第五十九話 下された判決
おそらく、最後だからと言う意味だろう。
「おじさん、こっちこっち!」
まだ半年もたっていないのに、高校生らしさが抜けて大学生になって来たあぐりちゃんが僕に手を振った。隣には中学生……いや、彼女の父親である千歳さんがいた。僕らより一つ上で37歳。でもそうは見えないほど幼く見えるのは、彼が患っている感染と呪いが原因だろう。
「今日はよろしくお願いします」
千歳さんは丁寧に頭を下げた。
「おとうさん、そんなに改まって無くていいのに」
あぐりちゃんは楽しそうに笑った。
僕の隣に立っている真尋さんも嬉しそうに微笑んだ。千歳さんの案内でホテルに入る。最後だからと、千歳さんの案で家族そろって食事をしようと言う事になった。僕は血も繋がらないし戸籍も赤の他人なのに、あぐりちゃんが「名付け親」だからと言う事で招待してくれた。
彼女は楽しそうに食事をし会話をする。何をしゃべっていても、どんな表情をしていても、どんな仕草も、全て光の粉を纏ったようにキラキラと輝いて見えた。
「ね、お母さん。私のお父さんってどんな人だったの?」
真尋さんの口に運びかけた手が止まる。そしてフォークを置くと、姿勢を正して話始めた。
「とても優しい人だよ。私の仕事を私のためを思って辞めなさいと言ってくれた。どんなに汚い私を、ガラスでも扱うように大事に扱ってくれて、綺麗にしてくれた。優しい人だよ」
「見た目とかどんな?」
「そうだね……あぐりちゃんと同じように、目の横にほくろがあってね。髪の色も同じ。少し太い眉に、つり目でもたれ目でもない目。背が少し高くて、色が白かったね。それから、眼鏡をかけてた」
「へ~!」
あぐりちゃんは目を輝かせた。
彼女には父親が二人いる。血の繋がった父親と、育ての父親。
「私、大家族だね! 曾祖父はもういないけど、新造と茜祢ちゃん。おとうさんの従兄弟のゆいねえちゃん、まりねえちゃん、哲郎にいちゃん。あ、ゆいねえちゃんは乳母なんだよ! すごいよね、戦国時代みたい。それにおじいちゃんとおばあちゃん、血の繋がったお父さんとお母さんに、名付け親のアキラおじさんまでいる!」
あぐりちゃんは急に肩を下げ、
「お母さんが国に帰っちゃっても、私寂しくないよ。だってこんなに家族がいるんだもん。今までも少し寂しかったことはあったけど、その度にみんな抱きしめてくれた。家族だって言ってくれた。だから安心して、お母さん。お母さんがいないのはちょっと寂しいけど、でも一人じゃないから」
真尋さんの顔を見ると、左目から涙が流れていた。
「うん、そうだね。安心したよ」
そっと微笑んで見せた。
食事が終わり、あぐりちゃんは1人暮らしをしている自宅に戻った。
残った三人はカフェへ移動する。大事な話があると言われた。これは少し、期待していいのだろうか。
「ここ、若い頃よく行ったんですよ、宵彦さんと。仕事の話とかで。宵彦さんが学生時代に世話になってたんだとか。マスターはもう代替えしたんですけどね」
そう言いながら、千歳さんはコーヒーに口をつける。あぁ、こんな人でもブラックが飲めるというのに、僕はまた角砂糖を何個も黒い池の中に落としていく。さらにはミルクも流し入れて。
「それで、大事な話って……」
僕が切り出すと、目の前に座る二人は急に暗い顔をした。これは良い話を期待しない方がいいな。
「今後の事とかお金のことは御代家にお願いしたから、そこは安心してください。それで、一番大事な話なんですけど……」
千歳さんは真尋さんの顔を見て、小さくため息をつくと、
「もう、あぐりちゃんには関わらないで欲しいんです」
その言葉に、全身の骨が凍っていく感覚を覚えた。
「俺個人としては、あぐりちゃんの側でずっと見守ってもらいたいんです。あの子も君を気に入っている。でも、父親として、彼女の保護者を任された身としては、前科のある貴方を側に置いておきたくないんです……。貴方のお気持ちは十分理解しています。ですが……本当に申し訳ありません」
千歳さんは頭を下げた。前髪がカップの中に少し入っていた。真尋さんは? 真尋さんはこの事をどう思っている?
「真尋さん……どうなんですか。真尋さん、何とか言ってくださいよ……」
「……できるだけあの子に関わらないで。あぐりちゃんが呼んだなら会いに行ってもいいけど、できるだけ関わらないで。舞台を見に行ったりするのは構わない、お金を払って客として観に行くのであれば。あの子は役者になろうとしている。その夢を叶えてやるにも、離れるべき者はきちんと姿を消すべきなんだよ。いつまでも未練がましくいては、あの子の人生に悪影響だ」
彼女の言う事は間違っていない。何一つ間違っていない。けど、どうしてこうも自分は反発したい気持ちなんだろうか。
「……わかりました。あぐりちゃんとは距離を置きます。今後の事や、その他は御代家にお任せします」
「本当に、すいません」
千歳さんはまた頭を下げた。この人も、真尋さんに押し付けられたことを引き受けただけなのに。巻き込まれただけの人なのに。どうしてこんなにも自分の何かを犠牲にして、頭を下げることができるんだろうか。
……たぶん、僕には知らない世界を見てきたから、僕には知らない事を知っているから、こんなことができるんだろう。やはり、僕はあの子の父親にはなれない。父親はこの人であるべきだ。ごめんね、あぐりちゃん。親子みたいって言ってくれてありがとう、嬉しかったよ。でもごめんね、僕はなれそうにない。僕には無理だ。僕は君の名付け親で、ストーカーおじさんであった方がいい。
その後、千歳さんは仕事があるためすぐに帰って行った。
「最後の散歩でもしようか」
真尋さんはそう言って僕の手を引っ張った。近くの森林公園に入り、池の見えるベンチに座った。
「いいね、ここ。都内のわりに静かだ」
真尋さんは深呼吸をして体を伸ばした。
「うん、そうだね」
「今まで大変だったね、お疲れ様」
頭を撫でられた。思わず口元がほころぶ。
「……ごめんね、振り回して」
「謝らないでくれ! 君が謝る必要性は一切ない」
「……君はいつも謙虚だね」
「いや、臆病なだけだよ」
「そうだね。私が許さないと言っているのに謝るのはおかしいよね。わかった、今のは無し」
真尋さんは立ち上がると、
「生きてね。次は……そうだな、あぐりちゃんの結婚式のために来ようかな。私は外交担当じゃないから、そう簡単に来れないんだよ。だから、それまで確実に生きててね」
「うん、生きるよ。あぐりちゃんが心配だし」
彼女は嬉しそうに微笑むと、僕の手を引っ張った。




