第86話「魔界蟻の巣穴」
魔界蟻の巣穴へと突入する当日。その昼前。
俺たちはのんびりと起きてゆっくりと朝食を摂り、太陽が昇りきるのを待った。見張りをしてくれていたココハとブレン、早朝にココハと代わってくれたルミルの三人も体調は良さそうだ。俺は……あんまり寝つきが良くなくて少しだけ体が怠いと感じている。昨晩はあんなことがあったからか、どうしてもココハに意識が向いてしまう。
「大丈夫か? レイト」
「……あ、え? はい、大丈夫です!」
「本当に? 無理はしないで」
「いや、本当に大丈夫だから」
「なによ、あんた緊張してんの?」
「ははは、そうかもね」
俺は両手で自分の顔を叩いた。今は余計なことを考えていたらいけないんだ。ココハが魔法修練でパーティーを一時離脱した時と同じことをやってしまいそうだ。同じ失敗をしたくはない。
「ふぅぅ……。よし、そろそろ行こうか!」
みんなが頷いて用意を始める。余計な荷物を持っていくことはしない。ナナトさんはコートを着ていないし、ルミルは弓矢も置いていくつもりだ。マキアは着火石と松明を持ち、ブレンは筒状の道具を二つ、皮袋に詰め込んだ。
巣穴の前に到着するとタイミングよく兵隊蟻たちが穴の中から出てきた。その全てが完全に外へ出るのを待ってから……俺たちの作戦は始まった。
「みんな行こう! 蟻に構わず突入する! 先頭はナナトさん、女子はそれに続いて! 俺とブレンで蓋をする!」
「…はい!」
一斉に巣穴へ向かって駆け出す。もちろん兵隊蟻たちもそれに気づいて集まってくる。先頭のナナトさんが進路上の相手を刀で斬り伏せながら進んでいく。
「マキアは松明を用意して! ブレンは遮虫剤を!」
「よ、よし……!」
マキアが着火石に魔法力を込めて火を付け、それを松明に移す。着火石は一度火が着くと魔法力が尽きるまで燃え続けるから持ってはいけない。燃え広がらないように近くの砂場へと投げ込んでおく。俺たちは巣穴へと突入した。兵隊蟻たちは当然それを追いかけてくる。ブレンが皮袋から筒状の道具、遮虫剤を取り出して地面に差し込む。
筒の先端から細かい霧のようなものが噴出してくる。それは巣穴の入り口を塞ぐような霧の壁となる。兵隊蟻たちはその壁を通過することはできない。
遮虫剤……ここ、ミルグラムでは魔界蟻のような大型の昆虫もそれなりにいて、小型用の殺虫剤では退治することは難しい。そこで、虫の嫌う臭いを霧として噴出することで逃げ道を塞ぎ取り囲むことで退治しやすくなる道具が開発された。
今回は魔界蟻専用の特別な遮虫剤を、やつらが巣穴に戻ってこれないようにと使った。兵隊蟻が戻らないことで司令塔蟻へ俺たちの侵入が気づかれる可能性を減らすためだ。
巣穴の中は想像していた通りの暗闇だった。マキアが持っている松明だけが明かりになる。この松明も特別製だ。遮虫剤と着火石と共に商人のニョスニさんから購入したものだ。
遠征の準備をしている時に俺たちがカンムリ塚で魔界蟻狩りをすると聞きつけて、役に立ちそうな道具を持って来てくれた。俺たちはたくさんの道具の中から着火石と松明を購入し、遮虫剤二本はおまけとして頂いた。ニョスニさんは良い人だし、商人としてもやり手の人だ。
松明……この松明は普通のものとは違って、ロントネの森っていう場所に生息しているというトレントっていう木の魔法生物の枝で作ってあるらしい。何が普通の松明とは違うのか、それは簡単には火が消えてしまわないことだ。多少の雨が降ろうとも、突風が吹き荒れようとも消えないのだという。まぁ巣穴の中だし、雨も風もないけどね。それでも万が一ため、今後の為にも持っていてもいいかなって思った。誰も反対はしなかったし。
「よし、それじゃあ作戦通りに防衛陣形で進もうか」
「狭いからゆっくり慎重に行こう」
「あんまり慎重すぎると遮虫剤の効果が切れて後ろから追っ手が来るわよ?」
「それもそうだね。じゃあ、慎重にそして迅速にってことで」
「そうね」
ブレンを先頭にして進んでいく。穴は緩やかな下り坂になっている。カンムリ塚の岩の中ではなくて、地中へと巣穴は続いているようだ。高さは二メートルくらい。幅は一メートル強。わりと余裕があるくらいの大きさだ。どんどん土の中に潜るにつれて肌寒くなってくる。
「あ、あれ……?」
「どうした?」
「わ、分かれ道に……なってます」
「そうか、片方は小部屋に続いてるのかもしれない。曲がってみよう。挟撃されるのが一番困るから、中を確認して一つ一つ潰していこう」
「は、はい。じゃあ、こっちへ……行きます」
左へ分岐した道を進む。その先の小部屋にはすぐたどり着いた。マキアが松明を頭の上で掲げる。それは通路でも周りがよく見えるほど照らしてくれていたけど、小部屋だとより分かりやすかった。この松明は光魔法の眩耀ほどではないにしても、同じくらいには辺りを照らしてくれている。
小部屋の中には数匹の兵隊蟻がいた。ココハの魔法力を温存するために男性陣だけで片付けた。この部屋には司令塔蟻も女王蟻も存在しない。小部屋を出ると、先程の分かれ道に戻って先へと進む。
「ま、また……分かれ道です」
「小部屋は右かな?」
「俺もそう思います」
「よし、じゃあそっちへ」
「は、はい……」
次の部屋に到着するとマキアがまた松明を掲げる。
「!?」
小部屋の一番奥に兵隊蟻とは違う……何かがいる。
「シャァァアア!」
その蟻は上体が起きていて体長も一メートルくらいはある。それは蟻には間違いないんだけど、上半身は人型になっていて前脚が腕のようにもなっている。その手には剣が握っている。まさか、蟻があれを振り回して戦うのか?
「司令塔蟻か」
ナナトさんがそう言った。
「あいつの実力を試したい……突撃陣形で行こう。兵隊蟻もいるから、みんなはそっちを頼むよ」
「分かりました! 俺とルミルが左右を守る。ブレンは後方、ココハとマキアは中央に!」
「よし、行こうか!」
一気に部屋の中央まで駆け抜ける。巣穴の外で練習した通りに戦えばいい。左側はルミルが守ってココハが空気弾で倒していく。後ろはブレンが防壁と反攻で凌いでくれるだろう。右側の俺は幻影を使いながら何とか数を減らしていく。
ナナトさんは……まだ戦っている。いくらなんでも初見の相手にあっさり勝てるわけがないか。刀と剣がぶつかり合う音が響いている。たぶん押しているのはナナトさんだ。でも、想定していた通り司令塔蟻の甲殻も硬いんだろう。急所を狙うために隙を伺ってるんだと思う。
兵隊蟻とは違って簡単に倒せないのは、司令塔蟻の上体が起きていて頭部と胴体の繋ぎ目が背中側にあるせいだ。しかも、起き上がった所に見える胸や腹の部分まで甲殻で覆われてしまっている。あれでは斬撃を防ぐ鎧を着ているのと同じだ。
「こっちは片付いたわよ!」
「よし、ルミルはそのまま護衛に就いてて! ココハはこっちの援護をお願い!」
「…はい!」
やけに兵隊蟻の数が多い。もしかしたら司令塔蟻のいる部屋には集まりやすいとか? ブレンもなかなかに手こずっているみたいだ。
「…レイトくん、ブレンくん。少しだけ……離れて!」
ココハの声を聞いて兵隊蟻から距離を取る。ブレンも反攻で吹っ飛ばしてから戻ってくる。
「…風圧迫!」
それは初めて聞く魔法名だった。昨日言ってた新しい魔法だろうか? 伸ばしているココハの手のひらからは形成したものは見えない。確か……空気の壁って。
視線を兵隊蟻の方へと戻す。こんな穴の中なのに風が吹いている。兵隊蟻たちを取り囲むように黄緑色の円形の壁が現れる。それは上から下へと流れていき、更に外側から内側へと流れている。ココハが言った通りに鍋みたいな形だ。
直径で四メートルほどの大きさで中には兵隊蟻が十……いや、二十匹ほどが捕らえられている。鍋というか……風の檻みたいだ。脱出を試みようにも風の流れには逆らえないらしい。
檻のような壁が内側へと縮まるように迫っていく。兵隊蟻たちは一ヶ所に寄り集められる。風の鍋は一メートルほどにまで小さくなった。
「…潰して!」
ココハの合図で今度は鍋の上に風の蓋が現れる。その蓋は押し蓋になっていて鍋の中に沈み込んでいく。中にいた兵隊蟻たちは逃げることを許されずに風と風の間に挟まれて圧迫されていく。
ピシッ……と音がなると次々に甲殻が割れていく。次の瞬間には押し潰された兵隊蟻たちから飛び散った緑色の液体が鍋の中で踊っている。それをそっと地面へと降ろすように、静かに風の鍋は姿を消した。
「す、すごい。これも……魔法なの?」
「ココハ、大丈夫?」
マキアの声がして振り返る。
ココハが肩で息をしていた。もしかして今の魔法って相当疲れるんじゃないか? 一度にあれだけの兵隊蟻を倒してしまうような魔法だ。楽に使えるはずがない。
「残りは俺とブレンでやる! ココハは休んで!」
ナナトさんはどうだ? 見た感じだと疲れている様子はないし、相手をしている指揮官蟻の手には既に剣は握られてもいない。決着は近そうだな。俺は残った兵隊蟻をブレンと一緒に倒していく。片付いた時にはナナトさんも指揮官蟻を真っ二つに裂いた後で、刀に着いた緑色の液体を振り払っていた。
「ふぅ、終わったみたいだな?」
「はい! えっと……みんな怪我はない?」
「ボ、ボクは……大丈夫」
「あたしたちも問題ないわ。ココハが少し疲れただけ」
「ナナトさんは大丈夫でした?」
「ああ」
「よし……ココハ、歩けそう?」
「…うん、大丈夫」
「おそらく、あれだけの魔法力を一度の魔法で使ったことがなかったから体がびっくりしているんだと思う。でも、すぐに慣れるから」
「そっか。それじゃあココハの呼吸が整ったら次の部屋を目指そう」
「ええ」
小休止。それは本当に僅かな時間だけど、この息苦しいような巣穴の中での戦闘は普段よりも体力の消耗が激しい気がするから、深呼吸を一回できる時間があるだけでもだいぶ気持ちが楽になる。
まだ巣穴は奥へと続いている。この先はもっと厳しい戦いになるかもしれない。ココハのあの魔法はあと何回使えるのかな?




