聞いてからにして。僕ら三人と、モルガン達三人と食事をすることになったよ!!」
卓也はどうだと言わんばかりに両手を大きく広げて言った。
予想外のことに、デフォルトは「はぁ……」と気の抜けた返事を返した。
「デフォルト……そんなんじゃ、ベッドに誘えないぞ。せっかく食事会をセッティングしたっていうのに。それも、お色気むんむんの秘密セクシー部隊の三人だぞ。フェロモン濃度で窒息すること間違いなし」
卓也は鼻から思いっきり空気を吸い込むと、恍惚の表情を浮かべてゆっくり吐き出した。
「……フェロモンは感じましたか」
デフォルトは呆れていた。
ここセクター五ではマイチにシャワーを浴びて清潔を保つ人は少なく、あちこちから異臭を放っているからだ。
「全然。ここは酷いもんだよ……雨の日の野良犬の臭いがするもん。でも、僕の鼻孔には彼女の残り香が……」
「そんなことより、大丈夫なんですか? 特殊隊との食事会だなんて……。身分の差がありすぎて危険だと思いますが」
ここでは上からの命令は逆らえないと教えられているので、たとえ食事だとしても安易な接触は危険だとデフォルトは思っている。
しかし、ラバドーラが「よくやったわ」と拍手をして肯定するので、デフォルトも賛同するしかなかった。
今更断るとなったとしても、自分ひとりではその理由を考えつくことが出来ないからだ。一度した約束を反故にしたほうが、事を大きくしてしまう可能性が高い。
騒動を起こしてほしいと思ってはいるが、それは上といざこざを起こすということではでない。
あくまで自分達と同等か少しだけ上の人達と揉めて、ルーカスの悪事で乗り切る。そして、更に上の立場の人に認められ、拾い上げてもらうのが理想だ。
男女の感情を利用するのはこじれやすいとデフォルトは不安だったが、ラバドーラが賛同するならなにか手はあるのだろうと思っていた。
「自分は上手くエスコート出来ませんよ。そういう感情が乏しい星で生まれたましたから」
「大丈夫だよ。大事なのは頭数を揃えること。あぶれ者はなし。向こうは三人。こっちも三人」
卓也は自分から一として数え、二はデフォルト。そして三ではラバドーラを指した。
「ちょっと……三人目はルーカスでしょ」
「僕が大事な場所にルーカスを連れて行くほどマヌケだと思ってるわけ? 連れってたらどうなるか……」
「でも、私は女よ」
「わかってるよ。君は最高の女性だよ。でも、僕の次くらいにイイ男にもなれるでしょ」
「あなたねぇ……なにを考えてるのよ……」
「今はモルガンをベッドに誘うことだけ。だって彼女、特殊隊のリーダーなんだよ。なんなら、ガラス張りの部屋で夜を明かして周りに自慢したいくらいだよ」
「そのことを言ってるんじゃないわよ」
「わかってるよ……。なんなら一緒に楽しむ。アイさんなら大歓迎」
ラバドーラは卓也の胸ぐらをつかんで引き寄せると、アイの姿のまま顔だけをルーカスに変えて睨んだ。
「私が目立ったら困るのよ。なんであなたにモルガンを口説くように言ったか、もう忘れたわけ?」
ラバドーラは卓也にだけ聞こえるように小さく囁いた。
自分のデータをこの船から消そうとしていることがデフォルトにバレると、口を出されてしまいややこしくなることは目に見えているからだ。
「覚えてるよ。だから、その顔でアイさんの声はやめて……。僕は手伝ってって言ってるの。僕がこんな頼みごとをするなんて滅多にないんだぞ。女の子を口説くから一緒にどう――だなんてさ。もし断るのなら、僕に気が合ってヤキモチを焼いてるってことになるけど?」
「わかったわよ……」
「それでこそ僕の愛したアイさんだよ。寂しい夜はいつでも呼んで、今日の借りにいつでもベッドで温めてあげるから」卓也は忙しくなるぞと、手をパチンと打ってから走っていったが、すぐに走って戻ってきた。「寂しくなくても呼んで。熱帯夜でも全然オッケー」と言い残して、再び走り去っていった。
「どうするんですか?」
「どうするもなにも、付き合うしかないでしょう……。口説いてベッドで相手をしろと言われているわけじゃないんだから。どうとでもなるわ」
「それを言われたら自分も困るのですが……。今はそのことではなく、前に記録メモリ整理をしていましたが、投影できる素材は残っているんですか?」
デフォルトに言われ、ラバドーラはしまったと数秒フリーズした。
投影できるのはアイの姿と、普段一緒に生活している卓也とルーカスくらいだった。
「自分を投影して双子ということにしますか?」
「それは無理よ。私の体は五体。デフォルトのように縦横無尽に触手が動くような生物を投影するのには向いていない。突っ立てるだけならともかく、決まった動きしかできないから不自然になってしまうのよ」
「なら、その姿でも問題はないのではないでしょうか。お綺麗なので受けはいいと思いますよ。雌雄価値観があると決まったわけでもありませんし」
「それも無理。向こうは私を卓也の取り巻きくらいに思ってるの。この姿でのこのこ出ていたら、なにをされるかわかったもんじゃないわ」ラバドーラは排熱のため息を一つすると「仕方ないわね……あなたが理想の男性像を作るのよ」と言った。
「自分がですか?」
「そうよ、今から卓也かルーカスの姿を投影するわ。そこから整形していくの別の顔、別の体にね。私は生物学には詳しくないから、不自然がないようにデフォルトが姿かたちを指定するの。いいわね」
ラバドーラはデフォルトを物陰へ引きずり込むと、アイの姿をやめ真っ白なマネキンの体へと戻った。
「それでは……卓也さんと重なるとまずいので、ルーカス様の姿で」
「自分で言いだしたことだが、この姿になるのは実に苦痛だ。そうは思わんかね?」
ルーカスの姿を投影したラバドーラは口調までルーカスになっていた。
デフォルトはルーカスに言ったのかラバドーラに言ったのかわからない。「長身でお素敵ですよ」というお世辞を言うと、体をじっくり眺めて「ルーカス様は線が細いので、逆に筋肉をつけてたくましい体にしましょう」と提案した。
「こうかね?」
「もう少し足を長くしたほうがバランスがいいかと」
「これでどうだね?」
「あぁ! やりすぎです! もう少し……そう……それくらいで。それと、声色も変えたほうがいいかと。自信家なのはいいと思いますが、少し高圧的過ぎるので」
いつの間にかデフォルトもノリノリになって、ラバドーラにあーでもないこーでもないと注文をつけていった。
「気さくさを感じられる白い歯、笑うと子供のような無邪気さがあったほうがいいですね」
「卓也だって、女を探す時にここまで注文をつけないぞ……。まさか、この姿の男に惚れてるんじゃないだろうな」
「ある意味では惚れていますね。人間として大好きな人ですから。――あぁ……待ってください。もう少し三角筋は盛り上がっていたほうがいいかと。それでは膨らみすぎです。見せるための筋肉より、機能的な筋肉をしているはずです。そうです! それです! ……懐かしくて思わず涙ぐんでしまいますよ……」
デフォルトは自分が思い浮かべる理想の人間をラバドーラに投影させると、鼻をすすって感慨に浸った。
「これでいいのか? 本当に?」
「えぇ……完璧です。あの時はお世話になりました」
デフォルトは本人でもないのに、ラバドーラに向かって深々と頭を下げた。
その時。卓也が「見て見て! 良い匂いのする石鹸を手に入れてきたよ」石鹸を持った手を振りながら戻ってきた。そして、男の姿を見て驚愕した。「ハワード!?」
「そうです。『ハワード・ルイス』さんです。方舟一タフガイの」
「それって……僕が一番キライなハワード・ルイスのこと言ってるの」
「彼はいい人でしたよ」
「絶対ダメ……今すぐ変えて」
「無理だ。もうメモリに記録してしまったからな。しばらくは我慢してくれ。見慣れたらそう悪くない顔だと思うぞ。自分で言うのもアレだけどな」
ラバドーラは卓也の肩を組むと、ニカッと笑ってみせた。
「あぁ! その笑顔! その喋り方! 蕁麻疹でちゃうよ」
「ご不満ならルーカス様を探してきましょうか」
卓也はルイスを見てルーカスを思い浮かべると、諦めのため息をついた。
「エイミーの時のみたいに、彼女を夢中にさせたら承知しないからな。たかが世界記録を出したくらいではしゃいじゃって。みっともないったらありゃしなかったよ」
卓也はブツブツ文句を言いながらこの場から離れた。ルイスの顔なんて見たくもなかったからだ。
「この姿は使えるな。しばらく記録したままでもいいかも知れないな」
対卓也用の武器を手に入れたと、ラバドーラは喜んでいたが、デフォルトにルーカスの敵でもあると教えられると、それは厄介なことになると簡易保存に留めておくことにした。




