第65話「魔獣マンティコア」
闇の中から姿を現したそれは、体長が四、五メートルはありそうなほど大きかった。こいつにだけは出会いたくなかったのに……。
「魔獣……マンティコア」
ナナトさんがそう呼んだ相手は、かつてマキアのパーティーを壊滅させた、このコイマの森に生息すると言われていた魔獣。
「ブレンはその場で防壁! ココハちゃんとマキアを守れ!」
「は、はい……!」
「ココハちゃんはブレンの後ろから援護を!」
「…はい!」
「ルミルは正面に立たないようにして攻撃……但し、常に動き回って足を止めないこと!」
「分かったわ!」
「ジェニオは側面から攻撃と離脱を繰り返せ! 絶対に反撃は受けるなよ!」
「おうよ!!」
「レイトはやつの目が誰を見ているのかを教えてくれ!」
「目……ですか?」
「ああ、やつは標的を定めると攻撃をするまで狙いを変えないっていうこだわりを持ってる。逆に言えば、見られていない間は攻撃のチャンスってことだ」
「どうして……それを?」
「調べものをしてるって言っただろ?」
巨大猪との戦いの後、街の噴水広場でナナトさんと会った時だ。調べものをしていて宿に引きこもっていたんだと言っていた。ナナトさんはあんなにも前からこうなることを予感していた? いや、こうなった時のために準備していたんだろう。戦いにおいて、何よりも重要なことは相手を知ること。ナナトさんは強い。でも、初めて戦う相手のことを何も知らないのは、本来の実力を出すことが難しいということを俺たちは学んできた。
「マキア、治癒はあと何回使える?」
「……二回と、少し」
「十分だ」
本当に十分……とは思っていないだろう。相手が相手だし、ここまでずっと走ってきて疲れていないはずがない。マキアも魔法量が回復できていないほどに疲労している。誰も休む暇すらなかったんだから。
「おれが正面で受ける! みんな、精一杯やれ!」
「「はい!」」
返事をした直後だった。
「ガオオォォォォォォオオオオ!!」
マンティコアが吠えた。
「来るぞ!」
マンティコアが吠え終わる前にナナトさんは距離を詰めていった。巨大な右の前脚を持ち上げ振り下ろしてくる。それを避け、体を右回りに回転させてから刀を打ち込む。ガンッ!……と大きな音はしたが、ダメージは……ないのか? マンティコアは傷一つない。再び右の前脚を持ち上げる。
「…空気弾!」
ココハの魔法がマンティコアの顔に直撃する……しかし、攻撃阻止に至るほどのダメージは与えられない。ナナトさんは振り下ろされた前脚を刀で受け流している。
「ココハ、打属性の効果は薄い! 斬属性で援護しよう!」
「…はい!」
何が有効かは分からないし、風鋭刃でもダメージを与えられるのかは分からない。それでも、空気弾よりは期待できるはずだとそう指示を出した。
……マンティコアが次の行動を開始しない? しまった! やつの視線がココハへと向いている。攻撃したことで注目されてしまったんだ。
「ココハ! 見られてる!」
マンティコアがナナトさんを飛び越えてココハの方へと向かってくる。
「ブレン!」
「フ、防壁……!」
ナナトさんが呼ぶと、ブレンはすぐに両手の盾を構えてココハの正面に立った。マンティコアの大きすぎる口が開き、牙で噛みついていく。圧倒的な力で踏ん張っていたはずのブレンが大きく後ろに仰け反った。
ザクッ……と飛んできた矢がマンティコアの背中に刺さる。ルミルが離れた場所から攻撃を開始した。ナナトさんの刀は通らなかったのに、矢は刺さるのか? もしかしたら、背中なら攻撃は通るのかもしれない。
マンティコアは前脚で追撃するが、ブレンは体勢を崩しながらも何とかそれも盾で防ぐことができた。そして、マンティコアが首を振り次の攻撃目標を探す。
「ルミル!」
俺はすぐに叫んで知らせた。
マンティコアが体を反転させて駆けていく。ルミルも走ってはいるけど、速度がまるで違う。追いつかれた!
「おらぁぁあああ!!」
ジェニオがマンティコアの横腹に長槍を突き刺した。
体をふらつかせてマンティコアは攻撃行動を中断した。ジェニオはその場からすぐに走り去る。マンティコアはルミルを追わずに次の攻撃目標を探そうとする。ナナトさんが視線の先をわざとらしく通過すると、マンティコアは追いかけていった。
「ブレン、大丈夫?」
近くでマキアの声が聞こえた。
体勢を崩していたブレンが立て直し、マキアが疲労を回復させようとしている。
「マキア! 待った!」
思わず静止させてしまう。
驚いたようにこちらを向いたマキアにゆっくりと首を横に振って気づかせる。治癒はあと二回しか使えないんだ。ブレンには悪いけど、疲労回復に使わせるわけにはいかない。
「ボ、ボクは……大丈夫だから」
「ごめんなさい」
マキアも自分にできることを探しているんだと思う。でも、神官の彼女が何もしなくていい戦闘っていうのが本来は理想なんだ。
マンティコアを遠くまで引き付けて行ったナナトさんが刀一本であの巨体の相手をしている。マンティコアの攻撃は一撃一撃が重いだろうし、俺だったら受けることすらできないだろう。ナナトさんだって体格が優れているわけじゃない。背丈だって俺やジェニオよりも少し高いくらいだ。それでも初めて戦う相手にあれだけ対応してみせる。これが経験の差なんだろうか?
ルミルの矢が刺さり、狙いが変わり、俺が叫んで知らせて、ジェニオが攻撃する。そしてナナトさんがまた引き付けていく。それが何度か続いた……。
なんとなく、これを続ければいつかは倒せるんじゃないかと思ってしまう。相手へのダメージは微々たるものだし、三人の体力はどんどん減っていく。ジェニオとルミルの攻撃は効いているんだ、ナナトさんも胴体への攻撃ができれば……しかし、相手を引き付け正面で受けてくれているからこそ上手く立ち回れている。なんとかもう一手あれば……。
「…風鋭刃!」
ココハの魔法が長距離を飛行していく。精霊魔法はイメージさえできていれば射程距離なんて関係ない。しかし、ココハの魔法力でダメージを与えられるのかどうか。
ナナトさんに攻撃を仕掛けていたマンティコアが、風鋭刃に気づいた。尻尾の先にある針で叩きつけるようにして魔法を弾き飛ばした。尻尾は無傷だ。マンティコアがこちらへ……いや、ココハを狙ってくる。ブレンはすぐに防壁の体勢になる。逃げようとするココハをマキアが掴んで離さない。それでいい。逃げたって標的を変えないマンティコアは、ブレンを飛び越えていくだけだ。
マンティコアの攻撃が始まり、それにブレンが耐えている。ナナトさんたちは距離があってまだ追いついては来ない。このままだとブレンが持たないかもしれない。
俺は自分の右手が握っている剣を見た。これは飾りではない。俺は冒険者で、このパーティーのリーダーだ。ナナトさんに役割を言い渡されたけど、自分だけ安全な場所で見てていいのか? ……いや、ダメだろ。リーダーの俺が助けないと!
すぐに行動を開始する。マンティコアは攻撃することに夢中で俺のことなんて気にも留めない。やつの腹の下に潜り込んで斬りつけ、すぐに反対側へと逃げる。振り向くと、少しよろめいていたのか攻撃行動を止めていた。やはりジェニオと同じことは俺にもできる。
だけど、そう喜んではいられない。すぐにマンティコアが攻撃目標を俺に定めて向かってくる。俺は可能な限り引き付けてから思いっきり殺気をぶつけた。直後にやつの後方へと回り込むようにして避けた。
マンティコアの前足は剣を構えたままの俺を殴り飛ばそうとしたが、俺は煙となって消滅した。幻影だ。マンティコアはその煙に触れると急に大人しくなったように動かなくなった。効く。俺の影技能は魔獣相手にも通用する。
俺はブレンたちに移動するように手で合図を送る。幻影に気づかないのは殺気をぶつけた相手だけみたいだ。チャンスだけど一人でどうにかできる相手じゃないし、ナナトさんたちが合流してくれるのを待った方がいいか?
ふいに、やつの尻尾が動いたのが見えた。針の先をこちらへ向けて突き刺そうと振り下ろしてきた。
「うおわっ!」
間一髪だった。何とか剣で弾くことができた。
剣には紫色をした液体が付着していた。これってもしかしなくても毒か? もし刺さっていたらと思うと……。
マンティコアが頭を振ってからこちらを振り返った。幻影の効果が切れた? 早すぎる。今まではもっと長く行動不能にできていたはずなのに。魔獣……だからなのか?
考えている間に前脚が持ち上げられていた。逃げ……間に合わない!?
「よくやったぞ、レイト!」
ナナトさんが俺の前に割り込んできて、刀で攻撃を受ける。右手で刀を持ち、左の肘で峰の部分を支えている。俺はすぐにその場から離れる。謝ったりお礼を言っている暇なんてない。
「襲撃!」
ヒュンッ……と風を切る音がして矢がマンティコアの横腹に突き刺さった。
「ガアアァァァアアアア!!」
マンティコアが苦しそうな悲鳴を出した。
今までで一番のダメージが入った。この隙をナナトさんが見逃すはずはない。左の前脚の裏に回り込むと間接の部分を素早く斬りつける。血が吹き出してよろめく。ナナトさんは飛び出すように体の下から転がり出た。
「急速前進!!」
ここぞとばかりにジェニオも攻めていく。長槍のしなりと反動を利用して前方に跳躍した。加速したまま長槍を回収し、そのままマンティコアの横腹へと突き刺した。
「おっしゃ! どうだおらあ!!」
「ジェニオ! すぐに離れろ!」
ナナトさんが叫んだ。
「は!?」
あれだけの攻撃を受けてマンティコアは悲鳴をあげなかった。ダメージがなかったとは考えられない。我慢していたのか、ぐっと堪えている。そして、その目はしっかりとジェニオの姿を捉えていた。
「ジェニオ逃げろ!」
「んなこと言ってもよお……槍が抜けねえ!!」
え? 急速前進での攻撃は絶大な威力だ。でも、それだけ相手に深く突き刺さる。マンティコアがわざと受けたんだとしたら、それはまさしく肉を切らせて……。
「槍は捨てろ! 早く!」
ナナトさんが再度叫んだ。
「くっそ! 鎖が!!」
ジェニオの我流閃技は長槍から手を離す移動技だから、回収のために鎖で長槍と手を繋いでいる。その鎖が仇になってマンティコアから離れることができないようだ。
マンティコアが体を右に向けながら、その右の前脚でジェニオを横から払いのける。ドッ……と鈍い音がしてジェニオの体は宙を舞い吹っ飛んでいく。その弾みで長槍もマンティコアの体から抜け落ちた。
「ぐああ!!」
ジェニオが地面に叩きつけられる。
苦しんでいてどう見たって重体だけど、マンティコアの攻撃は力が乗っていなかったように思う。それは、ナナトさんが斬りつけた左の前脚でふんばっていたからだ。もしも万全な状態だったら……。
「マキア!」
ナナトさんがマキアを呼び寄せる。
ここで治癒を使わないわけにはいかない。ナナトさんはマンティコアの正面で攻撃を引き付けながら、ゆっくりとジェニオの位置から遠ざかっていく。
「ジェニオ、無事か!?」
真っ先に駆け寄れたのは俺だった。
「やべえ……やっちまったぜ……」
「喋るな、すぐにマキアが来るから!」
「どいて!」
マキアが単独で駆けてきた。
ジェニオのことはマキアに任せて、俺は周囲を確認する。ルミルは……ナナトさんを援護するか迷ってる。ブレンとココハはこっちに走って来ていた。
「ルミル! 一度合流して!」
こちらを振り返ったから聞こえたんだろう。ナナトさんならまだ耐えてくれる。そう信じたい。
「ココハ! ルミルの矢を補給してあげて!」
「…はい!」
ナナトさんを除く全員が合流した。マキアはジェニオを治療中だから、ブレンはその前に立っている。ルミルはココハから矢筒を受け取ると息を整え始める。ずっと走りっぱなしで相当きつそうだ。ココハは攻撃するかどうか悩んでいるみたいだ。
「ココハ、今は待って。気持ちは分かるけど、今こっちに来られるとまずいから」
「…うん」
「まだ魔法は使えそう?」
「…それは大丈夫、だけど……私のは、当たらない……から」
ココハの魔法は確かにまだ命中していない。空気弾はダメージにならなかったし、風鋭刃は尻尾に叩き落とされてしまった。
……待てよ? ルミルの矢には反応しなかったのに、ココハの魔法は攻撃を中断してまで反応したよな? あれは……なんでだ? もしかして……。
「ココハ、次にチャンスがあったら試して欲しいことがあるんだけど」
「…なに?」
俺は、とある注文を出した。ココハは少し不安そうだったが「…やってみる!」と答えてくれた。イメージするのに少し時間はかかるかもしれない。
今はナナトさんの戦闘を眺めることしかできない。ナナトさんは防具という防具を身に付けてはいない。鎧やマントはもちろん、来ている服も普段着っぽくて冒険着ではないだろう。一撃でも直撃したらそれで終わってしまう。別にお金に困っているとか、そういうことではないだろう。鎧だと重量の問題で動きが鈍るだとか、マントだと腕を振り回す時に邪魔になるからだとか……きっとそういうことだと思う。
今、無事に生きて戦っているということは、まだ一撃も受けていないということだ。俺たちもそうなんだけど、俺たちとは違って、戦闘を開始してから常にマンティコアの正面に立ち続けているのに、だ。身のこなしと剣捌きが達人レベルだからこそだろうな。
観戦しているとナナトさんの攻撃する回数が徐々に増えてきている気がした。マンティコアの方が疲労している? ナナトさんがマンティコアの動きに慣れてきたのかもしれない。
「左脚……気にしてるわね」
ルミルが呟いた。
マンティコアはさっき斬られた左の前脚、その間接が痛むようだ。ナナトさんはそれを利用するように、左回りに移動しながら攻撃と回避を繰り返す。
「くっそが!!」
背後からジェニオの声が聞こえた。
どうやら治療は終わったようだ。俺は近くに落ちていた長槍を拾ってジェニオの元へと運んだ。
「悪りぃな、レイト」
「え?」
「あ!? なんだよ?」
「いや……なんでもない」
お前の口から謝罪の言葉が出てくるとは思ってなかったんだよ。もしかしたら、長槍を拾ってくれてありがとうって意味だったのかもしれないけど、俺には無茶をして悪かったなという風に聞こえてしまった。
「ガオオォォォォオオオオオオ!!」
マンティコアが吠えた。
慌てて振り返るがナナトさんは無事だ。よかった。安心したのも束の間、マンティコアは後ろへと跳躍してナナトさんから距離を取った。ナナトさんも警戒したのか、守りの体勢のまま睨み合っている。
マンティコアが先に動いた。助走をつけようとしているのか左側へ回り込むように走る。次の瞬間、一気に反転してこちらへと向かってくる。
「え!?」
やばい、マンティコアは標的を定めると攻撃をするまで狙いを変えないというこだわりを捨てたのか、ナナトさんには敵わないと悟ったのか、殺せる方を狙いに来たみたいだ。
「みんな! ブレンの後ろに!」
「逆だ! ボクから離れろ!!!」
ブレンがとてつもなく大きな声で叫んだ。
「うおぉぉぉぉおおおおおおおお!!!」
ブレンは挑発でマンティコアを引き付けるみたいだ。
全員がブレンから離れる。マンティコアは真っ直ぐにブレンを目指す。体当たりをするように激突すると、ブレンは仰け反りつつもなんとか堪えてみせた。尚も攻撃は続く。両脚で踏ん張れる牙での噛みつき、尻尾での毒針を中心に攻めてくる。
ブレンは必死に凌いではいるが、余裕はない。特に毒針は一度でも受けると致命傷になる。何とかしないと……でも、咄嗟には思いつかない。
「襲撃!」
ルミルが名一杯引いた弦を離し、矢を放った。
「ガアァァァアアア!!」
マンティコアが悲鳴を上げる。
ブレンは体勢を立て直すが、マンティコアは既に次の攻撃標的を定めている。狙われるのは当然……。
「ルミル!」
叫んで知らせるが、ルミルも分かっていたのか既に背を向けて走っていた。マンティコアが追いかけていく。ルミルはこの広い空間の外、木々のある方へと向かう。一度振り返り、距離を確かめる。タイミングを測って前方の木に足をかけた。
一歩、二歩、三歩と駆け上がり、四歩目で蹴り上げて跳躍、反転する。追いかけてきたマンティコアの上を逆さまになりながら飛び越えていく。弓を引き、頂上に達した瞬間に背中へと至近距離から打ち込む。逆跳だ。
マンティコアは怯みはしたものの既に痛みは感じていないのか、体を振り尻尾で着地しようとしているルミルを殴打した。
「かはっ……」
空中で受け身など取れるはずもなく、ルミルは弾き飛ばされ地面を跳ねるように転がっていく。
「…ルミル!」
ココハの叫び声は空しく響いた。
マンティコアはトドメを刺そうとでもいうのか、ルミルの方へと近づいていく。ルミルは何とか立ち上がろうとふらついた体を起き上がらせる。マンティコアは尻尾の先の針をルミルへと向けて……伸ばした。
……間一髪だった。飛び込むようにルミルを抱えて毒針を避けたのはナナトさんだ。しかし、これでは二人とも危ない。ナナトさんは座り込んだままルミルを背にして刀を構える。
「あたしのことはいいから! あんたはマキアを助けなさい!」
「うるさい! おれは誰も死なせない! そう言ったはずだ!」
マンティコアが毒針で執拗に攻撃を繰り返す。このままじゃ……。俺は走った。何もできないかもしれないけど、やれることはあるはずだ。
「ブレン! 挑発を!」
疲弊しているブレンに指示を出す。
別にブレンに受けさせようっていうことじゃない。こっちに注意を引き付けたいだけだ。
「うおぉぉぉぉおおおおおおおお!!!」
マンティコアがこちらを振り向く。ブレンの正面に立つように走る。
「うおぉぉおおおお!」
挑発を引き継ぐようにして俺も叫んだ。
マンティコアが反転してこちらへと向かってくる。このあとは……どうする?
「レイト! 一瞬でいい、足を止めさせろ!!」
ジェニオの声が聞こえた。
俺は咄嗟に殺気をマンティコアへぶつけた。攻撃を受ける直前に横へとステップを踏み、避ける。成功だ。マンティコアは俺の幻影へ噛みつき、煙を浴びる。動きが止まった。
「……いくぜ! 必殺!!」




