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魔王、轢き逃げに遭う

 水滴の打つ音が反響する。

 生暖かい水溜まりに身体を浸されていた彼はふと意識を取り戻し、むくりと身体を起こす。静かな暗闇の中にいた。


 傷は塞がり、魔力も完全に回復。それどころか普段よりも力に満ち満ちている気がした。

 思考がハッキリしたところで疑問が降ってきた。自分はもう助からない筈だ。


「余は、生きておるのか?」


 無意識に顎をさすると更なる違和感に気付く。

 感触がおかしい。モサモサがツルツルになっていた。具体的に言えば豊かな白髭がものの見事に抜け落ちていた。



 すぐさま魔力で光を灯し、水面に映る己の顔を見やる。

 見つめ返していたのは枯れきった老人ではなく、十代後半の魔族だ。

それからしわくちゃだった筈の手を裏返し、ハリがあることを確認。

 若い自分の姿がそこにある。自分が魔王を継承した頃の外見だ。



「どうしたことだ、これは」

 寿命もそう長くはなかったのだが、みずみずしく若返っている。その事実にウィズウッドは戸惑いを隠せずにいた。

 夢でも見ているのかと思っていても、目の前の景色は変わることがなかった。



 やがて意識を周囲に向ける。木の根に囲まれた密室空間を見渡し、水とは違った液体を掬い上げる。


 世界樹からしみ出した樹液であると魔王は推察した。滲み出た希少なそれには癒しの力があることは知っていたが、若返りの効果まであろうとは。

 そもそも、こんな場所であんな深手を癒せる程にこの樹液が溜まることなど考えもしなかった

 もしもこれが現実であるなら、奇跡と呼ぶ他にない。



「ユグドラシルよ、余に生きよと申すか」

 答えの返ってこない問い掛けをしながら、ウィズウッドは立ち上がる。外は──地上ではどれだけの時間が経ったのだろう。

 とにかく此処から出ようと思い立ち、彼は空に手をかざす。



「【魔空穴(ジョウント)】」

 十二分に戻った魔力を用いて魔術を行使する。なにもない場所に歪みが起こり、地上への出口を作り出す。

 遠隔地への空間接続。限られた者が扱える利便に長けた魔術であった。

 空間の穴に足を踏み入れ、魔王は瞬く間に移動を行う。




 そうして二度と浴びることはないと思っていた陽光を魔王は浴びる。

飛び込んで来た見覚えのない光景に目を疑う。確かに自分は真上の大地に転移した。

「はて、此処は一体何処であるか」



 しかし、これまで自分が統治していた土地とはまるで別の風景が目に映る。

 街があった。否、これはもはや都市が存在していた。

 記憶では此処は不毛の荒野であったのに、見知らぬ建物がひしめき、道が舗装されている。

 闊歩するのは殆どが人間で、魔族の領土であったことなど見る影もない。



 唯一の名残と言えば、山々よりも巨大な一本の樹木。まぎれもなく世界で唯一の大きさを誇るユグドラシルだ。

 青々と枝に緑が茂り、街並を木陰で覆っている。太古の時代からずっと枯れることなくこうして存在し続けているのだ。

 なによりその特異な性質として、マナと呼ばれる万物に宿った魔力の源となる物を世界中に放ち、大地を豊かにしていた。



 すなわちそれが植わった此処はユグガルドの大陸で間違いない。自身の知らぬ間に変化が起きているということだ。

 文明のレベルも遥かに違う。上空には船がゆったりと空を飛び、並の城よりも高い建築物が無数に建っているのだ。


 まるでとんでもない産業変革が起きたようで、何度目なのか分からない混乱が魔王を襲う。

 馬なき馬車が街路をいくつも行き交っておるぞ、と物珍しさにつられて道路に入るなり、



「ううむ信じられん。果てしなき灰色の道に張り巡らされた黒き紐とそれが幾重も結び付いた灰色の柱。魔術的な効果があるのか? 何処からこのような技術──ごばぁっ!?」

 ガッツーンッ、という豪快な音を立てて魔王は吹き飛ぶ。

 背後からなにかが衝突した。

 ゴム質の車輪が唐突な強い制動に悲鳴をあげるもすでに手遅れ。数トンの重さを誇る車体に撥ねられる。

 彼は見事に宙を舞い、地面とキスをする。



「……マントがなければ即死であった」

 ピクピクと舗装された路面に倒れた魔王はひとりごちる。


「ど、何処歩いてんだこのレッサー野郎! クソがッ」

 運転席から中年男性の焦り捲し立てる声が聞こえたかと思うと、撥ねた車を急発進させてそのまま走り去る。

 どうにか魔王が復帰する頃には轢き逃げ犯は遠ざかっていた。



「……ク、クフフ、クハハハ、やってくれたわこやつめ」

 交通ルールなんて露知らぬ魔王は自嘲を零して睨みつける。今なら魔術で攻撃しても届くだろうか、と考えている矢先に声が掛かる。



「ちょ、ちょっとアンタ大丈夫!? 車に轢かれたでしょ! 病院行く!? それとも警察呼ぶ!? とにかく道路に居たら危ないから!」

 身を案じる様子で少女がその場に駆け付けた。慌てて魔王の手を引き歩道に連れ戻す。



「怪我はない? どっか痛む?」

「余を甘く見るでない。この程度、痛手の内にも入らぬわ」

「え、あ、えーと。なに? 演じている感じ? どっかでやっていたイベントの帰り? そういうとこあったかなぁ」

「なにを言っている。ところで、此処は何処だ」

「え? リアヘイムの首都、エスダーンだけど?」

「そうか……それで、おぬしも魔族であるのだな。人間どもがはびこる中でよくぞ無事であった」



 制服に袖を通した少女は薄い小麦色の肌に外ハネしたショートの黒髪。そして魔族の特徴的な角に、やじりのような黒い尻尾が赤いタータンチェックのプリーツスカートから伸びていた。

 魔族といっても肌の色や角と尾の有無に個体差があり、ウィズウッドは尾がないのだが少女は全てを取り揃えている。魔族という点でかなり目立つだろう。

 そんな彼女は彼の行動に目を瞬かせた。



「余は此処に宣言しよう。戦争は終わった。惜しくも我等魔族は敗れてしまった。余の力が至らず面目もない。……だが小娘よ、恐れることも嘆くこともない。この魔王、ウィズウッド・リベリオンの名にかけて貴公の安全を保証しよう」

「は、はぁ」

「戸惑うのも無理はない。老体であった筈のこの身が、こうも若返ったなどとはにわかに信じられぬだろうからな」

「そういう、設定かなにか?」

「それはさておき、先程余を撥ねた御者の身元を知らぬか? 戦勝の空気に浮かれておったのか人間め。あのような馬車、後に魔術で消し飛ばしてくれる」

「知らない……とりあえず警察を呼んで……いや、この様子だと向かった方が早いかな」

 言って彼女は長方形の小型な手鏡を取り出し、指を滑らせ始める。



「えっとぉ、最寄りの交番は」

「なんだそれは。鏡面がなにやら映しておるぞ」

「そういう昔の人みたいな演技いいから。ミラホくらい誰だって知っているでしょ? 携帯魔鏡(ミラーズホン)

「魔鏡の通信技術がこれほど小型に扱えるとは。何処の国から流用されたのか」

 ジト目で興味津々な魔王を一瞥しながら彼女は操作を続ける。簡略された地図を動かす。



「ほら、此処。分かる? 歩いてすぐみたいだからそこへ行ってお巡りさんに事情を説明してくださいね」

「誰に話すというのか。よもや人の憲兵であるまいな? 敵国の犬の許へ赴けと言うのなら断る。それともむざむざ首を晒せと申すか」

「ああやっぱり頭打ったみたい病院行こう……」

「それに、生憎寄り道をしている場合ではない。今は城がどうなったのか確かめねば」

「その見た目が既に人生の寄り道だからね」

 刺々しい魔王専用の鎧を指摘され、ウィズウッドは純粋に尋ね返す。



「なんら問題でもあるのか?」

「公共の場でそんな恰好していたら何処もかしこも問題だらけでしょ。コスプレイヤーだからってのめり込み過ぎ。もういい加減にしてよみっともない」

「コスプレイヤーとは?」

「そういうおかしな恰好で遊ぶ人のこと!」

「なるほどつまり道化のことか。否! 余は違う。魔王だと何度言えば分かる……いや、もうじき元魔王か」

「……あーハイハイ。もういいや。じゃあどうしたいんですか魔王サマ」

 こめかみを抑え、少女は降参の意を示す。なにを言っても無駄だと悟った。

 ウィズウッドは憮然として「無論、帰ることだ」と芝居がかった動きでマントを翻した。



 それから手をかざし、再び彼は魔力を操る。そして己の馴染みある場所へと移動するべく魔術を発動しようとした。

「城への道を開く。一緒に来い……【魔空穴(ジョウント)】」



 詠唱の呟きだけが残り、なにも起こらない。

 少女は傍から見ると奇行をしでかす彼に対して、首を傾げた。


「……む? 何故だ、城に座標を合わせたのだが開通せんぞ。馴染みある場所ならばできる筈だが」

「なにが、したいの?」

「少し待て……ならば少々位置を変えるか。城門に【魔空穴】、玉座に【魔空穴】、余の寝所に【魔空穴】! ……ううむ繋がらぬ」

「やっぱりこの人ちょっとおかしい……」



 ドン引きする彼女を余所に、ウィズウッドは考える。

 ワープができない。その原因を考えるとすれば条件が合致していないことが濃厚。少し離れた場所を座標するとなると、正確な位置と状況を理解していなければならないのだ。

この地形の変化と同様、城にもなんらかの動きがあったせいだろうか。

 たとえば馴染みのある部屋があったとして、そこが知らない内に模様替えを行われただけでも移動は行えなくなることはある。

 つまり城へ戻るには一度、自らの足で赴かなければならないことになっているということだ。



「小娘よ、余の城……グリーンウッド城は何処であるか」

「グリーンウッド城ならバス停があるからそれに乗って一時間くらい、かな」

「そこに連れて行け。順路が分からぬ」

「ええー? どうしてあたしがそこまで……」

「当然だ。城へ行けば余の計らいでおぬしの身柄も保証出来よう」

「その前にさぁ、事故の方を……」

「城が先である」

「……分かった。分かったから、城まで案内すればいいんでしょ?」



 溜め息を吐きながらも魔族の女子学生は了承。

「では行こう。小娘、名は」

「リゼ。田中リゼ」

「なんとも独特な名であるな」

「大きなお世話」



 リゼを名乗る少女に先導され、見違えた大地を魔王は歩み始める。


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