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第六十七話 灰

 ラストシーンの撮影をしていたあぐり。

「あぐりちゃん、もうちょっと、こうさぁ……」

「すいません……」

 あぐりは涙をティッシュで拭いながら立ち上がる。マネージャーにスポーツドリンクを渡された。

「大丈夫? もう37テイク目……」

「大丈夫です」

「何だか、ありきたりなんだよなぁ……」

 監督は唸り声の混ざったため息を溢して映像を確認する。あぐりはペットボトルをマネージャーに突き付け、怒りを露にして立ち上がる。そしてツカツカと監督のもとに歩み寄り、

「あの、監督。私だって――!」

「あぐりさん、ちょっといいですか」

 スタッフが声をかけてきた。文句を言おうと唇をかんだ時、スタッフが示した先に見覚えのある姿があった。

「七穂さん……?」

 七穂は柔らかい笑みを浮かべて頭を下げた。

 別室に移動すると、七穂に一つの封筒を渡された。

「これ、あぐりちゃん宛てだったので」

「誰から?」

 だが七穂は何も答えず、少し暗い笑みを浮かべたまま、マネージャーに頭を下げて部屋を出て行った。

 あぐりは首をかしげながら封筒を開けた。白い封筒が入っていた。それを取り出して表裏を見ると、見覚えのある名前があった。急いで中を開けると、中には数通の手紙が入っていた。封筒を床に投げ捨てて手紙を広げる。そこに書かれている文字を頭から終わりまで目で追った。スキャンするように文字を読んでいくが、何一つ頭に入らない。

「あの、あぐりちゃん、そろそろ戻らないと……」

 マネージャーがそう言って肩を叩くと、あぐりはマネージャーにつかみかかった。あぐりのその何かを死に物狂いで探す半狂乱になった顔を見て、マネージャーは背筋が凍った。

「あ、あぐりちゃん……どうしたの……?」

「……これだ」

 あぐりは部屋を飛び出すと、撮影現場の家の中に入り、

「監督、早く!」

「どうした?」

「いいから、早く! 早くして! 早く! 早くしないと……!」

 あぐりの目から涙がにじみ始める。監督は急いで指示を出し、カメラを回した。

 あぐりは小道具の封筒の中に手紙を入れて、最初の位置の玄関前に立つ。そしてそこから歩きだして、布団の敷かれた部屋に入った。布団の上に座り込み、あぐらをかく。封筒を何度かひっくり返し、そして中の手紙を取り出した。


――遺書

  僕の持ち物は全て捨てて下さい。処分代金は僕の口座から出してください。口座番号を書いたメモを同封しておきます。遺産、貯金は全て斑あぐりに渡します。口座にあるものと財布の中が全部です。

 皆さん、今まで大変お世話になりました。あんなに良くしてくれたのに、僕は臆病な人間なので、こうするしか方法が見つかりませんでした。許してくれとは言いません。ただ、謝罪だけはさせてください。本当にごめんなさい。皆さんからもらった時間を捨ててしまいました。本当にごめんなさい。皆さんと過ごした時間、本当に楽しかったです。大人数での食事、風呂、旅行、本当に楽しかったです。もう少し長くいたかったなぁとも思います。でも、僕なんかが奪っていい皆さんの時間ではありません。有限な人生の方も、無限な人生な方も、自分のためだけに今までずっと使って、これから先のために残している人生を、僕なんかに使わないでください。でも、僕のために時間を使ってくださってありがとうございました。その時間を捨てる事を許してください。僕は十分生きました。そろそろ終わりにします。本当にありがとうございました。

 最後に。真尋さん、どうか幸せになってください。僕はあなたの花が大好きです。

 宮崎アキラ――


 手紙に涙が落ちる。涙で文字がにじんでいく。あぐりは手紙を持つ手に力を籠め、手紙に顔を伏せた。そして手を降ろすと、真っ赤になった目で上を見上げた。唇をかんで涙をこらえようとするも、涙は顎から膝上の手紙に滴っていく。がっくりと首を垂れたかと思うと、突然立ち上がりながら部屋を飛び出した。ガチャガチャと玄関を開けて、置かれた靴を踏みつけて蹴って、家を飛び出した。

 裸足のまま家の前の道路を走っていく。小石を踏んでも、枝や棘が足に刺さっても、それ以上に胸の痛みに比べたら何ともなかった。

 足が絡んで転んだ。顔から思いっきり擦った。重い体を震える手で持ち上げ、地べたに座り込む。晴れても曇っても無い空を見上げ、また手紙に目を落とす。何度見てもその名前は変わらない。遺書であることは何も変わらなかった。悪戯でも何でもない、この文字は明らかに本人のだ。

 あぐりは肩で浅い息を繰り返す。いくら走っても、地面を叩いても、髪をかき乱してもどうにもならない、もうどうにもならない。

 すると突然、指原が飛び出してあぐりを抱きしめた。そして手に持つ手紙を見て目を見張った。それは御道具の手紙と全く異なるものだった。小花柄の便せんではなく、和紙を使った真っ白い縦書きの便せんだった。

「……なんだよ、何だよこれ!」

 あぐりはただ首を横に振るだけだった。そしてゼイゼイとしゃくり上げながら声を殺し、彼が事切れる時、どれだけ苦しかったのか、今の自分よりよっぽど苦しかったのだろうとか考えるが、それ以上に手紙にある現実と、もう過ぎ去ってここにはない現実に、ただこうやって鼻水と涙を垂らして泣くことしかできなかった。

「――あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!」

 あぐりの悲愴な叫び声が鼓膜に突き刺さった。それは役者として演じた悲しみではない。1人の人間として、1人の人間の死を悲しんだ絶望そのものだった。

 カチンコの空気を叩く音が響いた。それでもあぐりは指原の腕にしがみついてゼイゼイと息をしていた。近寄ったスタッフに指原は手紙を差し出す。スタッフはそれを見て目を丸くさせた。

「おじさんは……おじさんは……!」

 あぐりは指原の襟をつかむと、

「アキラおじさんは臆病じゃない! 私を守ってくれた、私を抱えて逃げてくれた! そしてこうやって、勇気を出して自ら事切れたんだ! 誰にもできないことをやってのけたんだよ!」

 立ち上がると、空に向かって両手を広げ、

「やった! やったね! おめでとう!! さようなら!!!! ……なんで、なんで!!!! 何でよ! 何で!? 何でだよ! 必要無かったのに! そんな事しなくて良かったのに! バカ! 何で、何でだよ! 何でそんなことしたんだよ! 何で!!!!」




 白い棺和暇の中で寝顔を見せていた。特に外傷も何もなかった。いつも通りの寝顔だった。

 目の前に寝ていた。寝ているだけなのに、もうここにはいなかった。

「ねぇ、常森さん……って言ったっけ」

 常森は眼鏡を持ち上げて涙を拭って隣に立った。

「ここにいるのは誰?」

「宮崎さん……アキラさんですよ」

「ねぇ、ここにいるんでしょ? でもいないじゃん。何で?」

「あぐりさん……!」

 常森は泣き崩れた。

「ねぇ、ここにいるのは誰? 誰なの? おじさんでしょ? どう見てもアキラおじさんなのに、おじさんはどこにもいない。もう私に話しかけてくれないし、聞いてもくれない。なんで? ここにいるのに? 何で起きないの。寝ているのに起きてくれない。じゃあここにいるのは何? 誰なの?」

「あぐりさん、もうやめましょうよ……!」

 常森はあぐりの肩を掴んだ。あぐりは顔をくしゃくしゃにさせると、その場に座り込んだ。

「斑あぐりさん、ですか?」

 年老いた男性の声がして、後ろを振り返った。そこには車いすに座った年寄りの女性を押す、年寄りの男性がいた。

 別室に行き、机を囲んで座った。畳の匂いが心を撫でた。

「始めまして、アキラの父です。そしてこちらが母です」

 アキラの父親は丁寧に頭を下げた。あぐりも頭を下げる。すると父親は立ち上がり、あぐりの側に正座すると、

「息子が大変お世話になりました」

 深々と頭を下げた。

「あ、頭を上げてください」

 あぐりは父親の肩に手を置いた。

「私も、アキラおじさんにはたくさん世話になりました」

 あぐりはまだ自己紹介が済んでいない事に気付き、

「斑あぐりです。おじさ……アキラさんは、私の名付け親です」

「そうだったんですか……」

 あぐりはアキラとの関係、今まで何があったかを父親に話した。

「おじさんには本当にお世話になりました」

「いえ、こちらこそ。こんな息子を大事に思ってくれてありがとう。私らが悪いんです。アキラに言う事を聞かせようと、親のありがたみを思い知らせようとして家を追い出したんです。その結果、ここまで悩んでいたとはついも知らず……」

「いえ、お父様のせいではありません。彼はそれよりもずっと悩んでいたんです。彼の悩みを聞いて、そう思いました」

 すると母親があぐりの手を取り、

「お嬢さん、綺麗だねぇ。ウチの息子と結婚してくれないか? 臆病だけど、とっても優しい子でね。絶対アンタを幸せにしてくれるよ」

「あぁ、母さん……。すいません。他人にこんな事言ったりしないのに。母さん、息子はもう死んだんだよ」

「そうなのか……。お嬢さん、息子の話をしていたね」

「え、えぇ」

「とっても嬉しそうに話していたね。アキラの事が好きなのかい?」

 あぐりは少し目を見張ったが、しゃがんで母親の手を握ると、

「はい、大好きでした」

「そう、そりゃ嬉しいねぇ。息子と結婚してくれるかい?」

「結婚、したかったですね……」

 あぐりの目から涙があふれ始める。

「おじさんの事、大好きでした……! まだ生きてたら、映画が公開されたら、好きだって伝えようと思ってた。もっと前から伝えようって……!」

 あぐりは母親の膝に額を置いて泣いた。母親はシワしわの手を伸ばし、あぐりの頭をゆっくりと撫でた。

「ありがとう、そんなに息子が大好きなんだね」

 そう言って母親は嬉しそうに微笑んだ。父親も目に涙を浮かべ、あぐりの隣にしゃがむと、肩に手を置いて手を握った。

「ありがとう、ありがとうあぐりさん。息子は幸せ者です……」







 真っ白い雲の中。風が吹いて目を閉じる。そして目を開けると、白く温かい光が目の前に佇んでいた。それはとても美しいと聞くそれだった。

 虹色に輝く白い髪、透き通るような白い肌、果実のように瑞々しい唇、燃える赤い目、伸びやかな手足。海を腰に流し、頭上には太陽のように輝く大きな金剛。

「還りますか? 進みますか?」

 母のように優しい笑みを浮かべて尋ねてきた。

「記憶をなくして生物として還るか」

 すると仮面をつけた人が手を差し伸べ、

「記憶を残し真実を知りにこちらへ進むか」

 悩むことは無かった。彼女を忘れたくはない。

 黒い手を取った。




 真尋はハッとして顔を上げると、目の前に現れた千早を見た。

 千早は椅子に座るといつもの笑みを浮かべ、

「あぁ、彼は素質がある。十分素質がある。王になれるだろうなぁ」

 真尋が顔を明るくさせて立ち上がる。

「だが、残念。もう満席だ」

「どういう事……?」

「俺は訊ねただろう? 交換するかって」

 真尋はその場に座り込んだ。

「どうして……そういうことだったの……?」

「俺には歯車が見えるからな。なんだ、ただの幽霊とでも思っていたのか? ぬるいねェ……」

 真尋が急いで這い寄って首につかみかかろうとした時、

「もうダメだ、行っちまった。あぁ、なるほど。あれは死にぞこないのものだったのか。そこから生まれたのか。へぇ、なら頷ける。面白いねぇ!」

 真尋は宝器に口を寄せると、

「小町さん、お願いがあるんだ」

『どうした』

「骨が欲しいんだ。灰まで、全て」

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