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第五話 わるいこだれだ

 星の足元に位置する、岩と氷に覆われた陸。平均気温-60℃、所々から吹き出る火山からは、生物にとって有毒なガスが出ているため、ほとんど生物が見られない。そんな南極に位置するこの大陸には、邪神の泉と言われる、血のように真っ赤な湖がある。ソーダと塩分をかなり多く含み、水温は60℃超えのため、近づいた動物に死を招く。

 何の生物の息の音も聞こえない湖に、一羽の鴻がやって来る。鴻は翼をしまうと、湖のほとりに腰を下ろしてじっと湖を見つめた。その藤色の目は何の温度も持ち合わせず、ただ赤い湖を写していた。

「『お前は頭が悪いな』……」

 鴻はある言葉を口にした。それは他を嘲るようで、自分を嘲るようでもあった。

「どうして……どうしてそんなに、拒むんだ。何も不利益なんて無いだろう……」

 鴻は足元に視線を落とした。その目は何かに焦がれているような目だった。


 禊は家の掃除と模様替えをしていた。

「うー!」

 美紗が泥だらけのまま外から家に上がって来る。

「あぁこら、まて! じっとしてろ、いいな? 動くなよ?」

 禊は両手を広げ、ジリジリと近づく。だが部屋を汚されたくない禊なんかお構いなく、美紗は泥だらけの手足で、犬のように部屋を駆けまわり始めた。

「こらー!」

 禊は美紗を捕まえると、すぐさま風呂場へ連れ込んだ。脱衣所から湯気が出てくる。

「キャー!」

「キャーじゃない! また泥だらけになって家に上がりやがって……! 二度と家に上がらせんぞ!」

「アハハハハ! キャー! キィー!」

「笑ってんじゃない!」

 綺麗になった美紗はパンツ一枚の姿で床に座って、禊にドライヤーをかけてもらう。

「ん、ん」

 美紗が禊の手を叩く。禊は美紗の意思が読めなかったが、髪の毛を引っ張って見せる様子から気づき、

「お客さん、かゆいところはございませんか~」

「むい~」

 美紗は絵本に手を伸ばし、すました顔でページをめくっていく。

 髪を乾かし終わり、美紗は二階へ上がっていく。

「散らかすなよー!」

 二階に向かって言うと、微かに美紗の返事が聞こえた。

 それからまた掃除を再開させ、おおよそ片付いた頃には、窓の外は赤く染まっていた。

「もうそんな時間か……。美紗、おい美紗!」

 だが二階からは返事が来ない。様子を見に禊は二階に行き、部屋を一つづつ見ていく。自分の部屋のドアを開けた時、美紗の鼻歌が聞こえた。

「そんな所にいたのか。やたらといじるなよ……」

 美紗を目に捉えた時、その手に持っているものを見て、禊は血相を変えて手を伸ばした。

「何をしているんだ!」

 美紗の手を掴んで持っているものを奪い、反射的に突き倒してしまった。奪い取ったものと棚の上を確認する。手の中に半透明で虹色に輝く石は最後に見た時と変わった様子は無かった。

 禊は安堵のため息を漏らすとともに、急いで我に返って美紗を見た。

「ごめん、怪我は無いか」

 だが美紗は目に涙を浮かべ、怖がった様子で後ずさりをした。

「ごめんね、大丈夫?」

 禊が手を触れると、美紗は痛そうに声を上げた。床に血液が数滴垂れており、視界の隅に黒い大腕が見えた。

 美紗は泣きながら走って部屋を出ていった。禊はただ自分の矛盾化した左手を見つめていた。

 その晩。

「旦那様、言葉様からお電話です」

「……繋いで」

『禊ちゃん、美紗ちゃんがケガをしていたんだけど……』

「……俺の、せいだよ」

『禊ちゃん?』

 禊は訳を話した。

『しばらくうちにいさせるね。ごめんね、一番つらいだろうに……なんでも押し付けて』

「いや、いい、気にしないでくれ」

『ケガは大した事無いし、もうほとんど治りかけてるから心配しないで』

「うん、ありがとう……」

『それじゃあ、おやすみ』

「うん、おやすみ……」

 通話が切れた。

 禊は石の入った小瓶を抱えて、倒れ込むように床に横になった。

「旦那様……」

「大丈夫だよ。ただ、気疲れしただけ……」

 禊はゆっくり目を瞑って寝息を立て始めた。

 そこに小さな羽音が聞こえた。ゆっくりゆっくり足音が近づき、月明かりに一本の腕が伸びる。

 飛び起きた禊は牙を剥き出して腕に噛みつき、影の中に近づいたものを押し倒した。

「そう怒らないで」

 なだめる声は酷く優しく、冷たかった。

 禊は銜えた腕から口を離し、

「何をしに来た、要」

 自分の下にいる者を睨みつけた。

「怒らないでって。ストレスでも溜まってる?」

「さあな」

「今更地球に戻りたいとか? あれほど嫌がっていたのに、やっぱり刺激のない毎日は苦痛か」

「黙れ鳥、喰うぞ」

「君に食べられるのなら悪くないかな」

 要はいつもの柔らかい笑みを保ったまま。禊はため息をつきながら要の上をどいた。

「何しに来た」

「夜這いかな」

 その答えに禊は怪訝そうな顔を向けた。

「月が綺麗だったからね」

 禊の眉間のしわがますます深くなる。

「まあいいよ、そんな顔するなら帰るよ」

 要は軽く手を振って玄関に向かおうとした時、

「今度は何をしようとしてんだ?」

 禊に尋ねられ、足を止めた。

「特に何も?」

「やめておけ、お前には抱えきれないだろうよ」

「抱えるんじゃない、受け入れるんだ。僕はそれを望んでいる」

「じゃあ何でここにいるんだ」

「……運命を間違えたんだよ、きっと」

「記憶を司るお前なのに」

「うん、司るのにね」

「随分似たもんだな」

「誰に?」

 要が違和感を感じて振り返ると、月明かりに求めていた姿が見えた。だが瞬飽きをした瞬間にそれはさっきまでの禊に変わっていた。

「まあいいや、それじゃ」

 要は玄関を出ると、翼を広げて夜空に消えていった。




 美友の家の玄関にノックの音が響く。

「はいはーい、今行きますよー」

 玄関を開けると、真昼のせいだろうか、輝く要がにこやかに立っていた。

「要さん!? ど、どうされたの?」

 美友は急いで軽く身繕いをする。

「君にどうしても食べさせたいものがあってね、ずっと今日まで用意してたんだ」

「私の為に……?」

「もしかして、用事あったりする?」

「ううん全く全然! 超絶暇だったよ!」

「よかった。じゃあ、今から僕の家に来れる?」

「うん、準備するね!」

 美友は玄関を閉めると、猛ダッシュでリビングに向かう。そしてリビングでゴマ団子をいただいていた李冴を抱き上げ、

「帰って、今すぐ!」

「え!?」

「いいから!」

「え、ちょ」

 裏口から追い出してしまった。

「もうなにー!」

 李冴は怒って自分の家へ帰っていった。

 美友はクローゼットのドアを開け、次から次へと服を引っ張り出しては姿見の前に何度も立った。そして素早く化粧をし、胸元のリボンの曲がりを調整して玄関を開けた。

「それじゃあ、行こうか」

 要がそう言って美友の手を掴んで歩き出した。美友は目にハートを浮かべ、要の腕に抱き着いた。

「あれー、おかしいな……」

 要の家を訪ねた忍は困った様子で、要の家のインターフォンを何度も押す。家に誰もいないため、すぐ近くの美友の家も尋ねてみるが、一切反応がない。

「ここもか……」

 少し遠いが、隣の管轄である宵彦の元に尋ねてみた。

 宵彦の管轄に来るのは初めての忍は、宵彦の邸宅を見上げてぽかんと口を開けていた。黒一色の立方体型の家は、熱帯のジャングルの中にポツンと佇んでいた。

 すると玄関が開き、

「おや、忍さん、どうかされましたか?」

 宵彦が顔を出した。

「あの、要さんに用があったんですけど、インターホンを押しても反応が無くて……」

「確か、何かやりたいことがあるみたいで、近くに住む方々に家を訪ねるなとおっしゃっておりましたね」

「そうですか、何をしているんでしょうか……」

 すると宵彦の背後からニヴェが顔を出し、

「あら、忍くん! そうだ、これから宵彦さんとお茶にするんだけど、一緒にどう?」

「良いんですか?」

「えっ、ニヴェ、ちょっと」

「上がって上がって!」

「お邪魔します」

「ちょっと、ここ私の家」

「二人だけだと気まずくて」

「ニヴェ、そうだったの?」


 美友は落ち着かない様子で席についていた。

「もうちょっと待ってね」

「は、はい!」

 家の中を見回して時間を待つ。要の管轄は山峯の多い場所で、その地形を利用して、家の中に滝が流れるような構造をしている。天井は高く作られており、天窓から空が見える。

「まるでお城みたい……」

「おまたせ」

 要がやって来ると、美友は急いで背筋を伸ばす。目の前に料理の乗った皿が置かれる。

「さ、食べて」

「これは……なんですか?」

「当ててごらん」

 美友は鼻先を見るように料理を見下ろし、ナイフとフォークでちょいちょいと小さく切り、口に運ぶ。柔らかい肉だろうか、まったりとした油が舌の上でとろけ、華やかなハーブなどの香辛料の香りが鼻の奥に広がる。

「なにこれ、すごい美味しい!」

 美友は口元に手を当て、目を丸くさせた。

「よかった」

「あっ……もしかして、フォアグラ?」

「そうだよ」

「どこで手に入れたの!?」

「鴨を一匹だけね。一匹だよ。まだ食べた事ないって君が言ってたから、食べさせてあげたいと思ってね」

「アレ、私言ったっけ……。まぁでも、ありがとう! 三大珍味を食べたのは初めてだよ。矛盾になって良かったかも~」

 美友は胸に手を当てて満足したようにため息をついた。

「食べ終わったら見せたいものがあるんだ、後で外に出よう」

「はい!」

 美友は嬉しそうに頬を押さえて料理を口に運んだ。その様子を要は、色のない笑顔で見つめていた。


「ごちそうさまでした」

「また来てね。そうだ、忍くんの好きなお菓子とかある?」

「えっ、えっとぉ」

 忍は少し頬を染めて考え込む。その様子を宵彦は不満気に見ていた。

「あっ、餡子です。和菓子好きです。あ、特に好きなのは粽です!」

「わかった、今度誘うときに作っておくね」

「ありがとうございます!」

「ほら、もう日も傾いて来たし、この辺は猛獣が多いから帰った方がいいですよ忍さん」

 宵彦は笑顔で忍の背を押す。

「えっ、あ、はい、帰ります。お邪魔しました」

 忍はジャングルの奥へと消えていった。

 家までの道中、浜辺で膝を抱えて座る李冴と遭遇した。

「李冴ちゃん、こんな所でどうしたの」

 声をかけると、むくれた顔で振り返った。

「美友の奴、男が来たからってんで舞い上がって私とのお茶会を放り出した挙句、私を家から追い出しやがった」

「そんな事があったの」

 忍は少し女性に恐怖を覚えた。

「で、男って誰?」

 忍が訪ねると、

「どうせ要さんですよ。あんの男好きめ……!」

 忍が心配して声をかけようとすると、李冴はさっさと立ち上がって自分の家の方に向かって歩き出した。


 要と景色を見て戻って来た美友は頬を染めて要に話しかけた。

「とても綺麗だったね!」

「でしょう? まだあそこは誰にも教えてないんだ」

「そうなの?」

 要はにこやかに笑うと、美友の耳元に口を近づけ、

「二人っきりの秘密だね」

 そっと囁いた。低く甘い声に美友は顔を真っ赤にさせ、

「えぇと、次は何をするの?」

「お茶でも飲もうか、美味しい茶葉を貰ったんだ」

 二人はソファーに座ってお茶を楽しんだ。

 それから会話は進み、美友がふと時計を見た時、

「要さん、そろそろ戻らないと……」

「あぁ、もうこんな時間だったか。引き止めてごめんね」

「ううん! とっても楽しかったよ」

「良かった、またいつでも来てね」

「はい!」

 美友が玄関で靴を履き、

「それじゃあ、おやすみなさい」

「おやすみ、良い夢見てね」

 要が柔らかく微笑んで手を振ると、美友は顔を赤くさせて手を振って玄関のドアノブに手をかけた。玄関が開きかけたその時、

「やっぱり、帰らないで」

 美友が聞き返そうと思ったと同時に、体を後ろに引き寄せられた。

「か、要さん!? どうし――」

 美友が慌てて顔を見ようとした時、唇で口を塞がれた。

「今晩だけ……今晩だけでも、一緒にいて。1人は、寂しいんだ」

 要は酷く悲しい顔を見せた。美友の心が大きく高鳴る。

「情けないよね、ごめん。ほら、夜遅いし帰らないと……」

 要が美友を帰らそうとした時、美友は自ら要の首に抱き着いた。

「情けなくてもいいんだよ。たまには立ち止まらないと、疲れちゃうもん」

 そして要は美友の腰に手を回し、また深くキスをした。

 美友の細い体は真っ白いベッドの上にそっと置かれる。

「美友ちゃん……」

「要さん、来て……」

 美友は要に向かって両手を伸ばす。要は美友の服のボタンを一つずつ外していき、右足を持ち上げて太ももの内側にキスをした。二つの石がくっつこうと触れ合う。

 その時、

「――わるいこだ~れ~だ~ァ……!」

 美友には聞き覚えの無い声がした。

 すると突然黒い塊が要の向こうに現れ、要を壁に叩きつけた。

「要さん!」

 美友は急いでベッドから降りようとするが、黒い何かに首を掴まれ動けなかった。

「あ~ぁ、こんなに濡らしちゃって……そんなに待ち遠しかったんだ。へぇ……」

 すると黒い塊の中から千早が現れた。美友に見覚えは無かったはずだが、どこかで一度だけ見た事のある印象だった。

「悪い子にはお仕置きしないとねぇ」

 千早の頭が足の間に入り込んでくる。

「キャアアア! やだっ……! 要さん、助けて! 要さ――」

 美友は要を見て絶句した。要も自分と同じように恐怖に染まった顔をしていたが、口が、笑っていた。

「要さん……どうして……」

 美友の目から涙がこぼれる。

「アッハハハハハァ……!! さぁ、悪い子は一緒に行こうね、隙間の、誰も助けに来ない空間へ」

 美友と要は黒い靄に飲み込まれていく。そして千早と共に姿を消した。温まっていたベッドは冷えていた。

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