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惑星迷子  作者: ふん
Season5
103/223

第三話

「いいか? ここでは悪こそ正義だ。下手な情けは出世の邪魔になる。人を踏みつけて進むことを覚えろ。挨拶代わりに背中に蹴りを入れるくらいがちょうどいい。それが上司でもな」

 フィリュグライドの一員が得意げになって言うと、ルーカスはいいことを聞いたとすかさず彼の背中に蹴りを入れた。

 躊躇いもなく、攻撃的で、意地の悪い。見事な蹴りだった。

「なにをする! オレは上司だぞ! 上司を蹴る奴があるか! いいか? この『ヴーヴァー』様を二度と蹴るなよ」

 ブーヴァーが不機嫌に肩を怒らせて歩くと、全員が肩をすくめた。

 自分で上司でも蹴りを入れろと言ったのに、実際に蹴りを入れられると怒ったからだ。

 何が彼を怒らせたのかがわからないので、デフォルトは慎重に言葉を選んで話しかけようと思った。

「あの……ヴーヴァ―さん」

「おい! なにがヴーヴァーさんだ!」

「失礼いたしました! 名前を呼ぶのはルール違反でしたか?」

 フィリュグライドは犯罪組織だ。気軽に名前を呼んではいけなかったのかもしれないと、デフォルトは後悔した。

「なんでオレの名前を知ってるかを聞いているんだ。まさか……オレのことを調べ尽くしているんじゃないだろうな」

 ヴーヴァーは黄色い目玉でデフォルトを鋭く睨みつけた。

「あの……その……自分で名前をおっしゃっていましたが……」

 ブーヴァーは長いこと首を傾げてから、偉そうに腕を組んで何度も頷いた

「そうだったな。そうだった。今のはオマエ達を試したんだ。よく引っ掛からなかったな。偉いぞ」

 デフォルトは「はぁ……」と返事をするしかなかった。

 それから、かなり長い時間を歩いた。道に迷っているのではないかと思うほどの距離だ。

 だが、誰もそのことに触れなかった。

 なにか話しかける度にヴーヴァーが迷っているような気がしたからだ。

 そして、それは正解だったらしく、ようやく「ここオマエ達の部屋だ」と、ヴーヴァがドアの前に立った。「後で迎えに来るから、それまでここで大人しく待っていろ」

 ヴーヴァーは一仕事終えて気が楽になったのが丸わかりな、なんともマヌケなスキップして消えていった。

「自分は惑わされているのでしょうか……」

 デフォルトは暗くて狭い部屋に押し込まれたことよりも、ヴーヴァーの不可解な行動が気になっていた。ふわふわとしていて要領を得ず、自分の言ったことをすぐに忘れてしまう。

 フィリュグライドと関係しているのかすら、まだ定かではなかった。

「惑わされてるのは皆一緒」と卓也は肩をすくめた。「どう考えてもここはトイレだもん」

 卓也が電気をつけると、部屋の全容があらわになると思われたが、見えるのお互いの顔か壁だった。四人は抱き合うような格好で狭い部屋に押し込められたのだ。

 背の小さい卓也は便器の蓋に立ち、なんとか上部の隙間から抜け出すと、外側からドアを開けた。

 デフォルトとラバドーラはすぐに個室から出てきたのだが、ルーカスは出てくることはなかった。

 カチャカチャとベルトの金具を外す音が聞こえるのとほぼ同時に個室のドアも閉められ、ズボンを下ろす衣擦れが響いた。

「よくこの状況でうんこなんて出来るね……」

 卓也がため息をつくと、それを上回る音量でルーカスがため息を返した。

「この状況だからだ。まったく……冷房が効きすぎている」

「言われてみれば……」と卓也は急に肌寒さを感じ出した。まるでコンビニのウォークイン冷蔵庫に入っているようだと。

「冷却装置が近くにあるのよ。良い環境とは言えないわね。生身の体にも、機械の体にも」

 ラバドーラは周囲の温度を感知していた。冷たい空気の流れで、冷気の発生元の見当はついたのだが、地球の宇宙船の方舟がまるまる冷却装置になったくらいの規模のものだ。それだけで、エンジンの出力も強大ということになる。

 ワームホールを無理やりこじ開けられたのも納得出来る。

 それほどののエネルギーを作り出せるエンジンを持っているのは、宇宙の調和などクソだと思っている犯罪組織だけだ。

 ラバドーラはこの宇宙船はフィリュグライドのものだとほぼ確信していたので、投影をやめることは出来ないとアイの姿のままだった。

「なら、温め合わないと。知ってた? 体を温めるのには裸で抱き合うのが一番なんだ」

 このチャンスを逃すまいと、卓也は自分のシャツに手をかけた。

「よかったわね。周りにたくさん相手がいるわよ」

 卓也の目にはアイの姿を投影したラバドーラしか見えていなかったが、いつの間にか周囲には人だかりが出来ていた。

 デフォルトは気付かないうちになにかしでかしてしまい、それで人が集まってきたのだと身構えたが、ここに集まった来た者全員がデフォルト達に興味を持って集まったわけではなかった。

 このセクターにあるトイレは一つだけであり、そのトイレにルーカスが入っているせいで困っているのだった。

 事情を察したデフォルトは、ドアをノックしてルーカスに早く出るように伝えたが、ルーカスは怒りに乱暴にノックを返した。

 こうもドアの前に人が集まって騒いでいると、便意も出たり引っ込んだりで、満足にトイレも出来ないからだ。

「出てこないと大変なことになるかも知れませんよ……」

「そう思うのならば、ロックバンドの楽屋とだと勘違いしてトイレの前に集まる有象無象をどうにかしたまえ……」

「無理ですよ……皆さんルーカス様が出るのを待っているんです。一度出て仕切り直すことは出来ませんか?」

「デフォルト君……君は私の肛門をなんだと思っているのだ。出たり入ったり出来る、フリーパスのイベントではないのだぞ」

「便ではなく、ルーカス様がトイレから出てくださいということです。あまり良い雰囲気とは言えないですよ……」

 トイレ待ちの星人達は全員がイライラし始めていた。一人また一人と、トイレを占拠するルーカスに罵声を浴びせ始めた。

 デフォルトは周囲の怒りを鎮めようとしたのだが、ラバドーラが口をふさいで止めた。

「チャンスよ。このままにしておきましょう」

「このままではドアは破られ、ルーカス様は情けない姿を晒すことになります。いくらなんでもそれは……」

 今回ばかりはルーカスはなにも悪いことをしていない。それで責められるのはかわいそうだと、庇い立てた。

 それでもラバドーラは「聞こえるでしょ。チャンスは生かさないと」と言うので、デフォルトも耳を集団に向けた。

 すると「新入りばかりだからってナメてんじゃねぇぞ!」という声や、「IDを見せろ! 格下だったら今すぐミンチにしてやる」という口汚い言葉ばかりが聞こえてきた。

 一聴ただの暴言に思えるその言葉達には、実に様々な情報が含まれていた。

 まずここにいるのは新入りばかりだということ。自分達も新入りだと勘違いされたので、つい最近大規模な人材募集があったことには間違いない。

 そして、その新入り達はこのセクターに集められているということだ。

 今問題になっているトイレが一つしかないというのは、向上意欲を高めるためというものだ。

 誰かだIDを見せろと叫んだのは、そこに階級が記されているからだ。

 新入りには不自由な生活をさせて、仕事で成り上がるように仕向ける。そうすれば目先の欲につられて、犯罪行為に躊躇うこともなくなっていく。

 本来このことは最初に説明されるのだが、四人の上官に当たるヴーヴァーという男は、初めて出来る部下に舞い上がっていたので、ころっと説明を忘れていたのだ。

 大体の事情は把握したデフォルトだが、自分達がどのグループに間違われたのかはわからずじまいだった。

 他にも情報はないかと黙って聞いてが、いつの間にかシュプレヒコールの合唱になってしまい。これ以上の情報収集は不可能だった。

 すっかりルーカスが中にいることなど忘れてしまっていた。

 ドアの向こうから、聞きたくもない排泄音と、極上のワインを飲んだかのようなため息が響くと、シュプレヒコールは止んだ。

 誰もが、やっとトイレが空くと思ったからだ。

 しかし、さんざん大声の罵声を浴びせられ、排便の邪魔をされたルーカスは非常に苛立っていた。ようやく便が出た爽快さなどでは打ち消すことの出来ない苛立ちだ。

 ルーカスは「さぁ、私は終わったぞ。次は誰の番だ」と、ドアを開けずに言った。

「オレだ! 早く開けろ!!」

 もう我慢の限界だという一人が、救世主にしがみつくようにドアに手を添えた。

「構わんぞ――存分に漏らせ」

「なっ――」と言葉をつまらせる男に、ルーカスは畳み掛けた。

「私が聞いたのは、誰が人生を終わらせるのかを聞いたのだ。私はここから出るつもりはない。最初に言っておくが、自棄になって野糞をしようとするかもしれないが、それは野糞とは言わんぞ。私に負け、クソを漏らしたのだ」

 デフォルトはまた始まったと頭を抱えたが、卓也とラバドーラは面白がっていた。

 周りは次々と文句を言うが、尿意や便意が迫ってきているせいで暴れることは出来なくっていた。先程までのシュプレヒコールが嘘のように、ただ困惑のざわめきが広がっている。

「だが、私も極悪非道ではない。負けを認めるのなら、トイレを譲ってやろう。同じ負けだが、尊厳は守れるぞ」

 ルーカスの高笑いに、一人が「これが極悪非道じゃないなら、なにが極悪非道なんだ……」と息を呑んだ。

「デフォルト君。メモしたまえ。私に敗北宣言を捧げた負け犬共の名前をな。それと、私とすれ違ったときには、自らに向けたLマークのハンドマークを作るよう。成約にサインもだ。終わったものからトイレを譲ってやろう」

 デフォルトのため息は卓也にも向かっていた。

「もしかして……僕はルーカスに余計なことを教えた?」

 負け犬のハンドマークを教えたのは卓也であり、その時の鬱憤をここで晴らしているルーカスの声は、実にイキイキしたものだった。

「いえ……なにをしてもしていなくても、こうなっていたような気はします……」

 デフォルトは誰も漏らさなければそれでいいと、タブレット端末にIDの情報をコピーすることにした。

 一人が電子サインが終えたことをデフォルトが伝えると、ルーカスは満足な顔でトイレから出てきた。すれ違う時に、男が自らに向けたLサインをするのを見て、更に満足げな顔になった。

「最高に気持ちの良い瞬間というのはなにかわかるかね?」

 ルーカスはその表情を崩さずに卓也に近付いた。

「わかるよ。なんなら実践してみせるよ」

 卓也はラバドーラの手を引こうとするが、その手は頬を打ってきた。

「これもまたよし」と卓也は満更でもなさそうな顔をすると、「それで? どうするのさ。全員手下にするわけ?」とルーカスに聞いた。

「それも、悪くない。私はここの王になれる器があるからな」

「そうは思わない」

 卓也は周囲の目を見た。皆が怒りと嫌悪でルーカスを睨みつけているからだ。

「君は甘い」とルーカスは鼻で笑う。

 そして、ドアが開く音と共に、ルーカスの自信を裏付ける瞬間が訪れた。

 この上なく幸せな顔出てきた男がルーカスに向かって頭を下げたのだ。

「助かりました。ありがとうございます」

「気にするな。君は人より少しだけ賢かった。それだけのことだ」

 ルーカスに両肩を掴んで労われた男は、感激の表情を浮かべて再び頭を下げた。

 周囲の者達もすっきりした男の顔を見て、早く地獄から開放されること決めると、デフォルトのもとに集まってこぞってサインをした。

 その光景を見たルーカスは鼻から思いっきり空気を吸うと、ゆっくり吐き出した。

「これが勝利の匂いだ……」

「これはうんこの臭いだよ……。もう……最悪……なにを食べたら、こんな臭いになるんだか……」

 入れ代わり立ち代わりで一つのトイレが使われるので、すっかり辺りには嫌な臭いが充満していた。

 四人のIDカードを取りに行っていたヴーヴァーは、掌握するルーカスを見て驚きに目を見開いた。

「ぶったまげ……。糞一つでまとめ上げるなんて……アンタはエリートだよ。悪の中の悪。どうやったら、こんなことが出来るんだ」

「コツは自然体でいることだ。カンフーと一緒だ。体が覚えている――どう動けばいいのかをな」

「あの……ルーカス様」

 デフォルトは耳元で言うと、手を引っ張ってルーカスをヴーヴァーから遠ざけた。

「なんだね。人が良い気分の時に。水は流しても、水を差すな」

「理解していないようなので、伝えておこうと思いまして。ここはフィリュグライドの宇宙船で、フィリュグライドというのは宇宙の大犯罪組織です。目立った行動は危険過ぎます」

「なるほど……理解した」

 真剣な顔で頷くルーカスに、デフォルトはほっとした。

「よかったです……」

「私もとうとう悪の支配者か……。ヴーヴァー君! 私は最短距離で成り上がるぞ。まずはこのセクターからだ!」

 ルーカスはチャンスが巡ってきたと声を高らかにした。






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