第56話「コイマの森」
俺たちは昼食を済ませてから、マキアの案内でコイマの森の入り口までやって来た。近くで見ると、木々の背はとても高くて、一番下の枝にさえ手は届きそうにない。それが無数に寄り添い合って森となっている。マキアが以前に話してくれたように、森の入り口だけは木々の間隔が広く、まるで森全体が大きな一本の木で、それが口を開けているようにも見える。
「とうとう、ここまで来たんだな」
「…レイトくん?」
「ランデーグさんたちには中に連れて行ってもらえなかったけど、今の俺たちなら……歓迎してくれるかな?」
「…戻りたい?」
「どうだろう……俺は今、みんなとここに立って居られてることにすごく満足してる」
「…うん」
ふと、これまでのことを思い出した。
「ここへ来るまでに、いろいろあったよね。酒場で絡まれてナナトさんと出会って、ランデーグさんのパーティーに入って実戦を経験して、みんなと再会してパーティーを組んで、神殿へ行ってマキアを仲間に加えて、ココハが精霊魔法を使えるようになって」
「…大変、だった」
「うん。それから俺たちは、シシノ平原の巨大猪を倒して、小狼狩りを始めて、ナナトさんに仲間になってもらって、更に成長することができたよね」
「…うん」
「でも、まだまだこれからなんだ。俺たちはまだ、スタート地点から一歩踏み出しただけだって思う」
「…うん。でもそれは、とても大きな一歩……だと思う」
「そうだね、俺もそう思ってる。この先はさ、いつ転んでもおかしくない……怖くないって言ったら嘘になるけど、もう下を向いてはいられないよ?」
「…………」
言い方は厳しかったかもしれない。でも、この先は本当に一瞬も油断できない。何が起こるのかも分からないし、自衛のできない冒険者から死んでいくのだろう。もちろんココハのことは守ってあげたいし、他のみんなだって誰も死なせたくはない。
「…私、強くなったから……大丈夫、だよ?」
ココハは俺の目をしっかり見ながらそう言った。
初めて会った頃のココハとは違う。彼女はもう立派な冒険者だ。俺たちの頼れるアタッカーの精霊術士なんだ。
「頼りにしてる」
「…うん、任せて」
「おいレイト! そろそろ乗り込もーぜ!!」
前方にいるジェニオに呼ばれた。
そうだよな、いつまでも入り口を眺めているわけにはいかない。
「行こう、ココハ!」
「…うん!」
――俺たちは武器を握りしめ、隊列を組んで少しずつ森へと進入していく。前からブレンとジェニオ、俺とルミル、ココハとマキア、そしてナナトさんの順だ。入り口の幅は五メートルくらいだったから、お互いに一メートルずつくらいの間隔を空けて歩いていく。
「みんな緊張しすぎだよ? もう少し肩の力を抜こうか」
ナナトがみんなに声をかける。
「そ、そうはいうけどなあ……こ、こ……」
「怖いのね?」
「怖くねーわ!!」
「ジェニオ、うるさいよ」
「うっせーぞレイト!!」
「静かにして」
「ま、まぁまぁ。でも、思ってたよりも……不気味だね?」
「そうかもな。ここには太陽の光もそんなに入り込めないし、昼間でもそこそこ薄暗いからな」
たぶん、落ち着いているのはナナトさんとマキアくらいだろう。他のみんなは俺も含めて恐怖心に襲われている。近くの茂みからガサガサッと物音がした。
「うおぉぉおおお!? なんだ!?」
ジェニオがいちいち大袈裟に驚く。
「落ち着けよ」
「バッカ! 落ち着いてるっつーの!!」
「これは……まずいかもな。レイト、おれが先頭を歩こうか?」
「……いえ、このまま行かせてください」
「分かった。でも、無理はするなよ?」
「はい」
最初からナナトさんには頼れない。でも、このまま進むのもさすがに危険だと思った。
「ブレン、ちょっと止まって」
「え、あ、うん……」
「なによ、どうしたの?」
「……みんな、怖いよね? 俺も怖いよ」
「び、びびってんじゃねーよ!!」
「悪い……でも、このままだと俺たち……初日で全滅したっておかしくないよ」
全滅……という言葉を使うのは卑怯だったかもしれない。ちゃんと考えればもっと他に妥当な言葉も浮かんだかもしれない。でも、俺にも余裕なんてなかった。怖いけど、リーダーだからって理由だけで何とかギリギリで理性を保ってた感じだ。
「俺はいつも、慎重にとか……油断しないようにとか言ってきたけどさ。今回は真逆のことを言うよ。みんな、自信を持って行こう! 俺たちなら大丈夫だよ!」
「う、うん。弱気になったら……ダメだよね」
「あったりめーだろ! 黒狼がどこから襲ってくるか分からねーから警戒してただけだっつーの!!」
「ふぅぅ……」
ルミルが大きく息を吐いた。
「ごめんレイト。あたしも空気に呑まれてたわ」
「いや、いいよ。もう一度、気を取り直して進もう」
「ええ、大丈夫。みんなのことは……わたしが守るから」
後ろからマキアが励ましてくれた。
振り返ってみると、ナナトさんと目があった。笑顔で頷いてくれたので少しだけ安心できた。改めてマキアの方を見て「ありがとう」と言ってから前を向くと、不思議ともう怖くはなかった。
――森に入ってからまだそんなに時間は経過していないはずなのに、もう何時間も歩いたような気持ちになってきた。みんなの息も少しずつ上がってきたようだ。
「慣れない場所、特にこういう視界が遮られたり狭い場所っていうのは、ものすごく疲れるだろ?」
「そうですね、まだ黒狼とも遭遇してないっていうのに……」
「まずはこの空気に慣れること。しっかりと呼吸をして、周りをよく見てみよう」
「…すぅぅ、ふぅぅ」
ココハの呼吸音が聞こえた。
すぅぅ……ふぅぅ……と俺もそれに合わせる。目線を少し上げて木々の間から遠くまで視野を広げる。薄暗い森の中に光が差し込んでいる場所もある。こういう場所で見る光はすごく心を落ち着かせてくれる。
そういえば、アムリス神殿のあの暗闇の部屋で、魔法陣の光が輝いていた時も恐怖心はなかった。あの光が消えた瞬間から怖いと感じるようになったんだよな。この森だと、それは太陽が沈み……夜の訪れた時がその瞬間なんだろう。俺たちは時計を持っていないし、差し込んでくるあの光だけが時間を知らせてくれる。忘れないようにしないとな。
「レイト」
マキアに声をかけられた。
「なに?」
「そろそろ……わたしたちが黒狼に初めて遭遇した場所だから」
わたしたちとは、マキアの前のパーティーでのことだろう。
「分かった。みんな、十分に警戒して進もう。何か見えたり、聞こえたら……」
その時だった。
「ウオオオオォォォォォォォォンン!」
何かの遠吠えが聞こえた。
それはきっと、いや……間違いなく黒狼だろう。
「レイト、来るぞ」
「はい! みんな、戦闘準備!」
「おっしゃ、来るなら来やがれ!!」
マキアが前に出て、ブレンの後ろまで進んだ。
「我は唄う、光よ、かの者に救いを……護盾」
マキアの光魔法は便利だけど、相手に触れていないと発動しない。それは、マキアが言うには実力不足だからってことみたいだけど。魔法効果には持続時間もある。護盾もずっと張りっぱなしというわけにはいかない。
ガサガサッと前方の茂みから何かが飛び出して姿を現した。それは、小狼と比べて一回りほど大きな体格と牙を持ち、黒い毛皮に覆われた、この森に生息する本物の狼。鋭い眼光で睨み付けてくる黒狼だった。
「数は? 一匹?」
「それはありえない。必ず群れで襲ってくるから、他にもいると思って!」
「どうすんだよ、作戦は!?」
「……ブレンとジェニオで正面のやつを。他のみんなは周囲を警戒、見つけたらすぐに知らせて!」
「おっしゃ、行くぞブレン!!」
「う、うん……やろう!」
ブレンが盾を構えて黒狼の方へと駆け出す。ジェニオもそれに続いていく。その瞬間、正面の黒狼が森の奥へと後退して行った。なんだ? どうして逃げるんだ?
「びびってんぞブレン! 一気にやるぞ!!」
ジェニオが走る速度を上げた。
「二人とも止まれ!」
ナナトさんがそう叫んだ。
「それは誘いだ! 分断させられるぞ!」
そうだ、黒狼は群れで戦い、知能もあるからこういう手も使ってくるんだ。
「みんな、少し前進しよう。二人との距離を空けすぎないように」
「ええ!」
俺たちはジェニオとブレンの後を追った。二人は足を止めて待っている。合流目前で左側の茂みから物音がした。
「ガルゥゥゥウ!」
黒狼が唸り声を出しながら飛び出してきた。
俺は剣を構えてやつの牙を迎え撃った。全員が左方向に注意を向けた。その時だった。
「ガルゥゥゥウ!」
今度は右側からも飛び出してきたらしい。
ガキン! と音がした。それは剣よりも細く、しかし、刃渡りは長い……おそらく、刀が牙とぶつかり合う音なんだと思う。
「一方向だけを見るな! 視野を広く保って、常に狙われているという意識を持つんだ!」
初戦からナナトさんの手を借りる結果になってしまった。でも、今はそんなことを考えている暇もない。
「…風鋭刃!」
ココハの魔法が左側から回り込むように飛んでくる。俺は黒狼が避けないように強く牙を抑え込んだ。回転した刃が黒狼の横腹を斬り刻んでいく。剣を咥えていた牙から力が抜けた。俺は素早く剣を引き抜くと容赦なく黒狼の首をはねた。
急いで状況把握に努める。まず周囲に黒狼の姿は見えない。前方ではブレンとジェニオが最初に現れた黒狼と交戦中。右側ではナナトさんがルミルを背に庇い、黒狼を斬り捨てたところだった。マキアはココハの護衛に付いている。
「よし、みんな、前進しよう」
俺たちはジェニオとブレンの元に急いだ。到着する頃にはジェニオが黒狼の首元に長槍を突き刺していた。
「あんまり褒められるスタートじゃなかったな」
ナナトさんの言葉に誰も反論はできない。前衛は先行しすぎ、後衛は注意力散漫、リーダーの俺はろくに指示も出せなかった。
「まぁでも、初見はこんなものだよ。反省して次に活かそう」
「はい……」
「ナナト、助かったわ……ありがとう」
「ルミルの高すぎる反射神経が仇になったな」
「ボ、ボクらも離れすぎて……孤立しちゃってたよね」
「まあな、距離感っつーのがいまいちまだ把握できてねえ」
「レイト、ここはまだ入り口からそう遠くはないし、後方から襲われることはないはずだ。少し、陣形を変えようか」
「えっと、どういう……あぁいや、考えます。少しだけ時間をください」
「ああ」
俺が考えている間に、他の男性陣で素早く黒狼から素材を剥ぎ取っていく。前方は通り道になっていて茂みも少ない。左右は木々や茂みで身を潜めやすいだろう。三方向に分けるとすると……。
「ブレンは前、ジェニオは右、俺は左。ルミルとココハを真ん中に、マキアはナナトさんと後方から付いてきて」
「三角陣形だな!!」
「あ、えっと、ひし形……じゃないかな?」
「そーか? まあなんでもいいけどな」
ナナトさんから陣形の修正はされなかった。問題ないってことでいいんだよな? 太陽の光を確認する。まだ暗くなる時間ではないだろう。
「よし、それじゃあ進もう」
陣形を変えたことで隊列が横に伸び、脇の茂みがさっきまでよりも近くになった。緊張感が高まる。突然襲われたりすれば、さっきよりも対処は遅れてしまうだろう。
慎重に進む。これだけの木々に囲まれていると、物音でもしない限りは黒狼の存在には気づきにくい。歩いているだけでも精神的に疲れる。俺は額の汗を袖で拭った。
ガサガサッと右の茂みから物音がした。俺は咄嗟に振り向こうとしたが、グッと堪えて左側の茂みに向かって剣を構えた。
「ガルゥゥゥウ!」
黒狼が飛び出してきた。
現れたのは左側、俺のいる方だ。なるべく冷静に襲いくる牙に剣を向ける。抑え込んでしまえば、さっきと同じようにココハとの連携で倒せるはずだ。
「ガルゥゥゥウ!」
続けて黒狼が飛び出してきた。
現れたのは……左側。俺の方だった。まさかの同時方向からの奇襲だ。俺は既に一匹と交戦中で身動きが取れない。後続の黒狼は俺とブレンの間に着地したが、迷わず俺の右側から飛びかかってきた。
「くそ!」
俺は剣から手を離して右手を構えた。
後続の黒狼が俺の右腕に牙を突き立てる。
「うわぁぁぁぁあああ!」
痛い。痛すぎる。完全に貫通されてしまっている。痛みで意識が飛んでしまいそうだ。
「レイト!」
マキアが俺の名前を呼ぶ声がした。
俺の剣を咥えていた最初の黒狼が剣を吐き捨て、俺の横をすり抜けて行く。しまった、ココハの方に!
「待て!」
俺は必死に追いかけようとしたが、右腕に噛み付いている黒狼によって地面に押し倒された。
「ガルゥゥゥウ!」
ここで更に増援だ。
今度はジェニオがいる右側からだ。きっと最初に物音で注意を誘ったやつだろう。今の俺にはろくに指示も出せない。
「ブレンはレイトを! ジェニオとルミルで一匹!」
ナナトさんの声がした。
右腕から牙が抜かれた。しかし、すぐに俺の顔や肩などに向かって噛み付こうとしてくる。俺は既にボロボロで激痛がしている右腕を犠牲にして身を守り続ける。
「うおぉぉおおおお!」
ブレンが叫びながら俺の上に乗り上げている黒狼に体当たりを仕掛けた。
黒狼は避けようとしたが間に合わず、ブレンの圧倒的な力で吹っ飛ばされた。
「レ、レイトくん! 大丈夫……?」
「ああ、うん。ありがとう、ブレン」
そう言って俺は近くに落ちていた剣を左手で持って立ち上がった。
ブレンが黒狼と俺の間に盾を構えて立ってくれているから、周囲を確認することができた。俺の横をすり抜けて行った黒狼はナナトさんによって斬り伏せられていた。
ココハは……無事だ。マキアと一緒に周囲の警戒をしている。ルミルは弓矢を構えて、ジェニオが抑え込んでいる黒狼へ狙いを定めていた。
「ブレン、ここは任せていい?」
「う、うん……任せてよ」
「頼む。ココハ! ブレンを援護して!」
そう言って俺はマキアに治療してもらうために後退した。
「レイト、大丈夫なの!?」
「うん、なんとかね……治療してくれる?」
「ええ!」
マキアは返事をしながら俺の右腕に触れた。
「我は唄う、光よ、かの者に癒しを……治癒」
治療されながら再度、状況把握に努める。ナナトさんは右側の二人の方を見ていたのでそちらは任せて、俺は左側の二人を見た。
「…空気弾!」
ココハの放った魔法は、まっすぐに倒れ込んでいる黒狼へと向かっていく。黒狼は急いで立ち上がって移動しようとしたが、ふらついて直撃を受けてしまう。
「うおぉぉおおおお!」
ブレンが駆け寄り、体当たりで盾と木の間に黒狼を挟み込んだ。
「コ、ココハさん……今だよ!」
「…風鋭刃!」
回転する刃がブレンを避けて、回り込むように黒狼を襲う。木と一緒にその胴体を斬り刻まれた黒狼は体をダラッとしてその命を散らした。
ブレンが盾を引っ込めると黒狼は地面へと落下した。風鋭刃が通過した木を見てみると、その切り口はとても綺麗で、あの刃の切れ味はとても鋭いことが見て分かる。
「おらぁぁぁぁあああ!!」
ジェニオの声が聞こえた。
どうやら向こうも片付いたみたいだ。俺の治療にはそれなりに時間はかかったけど、傷口は塞がり、痛みも消えていた。
「ごめん、ありがとう」
「無事でよかった」
わりと……いや、だいぶ危なかったかもしれない。みんなの息も切れている。
「ナナトさん、今日は……」
言いたいことが分かっていたのか、俺が言い終わる前に頷いてくれた。
「みんな、今日は初日だし、ここまでにしよう」
「そうね」
「しゃーねーな、素材は剥ぎ取って行くだろ?」
「ああ、牙だけ折って持って帰ろう」




