第一話
「死ね! 死ね死ね! あーもう! このノロマ!」
卓也は盛大につばを飛ばして罵った。
「あの……卓也さん」
デフォルトが呼びかける声は、ルーカスの声によりかき消された。
「ザコめ! 私の前に現れるな消えろ! 親より先に死んで、地獄で石でも積んでいたまえ」
「あの……ルーカス様」
デフォルトは何度も二人の名前を呼ぶが、反応はなく、口汚い罵り合いが続いていた。
仕方なくデフォルトも「ルーカス様! 拓也さん!」と声を荒らげた。
「もう……さっきからなんなのさ」と卓也が顔を上げた。
「暴力的なゲームをなさるのは結構ですが、もう少し言葉遣いに気をつけてください」
「デフォルトってば……頭が古いんだから。別に暴力的なゲームをやったからって暴力的になるわけじゃないし、殺し合いのゲームをしたからって戦争好きになるわけじゃないんだから。むしろ戦争反対――あーもう! クソ!! 死ね死ね!」
ルーカスと卓也がやっているのは、タブレット端末に入っていたゲームだ。
ルーカスのお尻から出てきた『クソ野郎』に取り付けたせいで、現在タブレット端末にカメラはついていない。
だが、どうしても諦めきれない卓也は、タブレット端末のアプリを片っ端からチェックして、なんとかカメラを使えないかと試行錯誤していた。結果的にカメラで自分の写真を取ることは不可能だったが、こうして暇つぶしのゲームを見付けることが出来たのだ。
このゲームを始めてから、ルーカスと卓也の罵り合いと煽り合いが連日続くようになり、デフォルトはあまりいい気がしていなかった。
「言葉遣い一つで誰かを傷つけることもありますし、誰かと争うこともあります。直すべきです」
「貴様は母親かね。なんでも言うことを聞く手駒が欲しければ、新しく産んで一から育てらどうだね?」
「そんなことをする人はいませんよ」
「私の母はそうしていた。だいたいだな――」とルーカスはコントローラーを置くと、デフォルトに詰め寄った。「戦争好きのタコランパが偉そうなこと言うな。君らが蛸壺宇宙船に乗って戦争を仕掛けてこなければ、今頃私は方舟でパイロットになっていたのだぞ。私の夢を壊したのは、デフォルト君――君だ」
ルーカスに突きつけれらた人差し指からデフォルトは目をそらした。
自分だけの責任ではないのはわかっているのだが、どうもこの話題を出されると強く出られなかった。
その沈黙は勝利だとルーカスは笑みを浮かべたのが、卓也の笑い声により有耶無耶になってしまった。
「よかったよ。そのルーカスの夢が叶わなくて。叶ったら悪夢だもん。方舟の乗組員全員が、毎日無事をお祈りしてるよ」
「君はどっちの味方なのかね」
「どっちの味方でもないよ。だって勝者は僕だもん」
卓也はタブレット端末の画面を立体映像に切り替えると、それをルーカスの目の前に飛ばした。
画面には卓也の勝利画面が映し出されていた。
ルーカスがコントローラーを置いてからも、卓也はゲームを続けていたのだ。
卓也は右手の親指と人差し指を伸ばしてピストルの形を作ると、ルーカスを撃つ仕草をして煽った。
「この勝負は無効だ。私はタイムをかけたぞ」
「いいや、かけてないね」
「絶対にかけた。そうだろう? デフォルト君」
デフォルトはため息をついてから「……かけていないと思いますが」と答えた。
「ほら見ろ」
卓也はピストルの形のままの手を、今度は自分の額に当てた。
「なんの真似だ……」
「ルーカスが負け犬だって言ってるの。LはLOSERのL」
「そんなこと知っている。君こそ負け犬だ」
ルーカスは左手の親指と人差し指を立てると、自分の額に当てて得意顔で対抗した。
「ルーカス……初歩的なミスだよ。右手でやらないと。それじゃあ、自分で負け犬だって認めてるよ」
卓也がゆっくり額から手を遠ざけろと言うので、ルーカスは言われたとおりにやってみた。
すると、左手で作ったサインは自分からしかLに見えなかった。
しかし、いい反論が思いついたとルーカスはタブレット端末の電源を消した。
そして暗くなった画面に向かうと「少しは頭を使いたまえ。鏡を使えばLだ」と勝ち誇った笑みを浮かべた。
「その鏡に映ってる負け犬は誰だって話。カメラ機能が残ってれば、写真に撮って残しておきたいくらいだよ。それくらい最高にマヌケな顔してるよ」
「ならばこれはどうだ。ウィナー。つまり勝者だ」
ルーカスは両手の中指と人差し指を立てると、中指の先端同士を合わせてWの文字を作った。
「ルーカス……今どき女子学生だってそんなマヌケなポーズを取らないよ。ヴィクトリーサインじゃダメなの?」
卓也は片手でピースすると、よく見ろと振って見せた。
「くだらん……」
ルーカスがふんっと鼻を鳴らすと、卓也は面白がってまた額にLマークを掲げた。
すると「うるさいわよ……」と、アイの姿を投影したラバドーラが部屋に入ってきた。
「うそ……嬉しいサプライズだよ」
卓也は手をLマークにしたまま、額から胸へと下ろした。
「なにやってるのよ」
「知らないのかね。君は負け犬だと言われているのだ」
ルーカスは覚えたてのLマークを額に当てて、満面の笑みでラバドーラを煽った。
「違うよ、ルーカス。胸元のLはLOVEのL。つまり、僕はアイさんに愛を伝えてるってわけ」
ラバドーラはうんざりだと手でしっしと払ったのだが、卓也は奇声を上げて抱きついてきた。
「なにしてるんだ!」と、ラバドーラは卓也を引き剥がすのと同時に投影を止めた。
「こっちに来いってハンドサインしたでしょ」
「あっちに行けとハンドサインしたんだ」
「またまたぁ、アイさんの姿で現れたってことは、僕に口説かれるってわかってるでしょ。つまり、受け入れる準備が出来たってこと。さぁ、もう一回アイさんになって。出来るなら永久に」
「ライトの調子がおかしかったから試していただけだ。どうも投影にブレが目立つんだ……」
ラバドーラは目の前にいる卓也の姿を投影してみせた。
ルーカスもデフォルトも違いに気付かない。まるで鏡の前に立っているようだと見ていたが、卓也は違った。
「嘘! こんなの僕じゃない!! こんなの肌の調子が悪すぎるよ!! ひどい! 侮辱だ!!」
「始めからこうすればよかった……」
ラバドーラはため息で排熱した。
ラバドーラがアイの姿に投影していたのは、その姿なら卓也がおかしなところに気付くと思ったからだ。
ナルシストの卓也は意中の女性の姿より、自分の姿のほうが違いがはっきりわかった。
「デフォルト! 鏡!」
卓也は鏡を見て自分を見て、ラバドーラを見て鏡を見て、また鏡を見て自分を見てほっとした。
「その反応だと、やはりブレがあるみたいだな」
「普通の人は気付きませんよ」
デフォルトはラバドーラの体をまじまじと見て言った。
普通はこれだけ近付いて見れば、粗の一つや二つ見つかるものだが、人間の肌と全く遜色なく投影しているので、その技術力の高さにデフォルトは思わず見とれてしまっていた。
「普通の奴はな。だが、あまりに見慣れたものだとバレる可能性がある。誰にでもあるだろう? そういうものが。まぁ、そんなものを投影する機会はないから問題ないだろう」
ラバドーラは投影を止めて、マネキンのような真っ白な体へと戻った。
「前から思っていたのだが、少しはまともに動く部分はないのかね」
ため息まじりのルーカスの言葉は、ラバドーラにはポンコツやオンボロだといった類の言葉に聞こえた。
「……なにか問題でもあるか」
「高性能だなんだとのたまうわりには、いつもどこか故障してると思っただけだ」
「それは故障していないのに、故障している私よりも役に立たないと自分を卑下しているのか? それともそれに気付かないくらいマヌケなのか? どちらにせよ、排泄物にたかるハエのほうがまだ役に立つ」
ルーカスとラバドーラがにらみ合うと、デフォルトが間に割って入った。
「ですから! 皆さん言葉遣いをもう少し気を付け合いましょう! 下品な言葉を使って得することなんて一つもありえません。これからは正しい言葉に言い直してください」
ルーカスとラバドーラは同時にデフォルトを見て、呆れのため息をついた。
「アホかね……口論というのは言わば戦争だ。どんなに卑劣な言葉を使おうと勝てば官軍なのだ」
「いえ、違います。口論というのは戦争をしないためにするものです。なので、しっかり言いましょう。いいですか? まずルーカス様は『壊れていない部分はありませんか? 心配です』と言います。次にラバドーラさんが『大丈夫ですよ。心配なさらないでください』と返します。次にルーカス様は『力になるので、些細な不備でも報告してください』と伝えるのです。最後にラバドーラさんが『ありがとうございます。なにかあったら報告させていただきます』と言えば、なにも角は立ちません」
「君は変態かね……。それはストーカー的解釈だ。都合の良い添削をするな。私がクソだと言えば、クソ以上でも以下でもない。君が言っていることはこれだ。私がクソだと言えば、同じものを食べて同じクソをしたい。つまり結婚したい。そう解釈しているようなものだぞ。これが変態じゃなければ、世の中に変態は数人しか存在しない」
ラバドーラもルーカスに同意だという風に首を振った。
「ですが、人間関係に角が立たない為には……」
デフォルトは助け舟が欲しいと卓也に視線を送った。
「僕? 僕はダメだよ。だって、関係を持つには立たないと」
「……人間関係の話ですよ。男女の肉体関係の話はしていません」
「僕にとっての人間関係はそれだけ。まさかベッドに誘えって遠回しに言ってるわけじゃないよね」
「皆さんと話していると、一体なにが正解かわからなくなってきます……」
デフォルトは反対意見が多数ですっかりしょげてしまった。
「そんなの童貞男の処女信仰だよ。美人で清楚で性格もいい子が、彼氏の一人もいないで人生を過ごすと思ってる? もしいたら天然記念物。国に保護されてるよ。で、僕みたいな宇宙一セクシーな男と番いにさせられるの」
「それは話が違っています……」
「違ってないよ。綺麗事じゃ世の中は回らないってこと。汚いって言葉があるから綺麗って言葉があるってこと。つまりルーカスみたいな最低男がいるから、僕は宇宙一セクシーな男に選ばれたってことだよ。そこは感謝してるよ、ルーカス。本当に」
卓也はルーカスを煽るために抱きつく真似をしようとしたのだが、急にレストが大きく揺れたせいで本当に抱きついてしまった。
「なに!? なに!? 地震があったの?」
「自信があったのは君だろう……。もっとも、もうなくなっただろうがね。離れたらどうだ」
卓也はルーカスから距離をとった。嫌悪から離れるより早く、再びレストが大きく揺れたせいで壁まで飛ばされたのだ。
「これは……『重力震』です」
触手を壁に棚の隙間に張り巡らせて踏ん張ったデフォルトは、非常事態だと真っ先に操縦室へと向かった。
デフォルトの次に操縦室へ来たのはラバドーラだ。
「重力震だと? 超新星か? まさか……またタイムホールじゃないだろうな」
ラバドーラはデフォルトから答えを聞く前にモニターを確認した。
現在レストに襲いかかるエネルギーはゼロ。
しかし、強力なエネルギーが通過していった痕跡はしっかり残されていた。
「どういうことでしょう。エネルギーの発生源は不明。まるで急に降って湧いたようです」
デフォルトはモニターに映る数字を見て困惑していた。
理由が全くわからない。不測の事態に対応するのは不可能だと判断したからだ。
ラバドーラも判断ができない状況だったのだが、エネルギーの余震を見ると急に答えが出てきた。
「ワープだ……」
「ワープホールですか? こんなとこには存在しないはずですが」
「整備された『ワープホール』じゃなくて、誰かが無理やりこじ開けた『ワームホール』だ。身に覚えがあるだろう?」
「つまり……ここに出口が出来るということですか?」
「そうだ。さっきのは宇宙空間にヒビを入れたようなもの。おそらく方法は違うが、私達もやったことだ。宇宙生物を使ってな」
デフォルトはさっと血の気が引くのを感じた。
あの時自分達は強力なエネルギーの流れに乗ってワームホールから出てきたが、出口がここに出来るということは、あのエネルギーと正面衝突するということだからだ。
「エンジンの出力を全開にします!」
「遅い!」
ラバドーラが叫ぶのとほぼ同時だった。
レストはなすすべなく、光の粒子に飲み込まれてしまった。
そして、今までレストが合った位置には、レストの何百万倍も大きな巨大宇宙船が姿を現した。




