【死殻樹】
地獄の亡者に似た雄叫びが響き渡る。憎悪と怒りに突き動かされ、肉体だけでなく心も怪物として変化していくようだった。
その原因は城山トールがもっとも忌避し、排斥すべき存在としてウィズウッドが認識されたからに他ならない。
「一段とゴーレムらしくなったが、これほどの質量をよく集めて接合させたものだ」
ウィズウッドは敵の変化に感心した様子で見上げる。一貫して脅威を感じる気配はない。
『このォ、レッサー野郎ォォ! ボクの愛スるニーナをよくモォおおおおおおおおお!』
「愛する、だと?」
巨大な瓦礫の巨人と化したトール=ゴーレムの言葉尻にピクリと魔王は反応する。
彼の影が差し迫り、大きな掌が落ちる。平手で叩かれた周りの路上が盛大にバウンドし、アスファルトに沈んだ手形を作った。
しかしすり抜けるようにしてウィズウッドはゴーレムの目と鼻の先で滞空していた。風の魔術で移動を行った。
更にすれ違いざまで彼は杖を振るう。
「【西の烈風】」
直後、横合いにあった腕がなますの如く輪切りにされた。落ちた部位は元の瓦礫に戻ってバラバラに散らばる。
だが、一拍遅れてまた構築されていく。
「ただ壊すだけでは焼け石に水だな。なるほど、攻め口を考えねば」
『ボクらノ恋路をォ、邪魔するなァぁぁぁああ……!』
「笑止、聞くに耐えぬ御託ばかり並べるな。ただ自己満足に酔いしれておるだけではないか」
『アァっ!?』
淡々とした指摘にトールは食いついた。
「おぬしはニルヴァーナのなにを理解した。思い込みで偶像を崇めるだけか。それは果たして愛と呼べはしまい」
無骨な頭部の奥で光るモノアイがこちらを見定めている。
「愛とは相手を尊い慈しみ、理解を深めるものだ。おぬしの想いには決して含まれぬ。己を満たす捌け口にする程度で語る道理なし」
地上から浮き上がったウィズウッドは目と鼻の先で向かい合って問いかけた。
しかし相手にその言葉は届かない。握りつぶそうとしてか、幾度となくウィズウッドを掴みかかろうとして空を切る。
『五月蠅い! あいしてルんだアイしてるんだボクが一番愛してるンだァアアアアアアアアアアアア!』
巨漢の腕からラリアットが繰り出された。不穏な風切り音を引き連れる。
なびくマントがすかさず盾となり、重厚な衝撃ごと受け止めた。体格差をものともせず、ウィズウッドは微動だにしない。涼しい顔で言ってのける。
「所詮、打算にまみれた欲情であろう」
『黙レェエエエエエエエエエ!』
絶叫。両手を組んで振り上げたそれから籠められた【光閃】の残滓が漏れた。癇癪を吐き出すように鉄槌が落とされる。閃光が爆発した。
壊滅的な被害をもたらす筈のそれが、衝撃波が起こったのとは裏腹に息を潜めた。
辺りの建物には数え切れない枚数の【魔障壁】がところ狭しと並べられ、ひとつ漏らさず守っていた。ウィズウッドは片手でゴーレムの両拳を平然と受け止めながら、杖を構える。
「これで終わりか?」
最後通牒は送っている。これから先に起こることは城山トールが選んだ結末である。
「コイツをくれてやる。魔王の片鱗、特と知れ」
底冷えするような声音を契機に、魔王はありったけの魔力を起こす。
漆黒のシジルがゴーレムの周辺を取り囲んでいくつも展開された。前に掲げた『レーヴァ』の杖はマグマが活性するように赤熱の輝きを放つ。
なにかをされると悟った巨大ゴーレムが動くよりも早く、ウィズウッド・リベリオンの詠唱は紡がれた。
「──魔王等級魔術、【死殻樹】」
サークル状に浮かんでいたシジルより出づるのは、真っ黒で大きな樹木の根だった。加速的に成長を遂げて空へと伸び、標的にからみつく。
『ナ、ンダコレ、ハァ!?』
ゴーレムを完全に抑え込み四肢を締めあげる。その力は際限を知らず、巻き付いた部位から嫌な音を立て始めた。
「これは余が作り上げた地上を滅ぼす魔術だ。あらゆる力を吸い取り自らの糧とし、望めばこの根は永劫に成長を続ける……流石にそれには全てを注がねばならぬがな」
宙に吊り上げられ、虚しく抵抗するトールにウィズウッドは告げる。
それから腕が豪快にもぎ取られた。順にからみつく各部位が解体され始める。
そして一本の根が胴体を穿ち、貫いた先で爆発的に枝分かれした。
「ぐわっ」
構成されていた瓦礫が崩落する最中、力業で本体が引き摺り出される。例外なく黒樹の根に胴体が捕まり、身動きを封じた。
「離セ、クソっ」
腕から【光閃】を繰り出そうとして根の破壊を試みるも、撃ち出されたものは糸のように細い。威力が弱まっていた。
「言った筈だ、あらゆる力を吸い取ると。おぬしから直接魔力も吸い上げておるのだ。もはやまともに魔法も使えぬよ」
戸惑うトールの眼下から地面に降りた魔王が解説する。
「ところで、ゴーレムであるおぬしの原動力もまた魔力であろう? それが尽きた時、さてどうなるのか」
「……ッ!? よ、よせ、やメろ!」
「生身を捨てたことが仇となったな、だがもう遅い。我が身を省みず、此処まで踏み切ったのだ。当然こうなる覚悟もしていよう」
手も足も出ない状態での宣告に、流石に自らの危機を察知したのか、トールは動揺する。
「分かった! 分かった分かっタ! もう君達に手は出さない! 金輪際関わらないと誓ウ! だから、だから……!」
「ほう、随分しおらしくなったな。そこまで殊勝に降伏するならば慈悲を施すのも考慮の内に入ろう」
「助けて、助けてくださイ! 襲って申し訳ありませんでした許して許して殺さないでッ!」
だが、と決死の命乞いを繰り返す人形にウィズウッドは疑問をぶつけた。
「この場から逃れる為に、ニーナも諦めるというのか」
「ソれ、は……!」
「土台無理な話であろうな。分かっておる。そのような姿になり果ててまで追い求めたおぬしが、到底二度と顔を合わせぬと誓える筈もあるまい。故に、とるべき行動はただ一つ」
結論はとっくに決まっていた。
持っていた杖が一際妖しく発光するのと仰せて、黒樹の根の動きも活発になる。トール=ゴーレムを包むように絡み合い、内部へ引き摺り込んでいく。
「永久に眠れ、黒き森に抱かれて」
「嫌だ! 嫌だ嫌ダ嫌だ! 死にたクない死にたくないぃぃぃいいいいいい──」
言下が降され彼は根に呑まれた。絶叫が途絶え、静かに木々の蠢く音だけが空疎に続いていた。
やがて黒樹の根は自ら這い出たシジルに引っ込み、その場には戦闘の形跡だけが残る。
「あやつめ、随分と散らかしてくれたものだ。流石にこのまま去るのは忍びない、少しは片づけてやるか」
ウィズウッドが杖を躍らせるなり周囲に変化が起こる。
瓦礫や鉄筋が欠損した建物の中に戻っていき、あたかも時間が巻き戻されるように修復していく。陥没してボコボコになった路上のアスファルトも綺麗に整地された。
路傍に転がったマネキンの腕がポツンと落ちていたところに目が留まり、有無を言わさず杖を突きつけると炎が燃え上がる。
黒い根があった場所には無数の写真が散乱している。被写体はすべてニーナの姿であった。それらにも火を放ち、黒ずんで灰となった。
「さて、これで後始末は済んだぞ。面倒なことになる前にこの場を……リゼ?」
何事もなかったように呼びかけるも、立ちすくんでいたリゼに返事はない。一部始終を目の当たりにして絶句しているようだった。
ショックを受けていても無理もない話である。元来彼女は魔族である以外は普通の女子高生で、路上の喧嘩ですら経験がないのだ。
「余が怖いか? 恐ろしいか?」
核心を突いた質問に、リゼはビクッと身をこわばらせる。
城山トールはゴーレムとして自ら肉体を捨てた。されど元は人間であり、意志があった。それを葬ったのは紛れもない事実である。
彼女はうつむきながら、恐る恐る口を開いた。
「……正直言って、怖いよ」
その目はかつて同じ姿をしたウィズウッドをコスプレする変人だと見ていた。だが今となってはもうそんな視点とは無縁となった。
倫理観が、手にかけた彼を無意識に拒絶してしまっている。
「であろうな。前述の通り、地上を滅ぼし容易く大勢の命を奪い去る恐ろしい力だ」
「分かってる! 相手がこっちの命を狙ってて、やらなきゃやられていたってこと! アンタ魔王だし、昔じゃこんなこと珍しくもなんともなかったんだと思う。それに、見逃したら次またいつ襲われるかも分からない。だからそうしたわけだし、守ってくれていたのもしみじみ感じている、でも……!」
「理屈では理解できようと、感情まで納得がいかぬのも無理はあるまい。その感性はどうしようもなく正しい」
あえてウィズウッドは倫理的、道徳的に拒絶されたことを真摯に受け止め、認めていた。そうすることでリゼと誠実に向き合うと考えたからだ。
「その上で余を否定するがよい。そして此度の出来事はなかったことにしてくれ。さすればニルヴァーナ……ニーナはなにも知らずに傷つかぬ」
「ウィド……」
「おぬしには義理もなく少し世話になり過ぎた。出立のちょうどよい頃合いであったな」
マントを翻し、その場を後にしようとする素振りを見せた。
「直に人払いも解ける。面倒なことになる前に此処から離れるがよい」
「待って!」
しかし、リゼは引き止める。
僅かに振り返り、視線を送る。猛禽のように鋭く、年老いた獅子のように落ち着きと貫禄があった。
「まだ、アンタに教わってないことが沢山ある。学校だって始まったばかりだもん! 色々残して勝手に去らないでよ!」
にも関わらず、少女の強い意志の表明が彼にぶつけられる。
「別にあのままいたっていい! パパも許してたし、家捜しなんて簡単にできるわけないじゃない! 先生も心労を掛けずに済む点はあたしの利害が一致してるから! アンタはあの家にいなさい! いるべきなの!」
「しかし」
「その凄くゴツイ格好もいつまで着てるの早く戻しなさい!」
有無を言わせぬ剣幕に、ウィズウッドは無言で制服姿に戻った。
それから手を引かれ、本来の帰路へと半ば無理矢理連れ出していく。なにも知らずにいた周囲の喧噪が付近に戻り始めた。
「……リゼよ」
「玄関まで絶対放さない」
「手汗が滲んでおる」
「サイッテー!」
前言撤回した彼女が素早く手を引っこ抜き、彼は肩をすくめる。
「非礼を詫びよう、おぬしを見くびっておった。今回のように余の巻き添えで傷つき怯えさせるならば、不容易に干渉せぬ方がよいと考えた余が浅はかであった」
「だから距離を置こうとしたって? やっぱりバカでしょ」
「返す言葉もない」
リゼもため息を吐き、やがて申し出る。
それが仲直りの合図になった。
「帰ろ? 先生が先に着いてるかも」
「……この件はくれぐれも」
「言わないよ言いたくもない、殺し合いがあったことなんて……当分忘れられないかな、城山さんが死んだこと」
「む? なにやら勘違いしておるな」
「いやアンタさっきトドメ刺したじゃん!」
「城山トールは生憎生存しておるわ。いやはやてっきりおぬしは余の力に恐れを為したとばかり」
間が生まれた。その反応にウィズウッドは首を傾げる。
「ハァァ!?」
「確かにゴーレムとなったが恐らくアレは不完全であった。まだ生身のつながりが残っていたとして、肉体が無事であったのなら息を吹き返しておるであろう」
「それはそれでダメじゃん! またストーカー続けて奇襲されちゃうじゃない!?」
「いやそれはないな。故に、死を仄めかせたのだ」
と、魔王は即座に否定する。
「そのような執着する意欲も対抗しようとする気力も【死殻樹】に吸い取らせてやったわ。魔力だけでなく精神力も例外ではないからな。それに、相当な恐怖も刻みつけられたであろう。あやつはもう、再起不能だ」




