プロローグ
ヒンダルと呼ばれた山にあるキャンプ場。そこでは地震や火山活動も観測されていないのに崩落が起こっていた。
シーズンではなかったことが幸いして被害者は出なかったのだが、山頂に大きな穴が空いて現在は安全の為に立ち入りを禁止されている。
というのも建前で実際は政府によって別の理由で封鎖が行われ、メディアにもそういった情報操作が為されていた。
鬱蒼と生える木々の中に開通された入り口近辺には無数のテントが張り巡らされ、大勢の掘削業者や研究者の姿が見受けられ、さながら事件現場の様相を見せている。
そこに立ち入ったのは、彫りの深い顔立ちに無精ひげを生やした中年の警察官である。現場捜査に立ち会う為、内部で瓦礫の撤去に勤しむ作業員とすれ違った。
「お疲れさまです警部」
「おう早朝からご苦労さん。で、例のもんはこの中か?」
「はい、まだ落石の危険もありますのでこちらを」
「落石ぃ? バカ言え、あんなにぽっかり穴が空いて降ってくるのは雨だけだろ」
そう言いつつも彼はヘルメットを受け取り、今にも落ちてきそうな蒼穹を見上げる。
モンスターの類に該当する事件に対応して設立された魔物課に所属する谷越ニコラスは、詳しい説明もないまま現場に遣わされげんなりとした気分でやって来ていた。
つい先日までは通報に急行した警備用のゴーレムが暴走および同士討ちによる故障が発生し、その検証に引っ張り回されて原因不明目撃者不在の未解決のまま一段落した矢先である。
なにを発見したのか知らないが、どうせ頭を抱えるような案件だ。何故警察の人間である自分が、毎度こんな騒ぎに関わらなければいけないのだろうか。そんな風に毎度のことながら部署への不満を胸中で毒づく。
突如として発生した大空洞の内部へと降り、じっとりとした熱気に息を詰まらせる。
地熱の大きな活動は観測されていない上に、この地域の気温は未だに二十度にも達していない。それになにかが焦げる臭いが鼻についた。
よく見れば周辺も度重なる爆発でも起こっていたかのように岩壁が真っ黒に染まっている。焼け焦げている。ただの自然現象ではないのは明白だ。
「この中に野生のサラマンドラが数千匹いたとしてもこうはならねぇぞ。どんなロクでもねぇのがいやがったんだ」
「ニコラス刑事ー! にーこーらーすーけーいじー。こっちでーす、こっちこっちー!」
「……別のロクでもねぇのが来やがった」
同じ年代と思わしき男の陽気な声が響き渡る。大手を振って、彼のもとへやってきた。
魔物学士としての一任者となると、案の定奴しかいない。
同じくヘルメットを被り白衣を着た魔族で、血色は悪くやつれていながら年齢に不相応な愛嬌を振りまいている。もっとも苦手な相手だった。
「ご無沙汰ですニコラス刑事! こんな朝早くから仕事熱心ですねー!」
「田中ァ! 名前で呼ぶのやめろって何遍言ったら分かんだ! それとはしゃいでんじゃねぇよテメェもう四十だろ!?」
「いやーすいませんー。語呂がよくてつい」
たははは、と笑いながら田中リゼの父、田中ハイドは頭の後ろに手をおく。
「じゃあえっと……タイめし刑事?」
「たーにこし! 谷越だッ! 刑事じゃなくて警部! それくらい覚えろや!」
「ああそうでしたそれそれ」
頭突きができそうな距離からの叱責にもヘラヘラした態度を崩さない。
それが余計に苛立たせるのだ。虚仮にしているのならまだいいもの、悪意がなくいつもこんな様子であるのだから質が悪い。
そういうお気楽な点で彼が魔族であること以前にそりが合わないのである。
「チッ、とっとと案内しやがれ。世間話する為に来た訳じゃねーんだから」
「かしこまりー」
敬礼のポーズを真似て、軍隊の行進のような所作で田中ハイドは先導する。もう突っ込みも入れなかった。
「警部警部、実は昨晩娘と一ヶ月ぶりに連絡をとりましてねー、春休みが終わり学校始まったんですって。いやぁ父親として面目ない想いですよ。それまで仕事に付きっきりでなにもしてやれなかった。それでも心配して応援してくれたんです。私に似ないでホントよくできた子で」
「お前ん家の家庭事情なぞ知るか」
この手の手合いは構うから助長するのだ。相手にしなければ済む話だと考える。
だが邪険にしていればそれで、
「どうしました? なんか顔が恐いですよ。もっと笑顔になりましょう? ほら、たにこしニコラスでニコニコじゃないですかー!」
青筋を立てても我慢する。気を紛らわせる為に別の事象に意識を向けた。
「くそッ、なんで朝っぱらからこんな焦げ臭いサウナ洞窟なんざに入らなきゃならんのだ」
「魔物関連となると有無を言わさず駆り出されるようですし、そちらも大変なんですねぇ」
「ああ全くだ、それ以上に妙な魔物絡みの騒ぎがある度にオメェと顔を合わせることになるのが一番堪えるがな」
「いやー光栄ですー!」
「皮肉も分からねぇかこの野郎! なぁっ研究者ってことはオメェも大学は卒業してんだよな!? バカでもなれるような──」
「あっ警部、此処からは仕事の話に入りますので。現物をご覧になって説明します」
軽薄だった田中ハイドの雰囲気が切り替わる。研究者としての彼の側面が表に出た。
谷越ニコラスも目的地に到達及び対象物を目の当たりにして言葉を失った。
「これが数日前に発見されたにも関わらず、世間に隠匿した物です」
「コイツはァ、一体……」
「規格を考えるに内部にいたものは相当な大きさでしょう。このサイズだと象さんも踏み潰せるのではないかと」
楕円状で横たわる斑点模様が入り交じる白い物体。石灰質のそれはひび割れて空洞となっており、欠片が付近に散らばっていた。
見た通りの卵の殻である。
問題はそのスケールだった。一軒家が丸々包めてしまえるような大きさで、離れて眺めていると遠近感がおかしくなったと錯覚を覚えるほどである。少し割れた破片の一つで人一人が下敷きになってしまうほどだ。
「おい、どんなのが孵ったって言うんだ」
「殻の一部を分析した結果、現代の魔物を含めたどの生物の情報にも合致しませんでした。しかしDNAの特徴として爬虫鋼に限りなく近いことだけが判明しています。実物はいないのでなんとも言えませんがね」
蛇か蜥蜴か。ニコラス警部は首を横に振った。
「いやふざけんな。こんなのが実物で発見されてたまるか、大昔に絶滅した筈のドラゴンとか恐竜クラスの爬虫類がこの現代に誕生ってか? 冗談はやめろ……」
「冗談と言いたいところですが作り物ではありません。それと、もうひとつ分かったことがあるんです」
淡々と、冷静で客観的に研究者の説明が続く。
「これが大昔に割れたにしては、風化具合が全くありません。原型が殆ど保たれているのがなによりの証拠です。それほど年月が経っていないでしょう」
「それほど……?」
「はい」
「具体的にはどれくらいだ、田中……!」
「推定では長くて此処数年。それまでずっと、この殻は割れていなかった」
そして卵の中身はすっからかんになっている。朽ちているなら亡骸も骨の一本もない。それの意味することを最後まで言う必要はないだろう。
世間に隠す理由を谷越ニコラスは悟る。もし、これが知られたら……
「大パニックで済めばいいんだがな……」
洞窟の天井をぶち破り、地上へと消えた正体不明の生物。そんな嫌な想像をしながら、彼は近辺の捜索を上に乞おうと強く決めた。




