レッサーデビル
「こちらが教室です。生徒の一人一人に机と椅子が用意されており、それぞれの分野を担当する講師が教鞭を執ります」
「うむ。図書館といい近頃の勉学は同時に大勢でできるようになっているのだな」
「当時は勉強といっても、識字率が大分少なかったですからね」
しげしげと興味深そうに教室を眺めながら彼は廊下を歩く。休校中で生徒が利用していないので、彼女は臣下の振る舞いに戻っていた。
閑散とした廊下を通り過ぎた頃、短い地響きが起こる。
窓の外を見やると、後者から離れた場所で砂煙が巻き上がっていた。
なにやらいくつかの大きな舞台を金網で囲われた施設のようで、そこで数人の人影が魔法と武具を用いて争っている。しかし鬼気迫る様子はなく、攻撃側と防御側が交互に打ち合っているようだった。
「陛下が興味を抱かれた魔戦興行の練習中みたいですね。あちらもご覧になってみますか」
「そこにリゼも赴いているのか」
「ええ。あの子はかなりの努力家ですから」
先程言っていたリゼの魔力総量が生徒の中でも上位であるという記憶を思い出す。
現在の魔法や戦闘の技術がどれほどのものなのか、それを知るがてらに見学しようと判断した。
「あのフィールド内では加護の魔法が掛けられており、必要以上の殺傷を阻害する仕組みになっております。突かれようが斬られようが爆発に巻き込まれようが、派手に吹き飛ぶだけで済みます。ちょっとしたアトラクションですね」
「道理ではしゃいでいられる訳だな……む、あそこか」
生徒達に入り混じってリゼがいた。しかし、彼女は誰ともペアを組まずに用意されたマトと向かい合っている。独りで練習しているようだった。
真剣な面持ちを見せ、やがて標的を狙うように突きつけた杖先から火炎が迸る。
それが螺旋を引いた後に、バスケットボールサイズの火球へと形を変えた。
「む? あれは初歩的な魔術、【焔玉】と酷似しているようだが」
「簡易化と法則性に伴い、【ファイア・ボール】と改名されております。本質は同じですが、あくまで魔法ですからね」
ニーナの解説にウィズウッドは感嘆を漏らした。
現象化された魔術の基本構成要素は大まかに分けると捻出、形成、そして操作の三つだ。
魔力を属性に応じた物質性を加え、適正な状態へと変化させる。これらが省略されて扱われているのが見て取れた。
その基盤となっているのがあの近代化に伴い洗礼された形状の杖であるようだ。
ウィズウッドが調べた知識によれば、現代で魔法と呼ばれるようになったその分野では、杖そのものに専用の回路があらかじめ組み込まれている為、魔力を送り込めば誰でも簡易的な属性に応じた現象が発動できるらしい。
魔術において求められた基本的とも言える複雑な術式や繊細な技術を要さないという事実が、彼にはとって頭を殴られるような衝撃があったのは記憶に新しい。
ウィズウッドにとって、杖という概念はあくまで触媒に用いる為の道具であり、自身の知識と技量が過半数を占める技術であったのだ。
それに小枝のような細さがあまりに受け入れ難くもあった。簡単に折れてしまいそうで不安になる。
「──赤の一階、【ファイア・ボール】!」
簡易的な詠唱。属性を色分けして、段階を区切られた魔法はそうして呼び出されるようだ。
後は、己の魔力で操作するだけ。
だが、勢いは弱く狙いが逸れて掠める。攻撃と呼ぶにしては随分気が抜ける。
その結果に彼女は悔しそうに歯噛みした。真面目にやってはいるようである。
めげずに彼女は細い杖を振る。再び火球を当てようと挑んでいた。
誰の目から見ても魔導の扱いが未熟であった。魔術が魔法としてこれだけ簡易的になっているというのに、最後の一押しが甘い。
そんな練習風景に目を奪われながら、二人はやり取りを交わす。
「彼女もまだ発展途上なのですよ。魔力の高さには目を見張るものがありますが、扱いにもう少々努力が必要になるかと」
「ニルヴァ……ニーナよ。リゼもさることながら、それは他の者にも似通う部分があるではないか」
明日を生き抜けるかも分からない戦場を知る彼にとって出た感想は、なんとも言えない生温さである。
あくまでスポーツという観点からすれば、彼が扱う魔術とこの競技で扱う魔法の有り様はズレていて当然の話だ。
だが、それも踏まえた上でウィズウッドは指摘する。時にふざけた声や笑い声が飛び交い、緊張感のない魔法の応酬や組手を目の当たりにしながら。
「杖の力が優秀過ぎるのだ。あくまで児戯であるにせよ、少し利便にかまけているようだ。アレでは魔導が泣いておる。ただ発動すれば良いというわけではなかろう」
「おっしゃる通りと存じます。しかし、戦争で飛び交っていた魔術と質が異なるのは仕方のないことです。目的が違いますから」
「生殺与奪のない娯楽故に、か」
先日、ニーナがたとえたかつて人間の祖先には尻尾があったという話のように、不要な物は必然的に衰えていくものだ。
平和と引き換えにさびれた個々の戦力。魔王としてその事実に嘆くべきか、それとも喜ぶべきか。
「あ……! 陛下、突然ながら少々お席を外してもよろしいでしょうか? 校内にて些細な用事があるのを思い出しました」
「どうした」
「貴方様が編入するにあたって学生として最低限の教養を身に着けていただきたく存じますが、その為にご教材をご用意せねばなりません……すぐに戻ります故お待ち頂けませんか?」
「構わん。余もこれに興味が湧いた。暫し此処で見学を続けよう」
「はい。では、ただちに行って参ります」
小走りで校内へ引き返したニーナを見送り、魔法の練習を続ける光景に視線を戻した。
まとまらない火球が通過し、狙いを外す結果は幾度目になるだろう。
リゼがどれだけ魔法を放とうとも、数十メートル先のマトには全く届かない。
「このッ! このォ!」
悔しそうに、何度も何度も【ファイア・ボール】の発動を繰り返す。そんな様子をウィズウッドはじっと見つめていた。
「……」
とりわけ目に留まったのは彼女の持っている杖だった。相当使い込まれているのか、傷が目立つ。その先端からは送り込まれる火の魔力に反応して小さく火花が散っている。
気掛かりとなったそれの原因を模索している矢先のことだった。
「随分と見苦しい光景ですこと。無闇やたらと魔法を放って練習しているおつもりかしら?」
息を切らし全身汗ばんだ彼女に向けて、言葉の冷や水を吹っ掛ける者がいた。
その場に数名の女生徒達がぞろぞろと入って来た。先頭に立った一人がその発言した張本人。
「そうも張り切っていられると、周りもお困りになってしまうのではないかしら。ねぇ、田中さん」
「星村……」
後ろでまとめたハーフアップの三つ編みと毛先がクルクルと巻かれたロングの金髪が特徴的なツリ目の少女が、不敵な冷笑を浮かべていた。その外見と立ち振る舞いが相まって、高貴さが際立つ。
リゼの顔が強張っていく。
「あたしがどんな練習をしていようと、勝手でしょ」
「ですから言った筈ですわ。足並みを揃えぬ練習は団体行動を乱すから周囲に迷惑がかかると。レッサーの貴女は特にその不和が目立ちますのよ」
「レッサーが練習に混ざるだけで、悪目立ちするって?」
「ご自覚ありませんでしたの? オホホホ! 高い魔力を持っていながら実力が伴っていない方の悪あがきなんて誰が見たいと思いますかしら!」
上品な高笑いに周囲も同調してクスクスと笑う。
レッサー。その呼称が、魔族の蔑称であることは魔王も学んでいた。
劣等悪魔。角や尾などの悪魔を彷彿させる特徴を有していることから産まれたスラングの略称である。
轢き逃げした男やバスの運転手が残したあの言葉も、侮蔑の意味が含まれていたのだ。
魔族にも人権は有していようと、根幹で差別意識が一部残っていることを彼は知ってしまった。
年月を経て共存しようとしていても尚、疎む者がいる。それがこの世界の現状だ。
顔を背けたリゼに対し、星村と呼ばれたその女生徒は挑発的に食ってかかる。
「しかし理解に苦しみますわねぇ。魔戦興行は公式戦のほとんどが対抗戦で行われるものですわ。チームを組む相手もいないのに春休みまで躍起になって練習する意味が何処におありですか? たとえば努力しているアピールであったとか」
「別に、見せつけているつもりなんてない」
「では未だに名声を取り返そうとなさっていますの? だとすればとても涙ぐましいお話ですわ」
「ちがっ、あたしはただ……!」
「なんにせよ、わたくし達の練習に支障がきたしますからそろそろどいてくださらない? まぁ、どうしてもこちらの派閥に入りたいと頭を下げて懇願されるのなら参加してもよろしくてよ? その際には貴女の至らぬ所、手取り足取り教えてさしあげますわ」
上から目線での勧誘。
なにかを言いたげに口を開閉させるも、彼女は黙りこくった。
「お返事はだんまり、ですか。残念ですわね、記録を競い合った仲だったのに拍子抜けですこと。先にお伝えしますわね、ではごきげんよう」
嫌なら出て行けという、星村のまっすぐな非難の視線が飛んだ。
加えて周囲の嘲笑が追い風になった。リゼは唇をかみしめる。
やがて持っていた杖を降ろして彼女は立ち去ろうとした。嘲りと蔑みの視線に刺されながら。
「その演説、一理あるな。だが説得力に欠いておる」
魔王が口火を切ってその足取りを中断させた。
リゼを含めた生徒達の意識が、第三者の彼に向かう。
「貴方、どちら様? 我が校にも他の魔族が何人かおりますが、見ない顔ですわね」
「森野ウィドという。おぬし、それほど傲慢な物言いをつらつらと並べ立てるとは大層な自信を持っているのだな」
「あら、ご紹介が遅れて失礼。星村レティシアと申しますわ。彼女に貴方のようなご友人がいらしたなんて初耳ですけれど。わたくしに異論でもありますかしら?」
「分不相応な台詞はあまり並べ立てるものではない、と思ったまでだ。貴公が歴史上で魔族の猛者達を降したわけではあるまい。よくもまぁ厚かましく虚仮にできたものだな」
「分不相応……? 随分とまぁ」
自らよりも更に上から目線の物言いにレティシアは眉をひそめた。
「確かに鍛錬と呼ぶには見るに耐えん拙さであった。戦争であれば真っ先に狩られるだろうからな。だが、それはリゼに限った話ではないであろう。余からすればどれも等しく児戯に思えて仕方ない。しかもたかが演習、それで選民意識とは片腹痛い」
弱者同士の格付けだな、と評する。
「聞き捨てなりませんわね。わたくし達の技量も見ることなく下馬評を並べて、貴方こそ何様ですの」
「さて、どうであろうな……だがリゼ、魔導を学び磨くのならもっと場所を選べ。そやつらと混ざった所で、なにも学べん。所用が終わり次第帰るぞ」
この練習風景に興味が尽きてきたウィズウッドは見物を打ち切る姿勢を見せた。
嘲っていた取り巻き達の声は、ヒソヒソと咎める色に変わる。だが、彼は意に介さない。元いた場所でニーナを待とうとした。
「お待ちなさい」
そこでレティシアが呼び止める。
「森野ウィドさん。このわたくし、星村レティシアに物申すだけの実力があるからこそ、程度の低さを述べられたのでしょう? そうでなくてはそちらも説得力を欠きますわ」
「如何にも。この程度の次元なら容易く制圧できよう」
「では立ち去られる前に今此処で貴方に挑んでもよろしいかしら? 口先ではないと証明すべきですの。……そうですわね、方式はDランクルールの決闘方式で如何でしょう。単純に一対一の練習試合を行うということで」
そう言って要求してきた。つまらなそうに鼻を鳴らす。
「挑発に乗ってもよいが、生憎余は杖を持ちあわせておらぬ」
「お借りになればよろしいでしょう? 庇い立てしたご本人の杖で」
言ってリゼの持つボロボロになった杖に意識を向ける。
その途端、彼女は守ろうとするように懐へ隠す仕草を見せた。
「リゼ、少しの間それを余に預けよ」
「でも……」
「案ずるな。どちらも壊さん、余を誰と心得る」
二つの意味で約束した。杖もレティシアの身の安全も保証すると。と言っても舞台で闘えば死傷沙汰にはならないだろう。
複雑な面持ちで躊躇った後、ゆっくりとリゼはウィズウッドに手渡す。
受け取ってからしげしげと眺め、ゆらゆらと軽く振った魔王は魔力を通してみた。
ほんの僅かな抵抗感が伝わった。従来の杖とは大分使い勝手が違う。少し使用して慣らす必要がありそうだ。
そんな彼をよそにリゼは未練があるようで、浮かない表情で終始難色を示す。
「こんな試合、受ける必要なんてない」
「おぬしの為ではない。自ら掲げた矜持の為だ」
端的に言い残し、彼女を置いて進み出る。此処まで魔族を虚仮にされて、尻尾を撒くわけにはいかなかった。
一部の生徒達が練習用のフィールドの外にある金網を囲い、ウィズウッドとレティシアが登っていく。




