道化師と人形妃
権力、富、栄誉、色欲。
陰謀や打算が渦巻き、欲望に取りつかれた人という名の化け物が集う場所に、今宵も響くは、甲高い狂気に満ちた男の声。
顔は目の周りを縁取るように黒く塗り、口は赤く。
肢体は惜しげもなく露出されており、そのしなやかな肉体で人々の視線を浚い、夜会が開かれている王宮の広間において、声高に歌いながら踊る彼は、国に仕える道化師・ピョードル。
白塗りにされた顔からは表情は一切読み取れず、ただただ貴族間や他国に流れる噂を面白おかしく美しい声音で歌い上げ、そして皮肉る言動は、一歩間違えれば命を落としかねないほどの危険なモノである。
──否、命ならばとうの前から彼は日常茶飯事、狙われている。
だがしかし、素直に死んでやるほど彼は、暗殺者を仕向ける彼らに悪いとは思ってもいなければ、死んでやる義理もないと思っている。
差し入れられる飲食物や花束に潜められている毒、楽師に紛れ込んでいる殺し屋、踊り子に成りすまし寝首を掻こうとするある意味同業の下っ端。
どいつもこいつも、奴らの目は濁っていやがる、と、ピョードルは昏く嗤う。
これからもそれは変わらず、きっと自分もそいつらと等しく、死の直前までドロドロとゆっくり腐ってゆくのだろうと思っていた。
そんなある日、その日もいつもの様に夜会にて道化を演じていたピョードルは、一人の王子妃と出逢った。
この日の夜会は、新たなる王子妃の発表の場であり、それは即ち現在の王子妃の内の誰かが一人後宮を去ることを意味していた。
王子妃の人数はある時代を境目に、一定数に留めるようにと王室典範において定められ、定数を上回る場合は代わりにいずれかの花を、外に出さなければならないと厳しく決まっている。
ピョードルからしてみれば王家というだけでそれを許されると言うのならば、この国、この世界で一番腐っているのは王室だな、と、言葉には出さないが、決して表に出るはずがない化粧の下で嫌悪する。
彼は決して善人ではない。
が、犯罪者でもない。
ただ道化を演じているただ一人の人間でしかないのだが、彼の働いている世界はいつの間にか彼を道具としてしか認識しなくなるのだ。
それは彼に限ったことではないのだけれども。
一通り踊り、歌い上げたピョードルは、次の盛り上げの時間まで一休みするか、と、身軽に露台から夜の庭へとひらり、と、飛び降りた。
かさり、かさり、と夜露に濡れなかった草を踏みしめつつ、踊ったことで火照っていた体の表面を夜風で冷やす。
夜の匂いは何故か落ち着く。
昼間の明るい太陽はまるで全てを焼き尽くすようで、一切の穢れを許さないと主張しているようで、息苦しさを感じる。
生まれて間もない頃に、聖堂前に捨てられ、親の名前と顔、自分の生まれた日さえ知らずに育ってきた身の上で、後ろ暗いことはしていないと言えるほど、潔癖な真人間として生きてきたわけではない。
聖堂は表立って否定はするだろうが、孤児で見栄えのいい子供は、性別を問わずに良くも悪くも人気があり、一晩で金貨を何枚も稼いでくる。
その為、孤児育ちの者はある病により、若い内にこの世を去ることが多い。
ピョードルは運良く生き長らえ、今こうして素顔を晒さなくて済む職を得て、気狂い師として嘲笑されつつも生きている。
それもこれも、自分を棄てた人間に復讐するために。
ふと、人の気配を感じたピョードルは夜闇にだいぶ慣れてきた視界を凝らし、周囲を窺ってみれば、柔らかな月光色と言い表せばいいのか、それとも最高級品質の絹糸のようなと言えばいいのか、とにもかくにも美しい金色の緩やかなウェーブが掛かった、腰まである長い髪を夜風に靡かせ、噴水の淵に座って寛いでいる女を見つけた。
この庭にいると言うことは今宵の夜会の出席者か関係者なのだろうが、女一人ではいささか不用心ではないだろうか。
いくら王宮とはいえ、下の緩い奴らはどこに居ても湧き出てくる。
はぁ、と、仕方なくそちらへと歩みだせば。
「あら、お客さんがいらしたのかしら?こんばんは、今夜は良い夜ですわね」
耳に心地よい、柔らかくもしっとりとした声が夜の庭に落ちる。
が。
「おい、何処を見て言っている。俺はこっちだ」
見当違いな方を見てにこにこと笑いながら言う女に、ピョードルは思わず地声で文句を吐いてしまった。
道化師という職業柄、そしてこの狭苦しくも生きにくい世界において、個人を特定することに繋がるものは極力排除して生きてきたピョードルにとって、それは初めての失敗に等しく、内心ひどく焦ったが、当の注意された本人は、のほほんと笑うだけで。
「まぁ、ごめんなさいね。わたくし、目が視えないものだから。なんとなくこっちかしら?と思う方に向いたのだけれど、じゃあこっちかしら?」
ふよふよと手を伸ばし彷徨わせ、あら、こっちでもないのね?とぶつぶつ呟きながら、一人楽し気にピョードルを手探りで探している。
その何とも呑気な仕草に、彼は肩から力を抜き、彼女の隣にトンっとひとっ跳びで着地し、腰を下ろした。
「こんばんは、お嬢さん。俺は、そうだな、仮にビオレスク、と名乗っておこうか」
「まあ、ご親切にどうも。わたくしは、そうね、マリオレッタ、でどうかしら――道化師さん」
アナタのことは殿下から聞いていたのよ、と、楽しそうに語らう彼女の瞳は、美しい翠色だった。
「多分、道化師さんは私が一人でいることを不用心だな、なんて思って声を掛けてくれたんでしょうけど、わたくし、こうみえて人前では泣けないくらい強情なの。今夜でこことはお別れだから、感傷に浸りたかったのよ」
目も視えないのにね、おかしいでしょ、と自嘲する姿は、強いのにどこか儚い。
そのことが何故か腹立たしくもあり、眩しかった。
そして、彼女も……
――この方は誰も信頼されていないのね、孤独で、そして悲しい人
近くにいたのに、結局悲しみを癒してあげられなかった王子を思い出す雰囲気を纏った男へ、王子へと向けた感情と似て異なる思いを抱いたが、自分は明日の朝早くここを去ることを思い出し、周囲が望んだ人形を演じる。
所詮自分は政治の道具として扱われ、捨てられる人形。
誰かの記憶にとどまることは赦されない。
ましてや道化師は宮廷の道具であり、王家の絶対的な狗。
王家に捨てられる自分と王家の道具では、立場が違う。
だから人形は軽やかに貼りつけた笑みで笑いかける。
どこか壊れた道化師に対し。
お互い、決して触れ合うことがないように。
なにか間違いが起きないように。
二人の静かな一夜限りの逢瀬は、月と数え切れないほどの輝きを誇る星たちだけがひっそりと見守っており、また、道化師の銀色の髪を照らしているだけだった。




