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ミルグラム戦記 ―悲愛界変の綴り―  作者: 井藤司郷
第2章<シシノ平原編>

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第28話「回想―別れ―」

 おれは記憶喪失だったが、特に不自由なく暮らせていた。その理由は三つある。


 一つ目は宿。ここ、ルトナの街にある貸宿の中でも、そう悪くない宿らしいのだが……実は宿代を支払ったことが一度もなく、請求されたこともない。宿の主人に尋ねてもみたが「代金はもう頂いております」と言うだけだ。「誰かが代わりに支払っているのか?」と尋ねても「代金はもう頂いております」の返事しかしない。不可解だが、暮らしていても特に何が起こったわけでもないし、ありがたく住まわせてもらっている。


 二つ目は戦闘技術。生活するためには仕事をしないといけない。おれは自分に何ができるのかは分からなかったが、刀を所持していることからも狩りを始めてみることにした。最初は北の草原で小狼(レッサーウルフ)を狩ろうと思った。でも、小狼(レッサーウルフ)たちはおれを見つけても襲ってくるどころか近寄ろうともしなかった。一方的に殺意を向けるのは気が引けるし、その場を離れることにした。


 仕方がないから、次はユトの丘で怪鳥(バード)を探してみることにした。成鳥(オヤ)こそ見つけられなかったが、幼鳥(ヒナ)は見つけられた。でもまただ。小狼(レッサーウルフ)と同じように襲ってくる気配はない。成鳥(オヤ)、あるいは他に敵意を向けてくれる相手を探して歩いた。


 ……日が暮れ、夜が明ける頃、気がつくとおれは山を登っていた。その山の名前をおれは知らない。ひたすら歩き続けると、崖側と森側とで道が分かれていた。一人でこんな所まで来てしまっているし、迷ってしまう恐れもあったため、おれは崖側の道を選んだ。どのくらい登っただろうか、少し広まった道に出た。崖の下には森林が広がっている。山の斜面の方には洞窟みたいな堀かけの穴があった。おれは中を覗き込んだ。そこに、やつらはいた。


 人型だがやけに小柄で身長は百二十センチくらい、紫色の肌で耳は尖っている。それはゴブリン族と呼ばれているやつらだった。おれの存在に気がつくと、持っていたつるはしを捨てて、やつらは剣やナイフなどに手を伸ばした。おれは刀を抜いて周囲を警戒した。洞窟の周辺には他に仲間はいないみたいだ。


 ゴブリンたちが洞窟から出てくる。二匹……いや、三匹だ。刃物を突きつけながら、おれを取り囲んでいく。これが記憶を失っていることに気がついてから初めての実戦になる。しかし、体が戦い方を覚えているのか恐怖などは感じなかった。


 正面の剣ゴブリンが突っ込んできた。おれは左へと躱すが背後に殺気を感じてそちらへ刀を振った。ナイフを弾き飛ばし、そいつの腹に蹴りを入れると一匹目は崖の下へと落ちていった。剣ゴブリンへと向き直るとやつは剣を振り上げていた。腹から胸にかけて斜めに血飛沫が舞う。斬り上げたのはおれだ。これで二匹目。左手を少し斬られたのかヒリヒリと傷んだ。


 直後に隙を伺っていた最後のゴブリンが右後方から迫ってくる。それは分かっていた。敢えて隙を作るために刀を振った後の硬直時間を長めに取っていた。右に振り返りながら刀を斜めに振り下ろす。「ヒギャッ」と言って三匹目は倒れ伏せた。こうして初めての実戦は終わった。客観的に見ても圧勝だったと思う。おれは自分の技量がどの程度なのか確認できたことに満足したから下山することにした。


 ユトの丘を通ってルトナの街へ向かっていた。コイマの森の手前にある草原で小狼(レッサーウルフ)と戦闘になっているパーティーを見かけた。狩りの邪魔になるかもしれないと避けて通ろうとしたが、彼らの顔には見覚えがあったから挨拶をしようと思い近づいた。


 長くなってしまったけど、おれが記憶喪失でも不自由なく暮らせていた理由、最後の三つ目。それは彼女の存在だ。いや、彼女たち……と言い直そう。そのパーティーのリーダーは男の子だし、彼らと言った方がいいのかもしれない。まぁどっちでもいいか。


 剣と盾を持ったリーダーの騎士(ナイト)、カッシュが防御(ガード)小狼(レッサーウルフ)の動きを止めていた。背後から忍び寄った盗賊(シーフ)のチーノが小狼(レッサーウルフ)の首を短剣で裂いた。なかなかに見事な連携だったと思う。しかし、彼らの意識は完全にその小狼(レッサーウルフ)に向けられていた。おれは急いで駆け寄る。


「チーノ! 後ろ! 危ない!」

 少し離れた場所に他の仲間もいるみたいで声が聞こえた。


 チーノは身構えてはいない、無防備だった。それは岩陰から飛び出して彼に牙を突き立てようとした。わりとギリギリだったと思う。おれは刀を前に突き出して思いっきり跳躍した。小狼(レッサーウルフ)は空中で静止している。チーノは後ろに倒れ込むように尻餅を付いていた。


「大丈夫か?」

 そう言いながらおれは刀から小狼(レッサーウルフ)を引き抜いて放り投げた。


「チーノ、立てるか?」

 カッシュがチーノの腕を掴んで立ち上がらせる。仲間たちも集まって来たみたいだ。


「チーノ! 怪我は?」

 神官(プリーステス)のマキアが駆け寄って来たが「平気」とチーノが答えるとホッとしているみたいだった。


「あれ、名無しさんじゃーん」

「ホントだーお兄さんがいるー!」

 陽炎術士(ヒートメイジ)のナジュと弓使い(アーチャー)のスティーがおれに気づいて声をかけてきた。結局、呼び方は統一されていなかったようだ。


「助かったっす」

 カッシュはおれの前まで歩み寄ると「仲間を失うところでした。本当に、ありがとうございました」とチーノと二人で深く頭を下げた。


「間に合って良かったよ」

「ありがとうございました。本当に……」

 マキアもそう言いながらおれの前に来た。


「ナナトさん、怪我とか……していませんか?」

「えっと、大丈夫だと思うけど」

 自分の体を見渡して見たが、ゴブリンに斬られた傷が左手に少しある程度だった。


「治します!」

 マキアはおれの手に触れた。


「我は唄う、光よ、かの者に癒しを……治癒(ヒール)


 マキアは神官(プリーステス)だ。仲間を治療するのが主な仕事だ。おれは仲間ではないけど、仲間を救ってくれたお礼……ということだろう。


「ありがとう」


 おれが感謝の言葉を口にすると、彼女は笑顔を見せてくれた。その後は空腹だったおれの腹が鳴ったことで「昼食をご一緒しませんか?」と誘われた。誰かと共に食事をした記憶もなかったおれには、それはとても新鮮で楽しかった。みんなはいつも笑顔でさっきは上手くいったよね、とか、あそこはもっとこうしたいよね、とか話し合っていた。自分たちの成長を噛み締めているのだろう。おれの記憶についてもいくつか質問してくれたが、特に思い出したこともないし進展はなかった。


 彼らとはそれからも交流があった。まだまだ未熟だった彼らにアドバイスを与えたり、時には一緒に狩りに出かけて直接指導をしているうちに、おれもパーティーの一員になったような、そんな気持ちになれた。



 ――それからしばらくしたある日のことだった。狩りを終えてルトナの街へ彼らと共に帰っていた。


「あーあ、ナナトさん……このまま僕たちのパーティーに入ってくれたら楽できるのになー」

 スティーがおもむろに、そして嘆くように言った。


「無茶言うなよ。この人は冒険者じゃないんだからな?」

 それにカッシュが答える。


「うちらみたいな新人の冒険者にアドバイスをしてくれる人なんて貴重だし、ホントに助かるんだけどねー」

 ナジュは残念そうに言った。


「ナナトさんがいるとすごく助かる。頼りになるし、神官(プリーステス)としても……」

 マキアが言葉を区切り、下を向いて短く息を吐いた。


「……そばにいてくれると安心できる、かな」

「マキアのは……いや、いいか」

 チーノが何かを言いかけて止めた。


「頼ってばかりだとダメだろ。俺たちも成長しないといけないんだからな?」


 おれは黙っていたが、カッシュのその言葉を聞いて思った。もしかしたら、おれは彼らの成長の妨げになっているのではないのかと。アドバイスを与えるのは間違ってないと思う。でも、こうして一緒に狩りをしたり行動したりするのは間違っているのかもしれない。彼らに頼られるのは悪い気はしないけど、それを続けていたらダメなんだ。そう思った。


「ありがとう。必要にされてちょっと嬉しかったけど、おれは君たちと一緒には行けない。やっぱり、自分のことを知っておきたいんだ。だから、少し旅でもしてみようかなって思ってる。何か思い出すきっかけになるかもしれないし」

「そっかー」

 スティーが肩を落としている。


「まぁ旅から戻ったら、またいつでも声をかけてくれていいよ。その時は一緒に冒険にでも行こうか」

「そうっすね、それまでに一人前になっておきますよ!」

 カッシュはそう言って拳を上げた。


 ルトナの街に着くと「一杯どうですか?」と誘われたが断った。おれはどうにも酒が口に合わないらしい。


「それじゃあまた、元気でな」

 おれはそう言って彼らに背を向けて歩き出す。


「ナナトさん!」

 呼び止められて振り返ると、マキアが駆け寄って来ておれの前で足を止めた。彼女はじっとおれの目を見つめていた。


「どうした?」

 そう聞くと彼女は視線を地面に落としたが、すぐに戻した。


「旅に……行ってしまうのですね?」

「うん、君たちと話してて思ったんだ。おれは自分のことをもっと知りたいなって」

「わたしも……」

 彼女は少し口をつぐんだように感じた。


「記憶が戻ったら、またこの街にも……?」

「戻ってくるよ、記憶とかは関係なくね」

 返事はない。安堵しているようにも見えた。


「おれには他に知り合いもいないし、これから出会う人はいるだろうけど、待っていてくれるなら……必ず」

「はい。待っています、みんなで」

「ありがとう」


 おれは右手で彼女の頭を撫でていた。無意識だった。おれがゆっくりと手を引っ込めると彼女は小さく頷いた後、もう一度おれと目を合わせてから背中を向けた。一歩ニ歩、三歩四歩と進む。それがとても寂しく感じてしまう。


「マキア!」

 今度はおれが呼び止めた。彼女は五メートルほど離れた場所で振り返った。


「頼りになるって言われて、本当に嬉しかった。傷を治してもらったり、誰かと一緒に昼飯を食べたり……そういうのは一人だとできないからさ」


 彼女がまた小さく頷いた。


「おれはまたみんなに会いたい。必ずここに帰ってくるよ。だから、その時は……」

 言葉が詰まってしまった。おれは何を言おうとしたのか、自分でも分からなかった。


「わたしも……」

 すると、彼女が口を開いた。


「もっとあなたと話したかった。もっとあなたを知りたかった……」


 そう言われてから気がついた。おれたちはまだまだお互いのことを知らないのだと。きっと、記憶喪失の話をした頃からずっと気にかけてくれていたのだろう。この子は優しすぎる。


「ありがとう、マキア。またね」

「また……」

 小さく手を振る素振りを見せた後、彼女は俯いてしまった。


 おれは後ろ髪を引かれつつも、そっと背を向けてその場を離れた。もう呼び止められることはない。振り返ることもしない。別れだ。いつかまた出会う……その日まで。


「さようなら、マキア」

 おれはきっと戻ってくる。もう一度君の笑顔が見たいから。

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