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第七話 冬眠

 赤い池のできた地下室の石畳に、波紋が一つ行き渡る。ホースを伸ばして蛇口をひねり、水が撒かれていく。肉の腐敗臭が微かに鼻を刺す。所々に転がった骨を踏むと、灰のように粉々に簡単に崩れた。

 ピンポーン

 冬の匂いがし始めた真昼に、インターフォンの音が響く。禊は水の出たままのホースを床に放り投げ、まだ血の付いた手足のまま玄関に向かった。

 玄関をゆっくり開けると、隙間から嫌好の顔が覗いた。

「やっほ。どう?」

 嫌好はいつもと変わらない硬い表情ににこやかな声で手を振った。禊はいつも通りを装い、

「うん、順調かな。もうほぼ終わるよ」

「そっか。あ、差し入れ」

 嫌好が葉で包んだ包みを見せる。禊は手についた血に注目しながらも、嫌好を家に上がらせた。

「相変わらず綺麗に整ってるね」

 嫌好は部屋を見渡しながらソファーに座る。ふと、禊の手足の赤いものに目が行く。

「あれ、怪我でもしたの?」

 禊は一瞬色のない顔をしたが、

「捌いてて。後処理をね」

 薄く微笑むと、嫌好は何も疑わずに納得したように返事をした。

「ちょっとトイレ借りるね」

「はいよ」

 嫌好は家の奥に向かう。ふと、家の中で特に一番奥、二階への階段の横のスペースに、見覚えのない扉を見つけた。

「ねぇ禊、こんなところにドアなんかあったっけ?」

 嫌好が台所の禊に向かって声を上げた。ドアには薄くまじないのようなものが刻まれていて、鍵の開いた南京錠がひっかけてあった。嫌好がドアノブに手を伸ばそうとした時、

「倉庫だよ。特に大事なものをしまっておくように、新しく作っておいたんだ」

「大事なものって?」

「金目のものとか?」

「この国に金は必要無いのに」

「過去のいただきものとかだよ。他人にとっちゃガラクタでも、俺にとっては宝だ」

「じゃあ何でまじないなんか掘ってあるの?」

「風水みたいなもん」

「へー」

 嫌好は特にそれ以上詮索はせず、トイレを済ましてリビングに戻った。それからお茶と菓子を少しいただき、自分の家へ帰っていった。

 禊は台所を片付けると、先ほど嫌好が注目したドアを開けてその向こうの階段を降り、地下室に入った。水の出たままのホースを持ち、ブラシで床を擦っていく。家から少し離れた小川に赤い水が横から流れていた。


 禊の管轄する、神木の置かれた土地から北東に行った、北の島々の集まる土地、。ツンドラ気候であるため背の高い植物が少ない。小町の管轄である。そんな苔と背の低い植物に囲まれた見渡しの良い土地の真ん中に、50mほどの円柱が一本立っていた。その白い建物の中央にガラスのラインが横に入っており、天井はドーム型をしていた。

 建物の中は円形をしており、各階、直径20m、高さ4mが10階まであり、最上階は10メートルあるドーム型をしている。最上階は天体観測用の階で、その他の階は全て本や記録、資料、矛盾のサンプルなどの保管庫となっている。

 この建物に小町は引きこもり、昼夜ずっと矛盾の研究と資料の整理に明け暮れていた。

 5階の自室で、小町はデスクに向かって作業をしていた。

「小町さん」

 ふと後ろから小町を呼ぶ声がするが、小町は一切反応しない。

「小町さん」

 何度も声をかけるが、それでも反応しない。足音が近づき、毛むくじゃらの塊が困りの首の後ろの上に乗せられる。温かくモソモソと動くものが首の上にある事に気付いた小町が、首の上のものを掴んで顔を上げた。

「ニャァァァァァ」

 猫が掴まれて手からぶら下がっていた。

「うわっ不細工!」

 小町が思わず手を離すと、目子は綺麗に着地して小町の後ろに立つ人物の脚に擦り寄った。

「ハッシュ、入るときは声をかけろと言っただろう」

 小町が小さくため息をつくと、

「何度もかけました」

 足元の猫を抱き上げた。小町はその猫を見るなり鼻で笑い、

「ブサネコ」

「ブサネコじゃありません、マヌルネコです」

「こんなにも人間臭い猫は猫じゃない」

「随分非論理的な事を言うんですね」

「動物はあまり好きじゃない」

 小町はそっぽを向いてコーヒーカップに口をつける。

「ところで、何か用があって来たんだろう? まさか、そのブサネコを見せに来たんじゃないだろうな」

「マルちゃんは不細工じゃありません。ねーマルちゃん」

 ハッシュが猫に微笑みかけると、猫は飽きれたような真顔を向けた。

「国の法律ができました。それと、この前の事件についても新たに規制しておきました」

 ハッシュが資料を渡す。小町はそれを眺めながらソファーに腰を投げた。

「まさか、要の奴があんなことを起こすとはねぇ」

「事件なんてそうやって起きるものです」

「何年も見て来た、私の弟のようなもんだったのに……」

「残念ですか?」

「少しな。同時に呆れかえっている」

「若さが故、でしょうな」

 ハッシュは小さくため息をついて鼻の下の髭を撫でた。

「美友さんはどうです?」

 ハッシュはマヌルネコを足元に置きながら訊ねた。

「昨晩目を覚ました。色々聞いたが、ほとんど覚えていないそうだ。要とベッドに横になったところ、黒い靄の塊に襲われて、気づいたら目が覚めた、と。眠っている間、何か夢を見ていたそうだが、全く覚えていないと言っていた」

「黒い靄……邪神の仕業でしょうか」

「確実にな」

「その間、要さんはどこで何を?」

「何も話そうとしない。禊は訳を知っているようだが、ぼやかして説明してきた。あえて真実を言わないようにしている」

「何か隠す理由があるのでしょうか」

「邪神と禊はつながりが深く長いからな、我々は無理に鑑賞しない方がお互いの為だろう」

 ハッシュは仕方ない、というように肩を落とした。

「して、改正した憲法はいつ発表する?」

 小町が資料を見ながら言うと、

「いつでも構いませんが、もう少し確認と訂正を入れた方がよろしいかと」

「そうだな……。ちょっと一緒に考えてくれ」

「分かりました」

 小町とハッシュはデスクに向かった。

 アークィヴンシャラ国の憲法はドイツ憲法を元に制作され、新たに今回一部改正され、4大原則が決定した。

・我が国の土地は聖女の身体そのものであり、聖霊を守り支える矛盾は必要以上の土地の発掘、農耕、狩猟を禁ずる。

・他国と国際関係を持つ際、必ずその国の憲法条約を最優先とする。ただし、矛盾の人権と我が国土が侵される場合は我が国の憲法条約を優先する。

・他国または他国民への不必要な攻撃を原則として禁ずる。ただし、我が国もしくは矛盾が攻撃された場合は我が国の憲法条約に則り、命を奪わない限りの行いをする。

・キメラ産出、感染病予防の為、男女における性行為を禁ずる。違法した場合、邪神による独断で処罰を与える。ただし、発情期などによる発作を解消するための同性同士の性行為は認める。

その際、感染病予防の為の器具を使用する事。

「よし」

 小町とハッシュは顔を見合わせて頷くと、宝器に各宝器にこれら憲法を伝達するよう命じた。

 するとすぐに禊から連絡が届いた。文面は、「各位、お疲れさまでした」とだけだった。またそのすぐ後に李冴から電話がかかって来た。

『よよよ四つ目の、あの、コレ……!』

「あぁ、矛盾には生物に色濃くある発情期があることが分かってな」

『やっぱりアレってそうなんだ!』

「研究結果を全員に送ったはずだ」

『ごめんなさい、難しくて読んでませんでした……』

 李冴が苦笑いする。

「まったく」

 小町は小さくため息をついた。通話が切れ、宝器は所定の台に戻る。

「さてと、やる事はもう無いかな?」

 小町が伸びをしてからハッシュを見た。

 ハッシュは指を折りつつ、タブレットを確認する。

「恐らくこれで大丈夫でしょう。あとはもう冬眠に入るだけですね」

「ニヴェの方は準備できているのか?」

「3日前に完了したと連絡を受け取りました」

「わかった」

 小町は一呼吸すると、

「さて、我々も準備をして行くとするか」

「はい」

 小町とハッシュは資料庫の戸締りと荷造りを始めた。


 その日の夜までに、禊の管轄する土地の御神木の根元に矛盾全員が集まる。

「よっ、禊」

 尊が禊の肩を叩いた。

「あぁ、尊。久しぶり。暦の上だと、一か月くらいあってなかったか」

「あー、そんなにか。百足の家を建てるのに必死で忘れてたわ」

 尊が百足を指さすと、百足は扇子で口元を隠して微笑み、尊の頭を撫でた。

「ところで禊、一か月前見た時はずいぶんやつれてた気がするんだが、やけに今日は肌艶も良くてすっきりした顔してんな」

 尊が禊の頬をつつくと、

「そうか? 特に何も……何も、掃除とか片付けとか、保存食作りばかりしかやってないぞ」

「お前あれだろ、つまみ食いばっかりしてたんだろ」

「してねぇよ」

「ほんとか~?」

 尊が腹をつつくと、禊はくすぐったがって身をよじらせた。

「いいから、中入るぞ」

 禊が手招きして、二人は御神木の中に入って行く。木の根に包まれた大理石の階段を下りていき、地下廊下を進む。すると御神木の中の中央にたどり着き、中は背の低い草木と光るキノコが広がっていた。

「はー、ここに来るのは初めてかもな……」

 尊はため息を漏らしながら見上げる。

 中央には天井から木の蔓が沢山下がっており、その中にニヴェがいた。

「こんばんは、禊さん」

 ニヴェが優しく微笑んで挨拶する。

「どこで寝ればいいんだ?」

 禊が辺りを見回しながら訪ねると、

「一応矛盾番号順で、私を囲むように縦に寝転がってもらう形になります。えっと……禊さんはそこの、ヒスイカズラの生えているところです。頭を私の方に、足をヒスイカズラの方に向けて寝てください。敷布団というか、シーツを一応用意してあるので、それを敷いて使ってください」

「わかった。ありがとうな」

「いえ、お気になさらず」

 ニヴェは少し照れた様子で手を振った。

 尊が自分の場所を訪ねると、

「15番目ですから……そこの、桔梗の生えている辺りです」

 尊はニヴェの横に置かれたシーツを持って指定の場所に行く。

「ニヴェさん」

 後ろから宵彦に呼ばれ、ニヴェは嬉しそうな顔で振り向いた。

「宵彦さんはあそこですよ。瑠璃蝶々の咲いている辺りです」

 ニヴェが指をさすと、その手を宵彦が両手で包み込み、そっと身を寄せた。

「何故それぞれ花が決まっているんですか? この時期に咲かないはずの植物ばかり」

「私なりに、何か皆さんに送りたくて。私は植物ですから、大きく動き回ることも出来ませんし、何かを作ることはできません。ただこの星の植物の世話をするだけ……。だから何か贈り物がしたくて、皆さんを見ていて、ピッタリだなと思う植物を成してみたんです。冬眠の間、皆さんが安らかに眠れるようにとも、思いまして」

「フフ、貴女は本当にお優しい人ですね」

 宵彦が手に口づけをすると、ニヴェは顔を赤くしてそっぽを向いた。

 そして次々に矛盾が到着し、各々指定の場所に横になり始める。

 禊はヒスイカズラ。

 要は藤。

 龍は紅花。

 忍はサンダーソニア。

 小町はシダ。

 アーサーは勿忘草。

 真尋はカーネーション・クリムゾンテンポ。

 悠香はピンクのポピー。

 美紗はジニア。

 優はピンクのアスチルベ。

 工は水色のラケナリア。

 宵彦は瑠璃蝶々。

 百足は御衣黄桜。

 言葉はアネモネピンク。

 尊は桔梗。

 ハッシュは若い大麦。

 嫌好は金木犀。

 ココロはシコンノボタン。

 美友は青いサイネリア。

 李冴はブルースター。

 マーサはサルビア。

 レオはザゼンソウ。

 そして、ニヴェの足元には樒が咲いていた。

「すごい、おしゃれだね。お花屋さんみたいな匂いがするよ」

 優が楽しそうに工に話しかけた。

「よくこれだけ考えられたもんだよ」

 工が目を輝かせて自分の花を見つめた。

「甘ったるい」

 尊がハッシュの向こうの嫌好を叩く。すると嫌好は怒って落ちていた金木犀の花を尊の上にかけた。

「何すんだよ!」

 起き上がった尊を言葉が殴って糸で抑え込む。

「いいから寝るの! どうしてこんな時まで喧嘩するのかしら……」

 言葉は困った様子でため息をついた。

「いいから寝るぞお前ら」

 禊が言うと、一同が返事をした。

「ねぇ、ニヴェは寝ないの?」

 ふとレオが話しかけた。

「心配してくれるの?」

「別に、枕元に立ってられると気が散って寝れない」

「一応寝るけど、ずっと眠っているわけにもいかないし」

「じゃあやっぱり寝ない?」

「ううん、ちゃんと十分に寝るよ。ただ君たちより睡眠が浅いだけだから、大丈夫だよ。心配ありがとう」

「ふーん、そう。倒れないでね」

 頬を少し染めてそう言うと、寝返りを打って、隣で横になる禊の懐に顔を隠した。

「ニヴェさん、本当に大丈夫ですか?」

 宵彦が心配そうな顔を見せる。

「大丈夫ですよ、だから安心して寝てください」

「でも……」

「大丈夫です」

 ニヴェは柔らかく微笑んで宵彦の頭を撫でた。宵彦は安心した様子で目を瞑って寝息を立て始めた。

「それではみなさん、おやすみなさい」

 ニヴェが優しく言うと、

「おやすみなさーい」

 一同が返事をして眠りにつき始めた。

「どうか安らかに、良い夢を」

 ニヴェは優しく微笑み、天井から下がった蔓に腰を掛けた。

 初期の氷河期に入ったアークィヴンシャラ国は、厚い雲に覆われ、日光の射さない大地は凍り、気温が下がり、氷の星と変化していく。

 その様子を七罪はじっと見つめていた。

「ひえ~、寒い。もう完全に氷河期だね」

 ケイが腕をさすりながら外を監視していた怨に話しかけた。

「自分の管轄に戻れ」

「ちょっとは気分転換させてよ」

 ケイはブツブツと文句を言いながら白い息を吐き出した。

「これはいつまで続くんだって?」

「あと13年ほどだ」

「はれ、意外と短い」

「この星が地球同様の星となるための最初のステップだそうだ。一時的に短期の氷河期に入り……」

「……り? それで?」

「忘れた」

「どうしっちゃったのよ~急に」

「まあ詳しくは聖女に聞いてくれ」

「聖女様が今ここにいたらオレらはこんなことしてないってー」

 ケイは肩を落とした。

 ふと、寝息を立てる禊の上に黒い靄が現れる。

「あなたも冬眠なさるんですか?」

 ニヴェが訪ねると、靄の中から千早が現れて禊の上に寝転がって頬杖をついた。

「俺は寝ないよ、生物じゃないから睡眠は必要ない。むしろ与える方だ」

「眠りと死は兄弟と言いますもんね」

「さあ、実際どうだかは知らん。俺に眠りの兄弟なんていないし、見た事も聞いたことも無い」

「じゃあ眠りは誰が司っているんですか?」

 千早は目を伏せてニヴェを指さし、

「今この国ではおおよそお前だろう。だが本来はもっと別の存在が司る」

「それは誰が?」

 千早は禊を抱きしめて腕枕をしてやると、

「さあね、教えない」

「ケチですね」

「何とでも言え」

 そして黒い靄に姿を変え、矛盾たちの周りをうろうろしていた。

「心配なんですね」

 ニヴェはクスリと笑うと、蔓に頭を預けて目を閉じた。

 また次目覚めるのは、13年後である。

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