第269話「砂に棲む虫」
帝都ルミカドネを出発してから三日目の昼過ぎ。南南東の方角へひたすら歩いて進む。この辺りも基本は大陸の北側と同じ平原が続いているが、地面の起伏があって小さな丘をいくつも登ったり下りたりしている感じだ。まぁこれまでに山登りも経験してるし、体力的にも問題はなかったりするんだけど。
「こんな道がずっと続くんかなぁ?」
「だと思うよ。イルアビカの方とは違って街道とかもないし、迷わないようにだけはしないとね」
「ええ。でも、高い所からの見晴らしは良いからそうそう道に迷うことはなさそうだけど」
「近くのものばかり見て歩かないことだな。遠くの景色と太陽の位置を意識して見ておけば方角が狂うことはねぇさ」
「そうなんかぁ。遠くかぁ……あ! 向こうの山は高くて目印になるなぁ!!」
「確かに。あれは相当高い山だね。地図に書いておこうか。南西に目印山ってね」
「目印山って言うんですぅ?」
「いや、俺が今勝手に名付けただけだよ」
「あははは!!」
「…あの山、頂上の付近に黒い雲……? みたいなのが漂ってる」
「なんか嫌な雰囲気の雲だな」
「雨でも降るんかなぁ?」
「雲っていうよりもモヤみたい。それに、まるであの山にまとわり付いているようにも見える」
「だね。目印山の特徴に黒いモヤって書いとくよ」
こんなやり取りをしているのは俺たちがこの大陸のことをまだ全然知らないからで、もちろん進む先に何があるのか分からないっていう不安もあるけど、何があるんだろうって期待もある。それに、こうして地図を持って歩くのも初めてなんだよな。
帝都の黒城で執政官のカミナキスさんに貰った地図。ほとんど手書きのような簡単なものだったけど、五大陸全ての位置関係と大体の形が描かれていたからなんとなく自分の手で完成させるのも面白いかなと思ったんだ。とりあえず、分かる範囲でイルアビカ王国領の各地の場所や地名を記入して、このレクニカミイド帝国領も通って来た道は記しておいた。
まぁ……元の世界に戻ってしまったらそこで終わりなんだけどね。なんかこういうのは旅をしてるって感じがするし、みんなも楽しいって思えてるならいいと思うって言ってくれたから始めてみた。ただ……ふと感じたのは、大陸一つ一つはさほど大きくないように思う。イルアビカ大陸では結構いろんな場所に行ったけど、全て歩いて行ける距離だったんだよな。
「実はこの世界って……」
「…どうしたの?」
「うん。思ったよりもこの世界って狭いのかなってさ」
「…そう、かな?」
「地図に書いてみて気付いたんだ。歩いてどこにでも行けちゃうっていうのはおかしくないかってさ」
「それっておかしいんかぁ?」
「いや、分かんないけど……そう感じたっていうか」
「わたしも……思ったことはある。例えば、イルアビカ大陸には王都と港町と、その中継になっている街しかない。どこかに小さな村があったりとかっていうのがないのは普通なのかなって」
「村か。確かにそんなもんはねぇな。王都や街にいられなくなったオレたちみたいな奴らを除けば全国民がそこに集まってる感じだな」
「王都もルトナも結構広いですけどね、それでも……一国の人口がそれだけっていうのはちょっと違和感があるなって」
「そっかぁ。そうかもしれへんなぁ」
「……お前たちはこの世界を小さいと言うのか。ふははは、やはり面白いな」
「ニセトさん?」
「いや、何でもない。続けるがいい」
そう言われたけど話は続かなかった。みんながみんな、なんとなくで話をしててはっきりとしたことなんて何も分からないからだ。たぶん消失された記憶から朧気に浮かんだ光景がそう思わせているんだと思う。つまり、俺たちがいた世界はもっと広かったんだろうな。今の感覚だとどっちが異世界なのか分からなくなってきてるけど。
「あれー? 向こうの方、平原やなくなってるなぁ」
「ん? あ、本当だ」
「行ってみる?」
「近いし、ちょっと寄ってみようか」
広大な平原の中に砂地が点々としている場所があった。それは、辺りの小さな丘と比べると少し陥没している所にあって、一つが約十メートルほどの広さだ。それがあちこちにあって何だか模様を描いてるみたいで不思議な場所だった。
「砂漠化してんのか?」
「こんな場所で? 空気も特に乾いてる感じはしないし、この辺りは雨も降ると思うから天候的に見てもそれはなさそうだけど」
「でも、妙な感じはするよね」
「…この砂地、間隔も大きさも同じくらい……だね?」
「ホンマやなぁ。ちょっと入ってみてもええかなぁ?」
「入れるのかな? 足を踏み入れたら底なしだった……なんてことないよね?」
「ええ!? そんなことあるんですぅ!?」
「分かんないけど、ちゃんと用心しておかないとってこと」
「……何か、投げ込めるものがあれば試せそう」
「だが、石すらも落ちてねぇぞ」
「お前たちは慎重すぎる。こんなものを警戒する必要があるのか?」
「ニセトさん……。警戒は必要ですよ。目的を果たすまで極力危険は避けないと」
「だったら寄り道をしないことだ」
その通りだよな。正論を言われて黙った俺たちの横をニセトさんが通過していく。そして、何の躊躇いもなく砂地へと足を踏み入れた。息を飲む俺たちを振り返ったニセトさんが手招く。安全そうだということだ。俺たちは顔を見合わせて頷きあうとニセトさんに続いて砂地へと入ってみた。
「何ともなかったなぁ!!」
「…うん」
「本当に砂漠みたい」
「何ともないと逆に何かありそうに感じるな」
「ははは。警戒、また警戒ですね。でも、確かにこの砂漠化には意味がありそうですよね」
「こんなものにまで意味を求めるのか?」
「別にそれを調べようとは思いませんけどね」
「先を急ぐのならば当然だ」
「ニセトさんは早く最果ての地へ行きたいんやなぁ」
「…………」
「そういえば、旅に同行してもらってたのに忘れてましたが……ニセトさんにも何か目的があるって言ってましたよね? それを手伝わなくても良かったんですか?」
「それは……む? レイト、何かが来るぞ」
「え? みんな、周囲を警戒!」
ニセトさんが何かを感じ取ったということは敵意のある者が近づいて来ているということだ。この辺りに獣族は現れないはずだし、可能性があるとすればオーク族が最も高く、次に俺たちへの追っ手。一度交戦した竜騎兵はどうだろう? ワイバーンにはそれなりにダメージを与えたからまだその傷が癒えてないと思うんだけど。
神聖騎士団に追い付かれたって可能性もある。ただ、アムリス神殿の人間は目の届かない所まで見れる方法があるみたいだし、それを使えばもっと早く追い付かれてもおかしくはなかったはずだけど。とにかく、空にも陸にも注意を向ける必要がある。敵はどこから来る? オークや追っ手じゃないとすると、他に考えられる相手は……。
「来るぞ……下だ!」
ニセトさんがそう叫んだ。
「え!?」
予想もしていなかった場所からの奇襲だった。その敵は俺たちの立つ砂地の中からボコッと頭を出した。薄黄色で太く長い体。頭部……と呼んでいいのかは分からないけど、先端は開いていて中には無数の刃のような歯が並んでいる。胴体から下はまだ地中に埋まっていて全長は測れないけど、目測だとおよそ一メートルくらいのミミズだ。そう……巨大ミミズっていうのが分かりやすいかもしれないな。
「なんやぁ!? でっかい虫!?」
「もしかして、ここ……巣穴だった!?」
「かもしれない。一旦離れよう!」
俺たちは砂地から平原に向かって後退を始める。荷物を抱えたまま竜型の盾だけ構えた俺が巨大ミミズの前に立って牽制しつつ、みんなが避難し終わったのを見計らってから踵を返して逃げだした。しかし、目の前の相手に意識を向けすぎていたせいで自分の足元への注意が疎かになってしまっていた。
「うぐっ! くそっ!」
ボコッと頭を出した二匹目の巨大ミミズはそのまま俺の右足に噛みついてきた。痛みは走ったけど食い千切られるほどではなかった。俺は背負っていた荷物をみんなの方に投げ捨てて、片手剣を取り出した。自分の足を斬り落とさないように気をつけながら巨大ミミズに向かって振り下ろす。切っ先が体の表面に触れた瞬間、巨大ミミズは足から口を離して地中へと戻っていった。
体はそんなに硬くなかった。でも、やっぱり自分の足を斬ってしまうかもしれないという思いがあったからか、一撃で仕留めることはできなかった。俺は痛みを感じながらもすぐにその場から離れようと思った。しかし、行く手を阻むように一匹目の巨大ミミズが砂地を泳ぐようにして回り込んできた。
「レイト!」
マキアがすぐに短杖を構えた。
「我は唄う、光よ、かの者に力を……遠隔陣」
それは魔法修練で習ったマキアの新しい唱術だった。俺の足元に魔法陣が出現する。あの唱術はこの魔法陣を出現させる為だけの魔法だ。しかし、この魔法陣こそがマキアにとって最大の手助けになる。
「我は唄う、光よ、かの者に癒しを……遠隔治癒」
そう。この魔法陣は一部の光魔法を遠隔で発動できるようにするものだ。ノスマートさんの遠方治癒とは違い、回復性能が劣るなんていうこともない。もちろん、準備に手間がかかるのと魔法量だって唱術二つ分必要になるし、魔法陣の外に出てしまったら効果を得られないという弱点もある。だけど、今この場面では助かった。進路を塞がれた俺はこの場に立ち尽くすしかないし、マキアがここまで回復しに来るわけにもいかない。遠隔陣はそれだけでも覚える価値は十分にあったと思う。
「レイト先輩!!」
その先で俺の投げた荷物を拾ってくれていたメリカが呼んでいる。ココハも手を出していいのかを考えているみたいだ。ここは砂地だから風属性だと巻き上げてしまうことになる。俺がそれに巻き込まれるかもしれないと躊躇っているんだろう。だったら……。
「マキア! この砂に水を!」
「……ええ! 水弾!」
水竜の角の短杖から水魔法を放ち、俺の足元の砂に染み込ませていく。地表だけでもいい。俺が巻き込まれず逃げ出す道だけ残っていればいいからだ。水弾が撃ち込まれた音で巨大ミミズは驚いて地中へと隠れてしまった。その隙に俺は湿った砂の上を走る。
ボコッとまた行く手を遮られる。どうやら地中にいても足音は伝わるらしい。巨大ミミズ二匹。全員は無理だからと俺を標的に定めたらしい。こいつらもさっきの俺と同じだ。目の前の相手に夢中になりすぎてて逃がした者のことはもう考えていない。だから……。
「…空気弾!」
圧縮した空気の弾丸が巨大ミミズに向かって飛んできた。ココハの殺気を感じたのかすぐに頭を引っ込めたけど、その穴に向かって精霊魔法が激突した。ある程度は砂埃が舞ったけど、俺は湿った砂地の上にいたから少し視界が遮られるくらいで済んだ。そして、地面が少し下がったような感覚もあった。おそらく、巨大ミミズが地中に掘った穴が空気弾が激突した衝撃で塞がってしまったんだろう。
ボコッとまた巨大ミミズが頭を地表に出す。こいつは二匹目の方か? 俺が斬って付けた傷がある。どうしようかと迷ったけど、俺は視界の隅に映った影を信じて巨大ミミズに突っ込んだ。大きな口を開きながら迎撃しようと俺を待ち構えている所に短剣が投げ込まれた。巨大ミミズは殺気を感じたのか胴体を捻ってそれを避けようとしたけど、その一瞬の隙さえあれば十分だった。
「これでっ!」
横から払うように片手剣を巨大ミミズの胴体に押し当てた。スパッ! と簡単に刃が通って二匹目の巨大ミミズを仕留めることができた。俺はそのまま駆けて脱出を試みる。地中を潜行しながら一匹目が追いかけてくる。平原に戻る少し手前で間に合わないと思ったのか、巨大ミミズは一メートルもある巨体をバネのように反動を付けて飛び上がった。口を開いて真っ直ぐに俺の後頭部を目指して来るのが背中越しに伝わってきた。しかし……。
ザシュッ……と大鎌が振られたことで巨大ミミズは空中で真っ二つにされた。ズザザ……と着地を決めたニセトさんがゆっくりと平原へと戻っていく。俺もそれに付いて行き、ようやく草の地面に足を乗せることができた。
「ふぅぅ……」
「…レイトくん、大丈夫?」
「うん。ありがとう」
「レイト先ぱーい! 荷物ここにあるからなぁ!!」
「ああ! 分かった!」
みんなが下ろした荷物をメリカが遠くまで運んでいたみたいだ。
「引き付け役、ご苦労さん」
「ははは。危うく餌にされちゃうところでしたよ」
「させねぇさ。ま、短剣は避けられたけどな」
「いえいえ。あれのおかげで隙が生まれたんで助かりましたよ。ありがとうございました。ニセトさんも、ありがとうございました!」
「……構わぬ」
「レイト、怪我は治ってる?」
「ん? うん。治癒してもらったし」
「そう……良かった」
マキアはようやく安心できたみたいだ。遠隔陣での治癒は初めてだったし、本当に効果が出ていたのか心配していたみたいだ。
「かなり使い勝手は良さそうだね」
「ええ。これならレイトの無茶にもヒヤヒヤしなくて済む」
「ははは。でも、今回のは別に無茶したわけじゃないよ?」
「……分かってる」
マキアなりの冗談だったみたいだ。
「マキアさんはさすがやなぁ。早速役に立てるような唱術を習ったんやもんなぁ」
「そうだね。マキアは俺たちのパーティーに足りないものとかをよく理解してるって思うよ。こういう時はそれがはっきりと表れるよね」
「そんなこと……」
「うちなんてなぁ、いつ使えるか分からへんような唱術を習ってしもうたしなぁ」
「…そんなこと、ないと思うよ? ナナトさんだって……よく言ってた。魔法に無駄なものなんてないって」
「あ、それ……うちも言われたなぁ」
「ええ。使い方はみんなで考えればいいと思う」
「はいなぁ!!」
マキアは光魔法を遠隔で発動できる遠隔陣と、毒や麻痺などの状態異常効果を体内から取り除くことができる状態治癒を習得した。ノスマートさんが使っていた毒治癒や、エルフの里の人が使っていた麻痺治癒よりも上位の唱術だ。メリカが言った通りかなり役に立つ魔法だ。しかも、あの短期間で二つも習ったんだからな……真面目だからなのかは分からないけど、本当に尊敬するよ。
俺が習ったのはこの先で使うことはあるのかな? ないならないでいいんだけどね。戦闘なんてしないで目的地に辿り着けた方が良いのは間違いないんだから。そう自分を納得させながらみんなで荷物のある場所まで移動する。
「よし、それじゃあ進もうか」
「はいなぁ!!」
メリカの元気な返事は俺たちの不安を全て吹き飛ばしていく。もう砂地には近づかないように気をつけながら、俺たちは古代の遺跡へ向けて再び歩みを始める。後でこの場所も地図に書き記しておかないとな。




