堀門ギルバート
「おぬし、何者だ。何故余のことを知っている」
「ボクはギルバート、堀門ギルバート。学校では大活躍だったね、その件で話したいことがあるんだけどちょっといいかな」
そう静かに名乗りをあげた彼は、ウィズウッドを図書館の外へと促した。
「さて、わざわざ場所を変えて余に何用だ。よもや星村レティシアとやらを降した御礼に参ったわけではあるまい」
図書館から少し離れたところで腕を組み、尊大な態度で彼は本題に入った。
考えられる少年の動機としては、仇討ちの線が一番高い。だから万が一にも戦闘が起こることを考慮に入れていた。
それに堀門という名前には聞き覚えがある。確か、校内で高い魔力を有する生徒の中でもトップに秀でていた筈だ。
同一人物であれば、相応にできるのだろう。
「そう警戒しなくても大丈夫。代わって詫びにきたのさ」
しかし、思いの外穏やかに両手を前に出して戦闘の意思がないことを表現する。
「ほう、詫びか。意外な申し出だ」
「我ながら損な役回りだよ。さっきの呟きがレティのことなら気に病むことはない。彼女、プライドが高くてね。以前からよく揉め事を起こすんだ。こうして決闘になるほど対立する段階まで行くケースはなかったんだけど」
ギルバートは愛称で呼んで関係を仄めかす。
「まぁ、と言ってもあくまで建前に過ぎないさ」
「建前とな」
「そう。試合、凄かったみたいじゃないか。他の生徒から度々図書館に通っているらしいと聞いてね、一目見てみようと此処を訪れたのは当たりだね」
人の口に戸は立てられない。前々から目撃されていたようだ。
「ボク個人として興味が湧いた。編入の噂もあるようだけど本当かい? だとしたら君とはとても仲良くできそうだ」
「よ、余に関心、だと?」
「そう、気が合いそうだね」
気さくで物腰柔らかにギルバートは語る。
反してウィズウッドの反応は思わしくない。動揺すらうかがえる。
「どうかしたのかい? 失礼があったかな」
「いや……」
やや渋面を広げて魔王は言う。
「その、なんだ、男色の気は流石に少々……引く」
「ホモじゃねェよ!」
「ち、近寄るな。そのような誘いには乗らぬ!」
「だから違うって言って──あっ、コラ! 後退するな! そんな気は欠片もない!」
現代の貴公子のような容姿からはあまりにかけ離れた調子で声を荒げる。
すぐさまハッとした様子で咳払い。
「……すまない、取り乱した。勘違いしないでくれ。純粋に君というイレギュラーさに目を惹かれたんだ。戦闘の顛末は話で聞いただけだが森野くん、随分卓越した実力を持ち合わせているみたいだね。皆も『魔族とは思えないほどに強力な魔法を扱っていた』と持ちきりになっているよ」
「魔族とは思えぬというのも心外な物言いだな」
「そこは客観的な事実だから仕方ないよ。魔法の扱いにおいては平均的にも人間が秀でているのが現状だからね」
そう言いきられたことにウィズウッドは認識の齟齬を覚えた。本来であれば魔術や魔力操作の分野に関しては魔族が人間に劣る筈もない。
それが今や彼等の方が魔法の主導権を握っているというのか。ましてや簡略化されているにも拘らず、真逆の評価になっているのはどういうことだろう。
書物で調べた知識だけではそういった合点のいく話は記載されてはいない。
「どうやら少し世俗に疎いようだね」
「生憎この都市に足を運んだのはつい先日。今の世情にも馴染みきっておらん。先のような試合も初めて行った」
「おや、それは凄い! 素人であのレティを圧倒したなんて、随分才能があるようじゃないか。感想を聞きたいな、君はこの魔戦興行についてどう思うかい?」
「道楽の中でも中々趣があると言っておこう。昨今の平和な世で、かつての戦争背景を比較的安全な娯楽として扱い、今も尚受け継がれていることには脱帽した」
問い掛けへの答えにギルバートは薄く微笑む。
「へぇ、面白い言いまわしだね。まるで昔の人みたいだ」
「おぬしもこの児戯で腕に覚えがあるようだな。潜在魔力に見合う実力は持っていよう」
「否定はしないよ。だけどボクにとってのコレは本気だ。来月にはプロ入りの選考を狙っているからね。児戯と言われるのは少し本意じゃないかな」
語るにつれ、たたえていた微笑の質が変化する。その掲げた誓いは全くふざけていない。
「では、それでなにを目指す」
「頂点」頭上を指さし、大言壮語さながらに彼は言う。
容姿端麗な容姿にそぐわぬほど、こちらを見る眼差しは無垢な子供のようにまっすぐであった。
「強いて言うならトップチームへの加入、そしてエースとしての活躍。いずれは世界にこの名を轟かせることが目標かな」
「……なるほど、大きく出たものだ。だがその気高き志、偽りではないようだな」
「もしも君がこの界隈に踏み込んでくる気でいるのなら、今の内に挨拶を済ませておきたかったのさ。この学校にやって来る生徒の大半は、魔戦興行に力を入れる。君だってわざわざ途中から入ってくるんだ。関心はあるんだろう?」
「否定はしない」
「参入するのかしないのかは知らないけど、どちらを選ぶにせよ素養があるのは間違いないからね。相手が欲しかったんだ。君がよければお誘いをかけるよ」
そして物腰の柔らかさとは裏腹に、挑発的な真似をしてのける。
それまで仏頂面だった魔王は口元をほんの少し吊り上げた。現代の若者は大分威勢がいい。
「検討しておくとしよう」
「期待して待っているよ」
「だが」
「だが?」
「……その誘いとやらにはなんの含みもないのであろうな?」
「だからホモじゃねェよ! 普通に試合の相手としてだ! ああほんと、調子狂うね!」
そんなこんなで彼が立ち去るのを見送って間もなく、背後から駆け寄る足音を聞いた。
振り返ると、息を切らしながらリゼが話しかけてくる。
「今話していたの、もしかして、堀門先輩……!?」
「と、名乗っていたが」
「嘘っ、どうしてこんな場所で! アンタとどんなことを話すのか全く想像できないんだけど!?」
何故か声を弾ませて巻くし立てる。
羨望に近い感情の色を感じた。
「特になにも……だが、危ないところであった」
「え? 喧嘩にでもなりかけた? いや、暴力を振るうような乱暴な人じゃないよ、むしろ女子に凄く人気で……あ」
言い掛けてリゼは話を途切らせる。先程の口論があったことを思い出した。
だがこちらに足を運んだのは堀門ギルバートがいたからではないだろう。直前まで知らない様子で、家に帰宅していた筈だ。
躊躇う彼女に対し、ウィズウッドは迷わず前に出る。
「リゼよ、忘れ物だ」
杖を差し出すなり、恐る恐る受け取る。
「ウィズウッド、あのね、さっきはその……」
「許せ、余の配慮が至らなかった。自らの基準で道理を語っていたことを詫びよう」
「え」
「時代は変わっているのを失念しておった。現代なりにしがらみがあるのだろう。敗者であり時代遅れである余が、今更のたまっていいことと悪いことの分別をつけずして招いたことである」
「あ、それは……」
「魔族が蔑まれる一因であったという指摘は謹んで甘受せねば。それも魔王であった余の責任だ」
魔王が進んで切り出した。王が非を認めるのは褒められたものではない。つまり、それは彼なりに折れた誠意である。
するとリゼも首を左右に振った。
「……こっちも同じ。客観的に考えたら、アンタの言ったことが正しいもん」
「しかし正しさで語る道理とは悪戯に振り回す刃も同じだ。使い手が正しく用いなくては迎合されるべきものではない」
「なにそれ、変な言い回し」
クスリと笑う。息苦しい空気が自然と柔らかなものになっていた。
「言うのが遅れた……庇ってくれてありがとう」
「礼には及ばん。口を挟むべきと考えた末の結果だ。あまり表立つのは良くないとニルヴァーナにも釘を刺されたのでな、旗色が悪くなる可能性がある以上今後は言動も慎もう」
「だけど試合も凄かった。やっぱり魔王なんだね、同じ杖なのにこうも違うなんて。レッサーだからって諦めていちゃダメだよね」
「あまり自身で名乗り上げるものではない。己の尊厳を貶めることに繋がる」
「でもあれがあたし達の現実。人の方が色々勝っているし、強気には出られない」
微笑みは自虐的になった。ボロボロになった杖に目を落とし、彼女は続ける。
「あたしのおばあちゃん、魔戦興行の有名な選手だったんだ。魔族の中でも特筆して強力な魔法を使って世界大会で優勝もしたこともあるんだよ?」
そういえばと彼はリゼの自宅に古びたトロフィーがあったことを思い出す。それとその杖を受け継いだのだろう。
「まだ生きていた頃に魔力の使い方も教わって『貴女も立派なウォーロックになれるわね』って褒められてさ、頑張っているつもりだけど全然ダメなんだ。見たでしょ? あの情けない魔法の発動。全然上手くならない」
「……」
「今のこんな姿見たらなんて言うかなぁ」
魔族の少女の嘆きを前に、ウィズウッドはおもむろに口を開いた。
「これから変わればよかろう」
その声にリゼは顔を上げた。
「リゼよ、おぬしは祖母の言った言葉を捻じ曲げたくはないのだろう。なれば余の指南の下、人間どもに引けを取らぬ力を身につければよい。いつの世も強さとはただ在るだけで価値を持つようだからな」
魔王自らが実力を発揮しても、彼女の身辺を解決するには限界がある。
であれば、本人の前提を覆すしかない。
「ずっと考えていた、今となって現世に蘇ったその意味を。未だ見つからぬが今なにか余にできることがあるのならそれに準じよう」
戸惑う彼女に申し出る。
落ちこぼれの認識を誰よりも優れた実力者として塗り替えればいい。
レッサーなどと吐き捨てた輩が、自身こそ劣っていることを学び恥じるように。
「……それが、アンタのやるべきこと?」
「先程話しそびれたのだ。おぬし次第の話であるが、どうだ? あのくだらぬ愚弄の数々を払拭したくはないか? リゼであれば正しく扱えよう、道を違えぬと見込んでのこと」
彼女だって悔しい筈だ。嘲笑われ、見下され、蔑ろにされ続けて良いわけがない。
しかし逡巡を見せた。
「あたし、魔力を持て余すだけの落ちこぼれだよ」
「案ずるな。魔王として約束する。もし教鞭を受けるのなら、誰にも劣らぬ魔導を授けよう。魔法はもとい、魔術すらも扱えるようにしてやる」
「……」
「当然、現代の者にこのしごきは少々過酷やもしれぬぞ? そうでなくては余が教える意味がないからな」
「……そこまでしてくれるのは同じ魔族だから?」
「それもあるが、今の余がおぬしに恩を返すとすればこのような真似しかできぬ。つまりは誠意だ」
彼女には十分に世話になった。だから困っているのなら手を貸すことにためらいはない。
間を置いて、田中リゼは頷く。決意のこもった眼差しで。
「じゃ、あたしに教えて。おばあちゃんと約束した、立派なウォーロックになる為に」
「では此処に誓おう。このウィズウッド・リベリオンの名にかけて、田中リゼを稀代の魔導士として育て上げることを」
「お手柔らかに」
約束は為された。この瞬間より、魔族の少女が魔王の指南を受けることとなった。
そして、この先に待ち受けるものを二人はまだ知らない。




