追憶、サイファーの謁見
人間と魔族がまだ争っていた時代のグリーンウッド城。
勇者と魔王の対面は前触れなく訪れたのである。
「にわかには信じがたい、おぬしが勇者などとは。まだ子供ではないか」
「そちらこそ、魔族の長にして魔王ウィズウッド・リベリオンがこれほどのご老体とは想像だにしませんでした」
鎧を身に纏っていたのは物腰柔らかで中性的な人間の美少年だった。春の草原のような若葉色の髪と同じ色の吸い込まれそうな瞳を持っている。
勇者サイファー。人類の代表、希望の象徴、といった呼び名は多々あり、大国から軍の統率を任されているという。
事実、彼の手によって歴戦の魔物や魔族達が打ち倒されている。つい先日も災竜ドゥーレゴエティアまでこの勇者の手によって討伐されたと聞いた。
そんな彼であるのだが、あろうことか単身魔王の城に乗り込み、戦闘の意志はないと前置きをしてウィズウッドに対して謁見を求めた。
その度胸を買い、魔王は自らの懐にまで勇者を通した。相手の真意を測る為にも。
「して、この度は何用で余の居城に現れた。よもや今此処で事を構えるつもりではあるまいな」
「まさか、みなさんに囲まれながら独りで相手取れるなどとうぬぼれてはいませんよ。ましてや貴方だけでなく、魔王の右腕の迅狼ヴォルフデッドにブレインたる蒼魔ゲミトゥスまでいらっしゃるのですから」
当然ながら謁見の間は魔族達が大勢控え、勇者に対して臨戦態勢をとっていた。
敵陣の腹の中でいるというのにもかかわらず、サイファーは人懐っこい笑顔を見せて言う。
「ただ、ボクからは魔族のみなさんに降伏を勧めるべくして話し合いにきたんです。どうかボクの顔に免じて譲歩してはくれませんか?」
「「「ハぁっ!?」」」
「やっ。別にこちらの奴隷や下僕になれと言いたいわけではありませんよ。不干渉の約定を取り付けて、遠い別の地に移って貰うとか色々手段を考えて融通しますから」
朗らかで柔らかく説明したつもりである。
だが、周囲の反抗の意志は顕著だった。
殺気立った、と言っても過言ではなかった。
その今にも襲いかかりそうな雰囲気は、ウィズウッドの何気なくあげた手によって制される。魔王は応える。
「それはもはや無理難題と分かっていよう。争わずして収拾するには互いに血を流し過ぎた」
「しかし、このままではそれ以上に無益な犠牲が増えるだけです」
「一方的な時点で話にならぬ。そちらの王を跪かせてからでなくば和平など受け入れる筈もなかろう」
「我が国の王は殲滅をお求めになられている。ですがそうなることは本意ではありません。今ならボクの声で民衆を味方につけて最悪の事態は止められます」
「ほほう。既に勝ち戦のつもりか、それでいて降伏を勧めにくるとは随分慈悲深いことだ」
互いの言い分は平行線を辿る。勇者と魔王の立場ではどちらも譲歩の余地はない。
「だが余を含めこの場にいる者達は皆、負け戦とて往生際が悪いぞ?」
「では、このまま最後までいがみ合い、憎み合い、どちらかが滅ぶまで殺し合う現状をよしとして、人と魔族が歩み寄る余地はないとお考えでしょうか? 魔王ウィズウッド・リベリオン、貴方の口からお聞かせ願いたい」
食い下がるようにサイファーは問う。
「この戦争で多くの犠牲を出すこと、それが貴方の本懐ですか?」
「青二才らしく綺麗事の理想ばかり並び立てるものだ……よかろう」
ウィズウッドは玉座から立つ。そして横合いに黒い歪みを生み出した。
【魔空穴】。何処かへ通ずる次元の穴に彼は入っていく。
「踏み込んでくるがよい。おぬしの言葉が上っ面のものかどうか確かめてやろう。皆は此処で待て」
言い捨て、魔王は先に潜って行く。
なにが待っているかも分からない。だが勇者は躊躇わずに、その後を追う。
サイファーの目に飛び込んできたのは夕焼けに照らされた外の景色だった。何処かの土地、何処かの丘、草地に降りる。
老朽化し、誰も住む気配のない建築群がその丘の下に広がり、一目で廃村だと分かった。
「此処は?」
「余のかつての故郷、と呼ぶべき土地だ」
老いた魔族は答えた。腹を割って密かなやりとりをするのにうってつけの場所だった。
「見てくれのとおりとうの昔に滅びておる。閉鎖的で掟にばかり縛られた村であった。養う余裕がなかった故に長男以外は死ぬまで奴隷に等しく扱われ、酷いところでは家畜に等しく納屋で寝過ごす。そのように時代錯誤の生存競争で敗北した者達の末路がこれだ」
なかなかに納屋の夜は冷えたぞ、とウィズウッドは語る。
「そのようなところで育ったのですか。魔王と呼ばれるだけあってより高貴な生まれなのかとばかりに」
「元来魔王とは『魔族の王』ではなく『魔術の王』という意味である。魔を極めた者はこの地上を征するという意味合いを籠めての称号であり、世襲ではないのだ。故に魔族はもとより人間やエルフといった他の種族が魔王の名を冠した例もあると先代から聞いておる」
百年もの間、彼がその座についたことから呼称の由来は変質し、魔族の代表の代名詞になったと。
「だがそれでもよい。人間どもが恐れることで牽制になれば一興。この名で同胞達を守れるのならばいくらでも掲げよう。これらが余を余たらしめるものだ」
「……お話しいただけて感謝します」
「おぬしはどうなのだ。人間の為に剣を振るう勇者が何故、余のもとへ訪れた?」
「もちろん人々の為です。ボクなりに考えた結果、これが最善の選択と思って動きました」
「待て」
今度は勇者サイファーが語る番だった。だが魔王は矛盾を提示する。
「その為に矛を収めるなぞ不合理極まりない。人類を優先するのであれば、脅威を取り除き人々の安寧を保つことこそ最善であろう」
「その安寧には魔族も含まれます。貴方のように一人一人に心があり意志があるならば、人間と全く変わらない。なのに対話を考えず、自分達の都合で滅ぼすというのなら、我々に平和を享受する資格はないのです」
ウィズウッドは意外の念に打たれた。今まで彼が出会ってきた人間という存在は、魔族以上に利己的で差別意識の強い生き物という印象があった。
こうして話し合いを求めたのもさることながら、自分達を省みて新たな道を模索しようとするなど思いも寄らなかった。
「ボクは希望の象徴となる為、その肩書きにふさわしい理想の人物像を目指しました。過去や経歴といった不要なものを削ぎ落とし、貰った名前を肩書きにしてただひたむきに戦い続けていました」
故に記号の勇者として立ち振る舞い、己の心を殺し続けた。
「しかし、そんな日々の中でボクは疑問を持ったんです。どうして我々はこの長い年月の間、互いの血を流さねばならないのか。いつ終わりを迎えられるのか。国王も、仲間達も、ボクを慕う人々にも聞くことなんてできなかった。そしたらボクは希望の象徴ではなくなってしまう」
「それで余に謁見を求めたとでもいうのか」
サイファーは頷く。
「貴方が冷静で話のできる御仁であることに賭けて」
「無謀な真似を。何処にかような根拠を持てたというのだ」
「貴方が歴代で最強という証左とされるいくつもの魔王等級魔術は、その気になれば大国を落とすどころかこの大地を一晩で滅ぼすことだって可能な筈。しかしそうはしなかった。人類を虐殺しようとはしないから、ボク達はまだ生きている」
だから正面から門戸を叩いたのだと。
「しかし代表である貴方からしてもこの戦争から手を引くことができないのは分かりました。どちらも針のむしろですね……」
「無血の終戦なぞあり得ぬという結論は既に決まっていた。だが、おぬしとの会合はけして無意味ではないと余は考える」
「まさかなにか名案が……?」
「勇者よ、おぬしのそのひたむきさを見込んで頼みがある」
ウィズウッドは向き直り、そして彼に言った。
「余と一騎打ちをせよ。そしてその勝敗でこの長きに渡る戦争を締めくくろうではないか」
「貴方とボクが?」
「左様。余が勝れば人類の希望を打ち砕くことを代価に、魔族への不干渉を誓わせるのだ。おぬしが勝るのであれば、余は降伏を宣言し配下達に武器を降ろすよう命じよう。両者の代表だけが命を賭ければよい」
「……確かに、それなら余分な犠牲者を生まずに済みます」
「ただし生半可ではいかん。本気で殺し合わねばどちらも納得がいかぬであろう」
勝敗の結果は重要ではない。
人知を超えた闘いを魅せ、そしてどちらに分があるのかを知らしめることで最短かつ最小限の犠牲で終戦へと導く。利害が一致している。
「どちらに転んだとしても、うまくいくでしょうか」
「それは勝者の采配にゆだねられよう。勇者と魔王、いずれ相見えるのならば有益な殺し合いにしてはどうだ?」
「……喜んでお受けします。どっちが勝っても恨みっこなしですよ」
「決まりだな。さて、あまり長引くと怪しまれる。おぬしは国に戻らねばなるまいな。どれ、そちらに飛ばしてやろう……」
「大丈夫です」
ウィズウッドが彼を送ろうとしたのは杞憂であった。
淡く微笑んでサイファーは手をかざす。空間に歪みが生まれ、次元の穴を作り出す。【魔空穴】たった。魔王と同じく杖を持たずして魔術を難なく発動させる。
「最初から使えておったのだな。まったく、食えぬやつよ」
「隠していたつもりはないんですよ?」
「フッ、だがなかなかに有意義な話ができた。その度胸に免じて此度は見逃そう」
「はい。では、次は戦場にて」
一度振り返り、少年は言う。
「そうだ。最後にボクの本当の名前をお伝えしてもいいですか?」
「よかろう。冥土の土産に覚えておいてやる」
「はは。貴方も勝つ気満々ですね。……ボクは──」
紡がれた言葉は、風に流れて二人の間でしか聞き取ることはできなかった。




