第七話
警備はなく、監視システムはあってないようなもの。
ラバドーラはこの宇宙船のズボラさに呆れていたのたが、別のランクのセクターへと通じる扉近くだけ、異様な空気に包まれているのに気付いた。
蟻の一匹も通さない電磁波センサーの横には、殺傷目的のためのレーザーが備え付けられている。
不用意に近付けば、すぐさま正体がバレて塵にされることだろう。
あそこを通り抜けるには一苦労だと遠巻きに見ていたラバドーラだが、急に電磁波センサーが消えたので、思わず身を乗り出してしまった。
扉が開き現れたのはヴーヴァーだ。
鼻歌まじりにのんきに歩いてきたかと思うと、ラバドーラの姿を見つけて「よう」と声をかけた。
「……なんなの?」
「ようは挨拶だ。他にも、はいとか、やぁとか、うぇーいとかがある。なんならうぇーいにするか?」
ヴーヴァーが拳を突き合わせようとしてくるが、ラバドーラは手で払い除けた。
「あそこの機械警備をどうやってすり抜けたのよ」
ヴーヴァーは答えるより先に、ラバドーラの肩を馴れ馴れしく掴んだ。
「それはオレが出来る男だからだ。これが証拠だ」
ラバドーラが見せられたのは特別なIDカードだ。これ一つあれば、宇宙船内の施設八割は自由に出入りできるもので、本来ならば幹部職か実行部隊の隊長クラスでしか持つことが出来ない。
なぜヴーヴァーがそれを持つのが許されたかと言うと、作ったネットワークコミュニティサイトが高く評価されたからだ。
受け持ちのセクター五だけではなく、様々なセクターの記事を掲載できるように権限を与えられたのだった。
「今、皆この『セクター五交流の場』に載りたくてしょうがないらしい。さぁ、忙しくなるぞ!」
ヴーヴァーはやる気に満ち溢れた声で吠えるように言うと、決意の拳を高く掲げて去っていた。
その後姿を見送りながら、これは使えるコマが増えたとほくそ笑むラバドーラの背中に悪寒のようなものが走った。
そして、すぐに「何を考えているのかお見通しよ」と刺すような声が聞こえた。
振り返ったラバドーラの目に入ったのは背の高い女性の姿だ。
コンパスのように長く細い手脚。ラバー製のような強靭で張りの良い胸。そして、なにより特徴的なのは、小さな顔の八割を埋める大きな単眼の瞳で、それが鋭く睨みを効かせている。
「なんのことかしら?」
ラバドーラは悟られないように表情一つ変えずに聞いた。
「いい? 勘違いしているようだから先に言っておいてあげるわ。卓也は私の男よ」
七本指の中で一番長い、他の指の倍近くある右から三本目の指の先をラバドーラに向けた。
「……なんのことかしら」
予想外の言葉に、ラバドーラは急にモーターが止まって体の力が抜けるのを感じた。
「知ってるのよ。卓也の女房面して甲斐甲斐しく面倒を見ている女がいるっていうのは。それがあなたでしょ」
「勘違いしないでもらえる? あんな男なんとも思ってないわよ。……そもそも誰なの? あなたは」
「モルガン・ボンよ。この船で私に逆らうってことは、それ相応の痛みを伴うってことを覚えておくことね」
モルガンは急にラバドーラの腕を掴むと乱暴にひねり上げた。
人間ならば、のたうち回るほどの激痛が関節に走っていただろう。
しかし、ラバドーラはアンドロイド。関節はベアリングが使用されているので、ひん曲がることはないし、硬いボディは少し力を入れたくらいではびくともしない。
それに加えて表情一つ変えないので、モルガンは驚いて口をぼけっと開けていた。
「覚えておくわ。あなたが痛い奴だってことはね」
ラバドーラが煽るような笑みを口元に浮かべると、モルガンは羞恥に瞳を充血させた。
「生意気なのね。少しくらい体が頑丈な星人なんていうのは、この宇宙船には山ほどいるわ。すぐに弱点を見つけてあげる」
モルガンは放り投げるように乱暴に手を離した。
「その大きな目も役に立たないのね」ラバドーラはバカにして肩をすくめて「眼球が大きすぎて、脳みそを詰めるスペースが少ないからかしら」とあざ笑った。
「大きな口を叩けるのも今だけよ。すぐに後悔させてあげるから」
詰め寄るモルガンに、ラバドーラはため息まじりに言った。
「大きな目を開けていられるのも今だけよ。悔しがる姿が目に浮かぶわ」
ラバドーラはフラッシュを焚き、モルガンの目が眩んでいる間に、アイの姿を投影するのをやめて、後部カメラでバックの映像を取り込み、透明な姿になった。
モルガンが目を開けた時、ラバドーラの姿は一瞬にして消えたように見えた。
「どこにいったの!? ……逃げたわね」
モルガンはため息と舌打ちをつくと、特別なIDカードをかざして扉を開けた。
ラバドーラはその後ろをついていく。
IDカードを使って扉を開く時は、全ての電磁波センサーが停止することがわかった。様々な星人がいるので、害になる電磁波もあるからだ。
モルガンに声をかけられる前に感じた悪寒のようなものは、周囲の電磁波が全て消えたせいだ。それに気付いたラバドーラは、早速試してモルガンの後をつけることにしたのだ。
もっと上のランクのセクターでは使えない手だが、中層、下層をうろちょろするには十分だった。
モルガンは足早に通路を歩いていくと、IDカードを使ってある部屋の中へ入っていた。
妙な熱気と、甘ったるい匂いがする部屋だった。
「卓也に会いに行ったんじゃなかったの?」
ボールに顔を描いたような姿の女性が聞くと、モルガンは長く息を吐いた。
「聞いて、『ポニポニ』。会いに行こうとしたら、女が見張ってるの。あれは恋人というよりストーカーよ」
「よかったじゃない。ストーカーなら入り込む余地は十分あるわよ」
「あんなのの間に入り込んだら刺されるわよ……。あれは絶対やる顔をしてたもの。怖いったらありゃしない」
モルガンがため息をつくと、丸い体のポニポニは水たまりのように薄くなって広がり、また丸まってモルガンの目の前まで移動した。
「拷問のプロが泣きを入れるの? 男が泣き叫んでもやめないくせに」
「そうよ。泣き叫んで漏らしてからが本番だって、いつも言ってるじゃない」
毛のないキツネのような顔をした女性が目を細めて笑った。彼女の体は芋虫のようで、いくつもある小さな手をわちゃわちゃと動かしてモルガンを茶化した。
「『チベスナ』、私はセクター五に行ったのよ。そんなところ卓也様に見られたら、生きていけないもの」
「皆モルガンのその残虐な姿が好きで投票したのよ。ついていきたい支配者モルガン。男人気ナンバーワン。皆なじられて、踏まれたいの」
「彼がそんな趣味じゃなかったら?」
モルガンは大きな目を細めると、まるで箱入りの乙女のようになよなよして首を振った。
「男は皆マゾよ。向こうが攻めてると思っても、結局は女の手のひらの上で踊ってるの。みっともない格好してね。可愛いもんよ」
チベスナは芋虫の体を目一杯伸ばして背を高くすると、モルガンを男に見立てて見下した。
「チベスナ、違うの。今回はそいうのじゃないの。この気持は愛なの。彼が欲しいの。初めてよ、こんな気持ち――ちょっと……ポニポニ邪魔しないで」
胸に手を当てて自分に浸るモルガンを、ポニポニはスライムのように柔らかい体で包んでいた。
「愛を教えてるのよ。男はこの柔らかい体に包まれると、気持ちよくて何でも喋っちゃうの」
「窒息するからでしょ……。だいたい愛って言うのは……――そうよ! アイよ! アイ。あの女がいたの!」
モルガンはポニポニの体から泳ぐように抜け出すと、そのままの勢いで壁を叩いた。
鬱憤が爆発したその衝撃は、部屋を大きく揺らした。
「また話を最初に戻すの? アイってあなたに次ぐ勢いで、票を伸ばした女でしょ? やっぱり卓也の女だったの? 朝は優しく起こして、料理も作って、寝る前に本まで呼んであげるって。甲斐甲斐しく男の世話をする女でしょ」
「さっきも言ったでしょ、嫌な女よ。きっと彼の前では本性を出してないに決まってるわ」
それからも三人の話は部屋でずっと続いたので、ラバドーラは帰ることが出来なくなっていた。
ようやくセクター五に戻れたのは翌日になってからだ。
戻るなり、ラバドーラは寝ている卓也の胸ぐらをつかんで乱暴に起こした。
「あなたでしょ……変な噂を流してるのは。誰が優しく起こしたっていうのよ」
「僕は……今みたいに乱暴に起こされるのも嫌いじゃないよ。いったい何の話さ……」
卓也は大きくあくびをすると、甘えるようにラバドーラに身を寄せたが、ラバドーラはすっと離れたので床に頭をぶつけてしまった。
「モルガンが言ってたのよ。私は卓也の女だって」
「うそ!? 僕の恋人になったの?」
卓也はぶつけた頭の痛みなど忘れてラバドーラの手を握った。
その反応から卓也が意図的に流した噂ではないことがわかった。
「なってないわよ……。バカ女が言ってたのよ。モルガンを含めたバカ三人組がね」
「うそ!? モルガンに会ったの?」
卓也は握った手に力を込めて、輝く瞳でラバドーラを見た。
「会ったわよ。あなた好みのアバズレ。ぴったりバカ同士お似合いよ。どうやらあなたを狙ってるらしいわ。良かったわね」
「それで? 映像は」
「映像なんかないわよ。無駄なメモリは使わないの」
ラバドーラはメモした身体的特徴を伝えるが、卓也は違うと首を横に振った。
「せっかく透明になって、女の子の部屋に行ったっていうのに、着替えの映像もお風呂の映像もなしなの? 君ってどうかしてるよ……」
「どうかしてるのは、あなたの頭よ……それで、どうするの? 口説くなら早くして、彼女の権限を利用すれば、私のデータも削除できるはずよ」
卓也は最初首を傾げていたが、思い出して「あー……」と頷いた。
「完璧忘れてたわね……。まぁ、思い出したならいいわ。私の恥ずかしいデータを消してくれるんでしょ?」
ラバドーラは迫るように言いながら、これが勘違いされた原因かもと思ったが、すぐにそれは誤りだと気付いた。
「卓也さん起きてください」と、デフォルトが起こしに来たからだ。
触手にはぬるま湯を張った桶に、タオル、歯ブラシ、それにクシなど持っており、卓也の世話をいそいそと始めたからだ。
「……これと混ざって勘違いされたのね」
ラバドーラは甲斐甲斐しく世話をしているデフォルトを見てため息の排熱をした。
「勘違いとはなんですか?」
デフォルトはクシで卓也の前髪を整えながら聞いた。
「卓也の女だと思われてるのよ」
「自分がですか!?」
デフォルトは驚いた。そんな話今まで聞いたことがないからだ。
「私がよ」
「びっくりしました。それは思われるかも知れないですね。一緒にいる姿を見れば特に。ルーカス様とも噂が立っていますよ」
「デフォルトの行為が、私がしたものだと噂が広がっているんだ。朝の世話をしたり、料理を作ったり」
「話だけ聞くと、恋人というよりも子供の世話をしているみたいですね」
デフォルトはのんきに笑っていたが、急にラバドーラに乱暴に触手を握られたことにより真顔になった。
「待て……今なんて言ったの?」
「子供の世話をしているみたいですと……」
「違う、その前よ。私がルーカスの女だって思われてるって?」
「その話ですか……。知らなかったんですか? 最悪凶悪な二人でお似合いだと、もっぱらの噂ですよ。ルーカス様は嫌な顔をしていましたが……いえ――その顔が嫌な顔というのなら、ルーカス様は笑顔みたいなものでしたね……」
デフォルトはラバドーラの顔を見て引いていた。怒りの熱暴走により、まともに投影が出来なくてしまい、表現もできないほどの恐ろしい顔になっていたからだ。
ラバドーラは何度も深呼吸して熱を逃がすと、なんとか立て直して投影を戻した。
「凶悪な女はモルガンでしょ。あのくだらないランキングにも載ってたんだから」
「男性人気は高いらしいですね。なんて項目に載っていたのでしたか……」
デフォルトはタブレット端末で『セクター五交流の場』へアクセスした。
トップページにはでかでかと、お詫びと訂正の記事が掲載されていた。
その内容はこの間のランキングに不手際があったということだ。うっかり、セクター五の数グループ分の投票を集計から外してしまっていたと。
正しくは、ついていきたい支配者の一位はアイであり、二位にモルガンということだった。
「よかった? ですね……一位になりましたよ」
「いいわけないでしょ……。波乱の予感がするわ」
「僕はなにやらお楽しみの予感がする」
ラバドーラと卓也。どちらの予感が当たったのか、セクター五に警報が響き渡った。




