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第四十六話 言ってはいけない理由

 都内のとある居酒屋――

「ドラマ撮影終了、お疲れ様でしたー!」

 撮影陣一同がジョッキを持って乾杯する。

「無事終わりましたね、禊さん」

 宵彦が隣に座る禊に話しかけた。

「だね。いやー結構楽しかったな」

「私も、ああいうのは初めてで、斬新でした。またやってもいいですね」

「俺ももう一回くらいやってもいいかもな」

「なら、ハリウッドの方に禊さん紹介しちゃいましょうか?」

 スタッフの一人がそう言うと、周りも、

「良いな!」

「今度はハリウッドデビューっすか!」

「矛盾つよっ」

 一同は楽しくおしゃべりしていた。

 そこへ店員が料理を運んでくる。

「ハイどうもお待ちどうさまさまで~す、ジャガイモの窯焼きとスモークピザでーす」

 すると店員は禊と目が合い、硬直してしまった。

「ん、どうした?」

 禊が手を振ると、

「あ……っ! えっ、すいません」

 店員は急いでその場を去った。だがすぐ頭だけそっと物陰から覗かせ、

「ふぁ、ファンなんです……いつも応援してます」

「うん、ありがとう」

 禊がほほ笑むと、店員は厨房に逃げて行った。

 厨房から叫び声が響く。

「コラ福田ァ!」

「すいません、何でもないんです! すいません!」

 禊と宵彦は困った顔で厨房の方を見た。

「なんか、面白い店員さんですね」

「そ、そうだな」

 そこに今度はスタッフがメニューを差し出し、

「お酒のおかわりはいりますか?」

 禊はメニューを一通り見て、

「あー、ウーロン茶だけで結構です」

「じゃあ私は……生中で」

 スタッフが店員を呼ぶ。するとまた先ほどの店員がやって来た。

「カクテルの……これと、これ。あと生中3つ」

 店員はまた急いで厨房へと駆けていく。

 女性スタッフが宵彦に話しかける。

「宵彦さんって女性嫌いだと聞いたんですけど、本当ですか?」

「えっ? あ、そう、ですね……」

 宵彦が困った様子で禊を見ると、禊は笑顔で、

「こいつ、男に囲まれて育ったらしくて、女性慣れしてないんですよ」

「えー、こんなに紳士的で優しいのに?」

「女性経験多いかと思ってました」

「いや……ハハハ」

 宵彦は目を逸らしてジョッキに口をつける。

「香水臭い……」

「こら、宵彦」

「今日はどの辺で帰るんですか?」

「早めに帰る理由もないし、忘年会も兼ねてるから終わりの方まで帰れないだろうな……」

 宵彦は肩を落とす。

 するとまた店員がやって来て、

「お待ちどうさまさまでーす。あ、これ店長からです」

 店員は野菜炒めの大皿を机に置いた。

「ありがとうございまーす!」

 一同で礼を言うと、店員は頬を染めて厨房へ戻っていく。

 それからしばらく酒も進み、会話も進んだ頃。

「ねぇ君、ちょっとこっち来なよ」

 スタッフの一人の男が先ほどの店員に絡んでいた。店員は別の席の注文を受けているところだった。

「えっ、あの、すいません」

「いいからさぁ~」

 すると女性スタッフがひそひそと話し始めた。

「やだ、前田さんまたやってるよ」

「前もああやって女の子連れて帰ってたよね……」

「イケメンだから何でも許されるって味を占めてる」

「ヤダ~」

 店員は頭を下げながら厨房へと逃げて行った。

 そしてまた店員が料理を運んできて、厨房に戻ろうとした時、

「ねぇ君、無視しないでよっ」

 前田が店員の手を強引に引いて膝に座らせた。

「お客さん!?」

「へー、君よく見たら垂れ目だし二重だ! 眼鏡外したら可愛いね~」

 そう言って店員の眼鏡を持った。

「あの、困ります。すいません、私、戻らないと……」

「ちょっとぐらいいじゃん、何か驕るよ」

「あの……」

 禊は肩眉を上げると、宵彦にトイレへ行くと言って席を立った。そして廊下を曲がり、すぐに戻って来て、

「すいません、トイレどこですか?」

 店員に話しかけた。

「えっと、厨房入り口の前の……」

「わからないんで案内してもらえますか?」

「あっ、わかりました」

 店員が立ち上がろうとすると、禊は店員の手を掴んで引っ張って行った。

 トイレの前に着くと、

「大丈夫?」

 禊は店員の顔を覗き込んだ。

「すいません、ありがとうございます」

「大変だね。女の子は特に」

「あの……私、男です」

「え」

「よく間違われるんですよ。背が低くて腰幅があるもんで」

「な、なんかすいません……」

「いえ、気にしてませんよ。なんだかんだこういう自分好きですから」

 二人はニコニコと顔を合わせていたが、

「じゃ、そろそろ戻りますんで」

「すいません、引き止めてしまって」

「いえ。ごゆっくり」

 店員は厨房に戻って行った。

 戻って来ると宵彦が女性スタッフに取り囲まれていた。禊はその間をかき分けて、

「ハイハイ、通りますよ」

 宵彦の隣に座った。宵彦は間に禊が入ったことで安心したのか、小さくため息をついて反対側にある壁に頭を置いた。

「宵彦さん、お疲れですか?」

「え、あぁ、大丈夫ですよ。お構いなく」

 そう言って微笑むと、女性スタッフはさっさと自分の元居た席に戻って行った。宵彦はそっと腕を禊の腰に回して、ハンカチを口元に当てた。

「大丈夫か?」

「お腹触らせてもらえませんか……」

「えぇ、帰ってからじゃダメか?」

「手を握られたんですよ……柔らかくて気持ち悪かったです」

「ほれ、俺の触ってろ」

 禊の乾燥してカサカサし節くれだった手を差し出すと、宵彦は素早く握った。

「痒いか?」

「背中が特に」

「よしよし」

 そっと頭を撫でてやる。

 それからまた更に酒も入り、時間も過ぎていく。

 宵彦は誰に話しかけられても素っ気なく返すだけで、何もしゃべらずグラスに残った氷を舐めていた。

 禊は途中で頼んだカクテルを一杯飲んでご就寝。宵彦の膝に頭を乗せて丸くなり、寝息を立ててぐっすり眠っていた。

「禊さん、お酒そんなに飲んでないのにもう寝てるー」

「かわいい~」

 男性スタッフがスマホのカメラを向けると、宵彦はグラスをじっと見つめたまま、大きい手のひらを禊の顔の上に乗せた。スタッフはおずおずとスマホをしまう。

「それじゃあ皆さん、もう12時になりますし、そろそろお暇といたしましょうか!」

 幹事がそう言うと、次々と帰る支度を始める。

 宵彦もため息をついてスマホを取り出し、電話を掛ける。

『俺だ』

「尊さんですか。迎えに来ていただけますか?」

『そうなるだろうと思って俺だけでも起きてたぜ! 今行くから』

「すいません」

 宵彦がスマホをしまうと、女性スタッフの一人が声をかけ、

「宵彦さんはどうやって帰りますか?」

「仲間が迎えに来ますので」

「そう、ですか……。みんなあっちの駅なんですけど、私だけ反対の駅でして。その、よかったら途中まで……」

 女性が耳に髪をかけながら言うと、宵彦はまたスマホを出してどこかに電話を掛けると、

「……あ、もしもし、団子タクシーですか? 一台手配したいのですが。はい」

 女性は唖然とした様子で宵彦を見ていた。すぐにタクシーがやって来て、宵彦は女性をタクシーまでエスコートする。

「いくら私と言えど、酒を召した男性と二人っきりでこの暗がりを歩くのは危ないでしょう?」

「そうですけど、私……!」

 宵彦は口元に人差し指を立てると、左手の甲を見せた。

「残念ながら、私の隣には大事な人がいます。それじゃ、お気をつけて。おやすみなさい」

 宵彦は一万円札を渡してドアを閉めた。タクシーが発車する。

 すると暗闇の奥から尊が歩いてくるのが見えた。

「本当にお一人だったんですね」

「お前は女を手玉に取るのが上手いよな」

「別に、自分を守っただけですよ」

「禊は?」

「中にいます」

 尊は店の中に入って行く。そう広くない店内を少し見回し、机の陰に寝ている禊を発見した。

「ほら帰るぞ~」

「んー? いい、いらない……」

「いらないじゃないだろ。ほら、おんぶすっぞ」

 尊は禊の腕を掴んで起き上がらせると、背中に背負って立ち上がる。壁にかけてある上着を取って店をです。

「会計は先にしてありますから」

「そうか。お前も帰る?」

「はい」

 二人で夜道を歩く。

「場所が歩いて行ける距離で良かったです」

「それなー。俺も起きてて良かった」

「いつも、家の電話に出るのは禊さんですもんね」

「他の奴は起きないからな」

 横の道路に車が時々通っていく。

「やっぱり都会だな、こんな時間でもまだ車が走ってる」

「前に住んでた場所は郊外だったんですか?」

「楔荘か。まあ田舎だな。千葉県の……犬の頭の方だったな」

「犬……あぁ、犬ですね」

「もうずっと見てないな。今は資料館になってるんだっけ?」

「そうです。御代家が管理してます」

「今度子供ら連れて行くかー」

 話しながらしばらく歩いていると、森林公園が見えてきた。宵彦がスマホを開いて地図を確認し、その位置に何かを思い出して立ち止まった。

「ん、どうした?」

「少し、一服してきますね」

「早めに戻って来いよ」

「いえ、先に帰っててください。ちょっと、一人になりたいんで」

「わかった。気をつけろよ」

 尊は手を振ると、そのまま道を進み始める。宵彦は森林公園の方へ入って行った。

 後ろの禊が下りて来たため背負い直した時、禊が目を覚ました。

「……あれ、尊がいる。何でぇー?」

「迎えに来たんだよ。あっこら、目を塞ぐな!」

 禊は笑いながら禊の顔をペタペタと触る。

「すげぇ、こいつ歩いてる」

「歩くわ!」

「尊すげぇよな、バカだけど日曜大工できるし、武術の心得はあるし、下手だけど少しは料理できるし、子供と遊ぶの得意だし、ナルシストだけどお人好しだし……」

「な、何だよ急に」

 尊は頬を染める。

「あの時、何で尊は、受け入れたんだろうな。殺されるって言うのに、抵抗しなかった」

 その言葉に尊は立ち止まった。脳裏に蘇る、燃え盛る炎。黒髪の奥に佇んでいた悲しい顔。怨みを抱えた顔。黒い瞳。

「……それは多分、禊だから許したんだよ。禊だったから、殺されてもいいと思った。何でああなったのか、禊だと分かったから、俺は殺されないといけないと思ったんだ」

「俺、殺したくなかったのにな。偉そうで腹の立つ奴だったけど、珍しいもの持ってるし、面白いから、もっと友達でいたかったのにな」

「……俺も、もう少し子供のお前と一緒にいてみたかったよ」

 小さくため息を溢す。

 禊は尊の首に鼻を近づけると、

「ん、尊の匂いがする。お前誰だ?」

「俺だよ尊だよ!」

「怒るなよって」

 禊は笑いながら尊の頭を撫でた。

「何で、そんなに俺を許すんだ? 何で俺に食わせてくれるんだ?」

「だって、そりゃ……」

 尊は言いかけて口を結んだ。

「いや、いい。俺は今のままでいい。お前と家族で、仲間で、友達。それでいい……」

「あのな、やっぱり俺さ……」

 禊は尊をそっと抱きしめ、

「尊の事がさ、す――」

 尊の手が禊の顔を塞ぐ。

「やめろ、それ以上言うな。そのまま偽りを保っててくれ。俺はこのままがいいんだ……こうじゃなきゃいけないんだよ。互いに、笑って、今のまま幸せに生きて行くには、こうじゃなきゃいけない……」

 視線を足元に落とす。ふと、足元に雫が垂れるのが見えた。禊のかと思ったが、自分の頬に何かが垂れるのが分かった。禊を落とさないように右手で持って涙を拭う。けどいくら拭いても止まらなかった。

「う、うぅ……禊、なぁ、俺、おれさぁ……」

 膝が折れて地面が近くなる。地面に着いた手元に、きらりと光るものが見えた。涙を拭ってよく見ると、中指に黒曜石を削って作ったリングがはまっていた。禊に贈ったネックレスと同じ原石から掘り出したもの。

「俺、俺さ」

 指輪の上に涙が落ちる。

「言っちゃいけないと思うんだけどさ、今だけ、今だけ許してくれねぇかな。今だけ、友達でも無くて、仲間でもなく、家族でも無くて、俺の中でだけ……勝手にお前を、恋人にしていいかな」

 背中の禊が小さく唸り声を漏らした。尊は歯を食いしばり、鼻水を垂らし、

「好き……好きなんだよ、本当は……」

 隣の車道に車が通る気配はなく、人も見当たらない。ただ遠くに街の明かりが漏れているだけ。

「お前が好きなんだよ、禊……」

 天井を見上げた。目の前に一等星がじっと体を燃やして冷酷に見つめていた。尊はその星に向かって大きく息を吸い、目をぎゅっと瞑って、

「禊!!!! 好きだー!!!!」

 腹の底から叫んだ。

 ヒィヒィと情けない声を漏らし、鼻をすすって立ち上がる。袖で涙と鼻水を拭って、前へ一歩踏み出した。

「禊、もうちょっとで着くからな。おい、聞いてんのか、酔っ払い?」

 尊は鼻水をすすりながら笑って言った。

「んー、いい匂い」

 禊は寝言をつぶやいて背中を丸めた。

 家の前に着く。ポケットから鍵を出して玄関をそっと開けた。リビングを見回し、誰も起きてない事を確認して、そっと二階へ上がる。禊を部屋に入れてベッドに寝かせて、部屋を出る。

 自分もそろそろ寝ないと、と考えて洗面所に立った時だった。

「お主は誠実じゃな」

 後ろからした声に驚いて、叫んで振り返った。そこには寝間着姿の百足がいた。

「何だよ、お前かよ……」

 尊は鼻をすすると、急いで背を向けて顔を伏せた。

「目が腫れて鼻が赤くなっている。泣いておったのか?」

「泣いてない!」

 百足は小さい声でそうか、と呟くと、

「宵彦がまだ帰ってないな、知らないか?」

「あーっと、森林公園でタバコ吸ってる。そろそろ帰らせないとな、迎えに行ってくる」

 尊が玄関に向かうと、百足が扇子で行く先を封じた。

「よい、妾が行く」

「いや、こんな時間に女性を……」

「少し、昔話をしたいと思ってな。公園だな」

 百足は部屋に戻って上着を着ると、外に出て行った。

 夜の誰もいない道を歩いていく。周りに人がいないことを確認すると、スキップをして公園に入って行った。

 しばらく森林の中を歩き、人影を探す。すると、池のほとりのベンチに煙が細く上がっているのを見つけた。

「そこにおったか、宵彦」

 宵彦は目だけを向けて、煙草を吸殻に入れた。

「また、命を貰いに来たんですか?」

「たわけ、もうそんな物騒な事はせん」

 百足は宵彦から距離を取って、ベンチの端に座る。

「最初に会った時は、下半身が巨大な百足なもんでしたから、どんな人かと思ってましたが、人になっても変わらず大きいんですね」

「元はもっと小さかったがな。そうだな、真尋くらいか」

「当時ですと、そんなもんですね」

「けど、これも悪くないぞ。上から全部見える。空も近くなった」

 頭上に垂れる枝に手を伸ばす。枝はじっと寒さに耐えて春を待っていた。

「貴女は、なぜ矛盾に? 何を願ったのですか? ……いえ、無粋でしたね。失礼」

「妾もそろそろ誰かに話さんと、聖霊が来ないと、妾の中の蟠りは解消されないと思っておった所じゃ」

 百足は扇子を広げ、描かれた川と、燃える衣と、散り行く花を見つめた。

「大事な友がおった。私が勉学を教える生徒でもあった。けど病弱じゃった。会うたびに痩せていき、やつれて、疲れ切って生きる気力もなくなっていく。そんな友を見るのは心苦しかった。じゃがそれと同時に、そんな友が美しいと思った。儚さの中に潜む、生きようとする小さな蝋燭の火が、美しく見えた。そのうちに、友の死に際を見たいと思うようになった。そんな事言の葉に少しでも記しては、友が逝ってしまうと思い、必死にこの気持ちを消そうとした。けど、ダメだった。妾と詩を歌っていた時だった。妾への想いを歌いたいと言い、筆を持った時だった。筆が音を立てて落ちた。何かと思い表を上げれば、友は倒れた」

 百足は扇子を広げ、顔を覆った。

「それで、見たかったものってのは……」

 宵彦が訪ねると、百足は首を横に振った。

「これは言ったら、妾の在り方が変わってしまう。誰にも言ってはならない。それは友が妾への想いを明かせなかったのと同じように、妾も明かしてはならない。そう考えたんじゃ」

 水面の月がぬらりと揺れる。

「まだ続きがあってな。その後、その友が腹違いの妹だと分かった。そしてどういう風の吹き回しか、妾が殺したことになっておった。まぁ、友がいなければ、妾は生きて行こうとは思えなかった。すぐに後を追おうとも考えていたから、妾がやったと答えた。最後の日、友の持ち物の中に、妾への手紙があった。その中に金属でできた櫛が入っていた。妾がよく櫛を折ってしまうから、金属の折れない櫛を、と送ってくれようとしてたんじゃ。じゃが、櫛を贈るのはとても悪い事。友は贈れずにいたんじゃ。そして妾はこの櫛を抱えて、人柱として土に入った。……これが妾じゃ」

 百足は月を見上げる。

「だから妾の宝器は櫛、簪・于詩(クシ)。聖霊はまだかのう」

 宵彦は立ち上がり、

「早く来るといいですね」

 そう言って手を差し出した。百足は手を取り立ち上がる。その後、2人は特に会話をする事も無く、並んで家へ帰った。

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