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プロローグ


 千年前。魔族と人々は長く対立していた。

 なにがきっかけか、なんの因縁あってかも分からず途方もない時間を費やして。


 世界樹の根差すユグガルドの土地で魔族は魔物を率い、人類は亜人と結託して戦争を繰り広げた。

 両者の血が流れる度に憎しみを募らせ、どちらかが滅びるまで続くと思われた。


 しかし、ある出来事を境に時代は動いた。その瞬間は数刻前に遡る。

 勇者サイファーと魔王ウィズウッド・リベリオン。戦場が佳境を迎える最中で両者の一騎打ちが始まった。



 激しい剣戟と魔術の応酬が繰り広げられ、周囲の地形が変わるほどに死闘は壮絶を極めた。


 サイファーは勇者としての試練を乗り越えた結果、四大賢者から肉体、魔力、精神力、そして第六感の人並み外れた力を授かっていた。

 対するウィズウッドは歴代の魔王の中でも最強と評され、膨大な魔力を持ち戦時において最長の任期を務めていたという事実がその実力を証左している。

 しかしそれが敗因でもあった。彼は、老い過ぎていた。



 死闘の末、軍配が上がったのは勇者サイファー。

 青年が見事に強大な魔族の王を打ち破ったその時こそ、歴史的な瞬間であっただろう。



 決着がついた直後、ウィズウッドが同胞達に向けて発足した言葉が波紋を呼んだ。

 停戦を呼び掛け、魔王の支配体制を終えること。すなわち事実上の降伏宣言であった。



 代わりに魔王は魔族達の処遇を恩赦することを、勇者を通じて人類に求めた。

 これ以上余計な抵抗で血を流すのは本意ではなかったのだが、大国を治める王は殲滅を望んでいた。脅威を残したがらなかった。


 しかし勇者の名の下に和平が宣誓され、それは避けられた。

 それが両者の一騎打ちの前に交わされた約束であったのだ。

 約束通り、魔王はこの大地から立ち去った。魔族側の今後は忠臣に任せることとなった。



 矢継ぎ早に広まるその一報を耳にした人々は、新たな時代の幕開けに色めき立ち、平和へと導いた勇者に喝采を捧げていた頃だった。

 対照的に闇の中で息を潜める者達もいた。



「気をしっかりお持ちください陛下! 世界樹の根本はもうすぐです!」

 悲痛な声が、薄暗い地の底に響き渡る。

 息も絶え絶えな老人は小さな少女の肩を借り、地下の洞窟を進んでいた。



 年端も行かない少女は清廉な泉の水を彷彿させるような青い髪を持ち、古めかしいローブと光を灯す古木の杖を持つその様子は見習いの魔女さながらであった。



 一方、老人の外見も負けず劣らずの異彩を放っていた。

 皺だらけの肌は褐色で、長い灰銀の髪をかき分けて額に伸びていたのは異形の角。そうした外見は明らかに人ではないことを示す。

 それらは魔族と呼ばれる種族に見受けられる特徴だ。悪魔の名残とも呼ばれ、元々人類と袂を分かち続けた根底である。



 加えて彼は齢と似つかわしくない程に禍々しい恰好をしている。

 スパイクの付いた黒き鎧と同じ色のマントは、魔王を名乗る者に着用を許された衣装だ。

 しかし彼はもうその衣服を纏い公の場に現れる資格を失った。何故なら老人はその座を放棄し、城を手放したからだ。

 治めていたこの地もいずれは人々の領地となっていくだろう。



「……ニルヴァーナ、もうよい、此処までだ」

 白髭を蓄えた口元からは絶え間なく熱い吐息と赤い血が漏れている。

 よく見ると、その頑強な鎧は袈裟斬りにされたのか砕かれて真っ赤に染め上がっていた。

 それが国王の意に反して、勇者がトドメを刺さなかった理由。


 つまり情けを掛けられたのだ。


「余を、おいていけ。長くは持たぬ」

「……え」

「引き返し、入り口を崩すのだ。それくらいのことはできよう」

「なにを……なにを仰るんですか!? 此処まできたというのに、諦めてはなりません!」

「余の役目は、終わった。勇者に討たれた魔王は、この世に必要ない」

「しかし貴方を必要とする方はまだいらっしゃる筈です! 少なくとも私は……!」

「ニルヴァーナ」


 年老いてもなお、鋭く赤い瞳が少女を静かに捉える。しかし彼女に呼び掛ける声は静かで柔らかだった。



「そなたは、人の身でありながらよくぞ余に仕えてくれた。魔族に与していたなどと思われたのなら、そなたまで後ろ指をさされるだろう。魔王の奴隷であったと勇者どもに訴えれば、庇護下に置かれる筈だ」

「そんな……! 私は貴方様の従僕です! これまでも、これからもずっと!」

 あどけない容貌を苦しそうに歪ませて身体を震わせる。



 両者とも既に悟っていた。この洞窟は行き止まりで逃げ場などない。身を隠すのには限界がある。見つけ出されるのも時間の問題だ。勇者は追わずとも、かの国はいずれ追手を差し向ける。

 そもそも、魔王の深手は普通の治療法ではもう間に合わない。風前の灯火だった。


「末永く生きよ。それが余のたっての願いだ」

 葛藤に揺れながらも、やがて少女は涙を呑んで頷く。



「魔王ウィズウッド様にどうか世界樹のご加護があらんことを」

 そう別れを告げる。元来た道へと彼女だけが引き返す。



 しかし一度振り返り、声高に叫ぶ。

「……諦めませんから! お戻りになられる日を……いつまでも……!」


 そうして一目散に駆け出した。暗がりに姿が見えなくなった。

 これでお転婆が治れば、よい女になるだろうに。そんなことを思いながらその背中を見送る。



 それから一人残された魔王は闇の中を自らの手に光を灯して照らす。魔力はあまり残されていない。だからこそ、遠くまでは逃げられなかった。

 だがそれでいい。魔王は既に心に決めていたからだ。首を城下町に飾られるくらいなら、せめて自分達にも恩恵をもたらした世界樹の栄養になろうと。

 かつて恩師がそうであったように。己も世界に捧げる覚悟があった。



 魔王は最後の気力を振り絞り、壁に手をつきながら世界樹の根本を目指す。

 徐々に太い木々の根っこが洞窟の道を覆い始め、やがて中心部と思しき箇所に辿り着く。

 鬱蒼とした木の根の壁が立ち塞がり、此処が終着点のように思われた。



 だが立ち止まった魔王は世界樹に語り掛ける。

「世界樹ユグドラシルよ、道を開けてくれ。役目を終え、百の齢を越える枯れた老いぼれだが、余の身体を養分とするがよい」



 すると洞窟内が揺れ、その根は蠢いてまるで受け入れるかのように更なる通り道を作り出した。ドーム状に根を張った空間が露わになる。

「……感謝する」



 かくして、魔王はそこで永遠の眠りにつく。今後誰の目にも触れることなく、静かに。







 そうなる筈だった。


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