第五十四話 相良優
ある日の夜。
「さ、今日はもう寝ましょ」
美友がそう言うと、集まっていたチームL達は立ち上がって各々部屋へ向かった。
李冴が優に話しかける。
「これから百足の所で夜遊びするんだけど、優も行く?」
「何するの?」
「んー、本読んだり、ちょっとお菓子食べたり。あとね、お香の焚き方とか教えてもらうの!」
優は少し考え、
「行きたいけど、今日はもう眠いからいいや」
「そっか。じゃあまた今度誘うね」
「うん、ありがと」
優は手を振って下へ降りる。部屋に入る前にトイレへ向かおうとして、誰かに襟を引っ張られた。振り返ると、歯を磨いている最中の真尋だった。
「あ、姉さん! どうしたの?」
「どうも何も、君はあっちだろう?」
真尋が向かいの男子トイレを指さした。
「あっ、ごめ~ん、そうだったね」
優は笑顔で男子トイレの方に向かう。用を足していると、背後の個室トイレから独り言が聞こえてきた。
「あっ? 紙がねぇ。くっそ何でこんな時に……」
レオの声だった。
「仕方ねぇ、禊を呼ぶか……」
レオはスマホを操作し禊に電話をかけるが、隣の個室から、
「なんだレオ、お前もか」
「んでお前隣入ってるんだよ!」
「何でも何も、俺だってクソくらいするわ」
「俺と同じタイミングで入るなよ!」
「理不尽だなぁ」
「あの、トイレットペーパーですか?」
優がトイレットペーパーを取ろうとすると、
「レオ、不足を感知した」
ココロがトイレットペーパーを持って走って来た。そして扉をよじ登り上から覗き込む。
「バッカ! 見に来んな!」
「レオ、生殖器のそのふくらみは……」
「言うなバカ! バカバカバカ!! お前本当に馬鹿だな!」
「言っている意味が分からない」
「いいからさっさと紙をよこせ!」
「ココロ、俺にもくれないか」
「了解した」
ココロはトイレットペーパーを隣の個室に投げ入れる。
「サンキュー」
優は何も見なかった素振りをして黙ってその場を離れた。
部屋に入り、ベットの中に潜る。ピンクの壁、ハートのクッション、化粧品の並んだドレッサー、フリルの付いた色取り取りの服の入ったクローゼット……どれも李冴や美友が身につけたがりそうなものばかりだった。
「僕は、女の子じゃないんだよな……」
小さくため息をついて天井を見た。
ママがカバンを持って目の前に立つ。
「さぁ、お祈りの時間ですよ。行きましょう」
ママに手を引かれて家を出る。ママは白いハイネックの長袖に、丈の長い黄土色のスカートを履いていた。僕は車の絵の描いた長袖のシャツに半ズボン。横を走り抜けていく、同い年くらいの子供たち。ハートがいっぱいのピンクの服に身を包んだ女の子と、ジャージを着た男の子。可愛い自転車とカッコイイ赤の自転車に乗っていた。
集会所に着くと、姉弟たちが出迎えた。
「こんにちは、優さん」
「こんにちは……水橋姉妹」
水橋さんの姉妹が手を振ってくれた。
「それではみなさん、この集まりを歌から始めましょう」
教えのおじさんがそう言うと、ママは経典を取り出して歌い始めた。歌詞の意味なんて知らない。ただ曲が流れ出すと、体が勝手に歌いだす。言葉の真似事をして、周りに合わせて歌うだけ。
すると急に、子供の泣き声が聞こえてきた。子供と言っても、まだ赤ちゃんのような小さい子供。お母さんはその子を抱きかかえて部屋を飛び出した。すると、廊下の奥から叩く音が聞こえた。手でたたく音じゃない。僕は知っている。ベルトで叩く音だ。
「ギャァッ」
「ビシッ、パシッ――」
子供の泣き声は止まなかったけど、歌が終わる頃には静かになっていた。
「それでは、祈りましょう」
ママのする通りに手を組んで顔を伏せる。少しだけ飾られた壁に向かって、みんな頭を下げる。そこに何かあるわけでも、誰かいるわけでもないのに、みんな頭を下げる。教えのおじさんも頭を下げる。
神様って、何だろう――。
ある日、ルミちゃんが放課後遊ぼうと声をかけてくれた。いつも僕と遊んでくれる可愛い友達だった。優しくて、一緒にいると楽しくて、服も鉛筆もいつも可愛いものを持っていた。何より、キラキラのピンクのランドセルが僕のあこがれだった。
「優くんも、ランドセル可愛いのにすればよかったのに」
「でも、ママが黒にしなさいって。それにこれは、水橋さんからもらったもので……」
「私のママだったら絶対好きな色にしてくれるよ」
ルミちゃんは何か思い出し、ランドセルの中を探ると、
「これ、あげる!」
ピンクのラメの付いた鉛筆をくれた。
「この前、鉛筆貸してくれたお礼」
「でも、わざわざくれなくても」
「いいの、これ優くん好きだろうなって思って。いっぱい持ってるから、一本あげるよ」
「ありがとう!」
ずっとほしかったピンクのキラキラの鉛筆。青い筆箱に入れると、茶色い鉛筆たちが際立って、ピンクの鉛筆をより魅力的にさせた。
家に帰って、早速その鉛筆で宿題を始める。その鉛筆には魔法がかかっていて、どんなに難しい問題も簡単に解けてしまうんだ!
そこへ、玄関の音がしてママが帰って来た。やばい、隠さないと。ママは魔法の鉛筆が嫌いだから、隠さないと捨てられる。
「優くん、宿題してたの?」
「うん!」
「えらいね。ママ、お夕飯作るから、待っててね」
「今日は何?」
「カレーにしようかなー」
台所から野菜を切る音がする。この音はいつまでも変わらない。ママが神様を好きになる前からずっと変わらない。
次の日、学校でのことだった。ルミちゃんからもらった鉛筆で、嫌いな算数の授業を魔法で簡単に解いてやろうと思っていた。けど、いくら探しても筆箱の中には茶色い鉛筆と白い消しゴムだけだった。
「優くん、何か忘れたの?」
「ごめんね、ルミちゃん。昨日貰った鉛筆が見当たらなくて……」
「お家に忘れてきた?」
「でも、昨日の夜寝る前に、筆箱に入れたんだよ」
必死になってランドセルの中も探す。机の中も、ロッカーの中も。落とし物入れの中も探したけど、無かった。名前も書いておいたはずなのに、どうして……。
家に帰り、重い腕を動かして宿題を解く。あーあ、全然わからない。するとママが帰って来た。
「今日は野菜炒めにするねー」
鉛筆の事を聞こうか……でもそんなことしたら、また世の子と、って怒られる。
「ねえ優くん、誰かから物を貰ったりした?」
横顔は笑顔なのに、声は酷く冷たかった。
「ううん、何も貰ってないよ」
全力で首を横に振った。
「そう、ならいいのよ」
それ以後、ママは特に何も聞いては来なかった。
やっぱり、ママにばれて捨てられちゃったのかな……。
日曜日、ママと一緒に神様の事をみんなに教えに行く「布教」をしに行った。
たくさん練習した通りに、
「この世界は、いずれ終わりを迎えます。なので、世界が終わる前に――」
「宗教はごめんだよ、帰れ帰れ!」
そう言って住人は玄関を強く閉めた。
「ママ……どうしてみんな嫌がるの? 教えを守らないと、死んじゃうのに……」
「みんなまだ、本当の事を知らないだけよ。大丈夫、こうやって色んな人に教えて、みんなに救いの手を差し伸べましょう」
ママはそう言って、僕の頭を撫でた。
今日はルミちゃんの家に遊びに行った。ルミちゃんの部屋はピンクのものがいっぱいで、ベッドにはカーテンが付いてた! とってもかわいくて、僕の部屋とは大違いだった。
「とってもかわいいね! いいなぁ。僕の部屋なんか畳だよ」
「おじいちゃんの部屋みたいだね! あ、ここ座って」
ルミちゃんは僕を鏡の前に座らせると、
「優くん、髪が伸びてきたね。切らないと先生に怒られない?」
「でも、伸ばして縛ってみたいし……」
「男の子なのに?」
ルミちゃんはクスクスと笑いだす。やっぱり、男の子が女の子と同じ格好をするのは、ダメかな……。
「いいね! 優くん可愛いから、何でもに合うよ!」
そう言って、僕の髪をとかしてくれた。そして、ピンクの宝石の髪留めを前髪につけてくれた。
「どうかな?」
「すごい可愛いね……!」
「でしょ! あとね、これとか……」
ルミちゃんが化粧品を取り出して来た。ママが持っているものよりキラキラで可愛かった。
「それ、ルミママの?」
「ううん、私の。自分で作ったんだよ!」
「自分で!?」
「今は自分で作れるんだよ。ほら、このキットで作ったの。ここにケースをセットして、リップの元とカラーと、ラメを混ぜるのそれでここにセットして……」
作業工程を見せてくれた。
「それで、このリップが完成するの!」
「すごいなぁ……!」
「優くん、こっち向いて」
ルミちゃんの手が僕の頬に触れる。そしてじっと真剣な顔で僕の顔を見つめ、
「よし、できたよ!」
鏡を見ると、ピンク色のきらきらした唇の僕がそこにいた。
「かわいい……」
「でしょ! 次はこれもやってみようよ」
手を差し出すよう言われ、手を出すと、爪に赤いものを塗ってくれた。
「これは?」
「まだ触っちゃダメ! マニキュアだよ。乾くと爪がキラキラになるの!」
「洗って大丈夫?」
「大丈夫だよ。取るときはお風呂の中でね」
ツヤツヤに光る赤い指先は、指を動かすたびに宝石のように見えた。
そのままルミちゃんと公園へ行く。他の女の子もいたから、みんなでおままごとをして遊んだ。
「こんにちは、ルミさん。お団子いかがですか?」
「わぁ、とっても美味しそうなお団子ですね!」
「奥さん、今日も綺麗だね! 一個おまけしとくよ」
そう言って友達は木の実を渡してくれた。
「まぁ、ありがとう」
「楽しそうだね、優くん」
ママの声が飛んできた。振り返って立ち上がった時、ハッとした。不味い、顔を洗わないと。爪も洗わないと。でもこれ、水で落ちないって……。どうしよう、どうしよう。ママに怒られる。叩かれる。ママが笑顔で近づいてくる。どうしよう、どうしよう、なんて言おう。ルミちゃんにやられた。ルミちゃんがこれやれって言った。僕はママに怒られるからダメだっていたんだ。そうだ、言ったんだよ。
ママの影が降り注ぐ。
「優くん、それなぁに?」
「ま、まま……あのね」
ママは僕の手を掴むと、急いで歩き出した。強く手を握って、僕は一生懸命ついて歩いた。ママの爪が手に食い込んで痛かった。
家に着くと、
「なんて顔で外を出てるの!」
「ごめんなさい! でもルミちゃんが、ルミちゃんがね……!」
「そんな娼婦みたいな化粧して……気色悪い!」
しょーふ、って何だろう……。
「今すぐ落としなさい!」
顔を強く拭かれた。お湯と石鹸で何度も洗われて、夢はたわしで擦られた。指先がとても痛かった。
「男の子なのに化粧なんかして……! もうあんな子と遊んじゃダメ!」
この日は寝る時間まで何度もママにぶたれた。
しばらく、ルミちゃんに話しかけられても無視していた。ごめんね、ルミちゃん。
ある日、ルミちゃんがまた家においでって言ってくれた。
「ごめんね、優くん。私、酷い事しちゃったかな」
「ううん、ルミちゃんは悪くないよ。ママがね、もう遊んじゃダメって……」
「そうなんだ……」
ルミちゃんはスカートの裾を指先でいじりながら、
「実はね、お父さんがお仕事で遠くに行かなくちゃいけなくてね、家族みんなで引っ越す事になったんだ」
「えっ……」
「だから最後に、優くんと遊びたかったんだ」
最後……最後なんだ。じゃあ最後なら、別にいいよね。これでもうルミちゃんと遊べないんだから。
「じゃあ、今から遊びに行ってもいい?」
「……うん!」
ルミちゃんの家に遊びに行った。ルミちゃんはバレエの衣装やピアノコンクールで着たドレスを見せてくれた。どれもお姫様みたいで可愛かった。
「ね、これ着てお外行こうよ!」
「でも、またママが……」
「じゃあ、今日は家の裏で遊ぼうよ。それならママに見つからないでしょ?」
「うん」
二人で着替えて、家の裏で遊ぶことにした。
木が生い茂って、少し薄暗かった。落ち葉を踏んで奥へ進む。
「この先にね、素敵な場所があるんだよ!」
ルミちゃんは手を引っ張って進む。すると、少し開けた場所に着いた。木にぽっかり穴が開いて、丸く光が差し込んでいた。
そこに座って二人でままごとをしたり、おしゃべりをして遊んだ。気が付けば空はオレンジ色から薄い青に変わっていた。
「ルミちゃん、もう帰らないと」
「そうだね」
するとそこへ、男の人が一人やって来た。
「君たち、こんな所で何してるの?」
「えっと……遊んでた」
「もう暗いじゃないか。ほら、家へ帰りなさい。なんなら、おじさんが送って行こうか?」
「いいんですか?」
「じゃあ私も! 最後だから、優くんを家まで送りたい」
「ありがとう、ルミちゃん」
二人で手を繋いで男の人の車に乗った。
「そうだ優くん」
ルミちゃんはネックレスを外すと、
「これ、優くんにあげる。これなら、女の子っぽくないでしょ?」
船についているとげとげのネックレスだった。
「イカリって言うんだよ」
「イカリ……可愛い名前だね!」
「引っ越しても、優くんのこと忘れないよ」
「うん、ありがとう!」
思い出したくも無い。
ルミちゃんが泣いている。痛そう。怖そう。おじさんは何してるの? ガムテープで口をふさがれたルミちゃんが、涙を流して嫌がっている。おじさんはルミちゃんの上で体を揺すっていた。
怖い。これから僕はどうなるの? 死ぬの? 怒られて叩かれるの? 怖い、怖いよ。
目の前にきらりと光るものが見えた。ルミちゃんからもらったネックレスが首から流れていた。
僕、まだ死にたくない。好きな服着て、可愛いお部屋で寝て、可愛い鉛筆で勉強したかった。
まだ、死にたくない。
死にたくないよ。
僕は自由になりたい。




