第五十五話 宝器と聖霊
結城奏研究室、宝器保管室――。
宝器たちはケースから出て、自由に飛び回っていた。
「どんな魚も一撃で突いてやります!」
工の宝器、銛・宍扠が部屋を飛び回っている。聖霊の還唄は自身気にそう言った。
「こら、他の宝器とぶつからぬように。ここは聖霊の体液が少なくて修復に時間がかかる」
万年筆型の言葉の宝器、筆・万念錍通の聖霊である文画は注意する。
すると、アーサーの宝器である剣・佗扅釼の聖霊コイブヴェリが前に立ちはだかり、還唄を止めた。高い金属音が辺りに響き渡る。佗扅釼の広く大きい剣に引っ掻いたような傷ができ、宍扠の鋭い先が折れて灰になる。衝撃で二体は床に倒れた。
「ほら、言わんこっちゃない」
優の宝器、錘・芛权の聖霊、愛子がそう言って、鎖を佗扅釼の持ち手に絡めて持ち上げる。
「ウザいんだよ、還唄。主人に似てうるさいし鬱陶しい」
「なんだと、俺らの主を馬鹿にする気か!」
その間に龍の宝器の間流盾の聖霊、戶珆佳が入って喧嘩を収める。
「やめんか! 我が忠義らは争いは望まぬ」
「従わぬのなら、聖女様の宝器を呼びますよ」
そう言って、ココロの宝器、防具・恗奉圖の聖霊、セァーティァが本紫色の宝石を光らせた。
李冴の宝器、鐘・凡祥の聖霊、夛真愉等が前に出て、
「そうよ、なんならアンタらのご主人呼んでもいいのよ……」
コイブヴェリと還唄が小さい悲鳴を上げる。するとマーサの宝器の器・胚の聖霊、ペルヴィスが肩を持つように、
「主人の前ではいい子でいたいものね。私も母さんの前では可愛い良い子でいたいもの」
美友の宝器、鍋・盉納會の聖霊、律歌も出てきて、
「一等星には褒められたいよね」
そう言って宝器を震わせた。
ひたひたと裸足の足音が近づいてくる。
「そうだぞー、鉄くずども」
そう言い、千早が髪を揺らしてやって来た。
「まぁ、勝手に仲間内で崩れてくれりゃ、こちとら大助かりなんだがな」
「邪神……!」
宝器たちが構える。
「そう構えんなって、これ見ろよ」
先ほどまで何も無かったが、千早が体中に絡みついた糸を引っ張って見せた。
「糸……?」
「そ。これがあるから好き勝手は出来ないんだよ。参ったね、散歩もできやしない。ずぅっと影の下、籠の中。時々出してもらえるけども、何たって行動範囲が狭い。体が鈍って仕方ないね」
首の骨を鳴らす。
「ところで、まだいくつか降りてないようだけど?」
千早が辺りを見回すと、白銀姫が前に出て、
「美紗様の宝器、燭台・燈炉生に、聖霊、鈥寧衞が昨日宿りました」
すると奥から背の高い燭台が現れ、
「鈥寧衞です。あっしの火の守様がお世話になっております」
お辞儀をするように、上部の燭台部分を前に下げた。
「おもしれぇ、鉄くずのくせに人の真似事をしよる」
千早は目の色を一切変えず、口角を上げてくすくすと笑った。
「鉄くずとは、随分面白い呼び方をなさるのですね」
背後から声をかけられて振り返ると、百足の宝器、簪・于詩の聖霊、天君がいた。
「まぁでも、そうね。私たちは人の作ったものからすれば頑丈でも、矛盾や邪神にとっては簡単に崩せるもの。鉄くずになってしまう。でもそれも宝器の特質。そうでなければ、母の元に戻れないもの。燃えにくい素材はとても良いけれど、捨てた時に燃えないから土に還れない。そう言ったものが積み重ねられているのよ、この土に。だから鉄くずである事は悪い事じゃない。それに、崩れたら職人に合えますもの。またこの体を磨いて、撫でてもらえる。綺麗にしてもらえるもの」
「あぁ、あの老人の真似事をするガキか。物好きだねぇ、お前ら。あんな死にぞこないを」
「殺さなかったのはどこのだぁれ?」
「殺さなかったんじゃない、殺せなかったんだ。邪魔が入ったんだよ」
千早はため息をつき、
「まぁいい、あんなのもう遠いもんだ。今更どうにかする必要も無い」
そう言って髪をかき上げ、大きなあくびをした。
「あくび、するんですね……」
「そうですね……生物ではないのに」
白銀姫と黒鉄彦がひそひそと話し合う。
すると保管室のドアが開き、奏がハッシュと悠香を連れてやって来た。千早は急いで物陰に隠れると、傍にいたニヴェの宝器、箱・棺和暇の中に入った。聖霊の万葉号は小さい驚きの声を上げ、何事も無いように壁際に立った。
奏は辺りを見回し、
「やけに騒いでいたようだけど、何か楽しい事でもありました?」
「まぁ、そんなところね」
嫌好の宝器、槍・刃麗の聖霊、憶玉が答えた。するとハッシュが奏の背後から顔を出すと、
「賢者様!」
ハッシュの宝器、槌・玄之友が元気よく飛んできた。
「すまないね、那亜荢紆。ずっと使ってやれず」
「いえ、構いません。僕を思っていただけるだけで十分です」
「あいかわらず、その宝どもは都合が良すぎるほどに忠誠的ですねぇ」
「生前世話になった人の魂の生まれ変わりだと聞いています。だからこのように、持ち主を好いてくれるんでしょう」
「いいですねぇ、僕もそういう部下が欲しいです」
そう言い、奏はレオの宝器、短刀・庖貯骬を見つめた。中に宿る聖霊の吭登刃はおずおずと間流盾の背後に隠れる。
「ところで、あと宿っていない聖霊は悠香さんのものだけでしたっけ?」
「そうです。いくら待っても来なくて……」
「きっかけはいくらでもあったのにねぇ……」
悠香が手招きすると、宝器の鍵・涅璽が静かにやって来る。鍵型でぜんまいにも似た宝器の石は、いつも通りピカピカに輝くばかりだった。
「ねぇ、君はどうして来てくれないの?」
すると那亜荢紆が、
「ここずっと一緒に過ごしてわかったのですが、どうやら悠香様の宝器は先代様の時からお姿が変わっていられないようです」
「どういうこと?」
「宝器にもよりますが、すでに何代かに仕えていた宝器もおられます。私も、賢者様の前に仕えていたようで、先代の時と似た形状をしています。特に尊様の宝器、王笏は何代もの矛盾が手にしてきまして、その度にあの形状でお仕えしていたようなんです。ですが、涅璽は今、悠香様で二代目、初代から全く形状が変わっていないようなんです。他の宝器を見てもわかりますが、模様や形状が明らかに異なります」
「じゃあ、私の宝器はもう、聖霊が出て行った後って事?」
「そうですが、そうではありません。聖霊は必ず宿るものです」
「だったら、頼めばいいだろ」
どこからか聞こえた千早の声に、一同が辺りを見回す。すると、棺和暇の蓋が勢いよく開いて千早が出てきた。
「邪神……!」
「悠香さん、下がって」
ハッシュは急いで玄之友を持って構える。
「そう力むなって、これを見ろっての」
千早が空中をつまみ上げると、光を反射して虹色に輝く糸が見えた。
「そこの変態博士、お前ならこれが何かわかるだろ?」
「封印の糸……聖女の呪いの一種です」
「だから何も出来ねぇよ。今日は特別に散歩だけ許されたんだ」
千早は悠香に近づくと、
「へぇ、随分古いな。ん、この匂い……」
宝器に鼻を近づける。そして匂いの正体が分かったのか、いたずらな笑みを浮かべると、
「はぁ、あの死にぞこない、けったいなものを使ってやがる。死にたいって言ったり生きたいって言ったり、我儘な奴だ。何がしたいんだか」
千早は宝石の上に右手の薬指を置くと、
「やぁ、職人、俺だ。どうやらこの小娘にはいろいろ条件が合わないらしい。聞いてるなら星の贈り物でもしてやれよ。それがお前の仕事だろう?」
そう言い、指を離す。悠香たちは宝器を覗き込むが、特にこれと言って変わった様子はなかった。
「何も無いじゃないですか」
「まぁまってろ」
千早がそう言って天井を見上げる。一同も天井を見上げると、部屋の明かりが消えた。そして、真上に強い光が弾けた。
「邪神のくせにうるさいね」
光から声が聞こえた。悠香は驚いて口を開けて見上げる。
「本当だ、何だいこの小娘は。まるっきり条件が合わない。ここまで神に愛されてないのに矛盾になっただなんて、不幸中の幸いだね。それに聖女も、何故こんな子を選んだのか。むしろ哀れじゃないか」
「愛されてないわけでも無いと思うがな」
「そう? 僕には哀れで目も向けられない。まぁいいよ、久しい邪神がそう言うなら」
光はゆっくり降下し、宝器の石の中に入ると、洒落柿色の光を放った。
「へぇ、これが二代目のねぇ……了解。星よりいわれ、神より遣わされた。名前は……もらわなくていいか。僕の名前はオル。時にアハバと呼ばれる。だからオル・アハバと呼んでくれ。これからも末永く宜しく、二代目」
宝石の光が静まり、部屋の明かりがつく。
「えっ……これは一体……」
悠香が千早と涅璽を交互に見ていると、
「だから、呼ばれたから来たんだよ、聖霊として。君とは全然面識ないし、先代がこれを使っていた時の聖霊って事で呼ばれただけなんだけど」
「せ、先代はどうしたの?」
「さぁ? あの子は死にぞこないだからね、とりあえずどこかで寝てる。別に気にしなくていいよ。い擦れあの子も聖霊になるだろうから」
するとハッシュは顎に手を置き、
「不思議ですね……精霊とは前世の記憶を持たないものです」
「そうなの? 僕は元来こういう存在だったから何とも思わないけど」
「こういうケースもあるんですね」
奏は急いでメモを取る。
「あ、あの、ありがとうございます!」
悠香は千早に頭を下げた。
「早く国に帰りたいからやったまでだよ。ほら、万博とかそんなのどうでもいいから早く国に帰して。ここは狭くて居心地悪い」
千早はため息をついて肩を揉んだ。




