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第五十話 小さなビーストモード

 七穂がスケジュール確認のために矛盾らの家に来ている時だった。

「ななちゃん、洗濯物を畳みましょう」

 ココロがそう言って上着の裾を引っ張った。七穂は困った顔で尊を見ると、

「付き合ってやってくれ」

 そう言われ、七穂はココロと一緒に洗濯物の隣に座った。

「パンツはこうやって畳む。これは美友のだよ」

 ココロは一つ一つ説明しながら畳んでいく。七穂も一緒に畳んで籠に入れていく。

「ココロちゃん可愛いなぁ……不愛想だけど、好奇心がちゃんとあるところは子供らしくて健気だなぁ。フフ、夢中になり過ぎてパンツの中にスカートの裾が入ってる事に気付いてない。パンツは……おぉ、ボムボムダンゴの白か。そうだよね、子供に人気のキャラクターだもんね。毎日アニメ見てるのかな……可愛いなぁ」

 七穂がそう心の中で呟きながら鼻の下を伸ばしていると、

「ワゥッ」

 横から犬の鳴き声がした。

「あれ、犬って飼ってましたっけ……」

 振り返ると、目の前に犬の耳をはやして尻尾を振り回す禊がいた。七穂は目を擦る。そしてもう一度確認して、今度は頬をつねり始める。

「落ち着け七穂」

 小町がそう言って頬を思いっきりつねった。

「痛い! 夢じゃない!」

「犬はそこまで大人しくないぞ」

 禊にそう言うと、禊は七穂の膝の上に仰向けになって頭を乗せた。

「そうだ、もっと愛くるしく舌を出して、潤んだ瞳で見つめて」

「小町さんそれ以上はキャパオーバーすぎます! 死んじゃいますって!」

「顔も舐めてやれ」

「いや、それは……」

「そうですよ! 殺す気ですか!?」

 七穂は一旦禊から離れると、

「何が起きたんですか?」

「こいつにハリウッドからオファーが来てな。ファンタジー映画を撮るから、獣人として出てくれって。それで今、犬の動きを参考に獣らしい動きを確認しているところなんだ」

「わん!」

「禊、その鳴き声じゃリアリティーがない」

「ヴァウッ」

「そうだ」

「その声も、獣っぽくないですよね……」

 七穂は困った様子でそう言った。

 禊はまた膝の上に寝転がり、

「まぁこうやって矛盾の特性が買われるのは幸せな事だな」

 猫のように手足を伸ばして見つめてきた。七穂は鼻息を荒くさせる。

「ほら、どうした。撫でてもいいんだぞ?」

「いいんですか!?」

「どうぞどうぞ」

 そっと手を伸ばし、指先で耳に触れる。黒くて艶やかな毛並みに指先が溶けそうだった。

「わ……すっごいなめらか」

「耳だけでいいのか?」

 そう言われ、七穂は音を立てて生唾を飲み込む。そして禊の首に触れた。顎下の柔らかい皮が薄くよく伸びた。禊は満足ように目を瞑って触られていた。

「俺も!!!! 俺も触る!!!!」

 そこへ鬼の形相で嫌好が走ってきた。だがすぐに小町に取り押さえられ、さらに尊と要の三人がかりで椅子に座らされ、縛り付けられた。口に口輪がはめられる。

「ウア゛ア゛ア゛ア゛ア゛~!!!!」

 嫌好は真っ赤に充血した目を向けて暴れていた。

「うわ怖っ……」

 禊は青い顔で嫌好を見た。尻尾は垂れ下がって足の間に入っていた。

 そこへ宵彦がやって来る。

「うわっ……おつかれさまです」

 とりあえず頭を下げておく。

「宵彦、そいつはただの色摩だから、相手にするな」

「え……そうなんですか」

「ヴァ~!」

「うわっ唾飛ばさないでください」

 宵彦はハンカチで飛んできた唾を拭いながら、七穂と距離を置いて禊の横に座り、

「どうです?」

「んー、まだしっくりこない」

「今度、姉さんの飼ってるウルフハウンドでも連れて来ましょうか」

「いや、そこまでしなくていいよ」

 禊はそう言い、足を宵彦の膝の上に乗せた。七穂はふと、禊の唇を見て、

「すごい荒れてますね。リップとか塗ってますか?」

「アレ嫌いなんだよ、唇の上に白く残るし」

「肌も乾燥が酷いですよ。一応アイドルなんですから、お肌の手入れも大事ですよ!」

「えー、だって顔に何か塗るのとか」

「宵彦さん、禊さんに処置して頂けますか?」

「え? あぁ、構いませんよ」

「嫌だー。クリームべたべたするんだもん」

「ほら禊さん、私のを貸しますから」

 そう言って禊の足を引っ張って洗面所に引きずって行った。

 七穂は自分の手を見てニヤリと笑う。

「七穂、顔が怖いぞ」

「え、何がです?」

 するとそこへ狼が走ってきた。腹の白い灰色の長毛で、頭に羊と鹿の角が生えていた。急いで七穂の懐に頭を入れてきた。

「わ、この子はなんですか?」

 七穂は驚いて床に倒れる。

「禊だよ」

 小町は冷静に答え、角を持って七穂から引きはがした。

「え、禊さん!?」

「矛盾はビーストモードに小型化する能力もあるんだ」

 小町が角を持って背に乗ると、狼は部屋を歩いて一周する。

「おーよしよし、いいこだ」

 お腹を撫でると、狼は小町の首を舐めた。

「ポニーよりも大きそうですね」

「実際は像よりも大きいがな」

 七穂は驚いた顔で狼を見た。

 そこに宵彦が戻って来る。

「保湿の説明は風呂上りにしますかね。その格好でしばらく過ごせば、獣の感覚も思い出すんじゃないですか? 家の中でも過ごせるサイズですし」

 すると禊は尻尾を振って後ろ足で立ち上がり、宵彦に飛びついた。

「ハハハ、昔飼っていた犬を思い出しますね」

 宵彦は目いっぱい抱きしめ、

「うりゃー! ここか? そうか、お前はここが好きなんだな」

 お腹を両手で撫でてやった。

 夕食時、全員が怪訝そうな顔で禊を見ていた。

「……そこ、禊さんの席なんだけど」

 アキラがそう言いながら角を掴んだ。禊は頭を振り、嫌がる様子をする。

「アキラ、それ禊」

 アーサーが急いで制すると、アキラは首を振って禊を見た。小町はアキラを席に着かせ、

「すまないな、しばらくその格好でいさせてやってくれ。撮影のシミュレーションなんだ」

「え、でも、どう見ても狼……」

「アキラ、我々は矛盾だぞ」

「あ、そうでしたね」

「納得しちゃうんかい!」

 忍のツッコミが飛んできた。

「だって矛盾なんですから、何があっても矛盾であればあり得そうですし」

「そうだけど、そうだけどさぁ~! もうちょっと疑ってみない?」

「それより夕飯食べないと」

「そうだわ」

 忍は黙って箸を進めた。

 禊は大人しく椅子の上に座っていたが、暇なのか、椅子から降りてそれぞれの食事している机の上に顎を乗せて動作を目で追っていた。

「あー」

 美紗がスプーンで肉じゃがを口元に持ってくる。禊はそれに食いついた。

「なんかホント、犬飼ってる気分ですね」

 宵彦は嬉しそうにそう言うと、傍へ来るよう合図した。禊がトコトコやってきて、膝の上に顎を乗せた。宵彦は頭を撫でながら箸を皿に伸ばすが、角が邪魔そうだった。

「犬って角ないですよね」

「当たり前だ」

「犬と言うより、鹿ですかね」

「角は正確にはトナカイに近いがな」

「ほぼ似たようなものじゃないですか」

 禊が顔を上げると、角の先が隣の尊の鳩尾に刺さった。尊の鼻から飲んでいた牛乳が垂れる。

「大人しく座っててくれ!」

「ヴアゥ」

 禊は床に座って顔を見上げる。

「そんな、そんな目で見ても無駄だからな」

「ヴゥゥゥ……」

「いたっ、角向けるなよ」

「ヴォァァァァァ!!」

 少し声を大きめに鳴いてみると、

「わああああ禊さん痛いですって!」

 宵彦は耳を押さえて言った。

「人間の16倍」

「16倍なんですか!?」

 アキラは目を輝かせて宵彦を見た。

「超地獄耳ですからね」

 青い顔で自慢げに微笑んだ。

 食事が終わり、アキラは片づけをしてから風呂に向かった。戸を開けると、尊と嫌好に現れる狼の姿が見えた。

「本当に犬ですね……いや鹿……」

「狼だよ」

「禊だよ」

 二人は同時に答え、睨み合う。

 禊に頭からシャワーをかけ、泡を流す。すると毛の張り付いて本体の形がくっきり浮かび上がっていた。

「細っ! え、禊さんってこの状態でも細いんですか!?」

 忍が驚いて禊の手を取った。禊は忍の顔を舐めてやる。痩せた身体に毛が張り付き、骨が浮き出ているのまで見えた。

「ちゃんと食べないとだめですよ~」

「普段は言わないのに」

「え、だって言えないじゃないですか」

「この状態だとなんでも言えそうだよね。禊、愛してるよ」

「うわっ」

 忍は嫌好の顔にお湯をかける。

 全員でお湯に入る。禊は尊の肩に顎を乗せて浸かっていた。

「あー、このサイズの禊もいいな。小脇に抱きやすい」

「あー、わかります」

 忍も禊の背に腕を回す。アキラと嫌好も後ろから同じように腕を回す。

「犬飼った事ないですけど、こんな感じなんですね。いいですね」

「飼い主を一口で食い殺す犬だけどね」

 嫌好が微笑んで言うと、アキラはそっと腕を離した。

「そうだ、尻尾気を付けてね。俺、それで骨折したことあるから」

「え、しっぽ?」

 嫌好に言われて禊の尻尾を見ようとした時、背中に硬いものが思いっきり当たった。アキラは咳き込みながら急いで立ち上がる。すると黒くて長い尻尾らしきものがお湯からまっすぐに立っていた。

「これですか?」

 掴んで嫌好に見せると、

「そう。指切らないようにね」

「尻尾で指を切る!?」

 急いで手を離す。

「そっと毛をかき分けてごらん、骨みたいなの出てくるから」

 言われた通り、そっと指先でつまむように持って毛を分けていくと、自分の二の腕と同じ長さの鎌の形をした骨が出てきた。

「何ですかこれ……」

「尻尾だよ」

「いや、そうですけど、どういう器官に当たるんですか、その……狼とかの」

「尾骨」

「ビコツ」

「切れ味はそんなでも無いけど、勢いよく叩きつけられたら肉は切れる。付け根のこぶ状になった骨とかマジで痛いよ。禊に絡んだらそれてあばら折られたことある」

「それは嫌好さんが悪いんでしょうが」

「何でよ、夜這いしただけなのに」

「それがダメなんですって!」

 アキラは忍を見ると、

「忍さんも動物になったりするんですか?」

「できますよ。ちょっとやってっましょうか?」

 忍は嬉しそうに笑うと、お湯の中に潜って姿を消した。なかなか出てこない忍にアキラが辺りを見回していると、

「ここ、ここです」

 忍の声がした。しばらく探していると、尊が何かを差し出して来た。その手にウシガエルほどの蛙のような生き物が抱えられていた。

「蛙なんですね」

「正確には、蛙を軸にした両生類です。ほら、この鰓とかウーパールーパーのそれと似ているでしょう?」

「ですね」

「でもここ熱いので、あんまりこの状態だと茹で上がってしまうんで……」

 忍はお湯の中に飛び込むと、人の姿になって出てきた。

「あー、たまにやると気持ちいいですね。しばらくぶりに身体動かしたみたいです」

 そしてお湯の中に手を入れて何かを探ると、今度は大きな蟹が出てきた。

「いてて、尊さん、棘が痛いです」

「コカカカカカ……」

「しゃべれないんですか?」

「矛盾によって色々なんですよね、この状態で喋れるかどうか。僕は喋れるんですけど、尊さんはいつも喋れないんです」

「シュー……」

 ロブスターに蟹っぽさを増しさせた生物をお湯に戻すと、人の形をした尊が湯から出てきた。

「どうだ、カッコよかったろ?」

「最大でどのくらいになるんですか?」

「300mの禊とタイマン張れたから、全長は300mはあるんじゃねぇかな。高さは100mくらい」

「おっきいですね」

 すると尊は何かを見つけると、ニヤリと笑って湯船の縁に手を伸ばして掴み上げた。

「ほい、カタツムリ」

 アキラの手の上に乗せる。手の上でカラフルなカタツムリが這っていた。アキラは鳥肌を立てて手を伸ばして距離を取る。

「カタツムリは苦手か!」

「い、いえ、でもここまで大きいと……!」

「正確にはウミウシを軸に、巻貝の殻を背負ってる。体の中はカタツムリに近いけど、貝類の排出管がついてる」

「キメラのような形態なんですね……」

「そのぬめり、石鹸じゃないと落ちないからな」

 尊はそう言ってカタツムリを取り上げる。するとカタツムリが大きく膨れ上がり、人型の嫌好が首の後ろを尊につかまれて現れた。

「離せよ」

 嫌好は冷たい目を向ける。

「矛盾って面白い形態ですよね……」

「一番面白いのがレオだな」

 尊が言うと、

「どんな姿なんです?」

「見えない」

「見えない?」

「細菌だから、今の俺らみたいな状態になったら見えない」

「最大サイズは……あれって無限ですよね」

「そうだな、カビだし。いくらでも枝を伸ばすからもはや本体がわからん」

「攻撃とかどういう特性持ってましたっけ?」

「カビを生やすくらい?」

「毒性がありましたよね」

「多少ね」

 すると嫌好が、

「一番きれいなのは悠香だよ。透明なホヤなんだ」

「あぁ、写真を見た事があります」

「今度頼んでみな、見せてくれるだろうから」

「え、あぁ、そうですね……」

 そして風呂から上がり、全員で禊にドライヤーをかけてブラッシングする。

「すごい、リンスもしたから毛並みが最高だよ」

 全員で乾いた禊に抱き着く。

「モフモフだ……」

「おいおまんら、後がつっかえてるからはよせい」

 アーサーに指摘され、一同はそれぞれの部屋に入る。禊も自分の部屋に入ってベッドの上で丸くなって眠った。

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