第85話「ギュ?」
今日は魔界蟻の巣穴へ入る前の最終調整日。穴の中は狭いだろうし、外での戦闘とは少し違ったものになるはずだ。
「おそらく小部屋のような場所はいくつかあると思うし、女王蟻が訪れた際に滞在する部屋もきっとあるだろう。狭い通路では極力戦闘を避けて、そういった部屋の中で戦うようにしよう」
「はい。司令塔蟻の存在もまだ確認してませんからね」
「ああ」
陣形などは昨日までと同じ密集陣形で臨む。囲まれて逃げ場のない戦闘では仲間との連携は必要不可欠だ。想定外のことが起きても各個撃破されることはないだろう。
「司令塔蟻を発見した場合は真っ先に狙う。それで相手の指揮が乱れたら余裕も生まれるだろうからな」
「小部屋の中を占拠できればマキアやココハを休ませることもできますかね?」
「そうだね、それも考えたい。巣穴がどこまでの大きさか分からないからな。アタッカーとヒーラーの負担は最小限にしたいね」
連戦になるのは必至だし、体力と魔法力の回復はどこかで取らないと奥までは進めないかもしれない。入ってみるまでは分からないことも多い。だからこそ、できることは最大限やってから踏み入れたい。
「とりあえず、練習しましょ?」
「うん。よし、巣穴へ行こう」
巣穴の前の様子は昨日から特に変わってはいない。魔界蟻の中でも兵隊蟻が帰ってこないことは稀有することではないということらしい。
最終調整とはいえ、いろんな状況を想定しながらパターンをいくつか考えておく。小部屋では昨日と同じ対全方位陣形。通路ではブレンを前衛にした防衛陣形。司令塔蟻を発見した場合はナナトさんが突出する突撃陣形。
そして、もしも女王蟻がいた場合のことも備えておく。その時の陣形や作戦などは今はまだ決められない。まず見たこともないし、女王蟻自体が戦闘行為をするのかどうかも分からないからだ。
「レイトとココハちゃんの組み合わせも見たい、ルミルはマキアの護衛に。ブレンは単騎でもやれるな?」
「は、はい……やれます!」
「マキア、あたしの後ろへ」
「ええ!」
「…レイトくん、援護します!」
「よし、やろう!」
俺がココハと組んだ場合、兵隊蟻を転倒させることは難しい。ココハの魔法ならそれは可能だけど、そんなことしなくてもココハなら上から叩きつけるだけで倒せるからだ。
「くそ! やっぱり硬いな!」
俺の攻撃は甲殻に阻まれてうまく通らない。
急所を狙いたいけど一対一ってわけじゃないから一匹をずっと狙うことはできない。また今回も俺だけが役に立てないとかは……嫌だ! 目の前の兵隊蟻に向かって殺気をぶつける。攻撃する意識を持ったまま回避行動を取る。
発動した。我流閃技の幻影だ。どうやらちゃんと魔界蟻にも効果はあるらしく、噛み付かれた影は灰色の煙となって辺りに散布される。数匹の兵隊蟻が動きを止めた。
「今だ!」
「…空気弾!」
ココハの支援の中、昨日ルミルがやっていたように俺も兵隊蟻を横から蹴り上げて転倒させる。腹を斬ってやると絶命して動かなくなる。連発はできないけど、これなら多少は時間を稼げるし討伐数も増やすことができる。
「ココハ、まだ魔法は使えそう?」
「…うん、大丈夫!」
「よし! もう少しだから頑張ろう!」
「…はい!」
意識してココハの魔法残量を確かめる癖を付けておく。もしも……なんていうことは起こりうることだし、巣穴から脱出するまでの魔法力は最低限残しておいてもらわないといけないからだ。
「うぉぉおおお!」
ブレンの攻撃する姿もすっかり様になってきた。あんなに重そうな鎧を着て、両手に巨大な盾を持っててよくあんなにも動けるな……って関心してしまう。
「…空気弾!」
こちらはココハの攻撃で全て片付いた。ルミルとマキアは? 大丈夫そうだ。ルミルが練習できるようにナナトさんがうまく数を調整してくれていたみたいだ。
「よし、片付いたわよ!」
「みんなで素材を回収してここを離れよう!」
「ええ」
「…うん!」
木々の中を通って少し遠回りしながら拠点へと戻る。帰り際に木の実や小動物などの食料も確保しておいた。明日が本番。今日は早めに休むことになった。
夕飯を食べながら簡単な打ち合わせを始める。
「まずは巣穴へ突入する時間だけど、朝はゆっくり休んで昼からにしよう。兵隊蟻が昼の仕事を開始した時間に合わせる」
「はい」
「巣穴の外では戦闘を避けて一気に突入する。その際に例のアレを使おう」
「えっと……じゃあブレンに任せてもいい?」
「う、うん。ボクもそうするのが……いいと思う」
「巣穴の中は灯りがなくて暗いだろう。だから松明を持って行く。これは着火石を使えるマキアに持ってもらう」
「はい」
「松明の光がおれたちの命綱になる。よろしく頼むよ」
「分かりました……」
「それから、ココハちゃん」
「…はい!」
「通路では魔法を使わないこと。もし崩れて生き埋めになったら助からないからね。出入り口は一つしか見当たらなかったからね?」
「…気をつけます」
「ルミルには最後尾を歩いてもらうことになる。大丈夫だとは思うけど、背後にも注意しておくこと」
「分かったわ」
「よし」
俺には特に新しい指示は与えられない。リーダーとしてやることやる。それが俺に求められていることだと思うようにする。
「レイト、最後にリーダーとして何か言うことはある?」
「あ、えっと……はい」
みんなの顔をそれぞれに見る。俺にはナナトさんみたいに上手くみんなの気持ちを乗せることはできないけど、伝えておきたい言葉はあった。
「明日は遂に本番だね。初めての遠征で初めての相手。分からないことだらけっていうのは、正直……これまでもそうだったよなって思う。俺たちはいつも、ただがむしゃらに進んできた。その先で取り返しのつかないミスもした。大事な仲間を、家族を、友達を失った。でも、いつまでも後ろを振り返っている余裕も俺たちにはない。ここからまたみんなと一緒にもう一歩先へ進みたい。一人だと限界はある。でも、みんなとならずっと先へ行ける。そう信じてる。手伝って支えてほしい。……明日も、全員で生きて帰ってこよう!」
みんなが強く頷いてくれる。「…はい!」「う、うん……!」「当然ね」「ええ!」「ああ」……強く返事をしてくれる。明日は上手くいく。不思議とそう思えた。
『たりめーだろ!!』
お前も……そう言ってくれるよな?
――今夜の見張りは俺とココハだ。みんなが寝静まった後に二人で焚き火の前に座っている。ココハとは冒険者になってから一番一緒にいる時間が長いからか、こうして隣にいると安心する。
「…レイトくん、遠征は……どうだった?」
「ん?」
「…私は、最初は少し辛かったけど……今は楽しいかな。もちろん、遊びじゃないっていうのは……分かってるけど」
「うん。俺も……同じかな。街からこんなに離れた場所でテント暮らしなんてさ、全然想像もしてなかったし、最近はそれどころじゃなかったしさ」
「…うん」
「ここに来て、いろんなことをナナトさんに教わって。これまで結構成長したって思ってたのにさ、まだまだ覚えることはたくさんあるんだなって」
「…ふふっ、また一歩……進める?」
「だね」
一歩どころか、もう何歩だって進める気がする。油断したり慢心したりはしないようにって少し前は言い聞かせていたはずなのに、今はもうそれが当たり前になってる。分かった上で、俺たちはもっと先を見てもいいよなって最近は思えるようになってきた。
「…あの、ね?」
「ん?」
「…レイトくんに、相談したいことがあって……」
「なに? いいよ、何でも聞くよ?」
「…ありがとう。あの、今ね……新しい魔法を考えてて」
「そうなんだ?」
「…イメージは、だいたいできるようになってて」
「うん」
「…でも、魔法効果のイメージだけが……まだ、しっくりきてなくて」
それって……。
「…あ、風鋭刃の時とは違うから……大丈夫だよ?」
「……そっか、うん」
「…えっと、ルミルとマキアさんにも協力してもらったんだけど……まだダメで。ナナトさんやブレンくんには、ちょっと相談しにくくて」
「そうなの?」
「…うん。お願いできるなら、レイトくんがいいなって……思ってたの」
「そうなんだ。えっと、何をすればいいの?」
「…んー」
ココハは少し俯いてしまった。
「どういう魔法なの?」
「…お鍋、みたいな」
「鍋?」
「…えっと、空気の壁を作って相手を閉じ込めるんだけど……蓋をしてギュってすると、圧力で押さえつけられるかなって」
「へぇー、空気の鍋か」
「…ルミルにお料理を習ってる時に思いついたの」
「そっか、精霊術士って本当にすごいね? 日常のいろんなことを魔法に活かせるんだもんね」
「…うん、とっても楽しいよ?」
「そっか。……それで? 魔法効果はどういう感じにすればいいのかな? えっと……相手を圧迫する感じ?」
「…うん。だから、ね……その」
ココハは何かを言おうとしてるんだと思って待ってみることにした。
「…ギュって、してほしいの」
「ギュ?」
「…あの、うん……抱きしめて、ほしいの」
「……え!?」
思わず大きな声を出してしまった。テントの方を振り返って様子を伺う。大丈夫……誰も起きてはこない。深呼吸をしてからココハの方を向く。
「…ごめんね? 急に変なこと言って」
「いや、うーん……まぁびっくりはしたけど」
「…ルミルとマキアさんにもね、ギュってしてもらったんだけど……」
二人と恋人みたいに抱き合ってるのを目撃したことを思い出した。あれはそういうことだったのか。変な誤解をしてしまう所だった。
「…男の人の方が、力強いから……もっとイメージしやすいかなって。でも、ブレンくんにお願いするのは恥ずかしくて……ナナトさんにはマキアさんがいるから、お願いしづらくて」
マキアがいなかったらお願いするんだなって思った。……別にまぁそうだよな。ナナトさんはココハにとって精霊術士としての指導をしてくれた先生みたいな感じだし。
「……俺が協力するよ」
「…ほんと?」
「うん。俺もココハの力になりたいし、新しい魔法も見てみたいし」
「…ありがとう」
俺は立ち上がってココハの所まで近づく。ココハもゆっくりと立ち上がった。
「それじゃあ……」
「…うん」
ココハは両手を広げて迎えようとしてくれる。少しだけ躊躇ってしまう。いいのかなって……でも、必要なことだから。ココハにとって魔法効果を知る為に必要なこと。ただ、それだけの為の行為だ。
ゆっくりとココハに近づいてそっと背中に腕を回す。自分の方に引き寄せるようにして抱きしめる。体が触れあうとココハも俺の背中に腕を回す。俺の胸にココハの頭が寄りかかる。
女の子の身体って……こんなにも柔らかくて良い匂いがするんだな……。腰が痺れるように震える。
「…レイトくん、もっと……強くして?」
「……うん」
力を強めて更に引き寄せる。ココハの身体は小さくて温かい。
「…もっと、もっと……して?」
もう力の加減ができないくらいに俺はココハを強く抱きしめた。頭がどうにかなりそうだ。心地よくて気持ちよくて、もうずっとこうしていたいって思ってしまう。
「…く、苦しい……」
「あ、ごめん!」
慌ててココハから離れる。腕の中が空っぽになったような寂しさを覚えた。
「…ううん、ありがとう……レイトくん」
「イメージ……できそう?」
「…うん、できそう」
「良かった……」
なんだかすごく気まずい……まっすぐにココハの顔を見れない。俺は焚き火の前に戻って改めて座り直す。心臓の鼓動が早くなっていることに気づいた。俺は今……女の子を抱きしめたんだな。
ココハもイメージを固め終わると焚き火の前に座った。向かい合う形になって、つい顔を背けてしまう。恥ずかしい。
「…明日、余裕があったら……使ってみてもいいかな?」
「うん、いいと思うよ。あ、ただ……魔法残量には注意してね?」
「…分かった」
「……よし、それじゃあ俺はそろそろ交代してもらってこようかな?」
「…あ、うん。お先に……どうぞ」
「ありがとう。おやすみ、ココハ」
「…おやすみなさい」
俺はテントへ入ってブレンを起こして横になる。明日から魔界蟻の巣穴へ入るっていうのに、全然寝付けない。腕に残った感触が忘れられない。
……今、外にはココハとブレンが二人きりだ。これまでもそんなことは普通にあったことなのに、何故か今はそれが普通のことだとは思えない。もしかしたら、ココハはブレンにも同じことを頼んじゃうのかもしれない。だって、俺よりも明らかに力は強いし。
なんでそんなことを考えてしまうのか。耳を澄ましてみても声は聞こえてこない。外に出てみる? いや、そんなことできるはずがない。俺は……俺の心はいったいどうしちゃったんだろうか? もしかして、俺はココハのことが……。




