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リゼ宅の一夜


「さっき話したこと、忘れていないよね」

「無論だ」

 田中リゼの住宅はごく普通の都内にある一戸建て。玄関口に立った彼女は、振り返って再度念を押す。



 そこで過ごすにあたって提示された条件は、彼がきちんと理解をするのに時間を要するものであった。

 一、家主の意向に従うこと。

 二、風呂は最後に利用すること

 三、勝手に人の部屋に入らないこと。

 四、勝手に人の私物に触れないこと。

 五、夜は用意した空き部屋で過ごして理由もなく家の中をうろつかないこと。

 六、そして此処が重要、妙な接触(・・)を行わないこと。



「いい? もしひとつでも破ったら、承知しないから。すぐに追い出すのでよろしく」


 異性と過ごさざるを得なくなった女子としては当然の前提であり、むしろ緩さすらも感じるほどであるのだが、

「繊細なのだな」

「じゃあ入んな!」

 ウィズウッドがそんな悪意のない感想を漏らしたことで一悶着があった。



「こちらの食事、お口に合いますでしょうか?」

「悪くな……ぬ」


 そして三人で卓上を囲み、魔王にとっては未知の風習に苦戦している。

「……この箸、という物を扱うのはなんとも間怠い。本当にこれを利用しておるのか」

「はい。世間でも常識の中の常識です。この先覚えておいた方が得策でしょう」

「ならば承知した。努めて学ぼう」



 プルプルと食器を持つ様子を見てリゼは本当に大昔の人なんだ……実感する。

 制服から普段着姿となった彼女は、あらためて彼を見る。


 ウィズウッド・リベリオン。歴史の教科書にも載った、史上最後と謳われる魔王。

 彼女の記憶では彼の敗北を契機に魔族は人類へ歩み寄りを始めたのだとか。それも教師ニーナが嬉々として語っていた様子が印象的だった。



 そしてこうも思った。魔王、などという仰々しい立場の割には王様や怪物と思えるような片鱗を微塵も感じられない。ここだけを見ていると古びた言葉遣いの変な奴にしか見えない。

 しかも現在彼はリゼの父親の衣服を借り受けTシャツ姿となっている為、俄然魔王としての威厳は損なわれていた。

 ましてやマスコットのさーたんがプリントされている服なんか着ていたら、形無しと言っていいだろう。



 夕食はあり合わせの食材を女性組で手掛けた。ニーナが満漢全席でも振る舞おうという勢いであったがそれをリゼが制止した。

「普通の食事でいいの。この家で食べるならいつも通りがいい」

「でも陛下にご馳走を……」

「毎日そう豪華にされたらあたしが参っちゃうよ!」

 と、どうにか言いくるめて至極普通な食事となったのだ。生活の主導権は家主にある。



 彼女も現在殆ど一人暮らしに近い状態である。父子家庭でありながら父親が一年の半分近く帰ってこない。幼い頃はよく世話を焼いてそんな事情を知っているからこそ、ニーナは頼み込んだ。



「急にこんなことになってごめんね。この埋め合わせは必ずするから」

「いいよ。先生は特別。小さい頃はパ……お父さんがいない時によく面倒看てくれて、あたしにとってお姉さんみたいな人だから」

「あら、そんな風に思ってくれていたの。嬉しい」

「こんな形でも恩返し、できているかな」

「ええ、とっても」

「ところでこれは一体なんだ?」

「鮭のホイル焼きでございます」

「話の腰を折らないでよ……」



 ニーナも自宅から荷物を持ち寄り、翌朝にはこの家で支度して出勤するようにしていた。春休みという休暇中であるのだが、明日は二人とも学校に用事があるらしい。

 すなわち魔王と付き添えない状況である。それまで彼にはどうして貰うか、その案は既にニーナが考えていた。



「陛下のご要望も兼ねて、図書館にいらしていただくことが最良であるかと存じます」

「そこは余の目的に沿った場所であるのは概ね間違いないな? では明日、そこへ向かおう」

「きっと満足なさいますよ」

「期待しているぞ」

「はい」

 仏頂面で頷く彼に対し、ニコニコと笑うニーナ。傍目で見ていたリゼはこの奇妙なコミュニケーション具合に眉根を寄せていた。



 そうしてリゼの家で居候となって一日目の夜。約束通りウィズウッドは用意された空き部屋に入った。

 大した家具もなく、布団の中で横になっていた彼は黄色の豆電球が灯った薄暗い天井を見上げる。



 気付けば自分が生きていた時代は途方もなく過ぎ去り、一人の忠実な臣下を除けば皆この世を去ってしまっていた。自分の知る土地が全く異なる景色に塗り替えられている。城まで荒廃して機能していない始末だ。思うところがないわけがない。

 それでも冷静に努めているのは、魔王として残された矜持。なにより慕う者(ニルヴァーナ)に不安を抱かせない為だ。



 魔王という存在が認知されなくなったこの時代に取り残された自分が果たしてなにかしらの役目を与えられているのだろうか。それを知りたい。

 自らの存在意義を探すことを心に決める。


 するとノックの音が響いた。続いてご就寝中に失礼します、と向こう側から声がする。

「開けるがよい」


 眼鏡をはずした寝間着姿のニーナが扉をゆっくり開けて顔を出す。彼女はリゼと同じ部屋で寝る筈だった。

「陛下、お休みしておられましたか?」

「まだ眠りは浅い。どうした」

「やはり、幾千の時を経てお目覚めになられたばかりで、胸中複雑のこととお察ししております。御慰労のお力添えになれたらと」

「それは建前であろう。本音を申してみよ」

「……お、お恥ずかしながら、昔のようにご同衾をしようかと参りました」

 と、恥ずかしそうに彼女は俯きながら言った。


 ウィズウッドは息をつく。もう子供と呼べる背丈ではなくなっているというのに、当時と同じく添い寝をせがむとは。

 だが、彼女からしてみれば焦がれ続けた再会を果たし、温もりを感じることができるのならばそういう行動に出るのも無理はない。



「聞かせてやる絵本は此処にないぞ」

「そ、それは幼い時の話ですよもう! ですが、今宵だけでも今一度陛下の御身に寄り添いたく思いまして……」

「同伴を許そう。入れ」

「あ! はい! それでは失礼いたします」

 弾んだ調子で言うなり、毛布の中に潜り込んできた。

 肩と肩が接するほどに密着するも、ウィズウッドに動揺はない。



「本当に夢みたいです。貴方様とこうしてまた言葉を交わせる日が来るだなんて」

「余も、今生の別れに思っていたからな」

「陛下をお慕いしていた方々も皆、この世を去る前に陛下にお会いできればと悔やんでおられました。私だけがこうしていること、申し訳ないくらいです」

「引け目に思うことはない。そなたがまだこの世にいてくれたのは余にとって非常に僥倖であった。感謝いたす」

「勿体ないお言葉ですとも」

「先立った者達を弔おう。覚えている限りでいい、あの者達のその後について、教えてもらえぬか」

「かしこまりました。……それでは、まずはヴォルフデッド様ですね。あの人には陛下とお別れになってからも色々お世話となりました。傷心に嘆く私を、何度も何度も慰めていただき、支えになってくださったんです。御一家で交流が続きまして、お子さん達もすくすく育ちになられましたよ」


 枕元でニーナは魔王に従事していた部下の終生を語り出す。

 一人一人がそれぞれの生活を作り、戦後でありながら満ち満ちた時代を生きていたという。

 話すにつれて懐かしむように彼女の声に抑揚がついていく。



「……あとは、食事番のビビアン様。城での働き口がなくなってからもその経験を生かして店を出し、人気を博しておりましたね」

「そうか。あやつの食事がもう食えぬというのは寂しいことだ」

「そうまで言ってくだされば、きっとあちら側でお喜びになられています……ところで陛下、あの、先程からなにを……」

「む、しまった。もうこういうことをされるがままの齢ではなかったのだな」


 聞いている内に気付けば、魔王は無意識の内にニーナの頭を後ろから何度も撫でてしまっていた。

 サラサラした青い艶やかな髪が指の中で幾度なくすり抜けていく。その感触の心地よさが、そんな行為を招かせる。

 それはこれまで彼がそうしてあやして寝かせていた時の癖であった。すぐさま撫でるのをやめた。

「……いえ、今はこうされるのが懐かしくて、とても落ち着きます」

 鈴を転がすように彼女は笑う。中で寝返り、引っ込めた手に指を絡ませる。

 それから見合わせた彼女は、ウィズウッドの瞳を介して、遥か遠い時代を覗き込むようだった。


「この温もりが、陛下のご存命を実感させてくださいます」

「これだけでも埋め合わせできておるか?」

「お傍にいられるというだけでこの上ない喜びですとも。二度と貴方様の許を離れません。その誓いをこの身と共に」

「それが自らの意思であるというのなら、よきにはからえ」

「陛下……」

 目を瞑ってニーナは顎を吊り上げる。両者の顔は、吐息の掛かる距離だった。

 そんな様子にウィズウッドはまた息をつく。



「うむ、眠ったか」

「……」

「さてそろそろ余も」

「……あの、陛下」

「む? 目を覚ましたのか?」

「いや、そうではなくて、ですね。自分で言うのもなんですが私、魅力的ではありませんか?」

「ああ。見違えたと昼間に言ったであろう? 他の男連中も見逃すまい」

「お、お褒めにあずかり、光栄です。ですが陛下は、陛下は今の私を見てどう思われますか?」

 違う。そうじゃない。ニーナは言葉にできないこのもどかしさをどうにか訴えようとする。



「たとえどのような姿になろうとそなたは自らの血肉よりも大切な配下である。もしも余に孫がいたのなら、きっとこのような感情を抱いていたのであろうな」

「……陛下、この雰囲気、お分かりになりませんか?」

「なにをだ」

「で、ですから、せっかくお若くなられたのになにかこう……沸き上がるものとか……!」

「どうなろうと余は余である」



 意図が分からないながらもキッパリと答える彼を前に、ニーナの瞳は死んだような目になっていく。

 やがて布団から抜け出した彼女は立ち上がって言った。

「……リゼちゃんの部屋に戻ります。陛下もほどほどにご自愛くださいませ。夜更かしは身体によくありませんから」

「もう、よいのか?」

「はい結構です。おやすみなさいませ」


 そのままちょっぴり不機嫌な様子で出て行き、扉を閉める。

 潜り込んで出ていくさまは気まぐれな猫のようだ、と彼はただ小首を傾げるばかりだった。


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