魔王VS星村レティシア
バサリと、教科書類の数々が地面に落ちる。
手から滑らせた張本人であるニーナだったがそれどころではなく、騒動を前に髪色にも劣らない程に顔を青ざめさせていた。
人だかりの中心である訓練場のコート内には二人の男女が立っている。一人は彼女の良く知るウィズウッドと、もう一人は女子派閥でも最大の勢力を率いた有名企業の令嬢である星村レティシア。
成績優秀というだけでなく運動神経も高い名実共に揃った優等生で、魔戦興行の腕も上から数えた方が早い実力者だ。
「い、一体なにがあったの……?」
戻った際には既に彼がいなくなり、あの場に移動していることに理解が追いつかない。明らかに練習の飛び入り参加という雰囲気ではない。
状況から察するに、なんらかのトラブルがあり試合という体裁での喧嘩にまで発展したのだけは分かる。
これは不味い。そう思いながらもその場に介入することを躊躇う。教師として諫めるのは難しくないが、むやみに干渉してウィズウッドと自分の関係が明るみに出るのだけは避けたい。
それに事情を知らず生徒達が自主的に行っている練習試合を強引にやめさせるのは不自然だ。なんら違法性もないのに怪しまれるだろう。
この場は静観が最善か。
そうして努めて冷静に判断しながらことの行く末を見守ることにした。緊急の際には迅速に動くことを心に決める。
彼のことだから、いたずらに生徒を傷付けるような真似はしないだろう。好戦的でなく、物事に分別のつかない人ではないことを彼女はよく知っている。
なにかしら譲れない理由でこんな事態に発展させてしまったのだと推察する。
心配なのは魔王としてのボロが出てしまわないかどうかだ。現代の杖を扱うのは初めてである彼が、自らの力だけで強大な魔術を行使してしまわないかとニーナはヒヤヒヤしていた。
(お願いいたしますよ、陛下……)
勝ち負けが重要ではない。どうにか常識の範囲内でやり遂げることを彼女は願った。
この競技は戦争の状況を再現すべく様々な方式が設けられ、四つの階級で区分けされている。
Aランク方式──相手チームの全員が脱落するまで闘い続けるアライブ。Bランク方式──互いの陣地を奪い合うベーシック。Cランク方式──指定された評価点を稼ぎ総合ポイントを競うカウント。
そしてこのDランク方式──デュエルのルールは非常にシンプルだ。一対一で試合を行い大きなダウン、降参、舞台から場外になった時点で敗北と判断される。個人同士で唯一行える競技種目である。
それと協議に当たって大別された戦闘スタイルは魔法を主軸に置いた魔導士と魔力を主に肉体の活性に用いる戦士の二種類。それらがぶつかることを評して魔戦興行と呼ぶ。
前者のウォーロックにあたる二人は向き合った。金色のロングヘアを優雅にかき上げたレティシアが杖を前に構えながら言った。素人さながらに魔王ウィズウッドは棒立ちとなっている。
彼女の持つ杖は黒を基調として金の彩色が基調されており、見るからに高価な印象が彷彿される。対照的に彼が持つリゼの杖は傷が目立ち、比べてしまうとみずほらしくて見るまでもない。
「随分と無防備な姿勢ですわね。お覚悟はよろしくて?」
「いつでも来るがよい」
「では遠慮なく──緑の一階!」
火蓋は相手の詠唱で切って落とされた。
指揮を執るように杖を振り上げると彼女の周囲から何処からともなく烈風が吹き荒れた。
魔力を変換させて産み出した一陣の風が逆巻き、束ねられたそれらが孤を描いて放射状に飛び出す。
まさにそれは、風の刃。
「【ウィンド・カッター】!」
こちらへ無数に迫る魔法攻撃に対しウィズウッドは持った杖を跳ね上げた。
「……こうか、【ウィンド・カッター】」
見様見真似で同じ魔法を噴射する。風の魔術でも似通うものがあった。
しかも限りなく威力を抑え、同等の威力になるように手心を加えている。
幾つもの風刃が衝突し、相殺された。拮抗した状況を作り上げる。
「やりますのね。けれど、今のは挨拶代わりですわ」
「そうして能書きを垂れる決まりでもあるのか?」
「その余裕、いつまで保てますかしら!? 金の二階!」
両手で持った杖の先端に雷電が迸る。唱える階層が上がったということは、その分威力を伴っていると見て良いだろう。
「【サンダー・ブレード】!」
今度は幅広の剣を模した雷の魔法が飛び出した。
魔王も素早く同じ魔法を産み出す。
「【サンダー・ブレード】」
剣先が接して鍔迫り合いになった。けたたましい音と共に火花を散らして霧散する。同じく相殺だ。
「また物真似ですの!」
「様子を見るのに丁度いいのでな」
魔術に精通した彼にとって魔術の組み立てが不要となったこの杖は便利の言葉に尽きた。様子を窺ってから後出しで魔力を通しても間に合うのだから。
と言っても自分の力で発動させた方が出力も扱い易さも比べ物にならないのだが。
「赤の一階! ではこれなら如何!?」
レティシアの周囲に今度はたくさんの丸々とした炎が作り出される。それはリゼが発動していたのと同じ魔法の【ファイア・ボール】だが、手数を用意してきた。
「【ファイア・ボール・スウォーム】ッ!」
「今度は曲芸とな」
ウィズウッドは真っ向から迎え撃つべく、同じく業火の球を展開する。容易く模倣されることに彼女は顔をしかめた。
数は数十にも及び、互いの浮かべた火の魔法が一斉に動き出す。総攻撃が始まろうとしていた。
「盾よ! 【シールド】!」
その際に被弾を恐れたのかレティシアは自分の前に青白く光る円陣を張る。
(簡易的な【魔障壁】か)
属性以外の魔法を目の当たりにして感心を示した。
「貴方は【シールド】を張らなくてもよろしくて!?」
「構わぬ。全て撃ち落とせばよい」
「なっ!? 馬鹿にしてぇ! では防いでごらんなさい!」
怒りを発した彼女の声を皮切りに、一際激しく魔法の撃ち合いが始まった。
頭上で交戦する火球の応酬に見物していた生徒達から驚きの声があがる。
花火がやけに近くで弾けるような光景だった。やがて音の連鎖が止んだ頃。
状況は拮抗。否、彼が迎撃し尽くした。
ことごとく同じ魔法で打ち消され、苛立つように杖を振り乱す。
「赤の二階ッ! 【フレイム・ボーデックス】!」
これ以上は相殺させまいと広範囲にわたる火炎の渦が迫った。
だが、ウィズウッドにおいては造作もない。
あしらうような一振り。先端からそれ以上に大きな火炎の渦を作り出した。渦と渦が交わり、打ち消し合う。
杖の扱いに大分慣れてきた。手加減するならこの上ない道具である。
試合が始まって数分、両膝に手をつくレティシアの姿と一歩も動かず佇んだままのウィズウッドの姿があった。
短い間におびただしい魔力を消耗した影響か、彼女の呼吸は荒い。
「まさか、此処まで、とは。なかなか、やりますわね……」
息を整えながら、レティシアはウィズウッドを見やる。
「手加減は無礼でしたわね。力量を図り違えていたこと、素直に認めますの」
「これで終わりというわけではあるまいな」
「勿論ですわよ。では、奥の手を……赤の一階」
言って再度杖から放った魔法は、またも火の魔法だ。
「それはとうに見た。数も減っているぞ」
「此処からですわ。赤の二階」
上空に四発の【ファイア・ボール】を滞空させたまま、次のランクの魔法を彼女は唱える。
長い棒状の火炎が現れた。
「そしてこれが【フレイム・ランス】。わたくし、同じ赤の二階の魔法でも渦状で攻撃する【フレイム・ボーデックス】よりこちらが得意でしてよ」
二種類の魔法を一度に操作して、なにかを始めた。
火球を一列に並べ、炎槍で数珠繋ぎに貫く。団子串のような形状になった。
「奥の手の【フレイム・ボンバー・ランス】ですわ。爆発を付与することで攻撃力を底上げするオリジナル魔法。赤の三階級にも迫るこちらは防げまして?」
「ならば試してみよ。いつまでも維持してはおれまい」
「フン、ステージ上に加護の結界があるとはいえ万が一に火傷がお残りになられても後悔なさらないでくださいまし!」
「御託は十分、来るがよい」
魔王は憮然と、自慢の魔法を掲げて勿体ぶるレティシアを促す。
アイツ受ける気か!? 不可能だ! 軽い怪我じゃ済まないだろ!? といった流石に身を案じた野次の言葉にも彼には耳を貸さない。
そうして頭上から合成された魔法が撃ち出された。
ウィズウッドは迎え撃つ姿勢を依然見せたままだが、今度は同じように魔法を唱えない。差し迫る爆槍に対して相殺する気はないらしい。
「──逃げてっ!」
今まで静観していたのだが、見るに耐えかねたリゼの叫びが魔王の耳を貫く。
だが、彼の身体は終始動じなかった。火炎の閃光にさらされる。
それから間もなく直撃。舞台の半分が赤一色に支配された。轟音と共に爆心地から灼熱が吹きすさび、その光景に観客の生徒からはどよめきと小さな悲鳴が湧き起こる。
肩を上下させながら、レティシアは燃え盛る炎を見やる。手応えを確信したのか、ニヤリと口元をほころばせる。
「……ふ、フフ、少々、大人気なかったかもしれませんが、これで」
「思い知ったか、とでも言いたかったのか」
火の手の奥から聞こえた声に、熱さとは無関係に彼女の背筋が冷えていく。
悠々と現れた彼の前で、いつの間にか展開されていた光る魔法陣が阻んでいた。それが彼女の攻撃を完璧に防いでいた。傷一つない。
言葉を失い、唖然として棒立ちとなるレティシアに障壁を解いてウィズウッドは言う。
「先程の魔法合成、実に面白い見世物であった。柔軟性のある発想は評価しよう。褒めてつかわす」
「い、一体何者ですの、貴方は……!」
「だが、同時にいくつかの欠陥が見受けられた。余からすれば失敗作だ」
「なっ」
「その理由を具体的に述べるとしよう」
魔王は延焼している残火を一振りの風を起こして消しながら演説する
「まず、発動から完成までに手間をかけすぎている。同時に魔法を起こす以上、防御面で無防備を晒すのは自明の理。なにより実際の戦闘でそれだけの遅れがあると使い難い」
遠慮なく採点をつけるように、渾身の創作魔法の欠点をあげつらう。
「次に、組み合わせが効率的ではない。槍に火球の爆発を付与することで確かに威力が増した。だが、それでは本来の突貫する性能が明確に減少している。その証拠にこの程度の障壁でも阻むのは容易い。そもそも浪費と結果が見合っていないのだ。余の見立てではさきほどの合成した魔法の魔力では赤の二階を二発も発動しようと余るであろう。そちらを用いる方がより効果も大きく見込める筈。有効打を撃ちたくばもっと工夫をこらせ」
たとえば、とウィズウッドは杖を前に出す。
「解説するだけでは不服であろうな。見本を披露しよう。【フレイム・ボーデックス】」
「ッ! 盾よ!」
唱えて放たれた業火の渦がレティシアのいる前方を包む。
彼女はすかさず【シールド】を唱えてその身が焼かれることを免れる。そんな状況で彼は話を続けた。
「こうして、仕掛けてから実行するのだ。さすれば出掛かりを潰されずに済む」
立て続けに炎の槍を形成。【フレイム・ランス】が頭上で矛先を相手に突きつける。
「次は貴公が受けてみよ」
射出したのは継続している火炎旋風の道。その先では障壁を張ったレティシアがいる。
当然、逃げ場のない彼女は防御を強いられた。向こうも衝撃に備える姿勢を見せた。
槍が渦の内壁で回転し、螺旋を描いて加速。そして直前で膨張する。
先程よりも一際激しい大爆発が起こった。どす黒い煙が立ち昇る。
熱気の含んだ余波が付近で目撃していた者を怯ませる。
煙の暗幕が晴れて間もなく、茫然自失としたレティシアの姿がその場に取り残されていた。
「……こんな、ことが──あっ」
衣服が焦げてボロボロになった醜態を公に晒すこととなった。
逆に言うと、大きな怪我がないのは舞台上の加護による軽減と魔王の手心を加えた賜物である。しかし彼女が気にしていたのはそこではなかった。
杖を取り落とし、戦慄いた手で自分の頭に触った。モコモコと羊毛のような手触りに顔を引き攣らせている。
自慢だった金色の巻き髪がパーマをかけたみたいにちぢれて見る影もなくなっている。
それは見事なアフロだった。
そうして自らの有り様に気付き、取り乱し始めた。
「わ、わわ、わたくしのゴージャスでエレガントな維持費もお馬鹿にならないキューティクルロールが……い、嫌ァあああああああ!」
悲鳴をあげながらレティシアは練習場から逃げ去っていく。取り巻きの女生徒達も彼女の名を叫びながら追い掛けて行った。
するとリゼも早足でその場を離れた。
「オイ、何処へ行く」
呼び掛けにも遠ざかる背からは返事がない。
息をつき、魔王は杖を返そうとリゼのもとへ向かった。
探索すること数分。
運動着から制服へと着替え、校舎を出ようとする彼女を見つける。彼がもう一度呼ぶと立ち止まる。
振り返った彼女は何故か恨めしそうな表情で彼を睨んだ。
「どうして横槍なんか入れたの?」
勝利を手にしたにも拘らず非難の言葉が出る。これにはウィズウッドも眉をひそめた。
「別に助けてなんて言ってない」
「では、助けるなとは申したか?」
「アンタ、ホントに分かってないのね」
「むしろ理解に苦しむわ。感謝こそはされど責められるいわれはない筈だ」
「明日からあの派閥に睨まれるんだよ? 校内の女生徒の過半数を敵に回した。練習も星村達の好きにやらせておけばよかったのに」
「今更の話だな」
「ええ今更の話。あの場じゃそうしないといけなかったんだもん。こんないざこざに魔王様が義憤に駆られるなんて思いもよらなかったし」
「余計な世話、と言いたいのなら見当違いである。おぬしの為ではないと前置きした筈だ」
騒ぎが落ち着いた矢先に口論が勃発する。
「余の目が届くところで魔族の尊厳を蔑ろにしようとしていたのだ。あのような演説、到底看過できぬ。故に立ち入った」
「だからってこんな騒ぎにさせて!」
「あの高慢ちきな小娘を敵に回した? それがどうした。刺客を雇われて闇討ちでも受けるのか?」
「野蛮な発想はやめて。もっと間接的に陰口とかハブとか、そういう陰湿なことが一層酷くなるの」
「その程度の雑音など大いに結構ではないか」
「結構って、他人事だと思って!」
言い募るリゼにウィズウッドは真っ向から受けて立った。
感情的な彼女と冷静な物言いをする彼は平行線を辿る。
「おぬしがそのような有象無象と関係を持たねば済む話だ。それでもまた糾弾されるのなら、こうして真っ向から受けて立てばよい。リゼもむざむざ下女に成り下がろうとは思わぬからこそあの場で応じなかったのであろう」
「だからって強く反発したらこっちの立場が更に酷くなるじゃない! なにも知らないからそういうこと言えるんでしょ! 現代じゃ読まなくちゃいけない空気っていうものがあるんだから。こういう居心地の悪さ、アンタには分かりっこない」
「では聞くが、おぬしはあの状況で居心地がよかったとでも言うのか?」
「違う、そういうことを言っているんじゃ……!」
「ただ悪戯に怯えているだけではないのか」
核心を突かれ、リゼは怯んだ。
「不条理に煮え湯を呑ませられることを甘受し、己を騙してまで堪えるなど愚の骨頂。薄々気付いているのであろう。現状の変化を恐れているのだと。悪化の一途を辿るのが目に見えておるわ」
うつむき、リゼの身体が震える。
「……アンタのせいでしょ」
「なに?」
「大昔にアンタたちが戦争して、負けたせいで魔族が疎まれているんでしょうが! 現代でも好き勝手やって無責任にも程があるでしょッ!」
金切り声に近い叫びで魔王を罵った。ウィズウッドが息を止める番だった。
彼女はハッとした様子でバツが悪そうな表情になる。そのまま背を向けて学校から出て行った。
「無責任……」
確かに一理ある、素直にそう思ってしまう。
その時代の大局的なものを見て最善を尽くしてはいても、遠いこの時代に至る結果までは考えていなかった。
彼は持っていた杖を返しそびれたまま、遠ざかる後ろ姿を見つめていた。




