第五十七話 1㎝差
いくつか月日が経ち、初夏が本格的な夏に移ろうとしていた頃。
ダイニングから拍手が起こっていた。
エプロンを付けたアキラが耳を赤くさせて顔を手で覆っている。
「そう恥ずかしがりなさんなって!」
アーサーが背中を叩く。
「おっさん、すごいじゃん!」
机に用意された料理を見て、工は目を輝かせた。
「いえ、皆さんの指導のおかげです」
「そんなに謙遜しないで。お昼にフレンチのコースを用意してしまうなんて、禊さんでもできないのに」
宵彦がそう言うと、禊が目を光らせて宵彦を睨んだ。
「朝から頑張った甲斐がありましたわね」
「はい、本当に」
一同は手を合わせ、禊の号令の下、
「いただきまーす!」
食事を始めた。
食事中もたくさんの賞賛が飛んできたが、食後皿を洗っている時も、周りに人が集まって賞賛の言葉を述べていた。
そこへ洗濯物を持った禊がやって来て、
「お前ら、あんまり構うとアキラがキャパオーバーでショートしちまうだろうが! 暇な奴は洗濯干すの手伝ってくれ」
そう言うと、次々と用事を思い出しただの都合をつけて、急いでその場を去っていく。
「何だよ」
禊は口をとがらせて洗濯物を庭に干す。
するとアキラは手を拭きながら庭に出て、
「ありがとうございます、何から何まで……」
「何だそれ。こっちは雇い主だぞ。お前が何もできないポンコツで困ったから、社員指導をしたまでだ」
「でも、本来必要のない護身術やら、色々教えてくれたじゃないですか」
「まぁ、お前が教えろって言うから。でも、社交ダンスとかスキンケアとか化粧とかは余分だったかな~」
そう言いながら禊は、アキラのつるりとした顔を見つめる。
「宵彦さん、すごい綺麗な人だなと思ってたんですけど、あれにもちゃんと努力が詰まってるんですね」
「そりゃそうだろ、努力なしであんなのは作りものだよ」
「でもやっぱり、遺伝とかあるんでしょうかね。前にお姉さんを見たんですけど、とても5、60代とは思えないくらい綺麗でした」
「あー、あれな。まあ努力のたまものってのもあるんだろうけど……薫子さんは感染者だ」
アキラが思わず顔を上げる。
「半矛盾の感染者だった宵彦と感染者の父と長く住んでいたせいだろうな、感染の症状としての能力はないんだが、彼女は老けなくなった」
「じゃあ、足も……」
「いや、足は別だ。何か訳があって、それを本人はきちんと理解しているようだが、俺にはわからん」
そう言い、籠の中から衣類の入ったネットをアキラに投げ渡した。何かと思い開けて出してみると、途端にアキラの顔が茹で上がったタコのように湯気を上げて真っ赤になる。
「何で渡すんですか!」
「ハハハ、ごめんごめん、ちょっとお茶目をな。洗濯は別だったけど、干しとけって頼まれてな」
「禊さん……」
アキラはため息をつきながらも、笑顔を見せた。
「そうだ、薫子で思いだしたんだが。万博の時被ってた帽子、あれ誰からのものだと思う?」
「え、誰かからの贈り物ですか?」
「うん」
「話の流れからすると、薫子さんですかね……」
「そ、正解。万博するなら、みんなで警官帽被ってたらカッコイイからってんで贈られたんだ。さすが宵彦のねーちゃんだよな、やることがいつも粋なんだよ」
「いいですね」
「俺もああいう人と結婚したかったなー」
「え、ご結婚なさってたんですか?」
「いんや」
アキラが首をかしげていると、禊は嬉しそうに微笑み、
「まぁ、昔の俺だったらそう言いそうだなって。今はもう心に決めた人がいるから。アキラはいないのか?」
「僕は……皆さんのことでいっぱいいっぱいですから」
「なんだそれ。どうせ真尋だろ?」
アキラの耳が途端に赤くなる。
「わっかりやすいな~」
「そ、そういう禊さんは、誰なんですか」
「んー、誰だと思う?」
「言葉さん……ですかね。小町さんとか」
「そりゃいいな! だとしたら俺は今頃墓の下だ」
手を叩いて笑う。
「えー、じゃあ男性でしたら、尊さんですかね」
禊の手が止まる。だが小さく鼻で笑うと、
「まあ考えた事が無いとも言えないな。けどあいつはちょっと優しすぎる」
「考えた事あったんですね……」
「ここにはいないよ。どこにもいない」
「え、じゃあもしかして……」
アキラが悟り憐れむような顔を向けると、
「そんなしみったれた顔すんじゃねぇよ、バカ。死んでるけど、死んでない」
「どういうことですか?」
「だって、ここにいるから」
そう言い、禊は足元を指さした。アキラは青い顔をする。
「阿呆そうじゃない」
禊は手に持っていた洗濯物を干し、アキラに近寄る。そして両手で耳を塞いでやると、
「聞こえるか?」
「えっ……何がです……」
「聞こえるだろ、聖女の音が」
「聖女の……」
アキラはようやく理解して、そっと目を瞑る。地面の奥底の、熱い血液の流れる低い音が耳にゆっくりと流れ込む。
「生きてるんですね、僕らの下に」
「あぁ、そうだ。人としての形が崩れてしまっても、アイツはここに生きている。世界中どこにでもアイツはいて、誰からも愛されている。どこからでも見守っている。全ての命の母と言われるだけあるだろ?」
「そうですね。僕も彼女にここまで育てられました」
「ここまでじゃない、これから先ずっと、死ぬまで育てられて、お前は彼女の元に還る。俺らにはない、お前ら生物皆に平等に分け与えられたものだ」
すると背後から千早が現れ、
「不平等だなんだとお前らは言うが、生と死は全ての生命に分け与えられた一番平等なものだ。神と、聖女と、俺から贈られる唯一平等の代物」
「俺って……あなたは幽霊ですよね」
「だから、俺は死であ――」
「千早、ハウス」
禊がそう言うと、千早は禊の陰の中に吸い込まれていった。
「チックショー、いっつもこれだ」
「帰ったら好き放題させてやるから。あ、殺生と破壊だけはダメだからな」
千早は不満そうに舌打ちして黙った。
アキラは禊の手を離すと、頭を下げ、
「今までお世話になりました」
「まだ早いわ。……こちらこそ、ありがとうな。お前を雇った本当の理由は、こちらの利益しか考えてなかったことだけど……何だかんだ、お前との生活が楽しかったよ。あと……何か月だろうな。帰るまでよろしくな」
禊が頭を撫でると、アキラは元気よく返事をして頭を上げた。すると禊が飛びついて首に抱き着いて来た。
「うわっ重……っ! く、ない。えっ、禊さん軽っ!」
「これでも最近太った方だ。40は切ってるけどな」
「軽いですよ! 大丈夫なんですか?」
「重さが特徴の武器を扱ったり、火力のある武器を使うと体が飛ばされて不便だったけどな。今は平和なおかげで何ともねぇ」
「良かったですね、平和で」
「あぁ、おかげでゆっくり生活できる。地球にいた頃のように、職場を走り回って、各国行ったり来たりして、うるさい戦場と上司の怒鳴り声聞いて、血を流すことが無いから、随分と気が休まる」
「ぶ、物騒ですね……」
「禊さん、蓮刃さんからお電話なん……」
スマホを持ってきた忍の手からスマホが落ちる。
「アキラさん、何してるんですか」
「え? 何って……洗濯物」
「今すぐ禊さんから離れてください!」
「えっ何で!?」
「禊さんは渡しませんからね!」
「は!? ちょ、いたたたた髪を引っ張らないでください! 痛いですって! ちょ、髭も!」
「忍~、考えすぎだって~。ハイ蓮刃、何か用か?」
『いえ、かけ直します……』




