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イアールンヴィズ大迷宮



 グリーンウッド城の数百メートル地下の空間には人工的な壁と無数の枝分かれした順路が果てしなく続いていた。

 イアールンヴィズ大迷宮。人類にも発見されてはいるのだがそこに立ち入った者は数少ない。その理由というのもあまりの広大さと現代でも凶暴な魔物がはびこり、危険区として封印されている為である。


 そんな場所と繋がっている未発見の抜け道の一つをウィズウッドは利用し、降り立った。


「この迷宮の入り口は他にも幾つか存在するが、余の城から潜るのがもっとも最深部に近い。従来では踏破するのに丸三日を要するところを二時間もすればたどり着けるだろう」

「そういえばアンタってちょちょいとワープできるじゃん。今更だけどわざわざ城から降りて此処を通る必要なくない?」

「此処は侵入者の脱出を妨害すべくそのような魔術を阻害する仕掛けが施されていてな。如何に余であろうと自ら最深部まで赴かざるを得ないのだ。自らの仕掛けが仇になろうとは思いも寄らなんだ」


 迷宮は惑い迷わせ苦戦させてこそなんぼであるというのが彼の持論だった。ただし周囲には好評でもなかったりする。

 本人としては魔族にとってうってつけの避難場所になり、地下の連絡路として地上を避けられると思っていたのだが、結局大した運用にはならなかった。


「本来でしたら哨戒(しょうかい)の方にお任せすれば済む筈でしたから。そういえばヴォルフデッド様もよくおっしゃられておりましたよね……オホン、『テメェこんなムダに広いアリの巣作りやがって、使いに此処を通らされる身にもなりやがれ!』という具合に」

「あやつがそう口にするのは想像に難くない」


 といったやりとりを交わしながら、カビ臭い空気が流れる薄暗い道をウィズウッドは悠々と先導する。彼にとって此処は庭も同然であり、迷う道理はない。


「ニーナ先生までアイツの魔王サマキャラに付き合ってるんスか……」

「ボルタはまだ半信半疑?」

「本音を言うと信憑性がなんとも。それにあの時代がかった口調、ずっとああなんスか。疲れないんスかね」

「これは余が余たらしめる為の振る舞いだ。いついかなる時も誇示すべきものであり、息をするのと同義である」


 ボルタはリゼと内緒話をしていたつもりだったようでウィズウッドの返答に「うげ、地獄耳」とたじろぐ。

 しかし当人としては特に意に介した様子はなく、振り返りもせずスタスタと前を行く。



「……ところで森野ー、今のところ道ばっかりで殺風景っスけどなにか置いていてたりしないんスか?」

「なにか、という定義については判断しかねるが風景は階層ごとに多様な変化を見せよう。それとこの迷宮には魔物を放っておる。長い年月が経ってどのような生態に変わり果てているか与り知らぬのだが、恐らく今も尚健在であろうな」

「えっ! それじゃこのダンジョンにいる魔物って家畜化や品種改良されていないガチ危険なやつってことっしょ!?」

「余やリゼがおれば支障はない。くれぐれも離れるな」

「ウィドはさておきあたしが? どういう意味?」

「なに、万が一にでも遭遇すればすぐに分かる」

「えぇ……勿体ぶらずに教えてくださいっスよー」

「──待て」


 魔王の一言で、一同は迷宮を攻略し始めた矢先に歩みを止めた。

 行く手の深淵に異変を察知したらしく、警戒を張り詰める。


 沈黙を破ったのは自分達以外の何かだった。


『……オ……オーイ。オ、オーイ』

 響き渡るのは見知らぬ誰かが発した声。

 今にも息絶えそうなほど弱々しく、しわがれた老人のような呼び掛けが繰り返される。こちらの灯りに気付いたのだろう。



「陛下」

「うむ、これは……」

『オ、オォーイ。オーイ』

「もしかして遭難した人っスか? こんな地下深くにどうやって迷い込んだんだろう。おーい! こっちっスよー!」

「行くなボルタ。此処で待機しておれ」

「けど、もしかしたら助けが欲しくて……」

「向こうから近付いておるであろう。あちらから顔を出すのを待つのだ」


 怪訝な表情を浮かべたボルタであったが、間もなく声の正体に仰天することとなる。

 灯りに照らされてぬぅ、と顔を出したのは人の頭を丸齧りできてしまいそうな黒い大怪鳥の頭部。


「オォォォイ! オォーイ!」

「うわぁあ! なんスかこの化け物!?」

「原種のフールバードだ。人の声を真似て徘徊しこうして冒険者に近付くのだ」

「ピ、ピーちゃんの何十倍も大きくない……? もう別の生き物でしょこれ……!」



 全貌を現し、黒い羽毛に覆われたそれはのっしのっしと通路を闊歩していた。

 しかしウィズウッド達に襲いかかるわけでもなく、ただ無機質な黄色い眼球で見つめながら通過していく。

 

『──ォォイ、オーイ……!』


 やがて姿を暗闇に隠した魔物は、あの不気味な鳴き声を発して遠ざかって行く。



「……ベェ。ヤッベェのいるじゃないっスか。あんなのうじゃうじゃいるんスか此処?」

「案ずるな。魔族に対して魔物は手を出さぬようになっておる。餌か否か、敵か味方かで区別しておるのか。それとも本能で理解しておるのか定かではないがな。ともかくそれ故に今しがたあの魔物は素通りしたのだ」

「じゃあ逆にオイラや先生だけだったら?」

「いつ何時に食われるかも時間の問題であったな。万に一つでも離れるでないぞ」

「やっぱ怖えー!」

「うぅ……ペット化されていない魔物ってあんなに大きいんだ……」

「いや、小型の魔物もいる。たとえばリゼよ、今おぬしが後退さったそこの転がっている岩石は擬態したロックスパイダーである」

「ぃギャーっ!」


 ウィズウッドが撤退の意志を見せない以上、リゼとボルタもこのまま進む他なかった。


 迷宮の地形は常に一定ではなく、苔むした岩と世界樹の根の一部が繋がった景色へと切り替わり、次は洞窟の様相を見せた。


 その階層では活火山が近くにあるのかマグマ溜まりが岩の橋の遥か下に溢れ、こちらにまでサウナのような熱気が昇ってきている。

 天井には数体ほど赤い大蜥蜴──サラマンドラが這う。従来であれば襲いかかってくる彼等も、ウィズウッド達がいることで通行を許していた。



「うわぁ、本物の溶岩が流れてる……しかも暑っ。このまま居続けたら干上がっちまうっスよ」

「水の確保をするなればこれを飲むがよい」

「また世界樹の樹液っしょそれェ!? 普通の水ないんスか!」

「体力回復と魔力補給にも一役を買うのだが。殆ど戦闘の必要がないとはいえ、こちらに合理の利があるぞ」


 それでも難色を示す獣人になにやらひらめいたリゼは杖を取り出した。

「わざわざあんな苦いの飲むくらいなら……【湖の欠片(アンダイン)!】」


 魔術で空中に水の固まりを作る。シャボン玉のように浮かべてボルタの元へと送った。

「これなら」

「うおお、かたじけないっス。ずずずず」

「まったく、おぬしは魔力の無駄遣いを……」

「まぁまぁ陛下、現在あまり魔力の温存をする必要もないことですし、リゼちゃんの練習にもなりますからよろしいことではありませんか」



 ふつふつと気泡を立てたマグマ溜まりを見降ろしウィズウッドは口を開く。

「しかし、火山が最寄りの一帯で年月が経っているとはいえこれほど溶岩が顔を出すのを見るのは初めてのことだ」

「それは噴火の恐れがあると陛下は予見されておられるのですか?」

「それはない。此処は迷宮の中でも地上よりも遥かに深い。しかもこれは滲み出している、というより湧き出していると見受けられる」

「湧き出している?」

「うむ、さながら砂浜を掘って湧いた海水のようにな」


 付き添いのニーナは一瞬呼気を止め、彼の思惑に言葉を添えた。


「……この溶岩の活性は人為的な産物ということで?」

「自然にできあがった状態にしては些か不自然だと断じたまで。だが、よもや溶岩の中から地表に顔を出せる人間はおるまい。ただの偶然か……」

 ましてや侵入者の形跡(・・・・・・)であるのは勘繰り過ぎではないかと彼は疑念を抱きつつもその場を後にする。



「しかし先程申した魔物は魔族に手を出さぬ制約についてだが、何事にも例外がある。道理で動く高度な知性、あるいは魔族への以上に強い衝動に支配された魔物となると状況によっては敵対対象へと移る場合もあるからな」


 迷宮を徘徊する魔物であればただそこに生息するだけに過ぎない為ウィズウッド達に危害を加えたりしない。

 しかし、役割を持つ個体となれば話が変わる。



「中間に当たる警護の間には守護を担わせた魔物がおる。今もその仕組みが健在であれば認めた主でないと此処は通して貰えぬであろう。一度戦闘も考えねば」

「え、アンタが主人なんじゃないの?」

「それは何時の時代の話だ? 千年もの年月が過ぎていようというのに、おぬしですら忘れるようなことを魔物が覚えていると期待できるか? 幾つもの世代交代がされてもはや主が誰とも分かるまい」



 そうして灼熱の区域を出、今度は水源の豊富な滝壺の洞窟へ。

 たどり着いた矢先、ウィズウッド達の前に問題である大きな鉄扉が立ちはだかる。


 此処を避けては進むことができない関所であると、誰の目から見ても明らかだった。

「余が相手をするにしろ心せよ。本当の魔物は生温き現代においてそれなりに怖ろしいものであるからな」


 固唾を呑む音を背に、ウィズウッドはそのまま扉に手を当てた。

 鍵は掛かっていないのか押すことで錆び付いた重厚な響きをあげてそれは開かれる。


(……やはり、か)


 手応えから密かに確信を得た魔王であったが、それを黙して目の前の生涯に向き合った。




 長年開かずにいた筈の硬質な扉が、知らない僅かなへこみを作って開け放たれた形跡があることを。

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