第92話「おれのこと、君たちのこと」
焚き火の前でマキアと二人。時間はもう深夜だ。空には無数の星が見える。なんとなく、星を見てると悲しい気持ちになるのは何故なんだろう? 何かを思い出せそうで何も思い出せない。そんなもどかしさがある。
「おれは……誰なんだろうな?」
「え?」
「あ、声に出てた? ごめん……」
「いえ……」
マキアは気になったけど聞けない……というような表情でこちらを見ていた。
「なんで何も思い出せないのかなって。もう記憶が無いことに気がついてからだいぶ経つけど……一つも思い出せたことはないんだ」
「……はい」
「別に今の生活に不満があるわけじゃないし、君たちとの冒険も結構楽しめてる。ただね、たまに自分でも理解できないような気持ちになったり、何かが起きた時にそれを前から知っていたような、そんな気持ちになったりするんだよね」
「…………」
「ごめん。分からないよね?」
「……分からないです。でも、分かりたい。ナナトさんのこと……もっと知りたいと思っていますから」
おれも知らないおれのことを、彼女はおれ以上に知りたがっている気がする。勝手な想像だけど、失った記憶にはマキアの存在も関係しているような気がしている。マキアと出会ったのは記憶喪失になってからだから、そんなはずはないんだけど……。
「マキアはずっとおれのことを見ていてくれてる?」
「え!? ……はい。いつも見ています」
「ありがとう。それじゃあ、何か変わった点とか変だなって感じたりしたことはあるかな?」
「…………」
「ないなら、いいんだけどね」
「……いえ。その……戦闘中に少し」
「戦闘中?」
「ナナトさんは……その……楽しそうっていうか、あの……」
「戦闘を楽しんでる……そう言われるとそうかもなって思うよ。おれはみんなが思ってるほどまともな存在じゃない。自分でも違和感を感じてる。思った通りに攻撃ができた時、予測した通りに相手の攻撃を見切って反撃を決めた時……すごく気持ちが高揚することがある。それはごく普通のことかもしれないけど、おれが感じてるそれは……何て言えばいいのかな? 自分のことなのに他人ごとみたいな、そんな感じなんだけど」
マキアの寂しそうな目。おれの言っている意味が全く理解できないんだろうなって思う。
「……怖いのです」
「ん?」
「もし、記憶が戻ったら……ナナトさんはどこかへ行ってしまうような気がして」
「どこへも行かないよ。おれはマキアと一緒にいたいなって思ってるから。どこかへ行くのならマキアも連れて行っちゃうかもね?」
「……はい」
「でも、神殿の冒険者は勝手に街を離れることはできないんだろ?」
「……アムリス神殿のこと……どう思いますか?」
その質問をおれが答えられるはずなんてない。でも、マキアがそれを知ってて聞いているのだとしたら、おれは答えてあげたいと思う。
「君たちに何か隠し事をしてるって思うかな。おれは君たちに聞いた以上のことは知らないけど……記憶消去のこと、体に刻まれた紋様のこと、その色で待遇が違うこと、あとは……命の契約だったか?」
「はい」
「記憶を消去したのは、何か都合の悪いことを知られていたからなのか、それとも、何も知らないことを誤魔化すためなのか」
「レイトがよく言っています。わたしたちは知らないことが多すぎるって。記憶を失っても言葉は理解できるし、通貨の概念とか、一般教養とかは覚えていますよね?」
「そうだね。それはおれも覚えていたよ」
「でも、通貨の概念は覚えていても、通貨の価値は覚えてなかったりして。それは通貨ではなくて、物の価値の方を覚えてなかったのかもしれません。もしくは……最初から知らなかったとか」
「それについても、おれも同じだったかな。というよりも、おれは通貨の種類が少ないなって感じたよ」
「種類……ですか?」
「ああ。銅貨、銀貨……あと、金貨かな? この三種類しかないよね?」
「そうですね。金貨はまだ……見たことはないですけど」
大量の銅貨を皮袋に詰めて持ち歩くなんて……そんな面倒なことを誰も疑うことなく生活しているのが不思議だ。
「紋様については、おれはちゃんと見たことがないから何とも言えないんだけど」
「はい」
「ちょっとだけ……見せてくれない?」
「……え?」
「肩を出すのは恥ずかしい? それなら今度レイトにでも頼むけど」
「……いえ、見せられます。ナナトさんになら……」
マキアは神官服に手をかけてゆっくりと左肩を露出する。せっかくだからと、おれはマキアのそばでじっくりと見ようと思って近づいた。
「……やっぱり、恥ずかしい」
「ほら、手で隠さないの。見せて?」
「はい……」
「これが青い紋様か。何だろう……どこかで見たことがあるような気がする。少し……触ってもいい?」
「触る……のですか? いい……ですけど」
許可が下りたのでそっと紋様を指でなぞる。マキアの肩が少し跳ねて体を硬直させる。漏れる吐息がそれはもう艶やかだった。紋様から視線を外してマキアの顔を見ると目が合った。
「なんだろう……神官相手にこんなことをしてるとさ、何だか背徳感がすごいね?」
「……もう! バカ!」
あっという間に肩を隠された。頬を赤らめて恥ずかしがっているマキアは相変わらず可愛いなって思う。
「ははっ、ごめんごめん。紋様についてはよく分からないね。何か意味があるんだとは思うけど、それを知ってるのはそれを刻んだ人間だけだろうね。人間……とは限らないかもしれないけど」
「どういう……ことですか?」
「だって、アムリス神殿っていうのは女神アムリスを崇拝しているんだろ? だったら、女神のご意志って考えてもおかしくはないんじゃないか?」
「……そう、ですね」
「赤い紋様は見たことないけど、そっちが優遇されるってことなら、何か女神にとって都合の良い存在になったとかそういうことなんじゃないかな?」
「それを守るために命の契約が?」
「そんな感じだろうね。悪い言い方をすれば、青い紋様の人たちは赤い紋様を持つ人たちの盾なんだと思うよ? 考えれば考えるほどに怪しい組織だよね、アムリス神殿は」
「……わたしたちはこのままで良いのでしょうか?」
「んー。何も分からないうちは仕方ないんじゃないかな? そのうち何か分かるかもしれないし、もしも、マキアに……みんなに何か危険があったら、おれがちゃんと守るから。それだけは信じてくれていいよ?」
「……はい。信じています」
おれ一人の力で救える命なんてあるのかどうか分からないけど、そうなるように努力はできる。おれには、記憶消去された神殿所属の冒険者のような与えられた目的もない。そんなおれを頼ってくれるこの子たちくらいはせめて守ってあげたい。
「さて、そろそろ眠たいだろ? 寝てきてもいいよ?」
「……もう、少しだけ」
そう言っているマキアの瞼はもう開いていることも難しそうだ。おれは着ていたコートを脱いでマキアの肩にそっと乗せる。いつの間にかマキアは静かに寝息を立てていた。おれは隣に座ったまま、日が昇るまで一人で見張りを続けた。
――みんなが起きてきて帰り支度を始める。マキアも起こして、朝食を済ませてからテントを片付けてカンムリ塚を後にした。
それからもう一日かけてシシノ平原を北西へ向かう。みんなで戦利品である魔界蟻の素材を手分けして持ち、猪との戦闘はなるべく避けるようにして進んだ。
遠征十日目の昼過ぎ。ルトナの街が見えてきた。疲れて口数も減っていたみんなの顔から笑顔がこぼれた。南門を潜り街の中へ入るとまっすぐにレイトたちの暮らす借家へと向かった。
「神殿への報告とか、素材の換金とかは明日にしよう。もう……疲れた」
「そ、そうだね。ボクも……へとへとだよ」
「…私も」
「休むのは家に入ってからにしなさい! マキア、鍵を開けてくれる?」
「ええ」
ルミルとマキアはしっかりしてるな。あとは二人に任せておれも宿に戻ろう。
「それじゃあ、おれは帰るよ。神殿への報告は君たちに任せてもいいかな?」
「あ、はい! ナナトさん、今回もありがとうございました!」
「…ありがとう、ございました」
「ああ、しっかりと休めよ?」
「はい!」
「ナナト」
帰ろうとするおれにルミルが声をかけてきた。
「ん?」
「帰ったら寝ちゃうんでしょうけど、お腹が空いたら食べに来て。夕食はあんたの分も作っておくから」
「……そうか。分かったよ、ありがとう。それじゃあ、おやすみ」
「おやすみ」
「おやすみなさい……ナナトさん」
戦利品などは庭に置いて、おれは手を振ってその場を離れた。階段を登った先にある宿屋へと入り、預けていた鍵を宿の主人から受け取って自分の部屋へと向かう。シャワーを浴びて汗を流すと、ベッドに横たわり目を閉じる。
……良かった。今回は失敗しなかったな。そう感じながら眠りについた。




